エディがAV(オーディオ・ビジュアル)やホームシアターに関して熱く語る


VHSとの別れに際して

(2005.11.21)


 DVDレコーダーの急速な普及で、アナログのVHSデッキが
 風前のともしびとなっている。我がシアターでもいよいよ
 S−VHSと別れる時が来た。今この時、VHSについて語ってみる。




    VHSからDVDへ

 HDD/DVDレコーダーが急速に普及してきている。その裏には急速な低価格化
 があるわけなんだが、やはりその便利さ、高画質が支持されているのだろう。
 それと入れ替わるようにして、VHSデッキの影が薄くなってきている。
 
 VHS、S−VHS単独の製品としては、ほとんどのメーカーが2002年を最後に
 新モデルを発表していない。2003年春にビクターが発表したのが最後ではないか。
 その代わりに、DVDプレイヤー、DVDレコーダー、HDDとの3in1という形で
 VHSデッキが搭載された。しかしVHSの位置づけとしては再生専用、
 新しいDVDというメディアに録り貯めたコンテンツを移植するための
 手段でしかなかった。

Panasonic
NV-SB800W

1996秋発売、
(当時定価 150,000円)

 VHSシステムの発表は1976年、S−VHSは1987年だから、
 録画メディアとして約25年、高画質録画メディアとしても10年強の間は
 君臨していたことになる。息の長いシステムだ。

 私は1992年に、親にねだってVHSデッキ(三菱 HV-F5)を買ってもらった。
 1997年春には初のバイト代をつぎ込んで松下の「NV-SB800W」を買った。
 2003年にHDD/DVDレコーダー(パイオニア「DVR-515H」)を手に入れた後は
 録り貯めたテープの再生専用機として働いてくれていたが、
 この度DVDへの移植が完了し、SB800Wもいよいよお役御免の時が来た。
 実に13年もの間、好きな番組を録画してきた、慣れ親しんできたVHSとの
 別れをいざ目前にすると、寂しい気持ちで胸がいっぱいになってしまう。



    VHSが勝る部分

東芝
A-BS6

1996年発売、
(当時定価 140,000円)
3次元Y/C分離、3次元DNR、プリアンプ内蔵シリンダーなど東芝の独自色が色濃く出たモデル

 VHSはアナログ記録で、しかも記録帯域の制限があったりして、
 素のままでは決して高品質な記録ができるシステムではなかった。
 それを解決するためにさまざまな高画質化技術が投入された。
 鮮鋭感・発色を向上させようと信号帯域を高域まで伸ばすため、
 薄膜センダストだの積層アモルファスだの様々な高出力ヘッドが採用された。
 アナログ記録ゆえにジッターが避けられないという問題については、
 高精度なテープ送りを行うメカニズムを搭載してジッターの発生を抑えたり、
 TBCという時間軸補正技術によってジッターを吸収したりした。
 ノイズの混入が避けられないのでさまざまなノイズリダクションが投入されたり、
 東芝は信号増幅を記録ヘッドの直前で行うためにアンプ内蔵シリンダー
 などという技術を投入したものだった。その取り組みが各社各様で、
 実に面白かった。
 
 ジッターやノイズという部分では、デジタル記録には勝てない。
 静止画ではその差は歴然だ。DVDでは字幕などがビシッとしているのに、
 VHSでは細かいノイズがまとわりついたり、微小な揺れが残ったりする。
 しかしこと動画について言えば、VHSの方が良い。
 デジタルだから、というよりは時間方向の相関を利用するMPEGを使っている、
 そしてそのデータ量が十分でないことが原因なのだが、DVDでは動きの激しい
 コンテンツでは急激に画質が低下することがあり、見ていて安心できない。
 
 また、音質についてもVHSの方が勝る部分がある。
 DVDではドルビーデジタルが主流だが、VHSはアナログながら
 かなり高水準なHiFi記録で、しかもこれが3倍モードでも
 維持されていたのが今思えば驚異的だった。
 
 高画質・長時間記録という点でも、DVDは追いついていない。
 S−VHSで、最も入手しやすい120分テープで3倍記録をした時の
 画質と音質は十分に実用に値するだけの品質を保っていた。
 DVDでは120分でも画質は十分ではない。音質はリニアPCM記録を
 行えば良いが、記録時間は大幅に減るため常用はできない。
 
 VHSは、最初こそベータ方式と争ったわけだが、最終的には
 世界統一規格となり高い互換性で消費者の利便性に貢献した。
 現在のDVDの、RWだRAMだ+Rだ−Rだというゴチャゴチャを見ていると
 VHSの方式の分かりやすさというのが歴然としてくる。
 友人に貸しても見れない、ディスクを買ったら使えなかった、
 買い換えたら前の機種で録画したディスクが見れなかった、
 そんなことは普通あり得ない話だ。



    “バブルデッキ”への郷愁

Victor
HR-20000

1992年発売、
(当時定価 400,000円)
ビクターが威信をかけて送り出した超ド級機。当時のあらゆる高画質・高音質技術を結集させ、マニア垂涎のモデルとして君臨した

 「バブルデッキ」という言葉は、そのスジの人であれば知っているだろうが、
 バブル期の1990年代前半に製品化された、豪華なS−VHSデッキを指す。
 信号処理のみならずメカデッキ、外装まで至るところに贅沢に技術とコストが
 かけられ、高画質・高音質を実現するとともに「モノ」としての完成度が高く、
 所有欲をソソったものが多かった。
 
 金属を使った強固な筐体で、静かな動作、録音レベルメータなどが装備され、
 「高品質」というのをまさに体現していたバブルデッキを知る者にとって、
 今のDVDレコーダーはなんとも頼りなく、つまらなく映るのだ。
 樹脂モールドで押すと変形する筐体、ディスクの動作音が聞こえ、
 録画・録音するという機能を実現するだけの物体と化している。
 デジタル記録で、高画質で便利なものではあるのだが、
 そこに面白さや、所有欲をソソる要素はない。
 「モノ」としての完成度において、なんとも寂しいと感じざるを得ない。
 
 そうなっている原因としては、低価格化の波に飲み込まれている状況、
 デジタル記録ゆえに簡単に高品位が実現できてしまうこと、
 などがあろうが、それ以上にメーカーの姿勢という点も大きいと思う。
 私などが考えるに、今でもバブルデッキのようなDVDレコーダーは
 作れると思う。東芝のXシリーズが唯一気を吐いているが、他のメーカーは
 どう考えているのか。万人向けの安い機種を欲しがっている人ばかりではない。
 市場の流れに逆行し、我が道を行くメーカーの登場を願ってやまない。



    新しいもの=良いもの??

 普通に考えれば、録画するという行為に苦労は本来必要ないはずだ。
 ボタン一つ押せば何の苦労もなく情報がそのまま記録される。
 そしてそういうことができるキカイがリーズナブルな価格で入手できる。
 これが消費者にとっては最高であり、それが実現された今というのは
 最高に幸せで「便利な世の中になったもんだなぁ」と感じているはずなのだ。
 
 しかし、確かに便利になって、ある程度満足はしているのだが、
 何か物足りない。満足は「ある程度」でしかない。なぜだろう。
 上で語ったような、録画するのに何十万もするキカイを買って、
 汗水垂らしてあれやこれやの手を尽くしていた時代が、いとおしく
 思えてくる部分すらあるのはなぜなのだろう。
 
 人間というのは、最初から何事もなく完璧に行われる所作に対しては
 「当たり前」という感情しか持てない。逆に、欠点や不完全な状態から
 それを克服して完成度を高めていくことに喜びや満足感を感じるのだ。
 デジタル記録によって、情報を完璧に記録することがいともあっさりと
 実現してしまう時代になった今、喜びや満足感というものが失われて
 しまった気がする。趣味というのは、喜びや満足感を得るためにやるものだが、
 それが新しい技術の登場によって失われたというのは何とも皮肉である。