森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』
〜夢想的恋愛至上主義〜(2009/08/11)

(角川文庫)
やられた。
こんなに面白くて、表現の深みもある現代小説に出会ったのは、久し振りだ。
職場の古本屋で定期購読している本の紹介雑誌『ダ・ヴィンチ』の注目文庫として短い文章があり、そこにあったこのレトロな表紙に魅入られ、どうしても読んでみたい欲求に駆られ、誘惑に負けて買ってきて即行、1日で読んでしまった。それほどに、するりするりと読めてしまう。しかも、前述したように現代小説にありがちな薄っぺらい表現だからひょいと読めてしまうのではなく、文学的でさえある(というより、文学的を気取っている、のが潔くて好ましい)趣のある表現技法が盛り込まれているので、しっかりした読後感もあり、読んですぐにも再読したくなる。
物語は、天然キャラの黒髪の乙女が軸となり、それをストーカー寸前に追いかける一途な「私」とのモノローグを繰り返して進行する。彼らふたりは名前がない。これは固定的な名前を持つ単純な存在にしてしまうのではなく、読者それぞれのイメージ作りを優先した、意図したことだろう。そのふたりを中心にして個性的な、実に個性的な登場人物が幾多と登場し、ユーモアあふれ可笑しくもあり、恋愛ファンタジーと評されるように夢幻的な展開も多くあり、たまにほろりとさせる場面もある。てんこ盛りだ。だから「文学」ではないかも知れない。しかしよくあるエンタテインメントとかなぐり棄てるほど浅くない。
そういえばこの小説には「悪人」がまったくいない。登場人物は、空中を浮いてみせる万年大学生・樋口、酒好きで酔うと誰彼構わず顔を舐めたがる羽貫、謎多き極道老人・李白、悪戯っぽい古本市の神様、幾多の武勇伝を持ちながら純愛に生きる偏屈王……などなど、登場人物全員がものすごく個性的なのだが、皆一様にあたたかで、憎めない。最初は印象が余りよくない高利貸しの李白でさえ、その本質は善人である。登場人物全員が「純粋」だ。それがこの小説を読んで、幸福な気持にさせてくれるのだろう。
文学的な表現は理屈っぽい「私」の思考述懐が主であるが、引用・転用の類も散りばめられている。「路傍の石ころ」だとか「書を捨てて町へ出る」、「偏屈王」、竹久夢二の詩、などなど。さらには文学趣味が高じて古本市の場面では名作群をずらぁっと並べ、豊かな知識を披露する。それも鼻にかけるような調子ではなく。
この作者はタダモノではない。
そもさん、僕は若い現代作家というものを余り評価していない。その殆どが薄い表現で一方的な純愛かミステリーを書いて、その場限りの読み棄て本を大量生産している。ましてや若さから、知識も浅薄で偏っていたり、経験不足や情報不足、想像力不足が露呈しがちだ。だから僕は、そういう「小説モドキ」を殆ど読まなかった。若くなくとも、エンタテインメントありきの読み棄て本作家は多い。
なのに、まさか自分より年下の森見という、この作家にやられるとは。それも、夢想が過ぎるので余り好まないファンタジー的な展開の多い物語で。こりゃあ食わず嫌いしている作家もいるかも知れないな。
だが敢えて難点を挙げれば、舞台が京都なので具体的な地名が出てもいまいちしっくりこないということか。逆にそのあたりを知っている人には素晴らしいリアリティを醸し出すだろうが。森見作品はその多くが京都を舞台としているらしいので、他作品を読むには少し心構えが要るかも知れない。
だけど、そんなの気にならない。
それぐらいお話はするすると、劇的に、奥深く展開し、様々な人物や要素が自然と絡み合っている。純愛を信じているピュアでキマジメな理想論者には、とても気持のいい作品だろう。
何より、黒髪の乙女が可愛いことこのうえない。
純粋さや天然ボケを崇拝する処女信仰じみた視点がある軟弱な男子ならば、即座に「私」と自分を同一視して、彼女に恋するが如く読んでしまえるだろう。純愛好きの女子にもいい。理屈っぽくてモテない学生だった人なら、なおさらのことだ。
ただ文体が余りに文学的に気取ろうとしていて、乙女でさえカタいことを言うことがあり、やや通俗性に欠けるきらいはある。きょうびの大学生がこんな言葉の使い方するかよ、と思ってしまうかも知れないが、待て待て。この作品には具体的な時代設定はされていない。現に携帯電話やパソコンは出てこないし、学園祭はやけに盛り上がる。70〜80年代あたりを思い浮かべるとしっくりくるのではないだろうか。
個人的には、「己」を「おのれ」ではなく「己れ」と書いているのが嬉しかった。僕も同じように使うからだ。だからより卑近に感じられてしまい、こうやって言いたいことも書けないがとにかく傑作だ、という旨を連ねているのである。だけど余りに楽しく読めてしまったので、何だかいつものように講釈垂れるより、純粋にお薦めしたかったのだ。
この作家は、好きになるかも知れない。文庫で購入した本作も、単行本で買い直すかも知れない。
さしあたって、樋口と羽貫が登場している過去作『四畳半神話体系』の文庫も買ってみた。その独特の雰囲気と口調が僕にはとても魅力的で、思わず芥川龍之介の姿を想像してしまった樋口が登場するとあっては、読まねばなるまい。まだ新進作家なので、これから応援して一緒に成長することができるかも知れない。期待の星だ。
ただ、
設定や文体は作品ごとに変えてみた方が、力になるのではないだろうか。似た設定や文体が多いらしいので。同じままだと、それらをちょっとでも受け入れがたい人すべてを拒否してしまうことになるのだし。
本作はコミック化もされ、舞台にもなり、テレビ放送もされた。それだけ賞賛される価値はある。
夢見がちで理屈っぽい恋愛至上主義者だったら、ストライクだ。ぜひ立ち読みから始めてみてほしい。馴染めるようだったら迷わず購入し、自室で思いっきり夢想に浸りながら楽しむべし。

(舞台のDVDソフト、コロムビアミュージックエンタテインメント)
ちなみに本作は山本周五郎賞を受賞。2007年の本屋大賞2位にも選ばれている。

(角川書店)
後日、コミックも読みました。
ちらりと書いておきます。
『時をかける少女』でデビューした琴音らんまるによるもので、やわらかいポップなタッチがややオタク向けではあるが、登場人物の特徴をよくとらえており、乙女はやはりキュートだ。乙女が可愛ければ何も言うことはない。
オリジナルの話も盛り込まれているので、原作を読んでいても充分楽しめる。だが飽くまで原作の後に読みたい。なぜなら原作よりファンタジー性とコミカルさを発揮しているので、最初からでは過剰な味付け、またはオタク漫画に感じられてしまう。また、原作は独特の文体が大きな味になっているが、こちらは痛快な描写を楽しむようになっているので、物語を読みたい人にははやり原作から入ってほしい。
角川のコミックとあってややオタク向けではあるが、それでも、原作ファンならぜひとも読んでおきたい仕上がりだ。
なお、コミックには携帯電話がフツーに出てきた。それがいささか残念な感もある。
まぁ、世界が繋がっている『四畳半〜』にもパソコンが出てくるんだけどね。