村上龍『半島を出よ』

〜絶望から希望へ〜(2009/02/24)


(幻冬社)

 出ているのを知っておきながらも、情けないが金欠のため新品が買えず、古本で買った(それも上下セットで200円……)という、村上龍ファンの風上にもおけない状況で手に入れた作品。既に文庫にもなってしまった頃にしてようやく買えた。龍が経済関連に行ったためちょっと離れてしまったのもあったんですけどね。
 上下巻というと、『愛と幻想のファシズム』や『五分後の世界』&『ヒュウガ・ウイルス』あたりを思い付きそうだが、いやいやそのイメージでビンゴ。軍です。今回も軍隊のお話です。簡単に言うと、北朝鮮のコマンドが日本を侵略しにくる、日本はそれにどう対応するか、という筋なのだが、それに関する描写がタダゴトじゃない。日本の脆弱な部分をやわらかくハードに描いている。北朝鮮の文化が並外れて遅れているのがTシャツ一枚の感触を喜ぶようなところにうまく表れている。ここに描かれているのは、言うなれば「国家/その人民、の体質」だ。
 発表は2005年だったのだが、それより先、2011年あたりからのお話になっている。そのため、この文章を書いている2009年現在ではギリギリ、近未来的な感じで読める。だから今現在にして読めば、リアルな未来のようにスリリングに味わえる筈だ。現在の延長上に仮想された物語として。逆に言えば、年数を章にしたためにその後に読んでしまうと「現実と違うじゃん」と片付けられてしまうこと。しかしひょっとしたら、予言書的な役割を果たしているかも知れない。
 イシハラ傘下のアングラ集団がキィとなるわけだが、それも押し付けがましくない。寧ろ前半ではそれに気付かせないぐらいだ。言い換えれば政府とかの描写が多くて前半は少し冗長。だが後半になっていくにつれて、どんどん熱中してしまう。登場人物が多く、それをすべて冒頭でリスト・アップしているのだが、最初に見た時は「げえぇ、こんなに人がいるのかよ」と引いてしまいそうだが、いやいや龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』を思い出してみなさい。出発点から龍は登場人物が多い小説を書いてるでしょ? で、それぞれに最低限の性格やキャラクターが配されていて、過度な味付けはされていない。これは登場人物が多い小説を書くにあたって必要なことだ。中心人物ひとりふたりぐらいを入念に書く小説が多いが、このように平等に配分されるものはなかなかないし、書くのは難しい。やはり突出したものを作った方が書きやすいからね。
 だから、たくさんの小さな粒子で全体が作られている感じ。デカい突起とかなしに、平面な空間に細かい粒がドット絵のように配され、それ全体をもってして物語が構成されている。そりゃもちろん登場が多かったり重要な人物はいますよ、でもね、それも一部に過ぎないんです。中核にはなっていないんです。イシハラ・グループや高麗遠征軍の何人かは個性が突出してるけど、そういう人じゃない普通の人々こそ普通に恐ろしい決断をする。そこが現実的で怖い。あっさり博多を切り離す木戸や、重大事項をチクる尾上なんて話の筋からするとごく平凡な人物だし。
 読んでいて、とにかく緊張した。次はどうなるんだろう、こいつはどう対応するんだろう、最後はどうなるんだろう、と、とかく「先にある何か」を期待させてやまない。それは龍の作風が以前の「希望から絶望へ」だったのが、ここ数年「絶望から希望へ」というベクトルに向かっていることもあって、先に光を期待してしまう。そして本作は、その期待に応えてくれる。そういう意味では今までの作品じゃあ『希望の国のエクソダス』あたりに近いんじゃないかな。質感みたいなものが。また、ようく読むと上巻はドキュメント的な雰囲気が強く、下巻はエンタテインメント的な展開とも言える。これは前半で状況説明を終え、後半で展開するという龍の常套手段だ。
 なお、ウィキペディアによると、本作の主要登場人物のひとりである詩人のイシハラと本作冒頭で視点人物となるホームレスのノブエは、過去の村上龍作品『昭和歌謡大全集』の主要登場人物。また「北朝鮮コマンドが博多を占領する」というアイディアは、共生虫ドットコム(2000年、講談社)における嶋田将司との対談で龍の口から出ていたそうだ。そういった過去や仮想をもとに、膨大な取材(脱北者にまでインタヴューしたのだそうだ)を重ねて書き下ろされたのが、本作である。
 とかく長大な感じがして及び腰になってしまうが、一度読み慣れると止まらない。現に、僕も読み始めは躊躇していたが上巻の中盤あたりから一気に加速、一週間もせずに読んでしまった。
 何でも、映画化の話があるらしい。それも韓国サイドで。ということはこの内容に半ば共感してもらえたということなんだろうな。韓国の悪い面を大分示しているので、嫌韓派な人には「ひゃっほう!」な内容だろう。逆に親韓派な人には「お願い、もう朝鮮半島の悪口言うのやめてぇ〜(ザ・パンチ風に)」という感じかも。しかし映画では小説のディテールが伝わらないだろうから、エンタテインメント的になってしまうのだろうなと僕は予見している。今までの村上龍原作映画はみんなそうだし。
 読んでいる最中はドーパミンがどばどば出るし、読後は辞書でも読んだかのような充実感がある。だがそれは龍のテクニックで、龍は本一冊で重厚かつリアルな世界を作ることができるのだ。やるな村上龍、腕前はまだまだ衰えるどころか冴えまくってるな。経済を勉強したのは無駄じゃなかったな。

 本作は、弱体化した日本へ鳴らされた「警鐘」だ。
 文学的にも、エンタメ的にも解釈できる優秀な作品。