全曲解説:天龍
〜覚醒したサード・アルバム〜

一時期、『ウィノナ・ライダーズ』という仮題を設けていた「ハリウッド女優シリーズ」をやめ、「天に昇る龍の如く、自分も飛翔したい」との思いと、ライヴのネーミングに沿ったタイトルを設けたサード・アルバム。『メグライオン』で開花した「寓話性」を押し進め、ファンタジーや現代寓話をまじえた作りとなっている。結果、その成長の度合いが垣間見れる傑作となった(そう考えると、前作では習作じみていた「pigeon」も、本作への具体的なブリッジになったのかも知れない)。
喩えば楽曲面では、全体的な楽曲像に(お馴染みプレイボーイズの演奏が被さるので見落としがちだが)今まで以上にシーケンスなど同期音源の多用が見受けられ、デジ・ロックやエレクトロニカを消化したような機軸がある。それらは今までの曲でも見られたものの、ここに集結、楽曲の作風がひとつ極まった感がある。それは、過去2作の折衷点にあると言えるのかも知れない。全体としてメジャー感が強調され、ポップな度合いが強く、構えることなく聴くことができる。どちらかというとコア・ファン向けだった前作や、メジャー感あれどマイナー調だった前々作に比べ、ひろい層にアプローチできるクオリティを誇っている。演奏者をプレイボーイズに限定せず、ゲスト・プレイヤーを招いたりプレイボーイズの演奏を制限していたりするのも、作品を純粋に作り上げるうえでは功を奏していると言える。
歌詞面でも大きな変化/成長が見られ、今までのラヴ・ソングでは武器となっていたネガティヴィティがポジティヴィティに変換され、また描写的/随想的な表現が目立つ。つまりは、今まで主観的な表現が多かったのに対して、客観性が大分加味されている。
今までのアルバム制作基準に「集大成」「コンセプト」といったものがちらついていたのに対し、本作は「まず音楽作品として」集中した結果が出ている。何より、楽曲それぞれが粒選りで練られており、全曲が際立っている。ポップ性が大きく開花し、それまでの楽曲が持っていたスケール感、ヘヴィさ、ハード・エッジ、80's趣味……など、音楽表現者としての「天野月子」が総括され、その楽曲特性を凝縮した、言わば集大成的な内容になった渾身の力作。凝った仕掛けや目立ったコンセプトなどの派手さはないが、単純に、「作品としてのクオリティ」がすこぶる高い。それは喩えば、強力なタイ・アップを携えた「蝶」でブレイクを察知したリスナーに強く作用するだろう。それを受けて『天龍』では「これがわたし、これぞアタイさ!」というテーマで製作された。
なお本作は、完成直順まで収録曲順が異なって予定されており、(恐らくは、シングル曲を前半と後半とに配置したいとの意図で)最終段階で現在の曲順に落ち着いた。予定されていた曲順は「01.劔/02.鮫/03.月/04.蝶/05.龍/06.天/07.骨/08.恋/09.虹/10.轍/11.枳」。筆者の個人的見解では、こちらの曲順こそがより起伏に富み、類似曲がまとまるなど全体の流れが整っていて棄てがたい(この曲順では特に「月」と「骨」が映える)。オーディオのプログラム機能を使い、この曲順での試聴もお勧めしたい。
初回生産分には、お馴染みのイラスト・ステッカー封入。今回は、共に黒地に描かれた「曲名が円形に描かれた盤面」と「ブックレット内の龍イラスト」のいずれかが封入されている。
01.劔
オープニングに相応しく、期待感をそそる伸びやかなギター・ソロから始まる、アメリカン・テイストのロック・ナンバー。エッジの効いたギターとメリハリのあるリズムが、リスナーをすんなりと本作の世界に導入してくれるだろう。ここまでストレートなロック・ナンバーは、ひょっとすると初めてではないだろうか? というぐらい潔い楽曲。最終局面で大々的に加味されたステレオで鳴り響くシンバル、クラッシュの乱打が勇ましい。なお、ラフ・ミックスの段階ではベーシックなリズムが叩かれるだけで、シンバルやクラッシュはさほど響いていなかった。それらを大々的に加えて「プログレ・メタル」然としてアレンジしたのは成功だったと言えるだろう。
歌詞はライヴァルのような存在――「君」――と「わたし」の対峙する様を描いたもの。双方とも敵味方ではなく、同視線であるのは「君」という人称から窺い知れる。いつでも斬り裁いてくれるから真っ向勝負してごらんなさい、という挑戦的なものかと思えば、見せかけ倒しの君がわたしを踏みにじるなら手加減などするな、と自分の敗北を想定していたりもする。そして「君」に向けられる言葉は――「本物でいて」「わたしを騙せるのなら作り上げた本当を守ってみせて」といった、慈愛が滲んだ表現でもある。こうした歌詞はややもすると、リスナーや評論家、そういった「天野を評する外部」への挑戦状のようにも思える。また後述するが、ゲームのような雰囲気を醸し出しているという「龍」に近いテイストも持っている。
また、「劔」という字は「つるぎ」と読ませているため“Sword”の意味を持たせがちだが、実際には「収劔」という言葉が表すように、ひとつに収束する様でもある。それは抜き放たれた刃が鞘に収まるようなもので、そう思えば、この曲は今までの天野の作風を「まとめる」ような仕上がりになっている。
さらに、エンディングでは次曲へメドレー構成され、最終曲「枳」でリプライズされる。つまり本作の「テーマ」にもなっており、ますます「収劔」の意味合いが強まる。
この曲はシングル曲ではないものの、ビデオ・クリップも制作された。こちらを参照のこと。ライヴでは「ツアーオブザ燃えよ!ドラゴン」が初披露となった。
02.鮫
通算8枚目となる、天野月子史上最速のシングル曲。BPM指数は過去曲中で最も高く、疾走感は従来曲の非ではない。かといって、天野に宿る80年代趣味はディスコテックなシンセ・イントロからして強く残っている(喩えばこの箇所は、「ロビン」ほかのライヴ・アレンジにも通ずるものではないか?)。曲中でも効果的に鳴らされる鍵盤やシーケンスの音が、単純に疾走しただけでは疲れてしまうこの曲をソフィスティケイトしている。鮫がピチピチ跳ねるような音は特に効果的だ。
敢えて従来曲で表現するならば、この曲は「ステロイド」の打ち込み風味と「トムパンクス」のキレ具合が融合したような具合になっている。前者は基軸となり、後者はコーラス部分に強くその影を感じさせる。そうやって、アクティヴな側面を強調することがこの頃の天野の指針だったのだろう。その体現が、コーラス部分でのブラスト・ビート(ズタズタズタズタ、というリズム)なのかも知れない。原曲にあった「青春臭さ」をくつがえすためにパンク・テイストにしたのだという。
歌詞は、直進でしか泳げず、曲がるにも直角にしか曲がれない鮫に自分をなぞらえ、不器用な愛の形を描いたもの。もともとは十代の頃に弾き語りで作った「ちょっぴりセンチな」曲(それも詞作先行型の天野には珍しく、コーラスのメロディが「降りてきた」もの)なのだそうだが、それ以降の天野(とその周囲)にこそ、強く響いているのも必然だろうか。面白いのには、恋愛に当て嵌めるのは簡単で一般的だが、それ以外の「愛」を当て嵌めても、解釈がうまく通る。その点で、恋愛にしかリンクしない単純なもの以上に優秀なラヴ・ソングと言える。またそこに自己愛的な側面は強く香るが、こと『メグライオン』以降の活動が「ライヴ感/バンド感の強調」であったこともあり、歌詞はストレートな曲調と相俟って「偶像」からの脱却後、「実像」の再建に挑んでいるようにも響く。過去に書いた曲をこうして今に提示するのは、「その時」を今に見定めたからではないだろうか?
ジャケットは、紫の和装で仁王立ちする勇ましいもの。ビデオ・クリップは演奏陣の面々まで「殺陣姿」を披露する痛快なものに仕上がった。ビデオ・クリップについてはこちらを参照。この時点での天野の指針である「侍スピリッツ」を具現化したものとして映っている。なお、ライヴでは、シングル発売を1ヶ月後に控えていた「音の倉 vol.2」で早くも初披露されていた。
後に、シングル『蝶』の表題曲と対を成し、リンクすることになる楽曲。
なお、アルバム収録にあたって前曲とメドレーになることで、単曲としての弱みを払拭した(さながら、ライヴでメドレー演奏されていたのを再現したようだ!)。さらには、次曲ともメドレー的な構成になっている。
03.恋
80's魂、大爆発! というぐらいに「80's」の要素が詰まった傑作曲。よく80年代ロックからの影響を指摘される天野だが、この曲をもってそれが結実、極北に達した感がある。
「いかにも」なリズム・マシーンの響きからバンド・サウンドに移行し、ヘヴィながらハンド・クラップ(「ステロイド」以来となる「カカッ、カッ」というもの)などの同期音源が80's感を強調、結果コンパクトながら実に手の込んだ、コミカルで愛らしい秀曲に仕上がっている。もともとは収録するつもりもない軽い気持ちで作った曲だったそうだが、アレンジの勝利と言えるだろう。
歌詞がまた特筆に価するもので、隣人に恋する乙女の、大胆ながら消極的な恋模様を描いている。特に、「好き」といった直接的な言葉を使わずに「大好き」な様子を描けているのは素晴らしい。それが高じて、強めて言えばストーカー的な行為にまで及んでいる様が「恋は盲目」であるのを隠喩している。昨今の、「好き」ばかり連呼する「ラヴ・ソングもどき」の量産を繰り返す連中に読ませたいものだ。本作の中で最もドラマティックで、現実的で、そして優れた歌詞のひとつだろう。
ライヴでは発表に先駆けた「ツアーオブザドラゴン」から演奏されており、ブリッジ〜コーラス部分では、歌詞に拍子を合わせたコミカルな振り付けが披露されている。
04.骨
天野が、実質的には「シンガー・ソングライター」であることを実証する、フォーク・テイストの素朴な佳曲。ピアノをバックにアコースティック・ギターが重なり、穏やかなストリングスや簡素なリズム、ギター・ソロに展開していく。派手さはないが、滋味あふれるソングライティングを見せてくれる。
その歌詞は、さりげない優しさを見せる「あなた」の不在を追憶めいて語るもので、「もしあなたが死んだら」など悲愴な表現もあるが、全体的に「古き佳き日」を“It's
a beautiful day”と懐かしんでいる穏やかなもの。それが曲調と相俟って懐かしく、純朴に響く。どれほどの過ちであっても、洗い流せる術をくれた「あなた」をもし喪失しても、「わたし」は悲嘆するのではなく美しい日々を送り続ける、といった前向きさが通底して響く。それをもたらしてくれた「あなた」への感謝が直接でなくぼんやりと滲み出ている歌詞は、優秀な歌詞の多い本作中でも、最もじっくりと読みたいものだ。
ライヴでは、発表より早く「くれない鉄仮面団臨時集会」や「ツアーオブザドラゴン」でアコースティック・ギターのみの弾き語りスタイルで披露されていた。アルバム発表後の「ツアーオブザ燃えよ!ドラゴン」ではアルバムに忠実なバンド・スタイルになっている。さらには、オーケストラを用いた別ヴァージョンも存在する……と、本作中、最も表現尺度の広い1曲でもあると言えるだろう。
05.龍
エキゾチックなピアノから、悲壮感漂うシンセ・ヴァイオリンが重なって始まる、秀曲にしてアルバム中核曲。寂寥感漂う曲調は次第に熱を帯び、壮大なスケール感のコーラス部分へ導かれる。その動性の推移は、「天野流アレンジ」の極みと言えるだろう。オリエンタリズム漂うフレーズも多く、「和」の味も感じさせる。
歌詞も興味深いものがあり、「武器」「いかづち」などの言葉は、この曲のタイトルが「ドラゴン」であることから、「ドラゴンクエスト」に代表されるファンタジー・ロール・プレイング・ゲームを髣髴とさせる。そういった意味では「劔」に近い側面も有していると言えよう。また後述するが、「きらきらひかる」という歌詞が「月」にリンクしている。また、2度目のブリッジ部分は、初期ヴァージョンでは「あなたは咽喉を掻き切って……」だったが、レコーディング中に現在の「あなたはひとり燃え尽きて……」に変更された。その初期ヴァージョンは業界関係者に配布された8曲入りCD-Rラフ・ミックス音源で確認できる。
言うなればこれは、「成長と覚醒の歌」だ。成長を望むためには見たくないものも見なければならない。自ら武器となるものを選んで取得していかなければならない。噛み砕き、飲み込むべき「経験」を拒んではいけない。そうして苦闘した後には「わたしの獣」が目醒めるのだから……その「獣」とは即ち「龍」であり、覚醒してよりの「わたし」である。「真のわたし(獣)」を導くものは、舞い降りる「わたし自身(龍)」でしかない。自らの経験と成長によってのみ、「わたしの獣」は目醒め、そして舞うことができる。
なお、巫女は「シャーマン」の役割の一環として「召喚師」になることも多々ある。そう考えると、龍を自らの力により呼び出すこの曲は、巫女衣装が肝となる「蝶」とも強い関連性があると言えよう。
ライヴでは、この曲はアルバム発表前のライヴ「ツアーオブザドラゴン」及び発表後のライヴ「ツアーオブザ燃えよ!ドラゴン」の中核曲として演奏されていた。
06.天
初の、朗読をメインとした楽曲(DVD『メグに逢えたら』での「人形」モノローグを除く)。
サンバ調のリズムを刻むドラムのイントロから、ストリングス、ベース、ギター、そしてコーラスと被さっていく演奏は、やがてハード・ロック・スタイルに落ち着く。それをバックにして重なる、天野の朗々としたポエトリー・リーディング。さながら、ライヴでも時折披露されていたプレイボーイズのインスト演奏に、天野の朗読が重なったようだ(もともとこの曲は、インストゥルメンタルを想定していたものに天野の詩を乗せたものだという)。そのため演奏陣の腕の確かさを再認識できる楽曲でもあるが、特筆すべきはゲスト・プレイヤー柏木広樹(G-クレフ)によるチェロ。そのストリングスはジャンゴ・ラインハルトにとってのステファン・グラッペリを髣髴とさせる、ジプシー的な旋律を聴かせてくれる。
その詩はすべて「ひらがな」で書かれており、海と空の変化を描いた抽象度の高いもの。龍となって飛来している状態を示すかのような、浮遊感のある歌詞と朗読。そこに示された「あなた」とは「空が落ちて姿を変えた一輪の花(男性を花に喩えるのは逆転的な技法)」であり、「あなたの羽根がはためいた」と、「わたし」を浮遊させる存在でもある。涙は真珠となり、真珠は海にあり、海は嵐を産み、嵐は空を呼ぶ。その空は、いつしか「あなた」になる……そんなふうにして、すべては「ひとつ」であることを示しているように思える。その「ひとつ」とは即ち、楽曲名でもある「天」。天の支配を讃えるかのように、言の葉は朗読される。
アルバムの中心に位置しているので、インタールード的な起伏にもなっている。ライヴでのオープニングやインタールードとしての活用も望める、優秀な起伏曲。寓話を語るかのような内容が、絵本『メグとライオン』に近い楽曲とも言えるだろう。
なおこの曲は、天野月子名義の作品中唯一の、天野が作曲していない楽曲となる。作曲はプロデューサー兼アレンジャーの戸倉によるもの。また、当初はインストゥルメンタルになる予定だったのをポエトリー・リーディングにしたとのこと。
ライヴでは「アマロ13」にて演奏され、ファンを驚かせた。
07.蝶
通算10枚目(9枚目は『Love Dealer -type 2003-』)のシングル。疾走感で埋め尽くした前シングル『鮫』の次には、その対極にあるかのようなこの曲が用意されていた。天野の楽曲でミディアム・テンポのバラード楽曲がシングル表題曲となるのは、これが初のことになる。それを堂々たる傑作曲で迎えたことは、祝うべきことだろう。
伸びるベース音やストリングスの具合が確かに「カメリア」に似てはいるが、暗喩的な歌詞が活きており、悲痛感あれど絶望感はない。寧ろ青紫の夜の中に走る、一縷の光を感じさせる。
その歌詞は、(ゲーム・ソフト『零〜紅い蝶』のイメージ曲ということもあり)さながら景色をあつらえるかのようで、言うなれば「ゆめうつつ」の状態にある。夢中から現世へ――つまり「繭の外へ」現実化しようとする刹那、そこに「わたし」が感じ入ることごとが幻を見るかのように描かれている。繭から抜けて、その殻は燃え尽きたので、もう戻れない/戻らない――過去には。ポジティヴにもネガティヴにもとれる歌詞を反映する悲痛なストリングスが、また耳を打つ。
この曲は、前シングル『鮫』表題曲の「鮫のように急カーブ切ってく私をどうか笑って」という部分に強い関連性がある。それがこの曲の「上手に羽ばたくわたしを見つけて」という歌詞と「対」になっているように感じられる――曲自体も「動静」の「対」を思わせる。その2曲を併せて「蝶鮫」となることからも、関係性が窺える。
因みに、天野が「天野月子」名義の楽曲で、「わたし」視点からの「君」という言葉を使ったのはこの曲が初めてのこと。この言葉で解るように、この曲の歌詞は「同格的地位」の「君」に向けられている。自分にないものを持っている「君」に。
この曲はリリースより3ヶ月以上も前のライヴ「天野月子サマーフェスティボー 大阪夏の陣」からこの曲を初披露している。それは通信販売限定DVDボックス『おもひで』によって映像化されている。
ビデオ・クリップについてはこちらを参照。
08.月
チェロと絡む、ゆるやかなベースが活きた曲。たおやかに幻想的で、しかしその実、歌詞は現実に視点が置かれている。決して大仰ではなく、かといって質素でもない、適度で、静かな感動を誘う佳曲と言えるだろう。美麗なチェロや、随想的な歌詞に酔わせつつも、「ララ……」というスキャットになる部分、所謂「Dメロ」では微妙な変拍子も織り交ぜている。そうして、アレンジの映えている一曲でもある。
儚く、描写的なものが中心に編まれた歌詞は、「君」との「ある種の別れ」の直後が描かれている。それも哀しむでもなく、失われた「君」への追憶として浸る様が、たおやかな楽曲と相俟ってささやかな感動を誘うだろう。曲名の「月」は、歌詞中ではその「ある種の別れの象徴」として、静かに輝いている。天野自身も、この曲は「つっこ」という渾名を付けてくれた人物と離れてしまった境遇にインスパイアされたものだと語っている。「明け方」「ひとりという孤独感」がテーマの、本作製作当初から作曲されていた楽曲。
また歌詞には、ちょっとしたギミックがある。「アカルイミライ」という部分や、前述の「龍」の「きらきらひかる」といったものが、日本のドラマ・タイトルであるのはテレビ愛好者には一聴して判るだろう。そんなこの曲が、邦画『ムーンライトジェリーフィッシュ』の主題歌になる(曲名も人名も「月」だからこそ!)というのも面白く、また、アルバム・タイトルなども含めて「洋モノ路線」だった今までとは違い、着眼点が日本に根ざされていることが強調されているようにさえ思える。
ライヴでは「ツアーオブザ燃えよ!ドラゴン」が初披露となった。
なお、通算通算11枚目のシングル・カットにあたり、その初回盤はビデオ・クリップを収録したDVDが付属している。月の浮かぶを宇宙をバックに、月面(のような場所)で歌う天野。ルーズな砂色のジャケットに身をまとい、裸足で言葉を噛み砕くように歌う様が印象的だ。そこかしこに、映画『ムーンライトジェリーフィッシュ』をモティーフにした、くらげ(ジェリーフィッシュ)がたゆたう映像も被さっている。終盤ではバックの月が地球に変わっているのにも注目。
09.虹
リズミカルなシンセ・ベースを主体としたデジ・ロック・タイプのイントロから、まさに「虹色のような」きらびやかなギターとシンセが被さっていく。幼い学生の頃に想いを馳せる無邪気な歌詞と、本作中最も甘い歌声とに酔えるだろう。それらがこの曲を、「おとぎ話」や「夢物語」を読んでいるような気分にもさせてくれる。その曲調は打ち込み主体で、言わば「恋」の姉妹的楽曲と言えるだろう。
歌詞中にある「大きくて取れないものを欲しがっていた」というのは、天野が幼少の頃に「鯉のぼりのしっぽをつかめば、空を飛べるんじゃないか」と思ったというエピソードを想起させる。「デッサン」や「鉛筆」など、絵画を得意とする天野独特の表現も多く含み、小品ながら天野月子研究には欠かせない歌詞に仕上がっている。天野の語るところによると、この曲は15歳で亡くなった幼馴染みの男の子に捧げた曲だという。
そうして楽曲・歌詞ともに、本作中、最も普遍性の高い一曲と言えるだろう。言い換えるならば、この曲は天野のアプローチの幅が広まったことの証と言えるかも知れない。だが残念ながら、ライヴ演奏はされていない。
10.轍
三拍子のワルツ風味で織り成す、しっとり染み込むような佳曲。リヴァーブの効いたドラムや水滴のように響くエレクトロニクスとピアノをバックに、流麗なストリングスが絡んで、静かながらドラマティックに展開していく。エレクトロニクス主体かアコースティック・ギター主体かの違いはあれど、「骨」と並んでソングライティングが生える一曲と言えるだろう。そういう意味では、弾き語りスタイルでの披露も映える。ギター・ソロはなく、ストリングスによる間奏が楽しめる。
また歌詞面でも、「骨」と同じく「古き佳き日」を追憶/随想するような表現が多く見当たり、曲名が「わだち」であることを強く感じさせる。素朴ながら味わいの深い、普遍性のひろい歌詞になっている。本作中、最も描写的なもののひとつと言えるだろう。その芯は、何かの取得や喪失ではなく「ありのまま」を受け入れる「等身大のラヴ・ソング」となっている。或いは、「天野月子流・子守唄」とでも言えるのかも。
ライヴでは「ツアーオブザ燃えよ!ドラゴン」のアンコールとして(まさしく)弾き語りスタイルで演奏され、楽曲のコアな部分を抜き出したあたたかいものとなった。
11.枳
最後を締めるのは今回も「花」シリーズ。但し、今までのラスト・ソング(「カメリア」と「クレマチス」)に比べると随分アクティヴな曲調に、一聴しただけでは意外な感を受けるかも知れない。しかし中盤のギター・ソロで、歌詞世界も近しい「劒」のイントロがリプライズされ、作品としての一貫性を孕んでいることに気付けるだろう。このリプライズがプログレッシヴ・ロックとの親近性さえ感じさせる。
言葉の力が強く感じられる勇ましい歌詞は、覚醒した勇者を讃えるもの。言わば、「龍」での覚醒を讃え、前進を促すもの。それは表現者としての天野自身にもフィードバックしており、本作自体の総括と言えるだろう。
この曲を最終曲に配置したことに、筆者はささやかな喝采を送りたい。喩えば「桜」などと題して、壮麗にラストを飾るという従来通りの路線もあっただろうが、こうした意欲曲を敢えて配することの意義は大きい。この曲は作品自体の一貫性にも、天野自身の成長にも、共に重要な意義を与えている。ライヴ「ツアーオブザ燃えよ!ドラゴン」でも「劔」と対になるように配置されていたり、他のラスト・ソングのようにクライマックスを気にせず配置されているのは、この曲のストレートさが誇る強みでもある。
因みに、枳(枳殻=からたち)は「唐橘」の略で、中国や朝鮮から渡来した「たちばな=みかん」の意。英名はオレンジ・ジャスミン。但し「百両」と呼ばれる「唐橘(からたちばな)」とは別種。実を熟す蜜柑科に属し、春に白い花を咲かせる。枝に大きな棘を持つので、生垣によく使われる。花言葉は「思い出」や「広い心」など。こうしたことごとがこの曲自体や、作品全体にもリンクしている。