キング・クリムゾン
『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』

〜Re-construction Of The Construction Of Light〜 (2003/1/28)

「『スラック』の進化形」
 という言葉が、一聴して浮かんだ。全体の構成が非常に似ているからだ。だが質感は寧ろ(メンバーが同じということもあるのだろうが)前作『コンストラクション・オブ・ライト』にほどなく近い。
 確かに(4).あたりにはちょっと、ウンザリした気分もある。「またコレかよ!」というのが正直なところなのだ。それはまさしく「コンストラクション・オブ・ライト」をリメイクしたもの、と呼んでも差し支えない曲調のものだ。そこへ(2).は言わば「太陽と戦慄 パートV」になる予定だった楽曲。そうなれば「クリムゾンもいよいよ過去の再生産しかできなくなったのか?」というネガティヴな思考がよぎる。
 そういう意味では『レヴェル・ファイヴ』に収録されたライヴ・テイクの時点から「『トーキング・ドラム』に酷似」とされた(8).を、繋がっていた(2).から切り離したのは正解だろう。寧ろアルバム唯一のシングル曲(となる予定だったのだが中止、しかし『しょうがない』があるので実質的にはシングル曲も同然)の(9).の前に配したことが評価できる。そうやって並べることで、そこには解りやすい起伏が生まれているからだ。また、その(9).自体も1分ほど短くされることで、アルバムを構成する一部として落ち着いている。
 そう思って、前述の(4).を聴き直して見ると――解った。本作は確かに、前作からの延長上でしか生まれないものだ。言わば「『コンストラクション・オブ・ライト』の『リ・コンストラクション』」であるのだ。それを象徴している(4).は、だからこそ一聴では「また?」という感を抱いてしまったのだ。
 今、この言葉を使うのには当然のごと違和感があるが――アルバムには「世紀末的」な感が漂う。言うなれば「荒廃した未来」といった意味合いでのことになるのだが。そうだな、「終末的+近未来的」と言う方が正しいかも知れない。とまれネガティヴなサイバー・パンク感覚を受けるのだ。終末戦争後の崩れた街並、のような風景が浮かぶ。
 ヴォーカル・ナンバーは(3).(6).(9).の3曲のみなので、インストゥルメンタルに比重が置かれているのが解るのだが……恐らく計算なのだろう、その曲番号は3の倍数になっている。それぞれ一定の間隔を設け、全体に配置したという姿勢も聴いて取れる。また、未だ嫌われることの多いブリューのヴォーカルは、初めて「これはブリューじゃなきゃ」と思えるものになった。曲調と相俟って、彼でないと逆に違和感が強いものばかりだ。喩えば(9).を歌うジョン・ウェットンなんか想像してみるといい。ああ、何と合わないのだろう!
 そうして本作は、まさに「このラインナップだからこそできる作品」になったと言えるだろう。そして「このメンバーを含んでいたクリムゾンの包括」のような佇まいを見せている。だからきっと、幾つかの曲が過去曲の焼き直しのように感じられるのは、実際そうなのだ。
 そうか、彼らは培ってきた「信じる力」でもって、過去に「構築されたものの再構築」に挑んでいたわけだな。

 全体を貫くプロローグ、インタールード、エピローグ的な部分(つまり4パートに分かれたタイトル曲)すべてに、実質的な先行作『しょうがない』が活かされている。ブリューのモノローグはもちろん、(7).などガムラン的なミニマル・リズムが聴いて取れることから「しょうがない」に通底していることが解る。
 これはさながら、過去に彼らが行った「プロジェクト」から『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』の流れにも似ている。「プロジェクト1〜4」で得たものを、主にそこで紡いでいた旋律の流用/再構築という形で活かしていたことに。そのため、本作が当時あった主な批判――「過去の再生産」を理由に一部のリスナーからは評価されないことも、目に見えている。また(10).などでもって「プロジェクト音源の再々利用」と言われるだろうことも。
 だが別に悲観することでもない。それらのパーツと共に先行曲はすべて再録音されており、単なる流用ではないのだから。純粋に過程として楽しめばいい。
 その、既発ヴァージョンとの比較もちらっとしてみよう。
 (2).は今まで2テイクが紹介されていたライヴ・テイクに基づいてはいるものの、演奏細部の多くが変わっており、印象はまるで違う。演奏全体がカッチリと固まった感が強く、また流れを持ったアルバムの一部に収まることによって、悪く言えば1パーツとして存在している。単独でのインパクトは、どうしてもライヴゆえのダイナミズムが強い、表題ミニ・アルバムに収録されたライヴ・テイクに劣ってしまう。ただそれはインパクトの話であって、音圧が低まった分、精密さ/精巧さではこちらの方が数段上。またアルバムの1曲として聴けば、その出来も演奏力も充分過ぎる。特に、常日頃からフリップがパット・マステロットを絶賛する意味が解る演奏だ。
 (3).はさほど変わっているわけでもないが、当然のこと、既発のアコースティック・ヴァージョンと違いエレクトリックを使用している。そのため間奏部分など、ややソリッドに思えるだろう。
 (8).はアルバム作成中ツアーのイントロであり、その模様を収録した『レヴェル・ファイヴ』のライヴ・テイクでは(2).に繋がるように配されていたこの曲には、コーダ部分が付加された。よって既発の如く「レヴェル・ファイヴ」に繋ぎたければ、その寸前でカット編集でもして、当初に予定されていた流れそのままにスタジオ版になっていたらどうなるのか? を楽しむのも一興だろう。
 (9).はスピード感より重さを重視し、1分ほど短くされている。この曲を「ハッピー」と改題、イントロ部分を変えてシングル・リリースする予定があったのだが、急遽中止。さすがにこれ以上ネタ明かしをするのは悪趣味だとでも感じたのだろうか?

 通して聴いてみれば、一本槍に貫かれて完成度は高い。新進エンジニアの「マシーン」という人物がミキシングなどに携わっており、前作あたりから感じられる「音の若返り」を強く感じさせる。「ヌーヴォ・メタル」という指針の意味は未だ解りかねるのだが、メタルよりも、ヘヴィ・ロック的な味が強い。それも大味ではなく、複雑なヘヴィ・リフの使用という、前作『コンストラクション・オブ・ライト』の先にあるものが。
 確かに完成度も高く、決して失敗作じゃない。寧ろ傑作に近い。過去の栄光を求めず、純粋に聴くことができれば。「しょうがない」という諦めで終えるのではなく、そのうえでできる何かを目指して「信じる力」を備える姿勢が、ここには封じ込まれている。終末的な音風景の向こうにさえ、きっと希望はあるのだ、と。
 ただ……。
 先行盤『レヴェル・ファイヴ』と『しょうがない』を立て続けに発売したのには、ちょっと残念な感も拭えない。なぜなら、それらなく本作を最初に聴けば「こうきたか!」と感嘆できただろうからだ。そのため、真摯なリスナーほど本作は驚きが少なく、このレヴューのように曖昧な語り口調をすることになってしまうのではないだろうか。だからこそ、私は本心で言えば本作をまず聴きたかった。そうすればここに連ねる言葉も大きく変わり、もっと魅力的な文章になっただろう。逆に、本作を聴いてから先行盤を聴けばネタ明かしのようで楽しめる筈だ。
 けれども、完成度はここ数年では随一。表題曲によるコンセプチュアルな運びは、さすがと言ったところだろう。また、このラインナップでは本作が最終作となるので――トレイ・ガンが脱退し、トニー・レヴィンがそこに再参加する(KC史上、実質初の出戻り)――この4人による指針はひとつの集束を見た。だからこそ、とりまとめとなる再構築を行ったのではないか、などという邪推さえ起きている。
 いずれにせよ、知らなければ知らないほど、純粋に楽しめる筈だ。


THE POWER TO BELIEVE ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ
1. The Power To Believe I:A Cappella ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ 1:アカペラ
2. Level Five レヴェル5
3. Eyes Wide Open アイズ・ワイド・オープン
4. Elektrik エレクトリック
5. Facts Of Life:Intro ファクツ・オブ・ライフ:イントロ
6. Facts Of Life ファクツ・オブ・ライフ
7. The Power To Believe II ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ 2
8. Dangerous Curves デンジャラス・カーヴス
9. Happy With What You Have To Be Happy With ハッピー・ウィズ・ホワット・ユー・ハフ・トゥ・ビー・ハッピー・ウィズ
10. The Power To Believe III ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ 3
11. The Power To Believe IV:Coda ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ 4:コーダ

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