GENTLEMAN TAKE POLAROID
『Orfeu』

〜折衷の末に空回り〜 (2009/12/12)

 ようやく音源が発表されたGENTLEMAN TAKE POLAROID(以下GTP)とは、元SOFT BALLETの踊る鍵盤奏者、森岡賢がソングライティングとシンセを担当し、元GLASS VALLEYの和製デヴィッド・シルヴィアン、出口雅之が作詞とヴォーカルを担当した新ユニットである。近年ライヴ活動により名を広め、バンド活動が停止していた各人の行く末を心配していたファンを安堵させた。解る人には瞬時に解るように、JAPANの名曲「孤独な影(Gentleman Take Polaroids)」をユニット名の由来としている。
 となればそれらを知っているリスナーには容易に想像が付くだろう。そういう音楽だ。
 解らない方のために述懐すると、SOFT BALLETの森岡サイドのポップな曲調に、GLASS VALLEYから変わらない出口のナルシシスティックなヴォーカルが合わさり、スタイリッシュなポップ・ミュージックを形作っている。無論一時期のJAPANにも自然と音楽的に似ており、受け皿は広い。
 しかし、だ。
 どうしても森岡の、出口の、それぞれの過去のイメージで聴いてしまうリスナーが多いのではないだろうか。森岡らしい曲だな、とか、出口のヴォーカルはやっぱりいい、といったように。
 それはここに提示されたGTPというユニットの音楽に、これといった新鮮味が見当たらないからだ。悪くはない。寧ろ音楽的には豊かだが、何分、綺麗にまとまり過ぎていて、まったくと言っていいほどアクがない。これこそがGTP、という決定的な要素に欠けている。そこには遠藤遼一のカリスマ的ヴォーカルも、GLASS VALLEYの和製JAPANに徹した音楽もない。それはGTPの作品であるから当然なのだが、そういった「決め手となる何か」を求めたくなってしまう。
 両者のスキルをもって無難にこなした、という印象が拭えないのだ。
 それは音楽的キャリアが長い両者であるから、その一端を抽出することはしようとすれば簡単だろう。そうすればオールド・ファンは納得する。しかしそれでは懐古主義になってしまうので、GTPは敢えてそれをしなかった。結果、残念なことに決定打に欠ける無難な仕上がりになってしまった。
 決定的だったのは、森岡の作曲が「こなしている」感が強いことだ。どこか(主に森岡ソロ)で耳にしたことがあるような曲が多く、特に「愛と情熱のベースボールブギ!」など、一聴してSOFT BALLETの「BORDER DAYS」と音や進行の構成要素が酷似しており、GTPに新しい音楽性を求めることは間違っているのか、と思ってしまう。
 作曲がそんなところへ、詞がまたいけない。アルバム・タイトルになっている「オルフェ」とは、ギリシア神話の音楽の子「オルフェウス」のことであり、黄泉の国から妻を伴って地上に向かう際、振り向いてはいけないと命ぜられたのに振り向いてしまい、妻を失ってしまった(消える、石化するなど話による)エピソードで有名。やがて女性に対して懐疑的になり、のちに女性の嫉妬によって殺されて身を裂かれたという悲劇の人物。
 そういう話をモティーフにしているのだろうが、主題の「哀しみのオルフェ」の詞にはそういった要素がまるでなく、かといって独創性にも欠け、深みも感じられない。こう言っては難だが、他もなべて凡庸な詞だ。遠藤遼一の思わせ振りな詞世界を知っていると、否が応でも物足りなく感じてしまう。少なくとも流行音楽の恋愛至上主義とは違った趣があるが、どれも内向的に収束している。
 曲も詞も、意図的かどうか解らないが深みがなく、単なる「雰囲気」におさまってしまっている。
 繰り返すが、悪くはない。良質なポップ・ミュージックではある。しかし、両者のキャリアや才能を考えると、互いの能力の折衷の末に、無難な作風に落ち着いて空回りしている感が否めない。私が期待し過ぎたのかも知れないが、音楽的発展を見受けられなかった。
 森岡と出口からすると、やりたいことをやっているのかも知れない。実際に、森岡のソロに感触が近い曲や、GLASS VALLEY時代より伸びやかな出口のヴォーカルは「雰囲気」はある。だが、それは音楽的発展には結び付いていない。厳しいようだが、気の合う仲間の馴れ合いにしか感じられない。
 これは、彼らに音楽的な成長を求めているからこその意見だ。これがサントラやリミックスなどの「お仕事」であればまだ楽しんで納得したが、新ユニットでの、それもデビュー作となると、非常に残念な感を抱いてしまう。出発点から妥協に始まっているのか、と。森岡プロデュースのユニットのような、当り障りのない路線を感じた。
 彼らを好み、またライヴにも通っているファンにとっては「期待通り」となるのかも知れない。しかしそうした付加要素を持たず、純粋に音楽のみと相対した私は、こうした感を抱いた。
 箱庭遊びじゃないか、と。
 だからこそ、藤井麻輝の睡蓮は評価に値する。本人のやりたいことと大衆の趣向、音楽界の動向に実験性といったものをうまく折衷しており、箱庭にとどまっていないから。しかしGTPにはそれらをまるで感じない。リスナーのことを広く考えず、表現者のエゴばかりを折衷しているように感じられる。
 これからどう発展していくのか幾許かの興味はあるが、正直なところ、それも失せつつある。寧ろこの程度の音楽性なら、ファンゆえに追い続けるという義務感が先立ってしまう。義務感で音楽を聴くことこそが間違っているのだが、それなくして選択肢に選ばれない程度の音楽であることは事実だ。それほどやわく、もろい。確立していない。
 雰囲気は決して悪くないのだから、そこに決定的な要素を見出してほしい。GTPならではの味を、作ってほしい。
 これはいち森岡ファンからの提言である。


Olfeu
1. 哀しみのオルフェ
2. 灼熱の華
3. THE GAME
4. Oh Wonder!
5. サヨナラ
6. FAKE
7. BREAK
8. 愛と情熱のベースボールブギ!
9. RADIO CITY
10. 名もなき風

ZOPT-1003