ジョージ・ハリスン
『ブレインウォッシュド』

〜今にして、想う〜 (2003/05/25)

 今さらだが、どうにも「ブーム」のように消費され、中古店にもボチボチ姿が見当たってくるようになってしまった『ブレインウォッシュド』について、僕のジョージ観とともに執筆しようと思う。
 決して音楽的なレヴューじゃないので、単なる僕の「想い」として読んで頂ければ、それでいい。僕の偉大な教師を誉め称えても、けなしてもいない。論文なんかでもないし、別段、強い意味が込められているわけでもない。本文は、いちジョージ・ファンによる、ジョージ・ハリスン「最新作」への想い、それだけだ。ただ、これを書くことで、若いジョージ・ファンが、僕自身が、月日を重ねていない劣等感から解放されるのは願っておこうかな。

 僕がジョージ・ハリスンに思い入れ始めたのは、実はそんなに遠くない。前々からビートルズではジョージの曲が好き、というところで素質はあった(かの「レコスケ」の本秀康氏と同じく「ジョージであってビートルズではない」とも思っている)のだが、実際にソロ作へ手を伸ばしたのは『オール・シングス・マスト・パス〜ニュー・センチュリー・エディション』からだった。だから、まったくのド素人と言われてもしょうがないぐらいに、僕の「ジョージ歴」は浅いのだ――年月では。
 しかし、僕は誰に対してもそうなのだが、好きになったら一直線。どんな音源でも意地で手に入れ、聴いていく。現にジョージの音源は、彼の設立した「ダーク・ホース・レコーズ」が実質的には存在していないようなものなので、版権の都合から廃盤状態が続いており、入手が難しいものが多かった。それでも僕は、自分にできる手段――喩えばこまめな中古屋巡り、図書館やレンタル屋、音楽仲間などから借り受けるなど――へ情熱をフルに注ぎ、見事、殆どのアルバムは揃える(というより「聴ける状態で持つ」)ことができた。
「求めよ、さらば与えられん」
 という言葉は確かに真実なのだな、とも思った。だから情熱と思い入れによって、かなりの出遅れを補うことができた。
 そんな中、敢えて手を出していなかったのは『クラウド・ナイン』だった。なぜなら僕が最もジョージに思い入れている頃に、彼は――この世界には実存しなくなってしまったからだ。だから、それに手を出すということは、当時オリジナル・スタジオ・アルバムでは最新型だったそれで「彼の不在」をまざまざと見せ付けられてしまう気が――「これでおしまい」と言われてしまう気が――していたのだ。
 けれど、嬉しいニュースが世界を駆け巡った。当初は『ポートレイト・オブ・ザ・レッグ・エンド』と題されていた「最新作」が、予定内容からタイトルまで一新、『ブレインウォッシュド』としてリリースされる、という。
 ここでようやく、僕は『クラウド・ナイン』を聴くことができた。そして「最新作」である『ブレインウォッシュド』を購入することもできた――例の事情から海外盤での購入となり、そのため逆にDVDなどのオマケに幸いしたのだが。
 ジョージ・ファンは口を揃えたかのように『ブレインウォッシュド』を「最新作」と呼んだ――彼の不在を思いたくないからこそ、敢えて「遺作」とは呼ばない。当初は25曲が完成していたという本作のこと、今後発表される正真正銘の「最終作」への可能性もあるだろう。しかし、多くのファンは「ピリオド」となるそれを願ってはいないのじゃないか? ビートルズの発掘音源が小出しにされるように、希望や可能性は少しでも残しておいてほしい、という我儘な欲もあるだろう。
 だからこそ、公式録音では生涯最後となっている「ホース・トゥ・ザ・ウォーター(『ジュールズと素晴らしき仲間たち』収録)」は僕も音源を持ってはいるものの、その実、あまり聴いていない。聴きすぎると「最後」の意味が重くのしかかってしまうからだ。けれども、その曲のお陰で僕は『ブレインウォッシュド』を聴くことができた。そしてこの、レヴューというよりは想いを綴っただけの文章を、ここに公表することができた。

 本作『ブレインウォッシュド』の評判は、どこでも大好評だった。
 ジョージ・ファンは言わずもがな、マスコミ評も苦言などいっさい呈さず、本作でジョージを初めて聴いた人々も「悪くない」ぐらいの感想は述べていた。
 けれども僕は、嬉しい反面「そこまでの絶賛はおかしいんじゃないか?」と思っていた。
 言わばこれは、ビートルズの「新曲」と銘打たれた「フリー・アズ・ア・バード」の出現に酷似したものだ。両者とも「そんなに良いか?」と懐疑的な人間がいても、それを公には口にしづらい部分が大きく、そのため、正当な評価より数段上の扱いをされていたのは間違いないだろう。ファンはジョージの声さえ聴ければ納得するのだし、またファンにとっては、非常に素敵な作品だった。しかし、ジョージ・ファンでない人々まで、高評価ばかりくだしているのは妙だった。結局は「追悼ムード」ばかりが先行し、やがて放出された中古CDの量が結果を如実に物語っているように思える。
 本作は、そこにもはや存在しない人の「声と演奏」を、ジェフ・リンが見事な手腕で再生、並びに完成させたのだから、演奏の多くの部分は実質的にジェフ・リン作品にさえなっている。彼もそれは重々承知しているようで「ジョージ、ごめん。君の好みよりスマートな仕上がりにしてしまったかも知れない」などと発言している。だからジョージ・ファンも是非は問われるのだろうが、彼と、若かりし頃の父と瓜二つの愛息ダニーはジョージの意志を最も理解している人物だった。だから納得するしかないし、納得できる。
 それでも、ジョージを追悼するような発言をしながら、バックにポール・マッカートニー作曲の「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を流しているようなワイドショーや、それにつられて購入したのはいいものの、普段はダンス・ミュージックや流行曲しか聴かないリスナー、そうした人々までもが「素晴らしい」と口にするのはおかしい、と言いたかったのだ。
 その中で、自分の好みではないため正直に「そんなに良いか?」と言えた人こそを、僕は寧ろ信用するだろう。

 本作について、ひとつ思い続けていることがある。
 それは「ジョージは第二の『慈愛の輝き』を作ろうとしていたんじゃないか?」ということだ。
『慈愛の輝き』はソロ・キャリアのピークにして、ようやく原題にセルフ・タイトルとなる“GEORGE HARRISON”を冠した名作だ。ジョージといえば『オール・シングス・マスト・パス』というのが定評だが、あれは「ジョージ・ハリスン&フィル・スペクター(&デレク&ザ・ドミノス)」のアルバムだった。だからこそ、大名作にして金字塔なのは間違いないのだが、ジョージのパーソナリティよりも装飾された音が強く存在する。けど、ジョージのパーソナリティが最も表出したのが『慈愛の輝き』であり、それゆえに「ジョージ・ハリスンという人間それ自身」のファンは最も好む傾向が強い。
 それと同じく、最も納得のいくまで仕上がりに時間と手間をかけた「人間ジョージ・ハリスン」を醸し出した作品をもうひとつ作りたい、とジョージは願っていたのではないだろうか。そりゃあ相違点は実に多くあるけど、どちらも「ゆったりと、時間や手間など関係なく、リスナーにどう聴こえるかさえ関係なく」作られているのは同じだ。長かった哀しみがようやく薄れた今にして、きちんと聴き直すとそう思えてくる。どちらも、聴いている最中の感触が実に似ているのだ。曲調や歌詞や演奏じゃなく、「質」そのものが、ジョージ自身を思わせる仕上がりになっているところが。演奏しているジョージ自身が、様々なプレッシャーから解放された状態で、何よりとても楽しんでいるのがその原因だ。
 だから浮かれた世評も、完全なる間違いではなかったんだと思う。そうなるとやはり、間違っても「遺作」なんて呼べない。
 それでも本作は、決して万人向けの「名作」や「傑作」ではない。
 一番似合うのは、ジョージからファンへの「贈り物」という表現だと思う。
 また「無人島の一枚」として『慈愛の輝き』を挙げられるのは、本秀康氏のような「前からジョージが好きだった」という人こそ、だろう(『無人島レコード』を参照のこと)。そうした選択は概して、作品の有用性や優秀さではなく、それに対する想い入れに帰属するようだ。だから僕は、ジョージの作品でひとつだけ無人島に持っていくとすれば、この『ブレインウォッシュド』にするだろう。『慈愛の輝き』に比べて馬鹿売れし、今や中古でも楽に手に入るものだが、喩えば幸せはそういうふうに転がっているのだと思う。

 購入して当初より本作を聴き続けていた僕だが、ある時、それをやめてしまった。
 僕の職場には、僕よりずっとビートルズ関連に(それこそ、人生をビートルズに捧げたか、と思えるぐらい)詳しい御仁がおられるのだが、彼が不意に『ブレインウォッシュド』を職場のBGMとして流した。仕事関連のものを「聴かなきゃいけない」ことが多い彼にとって、ジョージをかけるというのは本当にBGMとしてセレクトしたのに違いない。
 僕は嬉しくなり、それに合わせてリズミカルにキーボードを叩いたりしていた。けれども、ジョージのスライドが最も伸びたインスト曲――「マルワ・ブルース」が流れるなり、その動きが緩慢になってしまった。
 作品単位ではなくポップ・アルバムの中ではインスト曲がごく少ないジョージ。その彼が、間もなく生命の灯火を消さんとするその頃に、弾きたいだけギターを弾いたその曲は、自然と「彼の不在」を僕に囁いた。最も彼が奔放な姿を見せた曲によって、彼の不在が最も感じられてしまったのだ。
 燃えようとする瞳を我慢し続け、しかし、最後に「ブレインウォッシュド」が流れた時――僕は耐えきれなくなり、職場のあるフロアから一時出ていった。前述の彼の不在云々はもちろんのこと、彼に「携帯電話に洗脳される」なんて歌詞を書かせてしまった現代を、ひどく憎んだ。最後の最後まで、彼に憂いをもたらしてしまった世界を、嫌った。風に吹かれながら、熱い瞳を燃やし続けてしまった。
 だがそれを歌うジョージは、それを憎むでもなく、祈りとともに颯爽と去っていった。
 僕はこの人にだけは、いつまで経っても、かなわないんだろう。
 そうして僕は、しばらく『ブレインウォッシュド』を封印してしまった。本文を書く直前まで。その封印を破ってくれたのも、ビートルズ関連出版物の完成前段階の原稿を読ませてくれた、前述の御仁だった。そこからさっそくジョージのページを探した僕に、その御仁は(本人は間違っても憶えちゃいないだろうけど)何気ないひとことを投げてくれた。
「ほんと、ジョージ好きなんだね」
……ああ、好きですとも!
 だから、いつまでもくよくよしちゃいられない。あれから、既に1年半は経ってるんだもの。
 そうして僕は、輸入限定盤仕様カートン・ボックスの中に厳重に封印していた『ブレインウォッシュド』を解放し、いつでも聴けるようにプラ・ケースに移し変えた。そしてこの駄文を、つらつらと書くことができた。

 けれども、これを書いている今でも、最終曲「ブレインウォッシュド」エンディング部分の詠唱を聴くと、涙が滲んできてしまった。

「ナマー・パールヴァティ・パタイェー・ハレ・ハレ
 シヴァ・シヴァ・シャンカーラ・マハディヴァー」

 ジョージ、ようこそいらっしゃい。そしてありがとう。
 これからも、よろしく。


BRAINWASHED ブレインウォッシュド
1. Any Road エニイ・ロード
2. P2 Vatican Blues (Last Saturday Night) ヴァチカン・ブルース
3. Pisces Fish 魚座
4. Looking For My Life ルッキング・フォー・マイ・ライフ
5. Rising Sun 悠久の輝き
6. Marwa Blues マルワ・ブルース
7. Stuck Inside A Cloud あの空の彼方へ
8. Run So Far ラン・フォー・ファー
9. Never Get Over You ネヴァー・ゲット・オーヴァー・ユー
10. Between The Devil And The Deep Blue Sea 絶体絶命
11. Rocking Chair In Hawaii ロッキング・チェアー・イン・ハワイ
12. Brainwashed ブレインウォッシュド

(CD P 7243 5 43352 0 4)