永森裕二『ねこタクシー』
〜「愛玩」ではなく「家族」として〜(2009/11/20)

(竹書房文庫)
近年、稀に見る猫ブームである。
猫漫画や雑誌が続々刊行され、新しいハウトゥ本もよく出ている。写真集も出るほど有名になった猫もいるし、ペット・ショップでも押されまくっていた犬に対して、少しずつではあるが数が増えてきた。猫を使ったCMが多くなり、「いぬのきもち」に負けまいと「ねこのきもち」も大人気だ。
しかしこのブームも、消費者金融のCMを見てチワワを飼うようになった種類の人々が食い付いているのではないだろうか。室内で飼えていつでも可愛がれて犬より扱いが楽。だからこうして広がり始めたのではないだろうか。喩えば「にゃらん」を見て飼いたくなったぐらいの。つまり結局は「愛玩」として弄び、または「優しい」と思われるように「猫が好き」というステイタスを手軽に身に着けようとしているようにも思える。
それに新しい飼い主の多くは「癒し」という、テメェの勝手な都合で命を扱うんじゃねぇ的な観点や、酷いと「萌え」の一要素として猫を扱っているように思える。あるいは自分を着飾る「ブランド」として。所詮「道具」としてしか見ていないのだ。
だからこの本も、店頭で目にとまったにもかかわらず、購入を大分ためらった。ましてやオビにドラマ化決定の旨が記されており、背には「ハートウォーミングねこストーリー」などと書かれている。ってことはお約束の動物を使ったお涙頂戴路線だろ、と思ってしまったのだ。作者も脚本家が本業らしく、それじゃ深みもないラノベだな、と思ったし、近年は犬猫ものをよく書いているというので、それじゃ感動狙いのドラマ仕立てだな、とますます取っ付きが悪かった。それでも購入してからも、1ヶ月読まずにいた。
しかし読み始めて、数時間で一気に読破した。
読む前に抱いた予想の通り、まるで脚本な書き口。表現はライトで人物描写や説明もきわめて最低限だし、本文まで主人公のセリフで説明される。お約束でご都合主義な展開にドラマティックなどんでん返しの連続。小説を読んでいるというより、いかにも脚本を読んでいる感じがした。だからこそここに筋書きは説明しない。それを書いてしまうと中身がなくなってしまうからだ。
けれども、というよりだからこそ一気に読破できてしまうぐらい、のめり込めた。
何より、萌え狙いではない。思ったほど感動狙いでもない。猫を道具として弄ぶのではなく、喋ったりのファンタジー展開するでもなく、現実の猫にいろいろなことを教えられる駄目中年の成長物語であるからこそ、楽しめる。猫が主体なのではなく、ある猫を本当に愛する男と家族の物語。
「動物を擬人化して人間的な感情を持たせたり、動物を可哀想なことにして涙を誘ったり、そんなことより、人と動物のリアルな関係から普通に生まれることの方が、ずっとずっと人の心に響くはずなんだ」
これは下巻の解説にある、佐藤二朗氏に作者が語った言葉である。その解説には、ひねくれ者を自負している佐藤氏さえ泣きそうになった場面の引用もあり、実は私もその部分には大きく胸を打たれた。
だから都合のいい愛玩萌えラノベを読みたいのなら、本作はふさわしくない。ペット・ショップでブランド子猫を飼う人にはわからないかも知れない。自分の都合で平気で猫を棄てる人には間違っても理解できない。無論漫画的なファンタジーはまるでない。猫に関しては飽くまで現実的な描写だ。そうでない部分も多少あるが。
本作をして感動云々を気楽に書いているコミュニティも見かけるが、本当に猫好きであれば、結末は予想できるから号泣などしない。せいぜいホロリとくるぐらいだろう。本気で猫を飼ったことがある人なら、覚悟ができている筈だ。
だから、本当の愛猫家にこそ読んでほしい。
または、気軽に猫を飼いたいと思っている人に、指南書より先に「現実はこうなんだよ」と読ませたい。
上巻だけ読むとほんわかとした和み路線のようだが、下巻で一変する。本当に猫が好きかどうかが問われてくる。
本作が問いかけているのは、「ペットを大切な家族の一員として扱えるか」ということ。
「愛玩」するのではなく、「必要」とする。
それこそ、ペットを愛する基本的なスタンスであろう。
そのうえで「自分に自覚的にあれ」という訓戒も含んでいる。
そういったことをつらつらと書くと面白味が薄れるので、書かない。
だが、いい物語だった。それは間違いない。
来年1月からカンニング竹山主演で連続ドラマ化するので、その前に読んでみてはいかがでしょう。
ドラマでは恐らく感動が強化されるだろうから、そうじゃない本質を本で味わってほしい。
*2011/02/16 追記*

文中に記したドラマ版は観る機会がなかったのだが、新作から準新作になった頃、DVDレンタルにて映画版を観た。
ドラマ版は原作に忠実で、すべての挿話があるようだが、この映画版はその全尺を縮小、コンパクトに100分超でまとめたかたちになっている。そのため間瀬垣が少しずつ成長していく描写は省かれている。御子神さんとのタクシーが盛り上がっていく場面も、ほとんどない。急に売り上げが伸びて皆がいぶかしがる。それを補う補助として、原作に登場しない子猫「コムギ」や、それと御子神さんの二匹を飼うに導く老婆にスポットがあてられたりしている。しかしそれにより、御子神さんの存在感が多少薄まってしまったのは残念だ。
それでも、だいぶいいかたちでまとまってはいる。「猫萌え」目的だけの視聴者をがっかりさせるぐらい、ちゃんとした人間ドラマに仕上がっている。結果、それこそが本作の本質であったのだと再認識させられる。
だが、猫が、御子神さんこそが本作の肝であることを考えると、そちらの要素が若干足りない。御子神さんが、まるで生き生きしていない。「御子神さんが、すべてを教えてくれた」というキャッチ・コピーのわりに、まるで中核になっていない。
そのため「人間ドラマ」として見るなら、まったくの及第点。なのだが、猫を主題にした映画としては、やや消化不良。
その一匹の猫を守りたいだけという決意こそが、この物語の核だったのだから。
それでもカンニング竹山はじめ出演者は好演。いいドラマに仕上がっている。コムギはほとんど不要な気がしてならなかったが、その成長で時間の経過が知れるようになり、またぼんやりと御子神さんに関わる要素になっているので、よしとしよう。そのおかげで中核の御子神さんがますます薄れてしまったというのもあるが。
いっそ原作完全再現のドラマ版も見なくては、だなぁ……。
のちに短編小説集『御子神さん』も発刊され、ややあって購入したので、読んでみることにしよう。
そちらは間瀬垣と会うまでの御子神さんの話で、続編ではなく、いわゆるスピン・オフ。つまり御子神さんが若々しく、まだまだ死ぬことはないので、楽しく読めるはずだ。
*2011/06/02 追記*
永森裕二ほか『御子神さん』

その『御子神さん』を、購入から4カ月近くかけ、ちまちまと読み進めたあげくようやく読破した。
そんなに時間をかける必要があるほど読みづらいわけではなく、むしろ『ねこタクシー』同様、しごく読みやすい文体と描写、それに安心しきったままでいい展開なので、困難なわけではない。単純に私の時間がなかっただけのことだ。または、それを一気に読み切らせたくなるほどの魅力に欠けていることのあかしになってしまうのかもしれない……すべての話が、展開ごとまるぎり同じ印象なので。
さて、こちらはオリジナル原作者の永森裕二が序章と終章を担当し、残る本体八章は石井康治、望月桜、ゆずき、青葉涼人によるバトン小説のように展開、おまけとして、いとううららによる四コマ漫画が収録、といった内容だ。かといって執筆者それぞれに個性があるわけではなく、みな永森よろしくの「シナリオ文章」のごとく、ごくごく簡潔でわかりやすい、ストーリーを読ませるだけの文章に徹している。これは文章力不足ではなく、全員が意識し、永森に倣った脚本的スタンスを貫いただけのことだろう。
しかし、全話の展開すべてがまるで同じ、というのはどうしたものか。
本筋は、「何かがうまくいかない人間が御子神さんと出会い、親しみ、そのうちに人間の絆を軸として、何かしかうまくいく」という骨組みを軸としている。しかし、それがすべてだ。あとの肉付けは肉付けでしかなく、まるでどれも同じ話のような印象。ドラマを書きたかったとすれば典型すぎて話にならず、タイトルそのものになっている猫を書きたかったとも思えず、すべての話や展開が骨組み「のみ」かつ、骨組み「通り」。ほかに何も言及することはないほどに。
本作のサブ・タイトルに「幸福をもたらす♂三毛猫」とあるのだが、それは読んでいて、幸福をもたらすのは御子神さん自身ではなく、御子神さんに影響を受け、何かしかの力を授かったかのように錯覚し、けっきょくは自分の力でゆく先を切り開く、登場人物その人にこそある。それを猫に向けては、他力本願のようになってしまう。しかし読んでいてそれは察知できるので、大した問題ではない。
だが、それをサブ・タイトルにもうけることで、単純な「動物もの」として消化されることが、前もって確定してしまっているのも事実だ。
だから本作は、『ねこタクシー』を読んで御子神さんそのものに興味を持ち、「萌える」がごとき感情を抱いた読者向け。『ねこタクシー』よろしく、大きな筋の通った話を期待すると、あまりのライト・ノヴェルっぷりに読む手が進まなくなる。永森が御子神さん自身にかかわる大きな要素となる序章と終章のお膳立てをして、あとは書き手にまかせた、やっつけにも近い「イメージ小説」。少しずつ読んでいて、映画まで観た熱がしだいに醒めていくのがわかった。
スピン・オフなんていうものは、そんなものだろう。キャラクターの特性を活かし、それでキャラクターのファンを興奮させるためだけに作られるもの。たいがいのスピン・オフ小説は、キャラクターに特化した「キャラもの」の域を出ない。
だからこそ、誰が書こうと、まるで同じ。それなりの描写さえ書けば、あとはキャラ想像してもらえるだろう、というライト・ノヴェルと同じ。
そのため本作は、「『ねこタクシー』が好き」という方よりも、「御子神さんが好きだから、彼の登場する幸せな話なら読みたい」という方にこそお薦めする。
楽しく、あたたかく、ほっこりできることはできるだろうが、小説として、シリーズものとして見ると、どうしても「薄い(ライト)」と思えてしまう。
本編のファンにのみ、読む機会があったら読んでみてもいいかもね、というスタンスでお薦めしておく。
言ってはならないことだが、本編の最後で、御子神さんが亡くなる展開になってよかったのかも、と思った。
そえが本編の大きな意味である「家族として猫を飼う」要素を担っているのと、そうでないと、こうした「気軽な続編」が次々と作れてしまうからだ。