Live @ GRAPEFRUIT MOON, 06/04/2003
〜A.S.〜
少しだけ、妙な雰囲気だった。
普段は演奏中も喫煙可である筈のそこは、喫煙エリアが設けられ、座席は禁煙となっていた。筆者は今にして初めて観る、灰野敬二氏の意向であるらしい。それは単に煙を嫌うからなのか、演奏を聴く集中力を欲しているのか……は憶測の領域だが、ともかく、普段よりも落ち着いたたたずまいがあった。
やがて店内のライトが落とされ、灰野が現れる。拍手で迎える観客に媚びへつらうことなどなく、黙したまま楽器を手にする。それは二胡のような細く小さい形状でいながら、音色はシタールに似ている弦楽器。それを灰野は、別段念入りなチューニングをするでもなく、静まった場内で掻き鳴らし始めた。
もはや、ききとりも難しい叫びと囁き。それはさながら、霊界と現世を繋ぐイタコのようでもある。曲の途中でも平気で手を止め、楽器の調整を行う堂々たる様。そのため場内は拍手のタイミングを「うかがう」ような雰囲気さえ漂っていたものだが、当の灰野はそんなことは気にしている素振りもない。
アコースティック・ギターに持ち替え、「アコースティックなのにおどろおどろしい」フレーズを「叩く」灰野。現に、弦を叩いた「バリッ」という音が鳴ること鳴ること。指も普通のギタリストのように「滑らかに動く」のではなく「直感をフィルター通さずそのまま指にフィードバック」させたような動き。
そうしていよいよ、エレクトリック・ギターに持ち替える。演っていることは基本的に似ているのだが、面白いのにはリズムなど皆無にきこえるのに、灰野自身はしきりに足を踏んでいる。時には一定になるが、曲にはリズムが見受けられない。前述の「直感のフィードバック」が指先のみならず全身に回っているようで、ピクピクと、ひきつるように動いている――と思えば、独特の「ひきつり歌唱」で気付くのが遅れたが、その時演奏されていたのは赤木一郎の名曲「いとしのマックス」だった。それも、elementsの“max”が控えるステージでそれを歌ってしまう……してやられた、という感じだ。
明かりをほんの少しだけ強め、最も「曲らしい」コード弾きから始まったのは、童謡の「赤いくつ」。続く曲も歌詞がフォーキーなものだったり、ギター・ソロはものすごく泣きメロだったりと、ひょっとすると、この人は「根はフォーク」なのじゃないか? などと思わせる選曲だった。時折、そうした常軌から逸したように爆音を掻きむしるのは、まさか「照れ隠し」にも似た衝動的行動なのじゃないか、などと、ぼんやりと筆者は思っていた。それほどに、この日の灰野は「歌」を歌っていた。
――以前から(CDを聴くなどして)類似性を見出していた「裸のラリーズ」水谷と、灰野との共通点が解った。歌唱法やリバーブの強い音響といった点はもちろんあるが、何より、その「歌」は、昨今ありふれている「情」ではなく、寧ろ「念」により発されているものだ。つらつらとした不確定な「情」ではなく、己れの中に強く存在し、表に現出せざるを得ない「念」。それが、どんなポップ・ソングとも類似しない要素ではないだろうか。
初体験ながら、聞きしにまさる「生灰野」だった。それでもこの日は、ある種のフィルターをかけていたに違いない。それが解放された演奏も観てみたいものだ。いやぜひとも。
さて、灰野に予想外なほど熱中するも、お待ち兼ねのelements内部インプロ・ユニット、Alternate
Symphony(A.S.)の登場だ。諸事情から、今までの“Alternate
Symphonic Elements(A.S.E.)”から“E.”が取れたが、もともと流動体である彼らのこと、名前で何かが変わってしまうわけじゃない。
いや、ひとつだけ、普段と変わっていたことがある。
それは、「即興主導」ながら「構築優先」の姿勢が見えたことだ。
そもそも、開始段階からして、段取りに則っているように見えた。演奏者が順々に現れ、皆ある程度の演奏をしたところで次の人間が現れる。そうして、普段は「自然発生的ながら、唐突な感のある」演奏開始ではなく、少しずつ、生地が折り重なるような始まり方をしていた。
最初に現れたのは、東京でのA.S.最初のライヴでも大活躍だったパーカッショニストのサム・ベネット。シェーバーでアルミをこする、マッサージャーでブリキをこする……など、その演奏方法は「ありふれている」筈なのに、多くのパーカッショニストが見逃している意外性に目をやられる。そこへ颯爽と現れたryotaroも、合わせたようにして不協和音気味に、アコーディオンをパーカッシヴに叩く。それが洞窟の中の空気の如く一定した頃、ナスノが思いきったフィードバックからベースを入れた。ソロ・ギターのようなベースは音数は少なく、しかし「意味を発している」重さがある。喩えるなら、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアによるギターに似ているのだ。パーカッションとアコーディオンが同調するように警告じみた響きを鳴らし、ベースがそこにリズムの基盤を刻み込む。その時、コタニカズヤが現れてシンバル類で警告音の増し、やがてドラムのリズムを作り出した。そしてとうとう登場したmaxが、飄々とアコースティック・ギターを爪弾き始める。よく見れば、足もとは草履。このユニットの中核であるナスノに触発されたのだろうか?
そうして、相乗する音の群れを止めたのは、maxのギターが刻んだリズムだった。それを確認したかのようにナスノはコタニ、サム、ryotaroと目で交信し、ベース・フレーズを「ベースらしい」リフに変えていく。ギタリスト不在のためメロディを弾くベースのように、パーカッショニストが他に居る安心感からか、コタニのリム・ショットが特に冴えている。この、単発的なフレーズが絡んだ曲は――「Kongo
In “D”」。レゲエ・タイプのヴォーカルを軸としながら、最も変幻自在な1曲だ。中でも、演奏面ではryotaroのアコーディオンがこの曲を最も特徴付けている……そういえば、今日は彼の立ち位置が普段と逆だ。それでもナスノは中心におり、また、maxはやはりナスノの視線に背を向けるように位置している。これらの配置にも、ひょっとすると大きな意味があるのではないだろうか? 進行や変化、その指示はどうあれ、このユニットでも中心はmaxである、という意味。楽器乱打状態にヒート・アップした場面は、普段のようにフェイド・アウトしていくのではなく、コタニのスネア一発でピタリ! と止まっていた。これにより、他曲と繋がるなどで曖昧にされがちな「楽曲の輪郭」も明確となっていた。いや、お見事。
maxがギターを刻み、アコーディオン(のMIDI音声)やパーカッションなどのギミック的要素がありつつも、A.S.には殆ど見られない「感情」が伝わる歌唱が始まる。この曲は知らないが、聴いたことがある。そう思えばやはり、赤坂グラフィティでのライヴで初披露された「rain(仮)」だった。“rain
―― ride on”という繰り返しが、やたらとせつなく響き、しかし普段のA.S.では敢えて隠匿しがちな「光」が見える。間奏からメロディを弾くベースなど、elementsで演奏されたそれとはまた違う面白みがあった。これも「まるで既成曲のように」かっちりと演奏が終了した。
またもmaxのギターが曲を主導するが、こちらは実に聴き覚えがある――A.S.の「Nawak'osis」。殆どのライヴで演奏されている、メロウな歌曲。この日のA.S.は、心なしか「歌」に重きを置いている。主たる演奏は活力の炎を起こすベース、それを煽る風を吹かせるアコーディオン、そしてそこに注がれるひと筋の光、ヴォーカル。maxがひとしきり歌い終わってから、ベースはその火力を徐々に増していく。それに呼応してドラムが開始され、演奏は一気に坩堝へ。特にアコーディオンの憂愁たる響きが耳に残る。この曲も、ドラム連打からピタリ! と演奏を終えた。どうにも今回は、即興ながら「単発曲として演奏する」というテーマが存在しているように感じられる。
ここで、定例となったゲスト(不確定要素)の飛び入り。そう、今回は灰野が彼らに混ざるのだ! これは「ひょっとするとアヴァンギャルドな演奏になるのか?」と筆者を興奮させたが、意外や意外、サムの「赤ちゃんをあやすガラガラ」で始まったことに顕著なように、そこからの演奏は落ち着いて、安息感を醸し出すものとなった。この曲をこの曲たらしめている、「あの」アコーディオンが鳴らされる――彼らの中核曲、「All
Night Symphony」。そこへ灰野は探るように、思い付いたようなギターを鳴らしていたが、やがて今日のナスノのベースを思わせる、音色が少ないながらも印象の強い、単発的な優しい響きを弾き始めた。その頃には、ベースとアコーディオンがすっかり噛み合っている。焦点をズラした隙に基盤を作る、これは「無意識下の意識」なのだろうが、さすがの手腕だ。
今までは「洞窟の中をたゆたう光」のイメージだった「All
Night Symphony」は、灰野のギターとスキャット・コーラスが醸し出す「昭和の雰囲気」と妙にマッチして、普段よりずっとやさしく、喩えるなら「子宮の中のイメージ」で響いていた。まるで「子守歌」のように――エキセントリシティが先立つ灰野だが、この適合具合は見事だった。また奇妙なことに、この日の演奏が開始する前に鳴っていたのが、ピンク・フロイドの『対』であるのが示唆的だった。灰野のギターも、ナスノのベースと同様「デヴィッド・ギルモアを思わせる」のだ。それも『対』収録の「運命の鐘」あたりの、派手さじゃなく印象で勝負した音色を。
その一方で、演奏陣は「一瞬だけ三拍になる」部分はもちろん、外さない。ナスノは全体を牽引し、応じてコタニは堅実なリズムを叩く。奔放だったサムも的確な音を鳴らし、ryotaroは全体の「空気」を作る。そして、maxはそれらすべてを統合し、司っている――「ララバイ」、それが、この日の、この曲を的確に表す言葉だった。子守歌よりも、ララバイ。そうして演奏は、体内回帰するかのように穏やかに、郷愁を誘いながらピタリ! と停止。アコースティック・ギターの余韻を残しながら終了した。
拍手の大喝采。初めて聴いた観客でも、コンパクトに「単発曲として」演奏されていたこの日の演奏は理解しやすく、楽しめただろう。満足そうに面々が去っていく中、ナスノがもっと満足そうに、6/21発売となるアルバム『All
Night Symphony』の予告をした。
「でもね、僕らライヴする時はいつも雨なんですよね」
雨。
rain。
それは「慈愛」であり、「恵み」なのかも知れない。人の誕生から終焉まで、水が必ず関与し続けるように――
この日の、単発曲として聴かせる演奏は、場数をこなして「即興のコツさえつかんだ」感が受け取れた。回数を重ねるほど、彼らは即興と構築の折衷に「楽曲的な美」を見出している。
8月にも東京でライヴが予定されているそうで、より展開するだろう彼らを観るのが、今から楽しみだ!