All Night Symphony

〜A.S. 1stアルバム〜


(PR-1003)

 tRace elementsと同じく、活動の合間を縫って組まれたバンド内ユニット(作品リリース直前までは“Alternate Symphonic Elements(A.S.E.)”を名乗っていた)。但しこちらはプロジェクト的な側面が強く、ゲスト・ミュージシャンを多数招いている。“Alternate”の意味合いが非常に強く、練った構想やアレンジが施された曲を演奏するのではなく、即興演奏を主体とした(“Symphony”をその場で生み出す)プロジェクト。やはりスタジオ作リリースより先にライヴ活動が行われていたが、こちらはスタジオ作を基点とし、後にライヴで独自の即興肉付けをしていると考えるべきだろう。そのためライヴのA.S.に見られたワイルドな演奏ではなく、本作は即興ながら穏やかな仕上がりとなっている。この即興で織られた本作を基軸として、ライヴではさらなる即興の肉付けが行われるというのも(アレンジから即興へ、または即興からアレンジへ、というものが一般的な即興表現中では)逆転発想的で興味深い。録音メンバーは前述の3名に加え、「この時」はパーカッショニストの小谷和也(Palm echo他)とnasunoの朋友、奇妙な音を幾らでも出せるギタリストの内橋和久(Alterded States他)、それにチェロ奏者の橋本歩での「セッション」。だがそれは「この時」のことであり、ライヴでは別の人物を起用して、その度ごとに違う顔を見せる。


01. Prajuna
 (max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 elementsの音の延長線を期待したリスナーは、まずここで違和感に包まれるに違いない。アコーディオンの音で始まるのには違いないが、それに続くのは簡素ながら変化の多いリズムと、テルミンのような(ギターの?)郷愁的な響き――この曲から、A.S.は“Alternate”であることを宣言し、インプロヴィゼイション・ユニットであることを実質的に宣言している。そしてある程度の尺があるのに、そこにはmaxによる歌はない。ただ静かに、そこにその場で構築されて鳴り続けるのみである。

02. Kongo in“D”
 (words: max / music: max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 様子を窺うような演奏に続く、スティーヴ・ライヒ作曲の「クラッピング・ミュージック」さえを思わせる拍手での連続で織られた楽曲に、リスナーはまたも驚くだろう。そこへ乗るのは、普段はレゲエ的な楽曲を作りながらもヴォーカルは聴きやすく勤めてきた筈のmaxが吐き出す、早口のレゲエ・ヴォーカル。本作はこの曲から歌が入るものの、決して歌が主体ではない。寧ろ、演奏を主体としている。現にヴォーカルに負けずリズミカルで闊達な楽曲を見よ。アコーディオンやベースも歌を引き立たせるためではなく一楽器として、この曲を楽曲として成立させるために響いている。

03. (Don't) Believe (Me)
 (words: max / music: max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 アコースティック・ギターの響きを核としていることからも、本作中では最もelementsに近い(またはtRace elementsにも対応できる)感触を持つ楽曲。他の曲と較べても、歌を引き立てるために演奏が作用している側面を含んでいる。しかし穏やかな響きながら実際には推移の激しい演奏(特に、後半の効果音じみた展開を見よ)から、即興的な響きを感じられるだろうか? そのうえ、今まで「BELIEVE ME」などと肯定的に訴え続けてきた筈のmaxが、突如「私を信じるな」と言い出すその歌詞は、まるで感情を殺すかのように意識して第三者的に描かれている。そうして紡がれた言葉は「『信じる者は救われる』わけではない」という「現実」を訴えていると言えるだろう。

04. All Night Symphony #1
 (words: max / music: max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 10分超の長尺曲にして、紛うことなき中核曲。最初に歌詞が書かれたこの楽曲を中心にして、本作はかたどられてきた。その証拠に、7曲目の歌詞などと比較してみるといい。ひときわ長い歌詞が呼応していることが解る筈だ。楽曲は即興演奏特有の探り合うような雰囲気から、ここではアコーディオンやギターのリフによる「とっかかり」を得てアンサンブルが出会い、そうして有機的かつ雄大に変化していき、やがてかつてないほど冷静な、第三者の視点の歌詞に展開する。その歌詞も、本作の録音及びユニット編成が即興主体で行われていることを象徴するかのような表現を含んでおり、抽象度も高いのでmaxが描いた世界の中でも群を抜いて推察/論考の余地ある秀逸なものだ。特に「音の世界に彼らは我を忘れている」という一節は、リスナーも演奏者をも含んだ言い回しとして考えられ、諧謔的な響きさえ感じさせる。演奏も落ち着いた感がありながら、実際には即興であることが解れば実にスリリングにきこえる。一聴すると練られた構成のようにも思えるこれがアレンジ主体ではなく、即興で織られている事実といったら! 録音メンバーの実力と、その場での感触の一致(=演奏の共振)が強く感じられる。
 本作の中核を成す大曲にして、即興演奏を軸としたA.S.自体の存在意義さえを含む傑作曲。
 しかし、この「うら淋しさ」は何かに似ている……と考えていたのだが、不意に解った。ドアーズの「ソフト・パレード」冒頭にあった、狂騒が始まる前のうら淋しい旋律、その雰囲気だ。ある種の「祭」的空間を描いた歌詞の内容も通じるものがある。直接的な関係はない偶発的なものだろうが、これは興味深い。

05. Sariputra
 (max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 ギターを主とし、アコーディオンとチェロがたおやかに旋律を紡ぐ、本作中でもメロディが出ていて純粋に楽曲として楽しめるこのインスト曲も、もちろん即興の産物。現に、間違いなく内橋その人によるエレクトリック・ギターを聴くがいい。アレンジ主体のコンパクトなものではなく、セッション特有の放逐な、遊びの多い響きを含んでいる。そのうえですべての楽器はきちんと帰結し、静やかなアコーディオンで終わりを迎えるのが潔い。

06. All Night Symphony #2
 (words: max / music: max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 ベースが肝となり、アコーディオンとヴォーカルが中核曲である4曲目から引用したフレーズを響かせる……つまり、そちらと呼応する楽曲であるというのは、聴くまでもなくタイトルから一見して明らかだろう。やはり抽象的な歌詞だが、そちらの2番のような内容であり、後日談、つまり4曲目の「その後」を描いたように思われる。楽曲は本作中(あるいは近年)では見られなくなっていた白人音楽と黒人音楽の折衷という側面を含んでおり、レゲエ・ビートがチェロと絡むという珍しい展開を見せる。

07. Tristess
 (words: max / music: max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 冒頭のアコースティック・ギターの裏に4曲目の最後の電子音が含まれているものの、歌が主体となるためelementsと感触の近い楽曲。「悲しみ」を意味するタイトルから推察できるように、maxは本作中多くない感情を表した歌い方、うら悲しい歌い方を披露する(しかしやはり、どこか第三者的な響きを放っている)。ベースの進行など根幹は別にあるのだろうが、やはり楽曲自体は即興主体。そのため一聴するとチェロの内省的な響きさえアレンジ主体にさえ思えるが、実際にはその場での音の抱擁から成り立っている。

08. Nawak'osis
 (words: max / music: max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 最後のヴォーカル・ナンバー。アレンジが先にあるのでは? とさえ思えてしまう歌曲だが、それは歌を司るmaxのアコースティック・ギターによる旋律が核となっているため展開は歌を主体としたものであるからで、やはり即興主体であるのはバックに鳴り響く内橋によるヒバリの泣き声めいた効果音からも解る。アコーディオンとベースが地盤となりながら、探り合うような雰囲気を感じさせるインスト部分の展開も聴きもので、特にドラムのフレーズ変化にそれが見られる。なお、タイトルはelementsの活動拠点であるCafe Indipendantsで彼ら主体で行われるイヴェント“Nawak'osis Baun”から引用されたと思われる。

09. Samadi
 (max, nasuno, ryotaro, kazuya, uchihashi)
 本作の最後は、まさに即興そのものと言えるインストで幕を閉じる。展開を握る主体となる音がなく、すべての音が一歩引きながら一進一退を繰り返しており、互いを見詰め合っている雰囲気が感じ取られるようだ。こと本作、またはA.S.自体が即興表現であることを解りやすく示唆した曲と言えるだろう。そういった意味では単体楽曲としてより、ドキュメント性の強い演奏。ゆえにこのユニットを論考するにあたっては、まずこの曲を聴くべきだろう。楽曲がその場で編まれていく様子が、生々しく汲み取れる筈だ。
 そうして冒頭から即興であることを宣言した本作は、即興である最大の証拠となるこの曲を残しながら、静かに波が引くように終結する――いや、終結ではない。「この時点」での演奏は終了となる。また別の機会に、別のゲスト・メンバーを起用してこれらの曲が演奏される際には、すべての楽曲はまた有機体となって姿を変える。だからこそ、この曲はそのための「はなむけ」のようなものだ。なお、リリース前の原題は「椰子Trip」だった。