未映子
『頭の中と世界の結婚』
〜才能は感性に宿る〜 (2010/06/18)

川上未映子という名前を、読書家の皆さんならご存知でしょう。そうです、『乳と卵』により芥川賞作家になり、詩集とも言えぬ随筆集のような『先端で、さすわ
さされるわ そらええわ 』にて中原中也賞に、『ヘヴン』にて芸術選奨文部科学大臣新人賞に選ばれた、出した文芸書の多くがことごとく賞をいただいているという稀有の作家です。『わたくし率
イン 歯ー、または世界』という処女小説からしていきなり芥川賞候補にもなっています。対談集『六つの星星』も面白く、エッセイ『世界クッキー』や文庫にもなったブログ本『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』もあり、独特の感性と文体が話題になったり人気を呼んだりして、突出した個性がそうなる慣例として、全肯定する信者と全否定するアンチの両極端な読者を獲得しています。映画『パンドラの匣』でキネマ旬報新人女優賞も受賞しているように、役者としての素質もあるみたいです。これ見たいんだけど見てないのよねー。
で、僕はその、未映子さんのまぁ、ファンみたいなもんなのですね。や、信者ってわけじゃないぞ。小説さえも未だにワケわかんねー部分とかたっぷりだし。
だけど実は、未映子さんを初めて知ったのは、宝島社の『VOW』関係の本だったのです。やー、芥川賞作家が『VOW』ってあんた、と思われるかも知れませんが、やはり宝島はサブカルの根っこがあるのですかね。古くは景山民夫にはじまり、みうらじゅんとか大槻ケンヂとか安斎肇とかローリーとか内田春菊とか……様々な「その手」の人々を世に送り出している。
その極め付けが、みえちゃんなのです。あ、みえちゃんとか言っちゃった。もうこのページではこれからそれで書き進めます。
いやね、どうにも感情移入といいますか、同い年だったりとかああこんな人いたら一緒に楽しく酒呑めそうだなとか大学生の頃のあいつに似たところがあるなとか、勝手な親近感のようなものが湧いてしゃあないんですよ。というふうに大阪弁(っぽい)ものを文体に織り込む癖が付いてしまったのも、みえちゃんの影響なのですよ、きっと。
また僕は、ミュージシャン出身の作家というのが好きらしくて、大槻ケンヂに町田康、そしてみえちゃんは殆どの単行本を持っています。どうにも文学至上主義の腐れ文人(おいおい)にはない、独特の感性があるように感じられるのです。それになりきれないみうらじゅんや喜国雅彦あたりは違う意味でもなおのこと大好物なのです。でもそれがこなせないのにスタイルだけ誇示する辻仁成は何をどう足掻いたって好きになれなのです。まあ小説のお話じゃないので、ここでは省略しますが。
でね。
その『VOW』のスペシャル本でみえちゃんを知った時は、実は「何だこの女」と思っていたのですね。ワケわかんねーことばっか言ってて、いかにも私は表現してるのよ、みたいな姿勢が見えてしまったから。なので公告のあったCDも、実はここで書き記す作品なのだけど、それもまったく気にかけなかった。あー何かイッちゃってるわ、と思ってしまったのだ。きっと今でもみえちゃんのことをそう思ってる人が多いのだと思う。
しかし数年後、やはり『VOW』のスペシャル本が出て、みえちゃんが「俺様ときたらどうやらおちんこでるらしいぜ」というネタについてとうとうと語っているページがあった。なんてことない誤植の「おちんこでる」を、すげー感受性豊かに解釈しまくっているので、ああこの人本当に感性が鋭いんだな、と認識を改めた。そのうえ下ネタの一種なのに、格好付けずに真面目なユーモアたっぷりで書けるスタンスに好感を持った。んで、「『乳と卵』で芥川賞を受賞」と書かれたプロフィールを読んで「おお、がんばっとるんだなぁ」と嬉しく思った。
そして何より、そのカット写真が、えれえ好みだった。
現在もブログのプロフィール項目に使われている、黒髪のショート・カットに胸をはだけた白に黒を羽織るというモノトーンのコントラストがまぶしい写真なのだけれど、これがえらくツボった。以前は「蟹顔だな」と思っていたのに(わー、すげえ失礼)そのカットでは見事なまでにボーイッシュな美人さんだった。
で、例により。
そこからの僕は一直線です。単行本を一気に新品で注文してまでして買い揃え、CDは取り扱い終了が多いので実はネット・オークションで殆どを落札。唯一手に入らないシングルはCCCDだったので残念に思いながらもiTunesを使ってそこから収録曲を購入。当時中古でもものっそ高騰していたので買う気にもならなかったし、CCCDは作品じゃないと考えているのでジャンク扱いの値段でないと買うことはしないので。一応、音楽人としてのポリシーです。
CDを揃えるうち手に入った、デビュー・ミニ・アルバム『うちにかえろう〜Free
Flowers〜』は、実は本名(当時)の「川上三枝子」名義だったのですね。この頃は「未だ映らないもの」は求めていなかったわけですね。
そんで本を読んで、わひゃーすげえ感性で書かれた本だなぁ、と驚嘆しつつ、反面、理解もできないまま、CDを聴くようになりました。そうしたら前述の『うちへかえろう』はUAもどきのソウルフルな歌唱と曲だし、名義を「未映子」に改めてのデビュー・シングル『瞳ヴァイブレイション』は80年代かっつーの、と言いたくなるディスコ・ポップで、セカンド・シングル『はつ恋』も雰囲気はあるけど飛距離不足。それらを収録した初フル・アルバム『夢みる機械』は完成度がそんなに高くなく、ポップになりたいのか文芸的になりたいのかわからない中途半端な感が拭えなかった。悪くはないのだけどね、個性的じゃあるけれど、音楽として見るとごくごく平均的なガールズ・ポップにとどまっていた。
けれども。
サード・シングル『悲しみを撃つ手』を聴いて驚く。アルバム『夢みる機械』からのカット・シングルでありつつ、次なるアルバムからの先行シングルという立場にあるそれは、まるぎりリメイクされていて、別曲になっていた。それをして「あれ? 一気に変わったなぁ」と感じたのです。純粋に楽曲としての完成度が上がり、思わせ振りな歌詞もひとり歩きすることがなくなった。カップリングの「世界なんて私とあなたでやめればいい」もタイトルからしてああ独自の世界観ができてきたんかな、と思えた。
そしてミニ・アルバム『頭の中と世界の結婚』です。
これがね、未だにタイトルを忘れていたり間違えてしまったりする。「頭の中の世界と結婚」とか。でもそう間違ってみると、「ああそうか、『頭の中』が『世界』と結ばれるわけで、『頭の中の世界』と結ばれるわけじゃないのだな」などと、何とはなしにこの作品でみえちゃんが表現したかったことがほんの少しだけ理解できたような気になる。できてねーですけど。
それで最初は「うんうん。変わったね」と感じるだけだったのだけど、ブログに当時リンクが貼ってあったライヴ映像なんかを見ると、ピアノに清水一登が参加していたりして「えっ、あのオパビニアの清水さん? ひゃー、プログレ人脈じゃないの」などと思ったりもした。それで改めて本作を聴いてみると、道理でちょっとアヴァンな作風でありながらポップスとしての均衡を保つようなあやうさがあるのだなあ、と再認識された。最初は作風の変化にしか目がいかなかったけど、実はすげー完成度が高かったのだ。
歌詞もおもくそ変わった。デビューしたての頃は「女の娘は誰でも花びらが濡れてどうのこうの」なんていうスタイルだけを取り繕った平凡な歌詞だったのに、本作ではいきなり「告白します、僕は生きるのが好きで……」と始まる。ひょっとしてニーチェ好きなんかな、と直感で思った。生きることを罪悪と感じつつもそれを告白したくなる人間的衝動、即ち自分は超人にはなれないという潔い諦念。それを隠さない告白。そんなものを感じた。それを歌う歌唱力も格段に上がった。情感を込めながらどこか醒めている、そんな歌唱法を用いることができるようになった。もはや最初のニセUAじゃない。
外注任せだった曲も自分で書くようになり、それをアヴァンでありながらたしかな手腕を持つメンバーが編曲して演奏するという、みえちゃん独自の感性が活かされた作品になった。ここへきてようやく、単なる女性シンガーから、女性「アーティスト」なんて呼ばれる領域に入り込んだように思えた。
でも、
みえちゃんは、あっさり、音楽活動を停止してしまった。そしてその後は文壇に入り、輝かしい栄光の道を歩き始めた。独自の感性により築かれる世界は、文芸でも才能として昇華され、見事なまでに現代文学のひとつの指標となった(あるいは「なる」と僕は予感している)。
今さらながらに本作を聴くと、本当にいい「作品」だなあ、としみじみ思う。デビュー・シングルなんてメーカーに踊らされたCCCDだったのに、ここでは立派な「表現者」として歌っている。そして最後は世界と「結ばれ」て、バンド・ノイズが彼女のいないステージを照らし、やがて掻き消える。
刹那い、
強く、そう思った。
「私を愛さないで、私を愛して」
相反すれども矛盾はしない歌詞が、感情を訴えていた。
そうして文芸世界に飛び込んだ彼女を、純粋に応援することにした。音楽世界へのカム・バックを3mmぐらい期待しつつ。
その後、自己選曲のベスト盤をCD-Rで編んだりもした。すると本作は、7曲中4曲も採用されてしまった。つっても採用したのは僕自身なのですが。それぐらいに完成度の高い作品であったわけです。
シングル曲は好きな方のヴァージョンを用いたため、フル・アルバム『夢みる機械』からはほんの数曲、シングルのカップリング曲はおおよそ収録(だってレア感あるし「オレンジの火」が楽しいんだもん)、川上三枝子からは1曲だけ、という編集だったのだけど、これが存外のこと気に入っている。どうだかなぁと思っていた「瞳ヴァイブレイション」も自分で編集してロング・ヴァージョンを作ってしまった。何だかんだ言っても嫌いじゃないので。
それで最近、バイクを運転しながら「夜の果ての旅」をよく歌う。
するとどうだろう、このヴォーカル・ラインがそうなのか、歌詞を思ってそうなるのか、僕は自然と涙ぐんでしまうのだ。琴線に触れる「歌」なのだ。この頃からみえちゃんが絶大な何かを感じていた「午前4時」が、曲の世界に、実にふさわしい。
「夜の果てに何が響く
まっすぐ僕をめざして
憧れや、もう帰らん日や、罠や情熱が、僕を抱きしめて放り出す
今、夜の果てが光る」
そうして何度でも、何度も、何度も、何度も、
夜の果ての旅に出掛けてゆく。
そこには何があるのだろう? わからない。
わからないからこそ、そこを目指したい。
僕はもう、くよくよしない。
とりあえずカラオケに行ったら、唯一入っている「悲しみを撃つ手」をまた歌うことにしよう。
リメイク前のアルバム・ヴァージョンだけど。
| 頭の中と世界の結婚 | |
| 1. | 夜の果ての旅 |
| 2. | 悲しみを撃つ手 |
| 3. | 私の為に生まれてきたんじゃないなら |
| 4. | 麒麟児の世界 |
| 5. | 僕はもう、うきうきしない |
| 6. | 人は歌をうたいます |
| 7. | 結ばれ |
(VICL-61738)