「天野月子」から「天野月」へ

〜ブランドの二次利用をめぐる推論〜

 この文を私は、2010年の1月11日に記している。
 よって瑣末な情報からの推論が多くなることを、まずご理解頂きたい。
 さあ、
 久し振りに天野に関して記してみよう。

 天野は2008年をもって「天野月子」としての活動を停止した。
 その主な理由は、当初天野自身から「天野月子としてやりたいことをやり尽くした」と言われていたが、ラスト・アルバム『ZERO』は前述したように、どうしても「これがやりたかったことなのか?」と思ってしまうファンもいた。しかし本人のやりたいことは、本人にしかわからない。そのためファンはその決断する勇気を称え、あるいは文句を言いながらも渋々納得していた。
 アルバム『ZERO』に納得がいかないファンの多くは、天野を「天野月子というイメージ」でとらえていたため、それと食い違う出来に首をかしげていた。かく言う私も、そのひとりであったかも知れない。表現は陰あってこそのもの、という文章を書き、風潮を煽ってしまった。だが言い訳じみても言わせて頂ければ、私は(その時点での)天野の魅力が陰にあり、それが天野のイメージである、と述べただけだ。何も今までの作風をコピーせよ、とは間違っても言っていない。単純に「質が落ちた」と述べただけであり、またその後の『ZERO』に関してはネガティヴな言及はしていない。それは天野が延長線を保ったわけではなく、普遍的J-POPに屈服したわけではなく、どう思われてもいいからこれを出す、と自己を貫いたため、敢えて批判もしなかった。最後ぐらいは文句を付けずに見送るのが、いちファンとしての姿勢だと思っていたのだ。
 ここに「その時点での」と括弧書きを加えたのには、当時「ひょっとすると新しい方向性を打ち出せるか」と期待していたからだ。しかし天野は最後まで、自分の築き上げたイメージに踊らされることになった。その後天野自身が「天野月子というイメージを期待されるのが苦痛になった」という旨の発言を繰り返しているように、多くのファンは「新しい天野」より「従来の天野の延長」を求めていた。
 だから天野は、「天野月子」に幕を下ろした。「天野月子の新機軸」を打ち出してイメージ打破することより、「天野月子という虚像」をそのままにすることを望んだ。
 自らが提供した「天野月子という虚像」に、屈服した。
 良くも悪くも、ファンの幻想を保ってくれた。
 その後天野は「天野月」としてイラストレーター、及び作詞・作曲家として裏の活動をすることを表明。新たなサイトやMySpaceのページを立ち上げ、しばらくの間は表に出てこなかった。まさに裏方というか、「天野月」名義になってからのEARTHSHAKERやmaiの作詞・作曲などでその片鱗を見せることがあった。
 だがそうした提供曲のリリースにとどまらず、無論天野も許可したのだろうが、音倉サイドが「天野月子名義」の作品を乱発した。『おもひで』と『ウマ・サーモン』の何度目かもわからない再発、『おもひで2』、『アマロ13』、『爆音生活〜もうひとつのおもひで〜』……それらは天野月子時代に発表できなかったものもあったが、明らかな「引退便乗リリース」も多くあった。
 そのうちに「いつまで天野月子をエサに使うのか」という意見もちらほら見られるようになってきた。個人ブログにとどまらず、オフィシャルである天野や戸倉のブログにもそういった趣旨のコメントが書き込まれるようになった。それを彼らは、削除あるいは沈黙という形で態度を示した。そうしなければ、天野ブランドを使わなければ売り上げが伸びない音倉は、ますますの経営難に陥るのが目に見えているからだ。
 実際的に、maiのCDを購入したりライヴに足を運んだ者には、maiのファンより天野のファンが目立った。元9nineのmaiよりも、天野というブランドの方が影響力が強いのが実際のところだった。
 maiのゲストとして久し振りにステージに立った天野は、ファンから強く歓迎された。それに確信を得たのか、純粋に創作欲が強くなったのか、天野は「天野月」名義での音楽活動を開始したことを発表した。
 それに備え、反発を防ぐためかブログ「雑音生活」のコメントを廃止。もとより信者や馴れ合いのコメントばかりだったそこは単なる天野の独り言あるいはファン・サーヴィスの場となり、同時に否定意見の響いてこないオトモダチ同士のMySpaceでのブログも継続するという、最先端に中途半端な立ち位置を保つことになった。
 天野がわざわざ「天野月」として音楽活動を始めること、
 それは「天野月子の偶像」を打破することが目的だろう。そのうえで「天野月」という存在に生まれ変わり、新しい音楽性を提示しようという試みであるに違いない。それは喩えば天野月名義でのmaiへの提供曲を聴けば、いかにも「天野月子」ではないことが解るかも知れない。
 しかしファンの中には、その意思を汲み取れず、「天野月子の延長」を求める声が少なくなかった。
「また『巨大獣』が聴きたい」
「いっそ天野月子名義で復活してほしい」
「初期の作風に戻っていたらいいな」
 などというコメントが、戸倉ブログに個人ブログなど、そこかしこに見受けられる。
 無論、天野が「子」を外して「月」として活動再開することを喜ぶ声もある。天野月子ではできなかった音楽を、虚像を打破して素になった音楽を求める声。その反面、この1年程度の沈黙で復活してしまったことを嘆く声も少なくない。私自身、「早っ!」と思った。
 それらは「天野月子のイメージ」が強大だったためにもたらされる発言だ。「天野」自身がなくなったわけではない。「月子」だろうと「月」だろうと、「天野」は「天野」だ。幾ら作為的に表現方法を変えたとしても、実際的に天野は「天野月」に改名しただけで、音楽活動をするとなれば「天野月子」の像を求められ、あるいは打破できないのが現状だ。
 それをどうクリアするか。
 それが「新人・天野月」としての、最初の関門になるだろう。
 しかし「天野月子のイメージ」で見られることを嫌い、停止し、「天野月」に改名したというのに、演奏陣はシャラにあっきーというプレイボーイズ、そのうえプロデューサーはやはり戸倉だというのもどう出ることだろう。演者やトリートメントが同じだと、ファンはますます以前のイメージを求めてしまいがちだ。ましてや相変わらずの戸倉印のプロデュースであるのだから、サウンドの本質が丸きり変わることはないだろう。だがプレイボーイズも戸倉もプロだ、天野の意を汲み取って、まったくの別物を作り上げることはたやすいだろう。本質が変わらぬままであっても。
 天野情報を小出しにして引っ張る戸倉のブログによると、maiのライヴ映像の編集が終了したという。それは無論、天野が「天野月」としてゲスト参加したライヴであり、公開されたYouTubeには全尺ではなく抜粋の映像が掲載された。
 多くのファンは、もうわかっているだろう。次のエサは、これだ。
 やがてリリースするmaiのライヴDVDを、「天野が参加した」というブランドを付加して売ろうとしているのではないだろうか。ブログや音倉サイトのトップに貼られたYouTubeへのリンクは、繰り返すが、「全尺ではなく抜粋」にとどまっていた。購買欲をそそるサンプル音源のように。
 となれば、同時に完成が告知された「新音倉コンピレーション」(『音倉2010 Vol.1』と題されたCD + デジタル・ブック)に天野月の音源が収録されるのでは、と邪推してしまうのも自然の流れだ。その前に戸倉は「天野月の『第一弾楽曲』が完成した」と告知しており、飽くまで「天野月の『作品やCD』が完成した」とは述べていない。さらには「純粋な新人はあまりいないのに、今の名前では初の新曲発表!というひとが多い」ともコメントしている。
 間違いない。これも次のエサだ。
 純粋に「天野月というアーティスト」を単独で売る気は、今のところないのだろう。「抱き合わせできる便利な存在」を打ち出そうとしている。そうされるのが天野の実態であり、そうせざるを得ないのが音倉の現状だ。そうして食い付いたところで、ストックのできた天野月単体の音源をリリースし、看板として再び前面に打ち出していくのではないだろうか。
 音倉は多くのアーティスト(というより歌手)を生み出そうとしたが、実際のところ、看板は天野しかいない。立ち上げ時には意欲的だった筈のCOCOONレーベルは勢いが伸びず、リニューアルされた音倉サイトのトップ・ページにはリンク先も用意できていない新人(再利用されたメンバーも……)が並んだ。共に女性だけという、安易な感が拭えないラインナップ。音楽的に豊かな「アーティスト」よりも、アイドル的な人気が出る可能性のある「女性歌手」を売り出すスタンス。近年の音倉はそれに終始している。
 軌道に乗るまでは天野を利用させてもらおう、
 そう考えているのかも知れない。
 しかし哀しいかな、もはや多くのファンは音倉には天野しか求めていない。ビビエスがあった頃の、かつての音倉のアットホームな雰囲気はなくなり、殆どのファンは天野以外の歌手を応援する気もなくなった。もとよりQoonieやRie、エビテンなどを天野繋がりで応援していたファンも多かったことだろう。そこから残ったのはせいぜいが元エビテンのアスカだけだ。
 だが音倉は彼らがいなくなっても、天野だけは看板として継続させた。
「天野=音倉」というイメージが、払拭できないからだ。
 天野月子のイメージを取り除きたい天野に対して、母体である音倉はそれを望んでいない。または天野自身もそれを承知している。
 それが実情ではないだろうか。
 だからこそ、遠巻きに見ていると苛立たしさが募る。天野と音倉、さらにはファンとの意図が齟齬している。あるいはビジネス面が目立ち、音楽表現本来の「それをしなくては死んだも同然」の必死さが見受けられない。大人同士のお約束で、なあなあでふわふわと事が運んでいるように見える。
 天野はブログで、音楽活動を再開できたことが嬉しいとの旨を示した。それが本心なら、やりたいようにやってほしい。だが実情は、今まで述べたような様である。
 そのうえで、「雑音生活」の最新記事には天野月としての第一曲のイメージ・イラストが表示されている。それは「マリオネットと化した道化・天野月」であり、天野自身、そういった現状を自覚しているとの意思表示かも知れない。意図的なフェイク性は、死んでいないというわけだ(と書いておいたら、天野自身から「マリオネットは曲とは無関係。寧ろイメージ逆かも」というコメントがあったが)。
 これからも天野は、「天野月」として、作為的に表現していくだろう。
 そのうえで「天野月子の偶像」を打破できることを、願ってやまない。
 それができれば、私も「天野月子ページ」で語るのではなく、きちんと「天野月ページ」を作成し、さらなる考察を続けよう。
 少なくとも、『爆音生活〜もうひとつのおもひで〜』のリリースによって、「天野月子」はようやく総決算ができたようだから。
……たぶん。

 以下は蛇足になる。
 これを読んで、そんなに文句言うなら天野月音源は買うなよ、とおっしゃる方もおられるだろう。
 あなたは勘違いしている。私は感情的に文句を言っているのではない。実情を鑑みて考察し、推測しているだけだ。そのうえで「天野月」は「天野月子」とは別の存在であることを認め、またそうなることを期待している。
 だからこそ、
 もしも天野月がライヴで天野月子ナンバーを歌ったりしたら、ひどく幻滅してしまうかも知れない。過去を棄てたいと言っておきながら過去にすがっている、と。
 無論、ファンからの要望でそれは望まれる可能性が強い。だが天野は、自分から偶像破壊を望み、また実行した筈だ。だからこそ自己表現に真摯な態度であるととらえたのだし、その姿勢を貫いてほしいと思っている。馴れ合いと過剰なファン・サーヴィスは意思を曖昧にし、自己を弱め、真摯な期待を裏切るだけだ。
 気軽に書けるブログと同程度の表現だけは、核であった(これから再び核になる可能性の強い)音楽ではしてほしくない。ましてやそれを立派な表現であると誤認していでほしい。
 天野は「天野月」以前に「天野月子」であったことは、事実なのだから。
 それを認めることから始めなければ、結局はまた虚像に敗けることになる。
 何事も自覚的で恣意的な天野には、そんなことは解っているとは思うけどね。

 というのも、
 天野が嫌っている「イメージ」というものだ。

 さあ、
 踊ろう。
 踊らされよう。