キング・クリムゾン
『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』

第1稿 〜偉大なる折衷主義〜 (2000/5/8)

 ミニマリズムとダイナミズムの共有、
 その言葉こそが、今作を表すに相応しいのではないだろうか。
 かねてよりクリムゾン、というよりロバート・フリップが『ディシプリン』的ミニマリズムを追求していたのは周知の事実だと思う。さらには、そこへ『レッド』的ダイナミズムを持ち込もうにも、その統合が『スラック』では成されず、寧ろダイナミズムを重視した作品になっていた筈だ。時折ミニマルな(というよりポリ・リズミックな)ビートが現れることはあったが、極端な見方をすれば、飽くまでダイナミズム主導の70'sクリムゾン追従に終始していたように思える。だから急に支持者が増えたのだろうけど。
 だが、とうとうその統合が成されたのだ。
 その例は「太陽と戦慄」の進化過程を見れば解りやすい。「パート I」は即物的・表現衝動的ダイナミズムを追求していた。「パート II」では即興要素を若干減らし、音圧によるダイナミズムに徹底した。やがて非難の的となった「パート III」はそれまでのダイナミズムを排除し、ミニマリズムにより構成されていた……つまり、ダイナミズムかミニマリズムか、そのどちらかに大いに比重が置かれていたわけだ。
 ところが、である。
 とうとう現れた「パートIV」は「ヘヴィ・リフの連続によってミニマリズムを紡ぎ出す」手法により、両者の統合を可能としたのだ。一見合致しそうにないその2要素を、ニュー・クリムゾンは見事に結合させたのだ。そう考えながら「フラクチャー」と「フラクチャード」の2曲を聞き比べてみるといい。前者は「即物的音圧ダイナミズム(太陽と戦慄パート I & II)」で構成され、後者は「即物的音圧の連続により紡ぎ出されるミニマリズム(太陽と戦慄パート III)」で構成されているとは思えまいか?
 つまり「太陽と戦慄」で喩えれば「パート I 〜 III」の主要素をすべて、ちょうどよい比率で合致させたのである。これがダイナミズムに比重が置かれれば懐古主義に陥るのみで、ミニマリズムに置かれれば80'sクリムゾンがそうであったように批判の的になる。フリップがよく発言する「折衷主義」が、とうとうこうして具現化したのだ。
 だから一聴しただけでは、リスナーの求めるものによって感じ方は違う。未だ多き70'sクリムゾン追従者ならば、ダイナミズムばかりを聴き取ろうとしてミニマリズムが邪魔になるだろう。80'sクリムゾン信者ならその逆になる。だが、あの「プロジェクト」で耳を慣らしていた(ディシプリンしていた、とでも言うか!)者なら、存外なほどすんなりと聴き入れられる筈だ。そう。「プロジェクト」の音を思い出してほしい。あれらは「1〜4」の媒体によってその比重は異なってはいたが、そのすべては「ダイナミズムとミニマリズムの折衷」を目指すような音であったと思えまいか? こと『ジ・エッセンシャル・オブ・プロジェクツ』の選曲には、その選曲基準が目立つ気がして仕方がない。「次世代クリムゾンのためのフラクタル分裂」とは、そう、かねてより偏りがちだった要素の統合を目指していたのだ! ライヴ・ベスト盤『サーカス』はさしずめその予言だ。2要素をそれぞれ1枚ずつに集約しての抽出ではないか。ああ素晴らしきかなロバート・フリップ!
 だから私は「もっと叙情を」「もっとインプロを」「もっと音圧を」「もっとリズムを」といった、今までのクリムゾンの亡霊を崇めるような、偏った見方はしないことにする。そのうえで、このアルバムを楽しめる者は少ないのではないか、と言っておこう。恐らく私の言う折衷が理解できぬ、その片方ばかりを求めていたがために落胆する者が多かっただろうと思われるからだ(現に発売2日後にもう中古が出ていやがった)。この実験性に耳が傾くには、最低限すべてのオリジナル・アルバム、欲を言えばそれらのスタイルが具現化する諸ライヴ盤に耳を通さねばならないだろうから。それか本当に純粋無垢な耳の持ち主でもない限り、今作には正当な評価を下すことはできないだろう。過去の亡霊があまりにも偉大であるがために――今作に関して言えば、こと「フラクチャード」「太陽と戦慄パート IV」に懐古主義を求める非難もしくは賛辞が集中するだろう。
 今回、ビル・ブラッフォードが不参加だったのにはそれに似た原因があるのではないだろうか。インプロなどのダイナミズム的なものを求めるビルと、統合を目指すロバートの意見の食い違いが。トニー・レヴィンはロバートがうんと言えば、すぐにこの「プロジェクトX」たる暫定的ニュー・クリムゾンに加われるだろう。だがそこにビルが加わり、「プロジェクト0」ができるとは、現時点では考えられない。ビルが唯一参加した「プロジェクト1」はダイナミズムが特に重視されたユニットだったのだから。
 良く言えば、クリムゾンがうまく統合された作品。
 悪く言えば、どのクリムゾンでもない中途半端な作品。
 それでも私は、今作を大いに評価したい。クリムゾン作品にようやく心からの笑顔が掲載された、ロバート・フリップに敬意の念を表して。
 グレイト!

追記:ということは、偏りを恐れてロバートはエイドリアン・ブリューに「21世紀の精神異常者」を歌わせなくなったのだろうか。それじゃあ、そろそろ、ひょっとして……?


第2稿 〜今作の批判者へ〜 (2000/8/2)

 第1稿を書き上げた後、しばらくネット上の個人サイトにて本作に対するCD評を見比べてきた――のだが、それと同時に多大なる失望をも抱え込む始末となった。
 そんなにも、クリムゾンに退行してほしいのか?
 ネット上に蔓延する「感情的な、余りに感情的な」本作への評価は、その殆どが「70'sクリムゾンのような勢いに欠けている」というものであった。ははは、私の宣告した通りではないか。過去のクリムゾンの亡霊を崇める連中ばかりだ!
 だが、私には解る。
 あなた方は、ここでクリムゾンが70'sタイプの曲を作り出したところで「過去の焼き増しで喰っている」というようなことを連ねるのだろう?
 以前も、似たようなことがあった。『紅伝説』のプロモーション・ディスクとして編まれた“HEARTBEAT”に「これはプログレッシヴではない」との非難が集中したことだ。「面白くない」「この編集の仕方はいかがなものか」といった論評なら解るのだが、おいおい、どうして編集アルバムにまで「プログレッシヴとかいう曖昧模糊としたもの」を求めるんだい? それとも、キング・クリムゾンの名のもとでリリースするのであれば、編集盤だろうがシングルだろうがソロだろうが、とかく「プログレッシヴ」じゃなきゃいけないのかい?
 この問題と、今作の批判者達の言い口は別ではあるが、本質は同じである。
「私の夢を壊さないで」
 ということだ。
 クリムゾンは、常に新しい音を目指している。そして今作のベクトルが「クラブ・ミュージック」に向いていたことも「プロジェクト」シリーズをもってすれば明白なことだ。
 だのに、自我の肥大したリスナーは勝手な「理想のクリムゾン像」を作り上げる。それは時により、人により異なり、もしくは単純に一時期のクリムゾンを指すこともある。そうしてできあがった妄想に実像が合致していないと、とかく紛糾するのだ。
 何度となく、様々な場所で申し上げているが、それは現在のピンク・フロイドにロジャー・ウォーターズの影を求めるフロイド・ファンに似ている。メンバーも違えば、バンドの主張する音や方針も異なってきているというのに、それを理解しようともせず自分の聴きたいものを勝手に主張するという点で、だ。
 自分の聴きたい音は、自分で探すがいい。何も、同じミュージシャンに頼らずともいい。何だったら、自分で作り出してしまっても構わないではないか。
 私は体感していないが、恐らくは80'sクリムゾンが現れた時もこのような反応であったのだろう。それは音や文章などによる追体験でも充分計り知れることだ。
 ならば、なぜ同じことをまたも繰り返すのだ?
「そこにあるもの」を「それである」と認められないのか?
 さて、今作に対する批判の代表的意見を片付けていこう。

「各プロジェクトからのフレーズ流用が甚だしい」
 フリップは言っていた筈だ。「プロジェクトは次回クリムゾンへの布石である」と。それに本人達が流用しているのだから、安易なパクリなどではない。「新曲への昇華」だ。
 勘違いをするな。

「今作には以前のような勢いが感じられない」
 おいおい、それはまったくの主観だろう。あなたが今回の音に勢いが感じられなかっただけだろう? それで今作全体を言いくるめてしまう必要はなかろう。
 感情を、論理化するな。

「やっぱり70年代が最高だったね」
 それならば、いつまでも70年代を聴けばいいだろう。何も無理をしてまで、感情論による批判を重ねてまで、今のクリムゾンを聴く必要などないのだ。
 過去回帰こそプログレッシヴと思うな。

「『戦慄』と『フラクチャー』をあんな形にしやがって」
 だがあなたも、あれが「他人DJによるリミックス」であったらそこまで紛糾しなかっただろう? 「納得いかないけど意外と面白いじゃん」といった見方で。それをクリムゾンが行った、ということが許せないのだろう?
「クリムゾン・キングの宮殿」のリプリーズ部分を聴き直したまえ。クリムゾンの自己破壊主義はその出発点に於いて既に行われている。メイン・フレーズを諧謔的に次作『ポセイドン』の一部に流用していることからもそれは明白だ。これもそれと同じように解釈してやれば、我慢のひとつぐらいできると思うのだがね。ひょっとして、自分が築いた「太陽と戦慄」「突破口(フラクチャー)」という幻影が崩れるのが怖いのかね?
 ロバート・フリップに言わせれば――音楽とは、有機体であるのだよ。

 そんな中「本作はプロジェクトXの作品として考えた方がいいだろう」との意見もあった。これは他とは違い、なかなかに冷静かつ妥当な意見だ。だが「妥当」だ。その意見に従えば本作の理解はひどく簡単にできるだろう。だが、第1稿に「キング・クリムゾン」名義で本作がリリースされたことに喝采をあげているように、私は飽くまで、ミュージシャン側の姿勢に則った理解をしていきたい。それが第1稿に書き記したことであるのだ。
 CDや楽曲の聴き方までも考えさせてくれる1枚であり、またバンドである。
 やはり、グレイト!


the construKction of light ザ・コンストラクション・オブ・ライト
1. ProzaKc Blues プロザック・ブルーズ
2-3. The ConstruKction Of Light ザ・コンストラクション・オブ・ライト
4. Into The Flying Pan イントゥ・ザ・フライング・パン
5. FraKctured フラクチャード
6. The World's My Qyster Soup Kitchen Floor Wax Museum ザ・ワールズ・マイ・オイスター・スープ・キッチン・フロア・ワックス・ミュージアム
7-9. Lark's Tongues In Aspic - Part IV 太陽と戦慄パートIV
10. Coda: I Have A Dream コーダ:アイ・ハヴ・ア・ドリーム
<ProjeKct X>
11. Heaven And Earth ヘヴン・アンド・アース

(PCCY 01455)