雑感

                          土井義士

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十一月二十五日
 今日は憂国忌。かつて篠山紀信の写真集「三島由紀夫の家」がありました。膨大ともいえる書庫を写していて書籍の題名が判別出来る意図での写真集でした。

 注意して拝見したのですが、sc恆存の著書は全く見つける事が出来なかった。中村光夫のものは数冊発見しました。生前の交遊関係からして不自然です。
「鏡子の家」で交遊関係にあった村松剛とsc恆存に完全に無視された事で所謂「文学の魂」を捨てたのが三島の転機であったのでしょう。

十一月二十四日
 昨日の分、集団的自我から有機性の部分の修正を試みましたが、あまり声高に述べる事柄では有りませんので、曖昧なままにしておきます。
 sc先生の言葉で、何かで読んで心に残っておりますのは「我々の仕事は価値の発見業だから」というのがあります。
俗世間はいうに及ばず小説や文芸批評においてすら、既成の価値観に頼りすぎています。手垢にまみれた文章を厭うように手垢にまみれた価値観の打破を心がけたいものです。新しい価値観の構築をめざしたいものです。
十一月二十三日
 先日の講演会の模様が西村幸祐氏の二十一日付けの日記にあります。山田氏の講演内容として、sc恆存はニヒリズムを知っていたと述べたようです。安直なステレオタイプの説明では心細いものです。sc恆存は完全にニヒリズムを克服した場所から出発しているのです。山田氏の認識は時代を逆行する、正に反動的な発言といえます。個人的自我の問題は集団的自我を追求する事によって解決される、もしくは集団的自我に内包されているのでは無かったのか。sc恆存を論ずるには、集団的自我に於いて有機的な結びつきの元を論じなければなりません、それはすくなくとも、絶対と相対の問題ではありません。
 sc恆存が志しある人々に読み続け、また語り続けられん事を願っております。sc論を書く人がひとりでも多く現れないものか。増えれば知的波及効果は計り知れないものになると思うのです。
なにも正仮名遣いにこだわる必要はありません。それはコスプレマニアにまかせておけばよい。マニア連中でsc論をものした者が一人でもいるのでしょうか。 
十一月十七日
 前回に次回から表示形式を変えると書きましたので果たすべく思案していましたら時間が恐ろしく過ぎてしまいました。ここの更新が遅れた事をお詫びいたします。パソコンの新旧切り換えに手間取って時間の経過を呆然と見送るしか手が無かったのでした。もうすぐ没後十年シンポジウムがあるというのになんという事でしょう。

昨年十月、このページで明日はシンポジウムに行くつもり、と書く予定でこのページを書き始めたら猛然と腹が立って来たものでした。ならば内心の声を忠実に書いた方が自分の為と判断したのです。結果、削除するものならば書かないのが理性なのでしょう。昨年削除した分を再録してみるのも一興と。冗談ですが。
十月十六日
すっかりご無沙汰してしまい、しっかり秋になりました。この書き込みはコメントの寄せ集めのようなもので私自身不満ですので、次回からは形式を少し変えたいと計画しております。
 前田氏のページは快調な文章でPC起動が愉しみになりました。前の書評欄では切れ味と、現代文学のさばき方に感嘆と共鳴したものでした。現代文学は何処へ向かうのか、それより現代人が懐疑すべき問題を提示したいのですが、どうも提示の仕方がまずくて、すぐに、投げやりになるのを自戒せねばなりません。しばらくは「これでいいのか日本の歌」をテーマに述べたいと思います。殺伐とした現代の精神風土の反映としての現在の歌であります。この、私が述べれば人生幸郎のぼやき漫才の域を出ない事でしょう。
九月二十八日
 プロ野球のスト問題は一段落ついたのでしょうか。石原慎太郎は定例記者会見で一リーグでしか成り立たないと述べていました。球界とすれば、テレビの一試合一億円の放映権料の確保は至上命題なのでしょう。巨人戦の視聴率の低下の現状からすれば、一リーグ制になれば、対戦相手がダイエーや西武となり当座の興味を引く事が出来ると踏んだのでしょう。毎日のように疑似日本シリーズを開催しているようなものだ、視聴率を上げるにはこの手しか無いと判断したのでしょう。スト明けの視聴率が十パーセントに達しなかったのは、私には衝撃でした。ファンの巨人離れが激しいと見て良いのでしょう。私も少しだけみて他局のオカルト番組にチャンネルをガチャガチャと切り換えました。霊能者が真犯人を見つけ出す過程はスリルとサスペンスに満ちており、警察の無気力捜査への批判にもなりそうです。役人は仕事をしなくても給料を保証されているから安閑としていますが、国の借金をいかにして償却しようかと考える人間は居ないのでしょうか。人事院は全公務員給与の三割、四割カットを決定すべきです。日本は役人から腐りました。国語問題も文部省が元凶なのでしょう。
九月二十六日
 前田嘉則氏のホームページが復活しました。御愛読お願い致します。トップページよりお入り下さい。
 前回、sc先生は他への強制とレッテルを貼りには強く拒否されたと述べるつもりが一面的な書き込みになり、気まずい思いです。最後の行で演劇人としましたが、新劇と話されたのをいまの人は新劇では通じないのではないかとおかしな機転を働かせてしまいました。
九月九日
 七日分の書き込みが不十分な状態の時でしたので、削除しました。いま読み返したのですが、冷や汗が出ます。当事者に伝える内容を記載してしまったと判断します。しかし、残したい部分も若干ありますので、再記入いたします。
 sc先生の遺された思想は深遠広大ですが、保守思想こそがsc思想ではあるまいと考えます。氏の思想の根幹は二点、真贋を見極める眼を持つ事。あとは、偽善を排す。真贋も偽善も同じといえば同じで、結局はほんとうの人間になれ。と謂う事でしょう。物のみかた、人のありようを教わったのであって、歴史的仮名遣いをしなければいけない、とか、自分の文体をまねよ、など他人への強制を一切嫌われた人物だと理解しております。
 サイデンステッカーの新著でsc先生からの年賀状を紹介しております。我々リベラリストは、と、わざわざ英文にして自らをリベラリストと呼んでおられたようです。注目に値するでしょう。いわゆるリベラリストとsc恆存は犬と猿の関係に思われているでしょうから。『僕は保守反動の親玉のように世間から思われていくけれど、あれはアルバイトでやっているので、本当は演劇人です。』と、話されました。
九月八日
 近年流行の言葉で癒しを求める行為や、癒されたい願望を耳にしますが、その甘ったれた語感からしても注意を払わなかったのですが、字引を引いてみますれば、どうやら心の傷を治す意味のようです。
 私にはその心の傷の意味すら理解不能です。心の傷が何らかの対処で回復するのならそれは大した傷ではないのでしょう。いかなる手だてを施してでも、回復しない質のものが真正の病でありましょう。
 或るうつ病権威の話では、患者の表情で判断が付くそうです。患者の病状を計るには、うつ相(鬱病の面相)であるかで見極めるようです「重っ苦しい」顔をしているかどうか。マスコミ注視のさる婦人の表情が本当にお元気そうに見えるのか、それとも重っ苦しい表情であらせられるのか。私には後者と見えます。
九月一日
 前々回で長嶋茂雄を希少なヒーローと述べました。肝心なのはヒーローを叙述する事なのだと分かっていて、面倒になり、怠けごころで簡略化する己を一応省みるのです。

 オリンピックのマラソンには何やら血を騒がせるものがあるようで、眠れず、床から起き上がり中継を見ました。三十五キロを過ぎて、ブラジルのデリマ選手が男に妨害されたのには怒りが込み上げましたが、一般の反応は、妨害男にそれ程憤慨していると見受けません。マラソン選手の日々の努力や流した汗を想像したいものです。
えんじ色のスカートを穿いた男でなくとも妨害者は何処の世界にも居るものでしょうが、それを予知、想定するのは自身を卑しくするようで嫌なことです。

四年前、ラジオ番組で或る日本人スポーツ選手の友人と称するライターが、滔々と話していました。「○○選手はドーピングをやっているのでオリンピックに出たがらないのだ」暴露話が余りにも背信的で不愉快だったので、今でも鮮明に覚えています。もしも私がその選手の友人であったなら、ドーピングについてどのような態度をとるであろうか、結果として活躍すれば見逃すであろう。否、奨励するかも知れません。ヒーローであり続ける困難を想像します。
八月十七日
 ご期待の向きも多く、没後十年記念會開催をお伝えせねばなりませんが、この時期になっても決定いたしません。計画当初からは予想外の会場変更をともなう企画の練り直し案が進行しておりません。
開催の趣旨としまして、sc恆存の偉大さを一般に広くアピールするのも目的の一つです。その為にはマスコミ、特に新聞での案内に期待しております。前回は大手各紙が取り上げてくれましたが今回は見込みがたちません。単なる研究発表や自己満足の為の場であってはなりませんし、それではプライドが許しません。sc戯曲の上演、未発表原稿の掲載などの腹案は今年中の実行は不可能です。
十月末まで模索の時間が有りますので、無い知恵を絞りたいと思います。お詫びの意味でも、経過を記していずれかにsc論として発表するつもりもございます。
 八年後は生誕百年という大きな区切りの年です、今月の文芸春秋に呉智英氏が二十一世紀はsc先生が正しく評価されるであろう。と書いています。八年計画で進めるのも先生のご遺志に沿うものかも知れないとひとり合点しております。
八月一日
 長嶋監督は医師の助言を受け入れて、アテネ行きを諦め、次の目標を北京に転換したようです。ネバーギブアップしない監督らしい決断と思います。四年後の北京に期待しましょう。松井秀喜選手は監督に教わった事柄で印象深いのは、野球は当然として、それより「男の潔さ」常に潔くあれと教わり、自分も斯く有りたいとインタビューに答えていました。長嶋茂雄は現代日本では希少な本物のヒーローです。長嶋監督のうるさく感じられる程のハイトーン口跡を耳にしたいものです。それまで、リハビリに励んで下さい。
劇に於けるヒーローの必要性を何度もsc恆存は説いていました。が、しかし、昨今の新作舞台に本物のヒーローが登場するでしょうか。
七月十六日
 六日に夕日は北に落ちると書き込んで後、余りにも馬鹿馬鹿しい事を書いたものだと自身、半信半疑になりながらも、確認しました。方位磁石を購入直後で過信していたようで磁石は高圧電線があれば敏感に振れる物である事、また、高圧電線が方々に張りめぐらされているのを知り、今度は人体への影響、健康が心配になりました。夕日が沈む方向は目測で北西でしょうか。東西南北への道が神経質なまでに正確な街で育った者としてはこのところ、方位感覚が曖昧になり始めました。
 夕日が静かに落ちて沈むという太陽が動いている感覚よりも、地球が自転して、地球の影に太陽が隠れてしまうのだという、当然といえば当然な感覚、地球の自転感覚の方が強くありました。
 多くの人々は日常に忙しく追われ、自然には目を向けないものです。観光地にしか自然は無いかの如くです。
七月十四日
 ジャカルタ滞在のジェンキンス氏の表情が再会三日目にして柔和に変化したのは予想外でした。病気治療の為に一家で週明けにも来日されるでしょうが、思いがけない早期進展の要因は、氏の懸念、恐怖と不安よりも曽我さんの母性が優ったという事でしょう。私の弱点は母性の働きを理解していない所にあると、ここに書き込んで、認識を改めました。
七月六日
 我が無知をさらすのですが、太陽は西に落ちると思っていましたら、北に落ちるのですね。北北西よりも北に振れて、ほとんど真北に落ちる夕日に目が向かなかったのを恥じる次第です。慎太郎知事の排気ガス対策が私に、夕日に向かわせたのは立派な成果なのでしょう。
 佐渡の曽我さんが九日から夫ジェンキンス氏と逢われるそうですが、このまま政府が助け船をださず、曽我さん一人に解決を任せるのは過酷という他有りません。曽我さん母子が北朝鮮で夫の生涯を見送ってから日本に母子で帰国する方向に向かうには時間が無いし、深刻な事態です。選挙対策に利用された曽我さん一家が気の毒というしか今はありません。
七月五日
 西部邁氏の最近の著作を立ち読みしていたら、sc先生に関する記述がありましたので、目を通しました。sc先生を軽んずる文章に西部氏の本音が顕れていると感じましたが、読んで、気持ちの良いものではありません。簡単に手のひらを反す、これが転向者の習性というものでしょうか。
七月三日
 東京でsc先生の講演があれば聴衆として何度も参加しました。なかで得心しましたのは、精神の硬直化に対して否定の言葉でした。柔軟な心を求められていたのでしょう。例えば、三島由紀夫のどこにやわらかな優しい、ユーモアがありますか。sc思想の神髄は柔軟な精神の持ち方にあると思われます。果たして、正かな正漢字表記のみに拘泥するのはこれ硬直でありましょう。sc先生の苦々しい思いが伝わって来る様な日々であります。正かなを自在につかえればこれに越した事はありませんが、ほとんど実在しないのが現状です。若年層の例外として、金子光彦氏と前田嘉則氏の名が挙げられます。あとは型にはまった定型文を散見するのみといったところでしょうか。
六月二十六日
 二十二日付け読売ニュースでは、パソコンを長時間使用すると、理性と想像力を司る部位、前頭前野が活動低下、機能が低下するとの脳科学者の研究を発表しています。しかし、未だ文部科学者ではそれを検証する基礎データーすら無く、テレビの長時間視聴と脳の働きとの関係を調べる「脳科学と教育」調査プロジェクトを始めたとの記事でした。遅きに失した感があります。
六月十三日                                                        インターネットも起因の一つと目される、佐世保の十一歳同級生殺害事件以降、ネットに接続する気がおきず、ここも疎かになりました。インターネットの功罪を検証する立場にありませんが、ディスプレイから有害で人体、ことに脳に影響を与えるものが放射されているのは確実のようです。ニュース報道によりますと、厚生省労働省の発表で、二歳までの子供にはテレビを見せないようにして下さい。脳が萎縮するとの実験結果が出たそうですが、乳児には多大な影響があると謂う事であって、成人には影響が無いとの証明にはならないでしょう。画面から距離を置く事により、悪影響は軽減されるでしょうが、政府として、乳児への悪影響を認めているのであるから有害防止フィルターの装着をメーカーに義務付ける等の対策を取るべきである。
 電磁波過敏症なる病気があるそうで、近代文明下では生活できない、環境不適応者と謂う事になるのでしょう。
 このページでは何でも書けると始めたのですが、自縄自縛。次第に自己規制する事柄が増えてしまい、書けない事柄ばかりになりました。結果、当たり障りのない事しか書けないもどかしさがあります。いまのところは、皇室とうつ病原因については規制せざるを得ない得ません。これも自意識過剰なのかも知れませんが。                                                      
五月二十五日
 小泉首相の北朝鮮訪問問題についてはその前日に、人間の思考と行動パターンは変わらないから今度も同じ間違いを犯すであろう。書き込もうとしたのですが、一縷の期待をもって止したのです。拉致被害者・未帰国者家族達は命懸けでうったえているのに、応じられない政治家、官僚達を追求する手だては無いものか。
 腑抜けになった日本人、と嘆いてばかりでは、いられません。石原新党を待望するのが一番現実に則しているのかも知れません。
五月七日
 福田官房長官が辞任しました。小泉、福田両氏は党利党略、派利派略しか念頭に無くて、国家としての展望に欠けるので、その職責は失格と判断せざるを得ません。知識人の間では、やれ反米だの現実主義だのと目糞鼻くそを笑っているばかりで、地に足の付いた議論がありません。イラク人質問題では日本人のメンタリティーが問われているのでは無いかと日本人の覚醒を期待したのですが、結局、相変わらず、ライトとレフトのポジション争いの結果に終わりそうです。
 パソコントラブルはウィンドウズのアップデートでなんとか納まった様です。当ホームページのテキスト文を全てアクロバット・リーダーで開いて(縦書きで)読めるようにしたいのですが、パソコンとディスプレイが苦手な当方には難題なのであります。
四月二十六日
 今月にはいり、パソコントラブルにみまわれてこのページの記入が滞りました。原因が未だ判明しませんが、何とか動いてくれるでしょう。イラクの人質問題が起こった当座は小泉内閣失脚の期待を持ったのですが、自己責任を押しつけての責任転嫁に歯がゆい思いをしています。公明党との選挙協力によって命脈を保っている自民党政権基盤が弱く、公明党だのみに危険性を感じるのは国民多数の感じるところででありましょう。 ブッシュ政権が崩壊すれば小泉内閣も崩壊するであろうか。
四月十五日
 先月十九日に九十八歳で亡くなった、四世井上八千代さんの至芸をみるのは演劇、新劇を志す人にも勉強になるでしょう。いまではビデオでの再現しか手はありませんが。
その舞は典雅で、卑俗なところが少しも無いのに驚嘆します。後人の京舞は俗ッ気があり過ぎて食傷しますが、四世は別格です。芸への志の高さは背筋が正しく伸びている姿に表れており、芸人として覚悟の生き方は、厳しい修練と修行の稽古の日々でしか裏打ちされない事を示しているようです。古きよき日本人、京都人、謹厳実直な姿形でした。
四月三日
 久米宏のニュースショーが終了しました。一度だけ見るに見かねて局へ電話した事があります。時の政府首脳の情報管理の杜撰さをあざ笑い、事実をねじ曲げていたので指摘すると、担当者は今回はこれで行かせて下さい、次回は正確にやりますから。と堂に入った応対でした。確信犯というやつでしょう。
 かつてNHKニュースで雅子様がかいにんされました。と、放送していたので、局に注文しました。これでは、雅子様が解任されました、と聞こえる。御解任と何故言わぬ。こたえは、敬語の問題は番組担当者の判断に任せており、局としての見解は有りません。と逃げられました。
三月二十四日                                                        十九日放送のえぐら開運堂は珍しく収穫が無かったです。処女受胎の可能性まで考えたのですが、精神的幼稚層を相手にせざるを得ない江原氏の苦労がしのばれます。氏は三十歳台で音楽大学に入学し声楽を勉強したそうですが、声楽での自己浄化作用の時間を持たなければ遣り切れないでしょう。次回、二十六日は朝まで生テレビの放送時間前です。
三月二十日
 週刊文春の出版差止めを裁判所が認めたのは、戴けません。裁判官は顕示欲を発揮してはならぬのは、基本中の基本でしょう。公正であるつもりの顕示欲というものが有ります。文春の記事も詰まらぬ記事であれなら、ホッチキスで止めるかそのページを破いて発行すれば良かった。
 テロの危険がたかまりましたが、起こった場合、政府は責任逃れの手をうっているのに、野党はのんびりとしたものです。
三月十三日
 前回記しました、えぐら開運堂・来週十九日の放送予告では、霊に犯された女性が登場して経験を相談するようです。肉体が消滅した霊が何故性行為が行えるのか見当が付きません。
 江原啓之氏は人々に、幼い魂を大人の魂に、そして霊性の向上を求めている。霊界を考えるのと人間の生き方が則しているのではないか、と主張しているようです。今後、氏の主張を掘り下げて考えて行くつもりです。 
三月五日
 長嶋茂雄監督が脳梗塞で入院のニュース、心穏やかでありません。この病名に過敏になっていまして、未疾患なのに、坑血小板薬を服用しております。福田先生から直接に病名を伺っており、その時の衝撃が続いている次第です。長嶋監督も人への気遣いが過ぎる方ですので、病気を期にのんびりと過ごして戴きたいものです。
 今日は啓蟄です、冬ごもりの虫がはい出る頃という意味です。、江原啓之氏に興味が向いています。テレビ東京「えぐら開運堂」金曜深夜零時九分からの放送は、市井人の重く深刻な悩みに対して、魂の救済というある種究極の解決を示しています。ご覧になれば、きっと感銘を受けられる事でしょう。
二月二十四日
 漂う哀感とでもいうべきものが、何時までも気になります。全集に収めてありませんので引用します。昭和三十三年発刊「私の演劇白書」より。

 白書もこれで五回目になる。少々いや気がさしはじめた。毎月、芝居を見に何回か上京するのが面倒になつた。秋になると大磯の日ざしは美しい。どう考へても、薄つぺらなライトに浮きだしたドーラン化粧を眺めるために、この海辺の町を出て行く手はなささうだ。私はやはり芝居嫌ひなのだらうか。さうかもしれない。それなら、「みんな」は芝居好きなのだらうか。どうもさうとは思へない。
 新劇の劇評家たちはあの芝居この芝居を観て、あれがあもしろいの、これがつまらないのと書いてゐるが、そのおもしろさが芝居のおもしろさでなかつたら、なんとする。かれらが求めてゐるものは芝居なのだらうか。かれらは本当に芝居好きなのだらうか。劇作家にしても役者にしても同じことだ。かれらがどこまで芝居のうちに芝居を求め、芝居のおもしろさを楽しんでゐるか解つたものではない。
二月十六日
 前回で全体と書き込んだので気が重くなりました。全体と部分の問題は重要で、福田恆存理解の上では、欠かせないのだと思いますが、全体と部分への認識はそれを関係付ける有機的なものがあってこそ成立するものです。有機体を見いだすには想像力が必要だと、何処かの教科書に書いてあった様な無い様な。人間・この劇的なるものを読み返す事に致しましょうか。
一月三十一日                                                       ようやくHPアドレスの移転が完了致しました。「近代をどう超えるか」書名に惹かれて捲ったら、対談はどうやら左翼あがりもしくは崩れの人らしく、肝心の事を述べておらず騙された気持ちになりました。例えば共同体と言えばいいものを共同性は重要だと述べていました。こんな調子では百年掛かっても福田恆存の文章の一行にも及びません。昨夜は朝まで生テレビを付き合いました。憲法改正にテーマを絞った為、番組としてのまとまりを感じましたが、憲法も人権も戦争も「全体」を意識しないと解決しない事に何故気付かないのでありましょうか。                                    
一月十五日
 或る禅僧が布教活動で米国に渡った際、かの国では、自由の意味でfreedamと言っても通じず、for freedamとforを付けなければ通じない。ところが、日本人は自由をto freedam
と理解していると述べ、何かをする為の自由よりも成さない自由、怠情の言い訳の為の自由であると言っていた。「自由について」なら福田先生が五十年前(とっくに)説いているのに何で今更とも思いましたが、福田恆存を読まない自由も有るものだと、気を取り直しました。まあ、実体験に基づいた思索こそが根付いた思想と謂うべきか。 
平成十六年元旦
 明けましておめでとうございます。今年は福田恆存没後十年にあたります。当會の発足時から没後十年記念會を計画した上での、一昨年の生誕九十年記念會でした。今年、当會としましては無理をせず、分を弁えながら運営して行く所存です。福田恆存先生が後世に読み継がれる為の契機にになればとの願いで運営して参ります。どうか末永く当會をご支援下さるようお願い申し上げます。
十二月三十一日
 よい天気の大晦日。今年一年当ページに訪れて下さり有り難うございました。今月にはプロバイダーの手抜きが判明したり、色々な障害がありますが来年も宜しくお願い申し上げます。先月は柄にも無く、常識やモラルを述べましたが、私が苦言を呈さなければ微温的で欺瞞的な儘に時間が推移する羽目に陥るところでした。来年からはこのページに書き込む文章量を多くして、爆弾発言が目立たぬ様にしたいものですが、果たして。  皆様、佳いお年をお迎え下さい。
十二月十九日
 サーバーの不調に続いて、十八日に送信され、当方に届く筈のメール二着が不着となりました。十八日に送信して下さった方は恐縮ですが、再送信をお願い致します。混乱をお詫びします。
十二月十二日
 ホームページを開こうにも夜間等は時間を要して仕舞い、ご不便をおかけしました。サーバー不調の為ですが、改善の見込みが余りありませんので、こちらと重複しての開設と致しました。今後は改善具合をみて、どちらかに統合するつもです。
十二月三日
 せりふについて書くつもりが、ここを訪ねて下さる方は、せりふには興味の無い人々では無いかと迷いが生じました。何しろ演劇関係の書籍は部数が出ません。戯曲を読む人は僅かでしょう。sc先生が文壇に見切りを付けて劇壇に身を投じられた理由は何であろうか、との大命題に興味をお持ちの方も少数でありましょう。わが国最高の頭脳が永年にわたり新劇活動に専心されたという現実をわれわれは如何に受け止めればよいのか。sc先生は全集第五巻、覚書最後に『「雲」を作つた時の夢をそのまま持ち続けてゐる同じ私である。このまま一体どれほどの人がついて来てくれるであらうか。』書いておられます。現代演劇協会の創立声明書は同じく第五巻の覚書に入っており、築地小劇場以来新劇界の陥穽を指摘してあります。声明書を読んで、中村光夫は「これは演劇ばかりではなく、すべての分野で日本の歩んで来た近代化の苦しさを指摘してゐるものなあ」と述べています。sc先生の主張は、正統的なせりふ劇の基盤を造る事でありました。
十一月二十五日
 今日は憂国忌なので三島の事を考えていたらテレビで美輪明宏の特集を放送していました。そのうち三島が出演した映画が写っており、三島の緊張でガチガチに固くなった演技と裸体は少しも美的では無かったです。昼には舟木一夫を特集していたので偶然では済まない日でした。昭和四八年、舟木と丸山明宏が共演した「ハムレット」を下敷きにした和製ミュージカルが渋谷の東横ホールで上演されました。演出は松浦竹夫で訳はsc訳であったろうと思われます。東横へ前売り入場券を求めに行くと、受け付け嬢から挨拶されたのですが、誰と間違われたのでしょうか。まさか丸山明宏と間違われたのでは無いかと嫌な気になったものですが、当時の私は、自意識過剰であったようです。
 これからは声に出す国語について述べて行きたいと考えております。つまり音声言語としての日本語、せりふと歌詞についての感じた事を書き込んで参ります。
 
 十七日と十八日に記入し、削除しました件は、ここには書くつもりは御座いません。もし、書くのであれば別の媒体にするつもりです。しかし、いま、その気はございません。
十一月二十二日
 首相はテロに屈してはいけないと、コメントしております。アルカイダによる東京でのテロ攻撃に市民は竹槍精神でテロを迎え討てと、鼓舞しているのか、自衛隊派兵を正当化する為なのか判然としませんが、こんな軽薄な男のせいで日本人の命が失わせてなるものか、との赤旗まがいの気持ちになります。もし国民がテロ攻撃にあえば政府は如何なる責任を取るのであろうか。北朝鮮に対しての弱腰外交の政府首脳がテロに屈してはいけないと言う資格はありはしない。
十一月二十一日
 十八日分の書き込みを削除させて戴きます。意義の有るものと判断して記入しているのですが、当方の思惑通りには理解して戴けないと感じました。今後は批判するなら、徹底して批判しなければならぬとの自戒であります。中途半端はよくありませんでした。
十一月十七日
 新聞は偏見に満ちており、信用ならないので、東京都知事・記者会見をネットで再生しましたら、TBSテレビ・サンデーモーニングは重大犯罪を犯している様です。知事発言「日韓併合を百パーセント正当化するつもりはない。」の語尾「はない」を音声操作で消去して、消去後の文言をテロップで流している。これは確信犯である。この前代未聞の言論操作に対して、他のテレビ局も報道に不熱心なのは他局でも制作時に同様な細工がなされているのはないか、との疑念が生じます。ビデオテープなる証拠物で事実が裁判で明白になるでしょうが、放送人のモラルが恐ろしく低下しております。
 
石原慎太郎の怒りに、耳を傾けようではありませんか。
十月二十二日
 JR中央線の高架化工事で踏切が開かないのが問題になっております。線路を地下に潜らせるとか、上下線片方を先に高架工事する等の抜本的対策方が有るのに旧国鉄は対策を講じようとはしない。起こるであろう出来事に対しての想像力も記憶力も欠如している。
平成十三年十月三日、東京地裁は一審で小田急線高架事業の取り消し判決を出しています。地下方式の方が工事費が安くあがるのを電鉄側は隠蔽していたと記憶しますが、この裁判結果を旧国鉄は失念したと弁解する気なのであろうか。
現代人はあらゆる面で「腑抜けになった日本人」の様相を呈しております。現代の表層を描けば全てが、腑抜けになった日本人と謂う事になります。
十月八日
 五年程前の事ですが、町田中央図書館では蔵書に中村光夫全集と山崎正和著作集を蔵しているのに、書架に無くて、書庫にあるという。全集類は書架に並べてこそ、読む機会が生じるのに何故なのか、訊ねたら、館長から手紙が届きました。仰天の内容でした、「鮮度の落ちたものは書庫にやります」当然でしょう。と厚顔な手紙でした。図書館では貸し出し回数を鮮度と呼んでいるのでしょうか。呆れました。
 同図書館では、著名作家が無くなると著書を集めて展示するのが恒例なので、sc恆存の際も展示を提案したのですが、拒否されました。理由は飯沢匡の時にしなかったからだそうで、私の頭から湯気が出ました。天敵です。
なかには知識のある人もいまして、吉行淳之介の小説で三島由紀夫を皮肉った書籍を訊ねたら、それは「スーパースターで全集にあります」と返事がありました。
九月二十三日
 文学賞が選考委員によって正当に選考されているのか疑わしいとの雑誌記事を読みました。理由の一つに挙げられたのが、委員の高齢化であった。或る賞の選考過程で、スターバックスを解しない委員がほとんどでコーヒーショップの名前だと説明出来たのはたった一人であったそうだ。
記事では若者感覚を理解しない選考委員はお払い箱にした方がいいとの趣旨であった。記者の紋切り型思考に疑問を抱くと同時に、ジャーナリズムの限界をも感じるに至った。
文芸ジャーナリズムは一体小説に何を求めているのであろうか。小説に現代風俗が盛り込まれていれば満足なのであろうか。単に売れれば良しとするのであろうが、小説に文学性を求めるべきで無いと言い切ればそれで済むのであろうか。風俗や現実と文学との関係を考察するのに一助になればと、例文を引用します。sc恆存著「文学界」昭和四十三年一月号より。

 文学は言葉による現実の描写ではない。現実は描写するに値しないものと悟った者に残された道は、言葉によつて現実を再構成し、それに秩序を与へる事であらう。語るに足る真実は一つしか無く、それは唯一語によつて表現される筈である、が、その未だ存在しない、そして恐らく永遠に存在しないであらうその唯の一語を巡つて、作者は数千行に亙る言葉を並べる。そのためにシェイクスピアは「リア王」においてnatureといふ言葉を七色に転位しながら四十回も繰返してゐるのである。言葉の芸術としての文学といふものはさういふものなのだ。

 現代風俗とリア王では比較、考察にならぬと不満もあろうが、現実は描写するに値しない。この現実判断が文学を産む源泉である。風俗に埋没するのでなく、現実から屹立するのが真の文学であると、初歩的な事を述べているに過ぎないのであります。
九月一日(月)
小説が詰まらなくなった遠因に、文芸評論の不振が挙げられるが、ある種の文芸評論家に不満を持っております。それは現実を等閑視している点です。これらの人は小林秀雄の文芸批評を受け継いでいると自負する人達でもあるので、郡司勝義氏が聞かれた小林の肉声を傾聴しては如何かと忠言申し上げる。小林秀雄はこのように断定する。

 文芸評論は文学の方から人間を見ようとする。その方が易しいから(略)評論家は今も昔も変わらない。実情といふものを全く見ようとしない、観念ばかり見てゐるのだ。日本のリアリティーを本当にみて、優れた人間がどんな風に滑稽に現われるか、どんな風に失敗するか、どんな風に成功するか、それを見過ごしてゐる。そんなことでは文芸評論は発達しない。

 以上の言葉はその七、八年の間、「近代の超克」について熟考を重ねた上での発言であろう。近代の超克の問題は他人に吹聴すべき問題でなく、個人がそれぞれ黙して実行を重ねる事で形を成し、解決する性質のものでしょう。例えばsc恆存は現代演劇協会を設立しました、これは近代の超克運動の実践でしょう。国語問題での闘いもそうです。sc恆存の活動そのもの、文筆も然りですが、近代の超克運動であったと申せましょう。日本人として、胸中密かにこれが私の近代の超克である。この自覚が肝要と申せましょう。
八月二十三日
新種のウイルスに感染やらパソコンの修理に追われて、ここでの留守をお詫び致します。八日にシンポジウムの内容をT-Timeで発行致しました。(電子書籍の頁をご覧ください)読書への説明不行き届きの点、承知しております。内容には変わりが有りませんが、体裁を整えてゆく所存であります。sc恆存生誕九十年記念會シンポジウムを発行出来ましたのは幸いであります。
八月二日(土)
今朝は珍しく「朝まで生テレビ」最後の一時間見ました。三百人劇場以来、約半年ぶりに井尻千男、西尾幹二両氏をお見受けしました。お二人の発言はsc恆存の読者なら知悉しており、正当なものでしたし、常識でもあるのに、出演者の反論は酷いものでした。覚えているのは、宮崎なる男が、そんなのは時代錯誤だ、逆行するものだと、わめいておりました。他人の発言を遮って自説を主張するのは醜態だと感じるのですが、それを許す番組制作者は討論を、ただ単にテレビ用の見せ物としての認識しか無いのでしょう。未熟な現代人は討論には不向きと謂う事を証明する番組でした。日本人の精神の近代化は未だ未だ先の事であります。司会の田原総一朗の衰えが気になりました。
八月一日(金)
先月二十一日付の固有名詞をイニシャルに変更致しました。固有名詞の儘では、かつての信頼関係をも否定する様で落ち着きません。これは良心の呵責というものでしょうか。
七月三十日(水)
予てより気になっていた文章が見つかり、読み直してみたが当時の感慨は薄れて仕舞っている。文芸誌「新潮」昭和六十三年二月号西尾幹二著。高井有一「浅い眠りの夜」の書評欄。高井が主人公の口を通して斎藤緑雨評を述べている。「批評者に徹する気なら、死後の名誉など考へて物書いたら、文章の機鋒いふもんが、無うなつてしまふのと違ひますか。結果として緑雨の名が遺つて、読者が絶えないのは捨て身の機鋒のおかげやないか。皮肉なものや、」これに西尾はsc恆存氏の言葉をまざまざと思い出した。という。以下引用。今から約二十年前。私がsc恆存氏の許を初めて訪ねた頃、氏が友人の著名作家を評して不図洩らした一言に、「彼は後世に名を遺そうと、作品の完成とか、名誉とか、そんな事ばかり言っているから駄目なのだ。まだ人間が出来ていない。」と断定した例がある。私は今でもこの語の持つ強烈な印象を忘れないが・・・。

当時、私はsc氏の友人、著名作家の名前を推察したのだが、いまは特定出来る。しかし、断定する事に意味を感じない。その事に侘しさすら感じる。
西尾はつづけて、高井の文章を引用している。「いつもさうなのだが、私は、sc氏の論稿を読みながら、文章の機鋒に打たれ続けてゐた。・・・それ(機鋒)があるために長い間、私はsc氏の書くものに親しんで来たのだといふ気がする。」
七月二十一日(振り替え休日)
四月二十九日を「昭和の日」とする祝日改正案が衆議院を通過したと、十七日付けの毎日新聞が伝えております。五月四日をみどりの日として、連休をより充実してやろうと、政治家達からのサービス供与なのでしょう。 
雑誌、発言者先月号でT氏は戦後日本人は「生命至上主義」に走り、「命より大切なものがある」のに目を向けようとしないと批評しておられる。一昨日、当sc恆存記念會の開催計画を練る為
T氏、K氏と会合を持ったのですが、命よりも大切なものとは何かをT氏に訊ねたかった。が、氏は急用を思い出されて会合が散会になり、訊ねられずに終わりました。
下世話な言い方になりますが、戦後日本人は生命至上主義と謂うよりも、金銭至上主義に陥り、命より銭が大事とみえます。
富岡氏には命よりも大切なものを著して戴きたいものです。まさか、国体やクリスト教とは仰いますまい。
六月二十二日(日)
文藝春秋刊行、矢野誠一著「戸板康二の歳月」という本があります。h章ではsc恆存について世評を貶めるようと、為にするものです。それは戸板康二の意志でもあろうが、何とも掟破り、反則、インチキ。あらゆる手段を講じて、sc憎しを表現しております。これは出版してはいけない名誉毀損本であります。sc恆存の片腕であった現代演劇協会事務局長、向坂隆一郎の手記を一部引用している。この手記を根拠にsc否定を行っているのだが、そもそも手記自体が怪文書の性格を帯びたものであった。sc恆存の目に絶対に触れない様、用心に用心を重ね密かにマスコミ関係者に配った代物であった。sc恆存が亡くなって、反論する人も居ないと、楽観して向坂手記を出して来たのは、卑怯である。
私がネチネチと矢野誠一をいびりたいが、ここでは紙幅に制限がある。岸田今日子にも言っておかねばならない事があるが、言うのも馬鹿ばかしい気がしないでも無い。同じ文藝春秋社から「杉村春子」中丸美絵(絵は正字)著が文学座分裂当時の状況がより正確なのでここに紹介致します。

向坂氏は劇団「雲」分裂後に小学館から「クエスト」を発刊しているのだから、笹川良一の目前、sc恆存にテーブルの下で向こう脛を強く蹴られたと不満を書くべきであった。毎夜、大磯からの電話に悩まされた。ぼろ雑巾の如く、使い捨てにされたとクエストに書くべきであった。
六月六日(金)
 シンポジウムのテープ起こしが終了いたしました。掲載まであと少しの日数を下さい。何しろ分量が原稿用紙にして56枚分 にもなりますので、T-Timeでの表示を計画しております。T-Timeの改良化は早くて今月末の予定です。出来るだけ早く掲載出来る様、努力致します。
五月二日(金)
 先月、二十九日に記入するつもりでした。当日は「みどりの日」だそうで、祭日名が変わったのに気付いたのがうかつにも、近年でした。国会を通過し、制定されたのでしょうが、みどりの日と名称変更の提案をした人は誰なのでしょうか。鵺の如く、はなはだ民主主義的な匂いがします。その理屈を通せば、五月一日のメーデーを祭日にして連休日を増やそうとする意見があると聞いておりますが、メーデーを「あかの日」に制定すれば良いと提案したい。これも屁理屈ですが。
四月二十七日(日)
 このページでは悪口と批評を混同して用いておりますが、それは同じ言葉を同時に何度も遣いたく無いとの私の気質であります。悪口と批評の区別は、その動機を私憤、それとも公憤から発しているのか見分けるのが一つの目安でしょうが、読み手にそこまでの目利き、判断力を求めるのは過剰なのかも知れません。当人とすれば公憤や義憤で行動しているのが、私憤や私怨と受け取られかねない事態となるのが精々の落ちなのでしょう。
平成十五年四月二十五日(金)
 ホームページ上の全ての日本語表示が、横書きである事に違和感以上に不信感をもっており、メールに付いても同じ苛立ちがあります。所詮、毛唐の作ったPCだからと諦めるのは悔しいので、
私の著作sc論はT-Timeなる縦書き表示の読書用ソフトで発表したのですが、ダウンロードして読書するにも、開けない、読めないとの苦情がありました。ようやく簡便に読める方法がボイジャー社で開発されたのですが、未完成品でして、当方は今、手こずっております。
 T-Timeに時間とエネルギーを奪われて、シンポジウムの掲載への作業が滞っております。
 雑感のページを設けたのですから、過激に悪口を書きたいものですが、対象が批評に値するや否や躊躇すると鈍ろうというものです。