Lita
『ニライカナイ』
〜「濃い口ミニ・アルバム」×「甘口マキシ・シングル」+「シングル曲群」=!×2〜 (2003/10/19)

以前「天の川〜ティンガーラ」1曲のみで、論文じみたレヴューを上げてしまったために、こりゃ義務感じみたものもあるしアルバムは聴くべきかな、と思っていた。けれどシングル自体がそうであったように、その世界観は全体には通低されないだろうし、きっとLitaお得意の「極度のポップ・ソング」も収録されているだろう。2nd『ニライカナイ』は、筆者にとって、そんなふうに手にした作品だった。
でもね実際、筆者のヘヴィ・ローテーション・アルバムになっているのである。
そりゃ冒頭から前述曲だっていう導入の良さもある。終末がそれと対を成すシングル曲「火の神〜ヒヌカン〜」であることも、少しは関与しているだろう。けれどね、正直な話、ヤラれてるんです。積しの(以下、今回もひらがなとの噛み合いから「セキシノ」と表記)の歌世界と、幸克哉の音世界に……。
さて。
ここには、11編の「物語」が紡がれている。とあるライターは本作を「風景が収められた作品」と評していたが、まさにその通り。様々な風景は、情緒と共にここに花咲いている。
筆者の妄想を駆り立てまくった(1).、続く軽快でポップな(2).、マイナー調ながら前向きな(3).、カップリング曲群の中では唯一収録された(4).、「中核曲」とも言える色濃い(5).、沖縄っぽさ漂う(6).、鍾乳洞の中の雫&鹿脅しを思わせる効果音が響く静謐な(7).、ドリーミーなトイ・ポップ(8).、ギタリストの幸克哉がメイン・ヴォーカルを採ったブロークンなトイ・ポップ(9).、ひたすら壮大で、時にそれが痛々しくなってしまう(10).、(1).と呼応するグルーヴィなシングル(11).……それらすべてが、別個もしくは相互し合う物語のようにして、久々に「おもちゃ箱のように」どーんと詰まっている作品だ。
中でもそれらを挟む、転生の関係にあるシングル曲(1)と(11)。これについてはもう言うまでもないだろうが、単曲で見てもLita史上最高傑作曲と断言して構わない(特に前者)だろう。しかしこれらが存在しなくとも、他の楽曲は充分なクオリティと存在感を有している。ただそれが、この2曲に挟まれることで「輪廻するかのように」繰り返し聴ける。
けれど、
最初はそれに挟まれた「本体」が、どうもしっくりこなかったのだ。その2曲が抜きん出た完成度であることもあるが、それよりもトイ・ポップ的な曲が4曲ほど挟まれているため、世界観が一貫性を欠いているように思えた。歌声は真摯だし、曲だって深遠なものが多い。なのに、そうした「真摯な曲」と「トイ・ポップ」とのギャップ(或いは温度差)が大きかったのだ。さっきまで重いロシア映画を観ていたのが急にフレンチ・コミックになっちゃったよ? というような。だから「おもちゃ箱のような」という形容が、筆者にはまず浮かんでしまったのだ。良くも悪くも。「まずは自分達のできる音を提示しなくちゃ!」と意気込んだに違いない1st『色恋品定め』にあったような、ちょっと詰め込んだ感が拭えなかったのだ。
そこで、筆者はちょっとした試みをしてみた。
陰と陽の曲温度差がある、「真摯な曲」と「トイ・ポップ」に、本作を分断して聴くのである。
「真摯な曲」は、(1).(3).(5).(6).(7).(10).(11).の7曲。
「トイ・ポップ」は、(2).(4).(8).(9).の4曲。
こうして聴き分けた結果、そこに現れた姿は、本稿のタイトルに用いている「濃い口ミニ・アルバム」と「甘口マキシ・シングル」だった。ともに完成度は高く、一貫した世界観を持っている。「濃い口」は真摯さが前面を覆い、シリアスな作品を好むリスナーにはたまらないだろう。「甘口」は舌触りも軽く、大衆受けできる強さがある。
けれど、これを混ぜると味わいが妙になっちゃうんだよなぁ、と思いつつまた全曲を聴き直してみると……
そこでようやく、解った。
「濃い口」は確かに真摯だが、味わいがしつこくなってしまう。「甘口」は確かにスウィートだが、お菓子と同じでメインになれない。そこでそれらを混合する――喩えは妙だが、中華料理に入っているフルーツのように――ことで、それらを「中和」しているのだ。どちらかを好む人にも、どちらも好む人にも、舌に合うように。
そう思えば、最初は邪魔かと思ってしまったトイ・ポップも、真摯ゆえに重苦しい流れの、ガス抜きのような役目も負っていることに気付く。これは起伏だ。全体をマイナスで一貫することは簡単だが、実は逆に、マイナスとプラスを同じ場所で合わせることの方が難しい。けれど本作は、そんなことを全体の流れの中で行っているのだ。
となると、必然的に楽曲の印象も変わってくるもの。
まず(1).は中腹でなく導入にそれを置いた果敢さを評価できるし、以前の論をもって、ここで本作は「一度死んで生を受ける(=転生、今までを消して本作に突入する)」ものと筆者は判断する。続く軽快な(2).はその配置が最も適しており、草原での戯れのような微笑ましさを醸し出す。(3).は哀しげな曲調と前向きな歌詞が既に「ギャップ」を提示していたと気付かせてくれ、味わいを増す。そこから続く(4).は、いい息抜きになるだろう。しかし歌詞は「ドナドナ」の哀しさを彷彿とさせる面もあったりする。筆者としては「中核曲」に思える(5).は、最も「真摯」な歌詞が痛い。誕生とは狂気への発端なのか、と苦しんだところに響く(6).。ルーツである沖縄を意識したということを、仄かに香らせている全体の中で最も解りやすい「音」で伝えてくれる。(7).の最も「まっすぐ」な歌詞に胸打たれ「悲しまないで」と言われながらも沈みそうになってしまうところへ、転じて跳ねる(8).。自己諧謔とさえ思える歌詞なのに、前曲とのギャップが逆に息抜きとなり、ひたすら楽しく聴ける。個人的に最も違和感があった(9).も、それに続くことでコミカルな歌詞とブロークンな曲調が活きてくる。このままトイ・ポップが続いたらお菓子の味に飽きてくるところだが、そこにまた転じて本作中最も「ヘヴィな」心象風景の(10).。それで埋没してしまいそうなところをすくい上げてくれるのが、(11).のグルーヴ。それは(1).と強い関連を持っているために、この終末と冒頭もリンクして……結果、延々と聴ける作品になっているのである。しかもそれぞれ、単曲で聴いても楽しめることは間違いなし。
こうした流れがもし計算であったのならば、「やられた!」としか言いようがない。
うん、やられた。少なくとも筆者は、こうして。
そのうえで、セキシノ主体の歌詞はやはり殆どすべて日本語というこだわりよう。思えば、これだけ「日本語が生きている」歌詞は昨今のJ-POPではなかなかないし、そこへ当初から標榜し続けているオリエンタリズムが(特に楽曲面で)うまく絡んでいる。そうしてここに、やっと「Litaにしか表現できない世界観」を提示できたのじゃないか、と筆者は思うのだ。
それが結実したのが、本作『ニライカナイ』である。
で、ひとつお試しのお勧めを。本稿タイトルにある「シングル曲群」云々についてだ。
先行シングルをともに所有されている方に、ぜひ試してほしい。『天の川〜ティンガーラ〜』収録の「花園はいつも開いている」「永遠。」と、『火の神〜ヒヌカン〜』収録の「Frisbee
Cat's」「影うつし」とを、それぞれ前述の「真摯な曲」と「トイ・ポップ」に割り振ってMDやCD-Rに編集して聴いてみると、実に面白い。楽曲や作品への理解度も深まるだろうし、何より「そんな二分も可能」なのが、Litaの面白さでもあるのだぞ。
あ、じゃあ本作って、その二面性を活かして「真摯な曲」と「トイ・ポップ」の2枚組でリリースしても面白かったんじゃないか?
まぁそれは自分で作ったもので楽しむとして、そのどちらかにだけベクトルを向けた作品も一度リリースしてみてほしい。特に「真摯サイド」で埋め尽くした、思いっきり濃くヘヴィな作品を作ってみるのだ。そうすればLita評にありがちな「ギャップ」云々を払拭し、そこらへんを弱点だとしたがるウルサイ評論家達を黙らせることもできるだろうから。弱点だと思われるところは、実は強みだったりするのだぞ。
ともあれ本作は、前作より数段優れた作品であり、これに備えて活動休止していたのは正解だったと言えよう。聴く人それぞれの「ニライカナイ(=楽園、理想郷)」を思い描ける本作という、立派な実を結んだ。
また蛇足ではあるが、筆者が熱烈に想い入れている天野月子の『メグライオン』にも親和性を感じる、寓話的作品でもある。
追記:Litaが2004年1月に解散を決定した。残念なことであるが、ふたりの前途を祈りたい。
| ニライカナイ | |
| 1. | 天の川〜ティンガーラ〜 |
| 2. | こいのめ |
| 3. | 今日も地球に朝が来る |
| 4. | ミルク |
| 5. | 生誕カーニバル |
| 6. | 段々畑の丘の上 |
| 7. | O(オーブ) |
| 8. | フェアリー |
| 9. | teapot |
| 10. | うたき咲く花 |
| 11. | 火の神〜ヒヌカン〜 |
(UPCH-1287)