深夜、クラブでのアルバイトを終えてセントラルパーク脇のアパートメントの部屋へ帰ると、暗闇に留守番電話のランプが光っていた。部屋の明かりを点け、留守電のボタンをプッシュすると、エージェントのJOEの声が流れてきた。
「ケン、久しぶりの仕事だ。この間のオーディションに通ったぞ!来週からしばらく、ロス行きだ。明日の朝、事務所にTELしてくれ。ああ、言い忘れていたけれど、誕生日、おめでとう!!」
誕生日か・・・。エージェントのプロフィールでは、若干年をさばよんでいるが、もう、30代後半にさしかかっている。めでたくなんかないさ・・・。
でも、この間のオーディションってことは、かなりBIGな役のはずだ。撮影は1ヶ月以上かかるだろう。クラブに電話しなければいけない。いや、それは明日、エージェントにTELしてからでいいだろう。
あの、忌まわしい同時多発テロの日から、仕事は激減していた。映画そのものの撮影本数が減り、オーディションのチャンスもかなり減った。もともと、映画のエキストラはあまり金にならないから、なるべくギャラのいいCMのエキストラしかやっていなかったのが、今となってはそう贅沢も言えず、もらえる仕事はなんでも受けるようになっていた。NYに移り住んですぐには、何でももらえるしごとはやっていた。エキストラ、モデル、クラブのシンガー、チャンバラショーまで・・・。
この10年余、無我夢中でやってきた。時にはかなりの話題映画にも出演したし、TVCMで歌を歌い、飲んでいたクラブでそのCMが流れて、周りにわーっと突然騒がれたこともあった。
初めは英語の発音が悪く、オーディションも全く通らなかったが、必死で勉強して英語が喋れるようになってからは、ぽつぽつオーディションに通りはじめた。有名映画スターと共演することも多くなった。しかし、所詮はチョイ役、最初夢に描いていたようなスターになったわけではない。
パソコンの電源をつけて、メールのチェックをする。日本は今、何時頃だったっけ・・・。最近では日本の友人、家族とのやりとりはもっぱらEメールだ。時々、勇気を出して、電話料金を気にしながら国際電話をビクビクかけていた頃から比べると、なんて便利になったのだろうと思う。
メールを開くと、日本から6通、アメリカの友人達からは12通のメールが届いていた。みんな、『HAPPY BIRTHDAY』の文字から始まっている。中に、『元気か?』というタイトルがひとつあった。差出人は・・・Kiyoshi,Mitarai!懐かしい友の名に、ちょっと胸が切なくなった。もう、どれくらい会っていないだろう。でも、彼に出会わなかったら、今、自分はここにはいなかっただろう。震える手で、彼のメールをクリックした。
高校時代、自分は水泳の選手だった。毎日、朝も放課後も、水泳漬けの毎日だった。人一倍練習し、恋も勉強もそっちのけだった。それにもかかわらず、タイムはあまり伸びなかった。中学時代は全国大会に出場したこともあり、高校もそれを認められて、推薦で入っていた。だんだんと辛くなり、それでも高校だけはなんとか卒業したが、大学はどこも推薦されなかった。
就職をする気にもなれず、ふらふらとバイト生活を送っていたが、それでも人生これで終わるのは嫌だった。なにか、一発逆転して、周りを見返してやりたい。そうだ!俳優になってやろう!それも、日本のちゃちな俳優なんかじゃない、ハリウッドの大スターだ!でも、どうすればなれるんだろう?英語はからっきし駄目だ。アジア系がスターになるためには・・・。そうだ、アクションだ!ショー・コスギやジャッキー・チェンのような、アクションスターになればいい!
手始めに、JAC(ジャパンアクションクラブ)のオーディションを受けた。皮肉にも、学生時代の水泳の経験を買われてか、一発で合格した。そこまではトントン拍子だったが、それでスターへの道が開かれたわけではなかった。レッスンとバイトの日々・・・。なかなか、その先のチャンスは巡ってこなかった。それでも、低迷しながらも水泳の練習を続けた根性の日々のおかげか、黙々とレッスンと体力作りを続けた。ある日、テレビの子供番組の、戦隊シリーズのスーツアクターの仕事が舞い込んだ。顔は出ないが、それなりにJACの仕事の中では花形だ。1年間、がんばって続けた。細かいけがなど、しょっちゅうだった。爆薬の熱さ、冬の最中水に飛び込む冷たさ、そんなものにも耐えなければならなかった。しかし、それなりに仕事は充実していて、安定した収入もあり、なんだかこのままスーツアクターでも良いような気がしてきていた。
その次の年度、また戦隊シリーズのスーツアクターを続けさせてもらえるつもりでいたが、事務所から次の戦隊シリーズには出なくてもいいからと言われて、目の前が暗くなった。「その代わり、次は仮面ライダーをやってもらう。」と言われて、今度は目の前がぱあーっと明るくなった。仮面ライダー!子供の頃、さんざん憧れていたヒーローだ!信じられないと思った。スーツアクターとして一番の花形の仕事に満足し、いつしかハリウッドスターになる夢など、忘れてしまっていた。
スーツアクターが、一番辛いのは夏の暑さだろう。灼熱の太陽の下で、全身スーツに包まれなければならない。ちょうどお盆の8月半ばのことだった。その日は時々撮影に訪れる、三浦半島の先の、長浜という海岸の岩場に来ていた。
お盆だと言うのに、海はそれなりに海水浴客が来ていた。岩場の方にもキャンプをはっているファミリーが何組かいた。仮面ライダーのスーツを着て現れると、興味津々の子供達が周りに集まってきて、撮影を見学していた。いつものことだ。撮影が一段落して、休憩に入った。少し離れた岩場に行ってこしかけ、頭だけはずしてぐったりしていた。その日はことのほか日差しが強く、スーツの中はすでに汗でぐっしょりだった。子供達は、スーツの中身がいつもの仮面ライダーのお兄さんではないので、声を掛けてくることもなく、ちらっと見ては不思議そうな顔をしてどこかへ行ってしまう。これも、いつものことだった。
ふと、近くの岩場を見ると、なんだかアラブ系のひげを生やした毛深い集団が、楽しそうに聞いたこともない言語で会話していた。海水パンツ姿の彼らの中に一人だけ、黒いズボンをひざまでたくし上げて、季節はずれの長袖の白いワイシャツを着たひょろ長い日本人が混じっていた。彼らの言語を流暢に喋り、時々大きな笑いが起きていた。何語なのだろうと思いながらも、感心しながら見ていた。
すると、にわかに彼らが騒ぎ出した。なにやら、沖の方を指差して叫んでいる。アラブ系の一人が飛び込んだが、それを見ていた例の日本人が、あわてた様子で岩場を降りていった。何が起こったのかと思い、彼らのいた岩場まで行って下を覗いた。
さっき飛び込んだアラブの若者が、鼻筋から血を大量に流してうめいていた。どうやら、飛び込んだ際に岩で鼻を打ったらしい。日本人が抱きかかえて、他のアラブ人たち2人が心配そうに覗き込んでいる。日本人が彼らに向かって、例の言語で必死に叫んでいたが、急にこっちを見上げた。
「おい、こいつら、泳げないんだ!!こいつらの仲間が沖で溺れている。助けてくれないか!」
見ると、沖でもがいている一人のアラブ人がいた。周りには波打ち際に子供が数人いるだけだ。迷っている暇はない!急いで岩場を降りて、沖に向かって無我夢中で泳ぎ出した。
スーツの中まで水が入り、すぐに重たくなった。それでも必死で泳いだ。程なく溺れているアラブ人のところまで泳ぎ着くと、人命救助の手順を思い起こして、いったんもがいてつかみかかろうとしてくる彼を波に沈めた。そして、後ろから首元を抱えるようにして、横泳ぎで岸へ戻った。
撮影クルーが何人か、心配げに駆け寄ってきた。スーツを濡らしてしかられるかと思ったが、誰も文句を言わなかった。アラブ人は足がつっただけのようで、岸に着く頃には意識もはっきりしていて、断然平気な顔をしていた。鼻を打ったアラブ人も、案外軽いけがのようで、撮影クルーが持ってきた救急箱で、治療は充分のようだった。
ほっとして岩場にへたり込んでいると、さっきの日本人が寄ってきた。
「ありがとう。」と言って手を差し出してきたので、自然と彼の手を握って握手した。
「そんな格好で、ずいぶんはやく泳げるんだね。水泳は得意なのかい?」
水泳は得意・・・、そうだな、と思って、笑い返した。水泳のことなんて、思い出したくもないと思っていたが、その日はなんだかそれが誇らしいように思えた。日本人は、なんだか不思議そうに仮面ライダーのスーツを、なめまわすように見ていた。
「それにしても、その格好はずいぶんと変わっているね。何の格好なんだい?ハロウィーンにはまだ早いよね?」
自分とそんなに年も違わないように見える彼が、仮面ライダーを知らないのは意外だった。
「これはね、仮面ライダーっていうんだ。子供向けのヒーローだよ。」
「へー、ヒーロー!ヒーローが人を助けたのか。こりゃあ、いい!」
彼は感心したように、何度もうなずいた。
「彼らは、何人なんだ?君はひょっとして、ずっと外国で暮らしていたのか?」
「彼らは日本に出稼ぎにしているイラン人さ。ちょっと、京浜急行の中で出会ったから、仲良くなって一緒にここまで遊びに来たんだよ。」
「へー、イラン人か。でも、何語でしゃべっていたんだ?英語には聴こえなかったけど・・・。」
「ペルシャ語だよ。」
「ペルシャ語がしゃべれるのか?やっぱりそっちの方で、暮らしていたのか?」
「うーん、どうだったかなあ・・・。」
彼はあいまいな笑みを浮かべている。
「君は、子供達のヒーローになるのが、夢だったのかい?」
彼はキラキラした目で、問い掛けてきた。
「いや、僕の夢は・・・。」
ふと、いろんなことが頭の中を駆け巡った。そういえば、自分の夢は・・・。
「ハリウッドで、アクションスターになることだ。」
思い出したように、口からその言葉が飛び出した。
「へー、ハリウッドスター!すごいじゃないか!いつ、アメリカへ行くんだい?」
「アメリカ?」
「アメリカへ行かなけりゃ、ハリウッドスターにはなれないだろう?」
彼は不思議そうな顔をしてそう言った。
「そう、だね。・・・この仕事が終わったら。」
そう、この仕事が終わったら。アメリカへ行こう。自分の夢を、叶えに行こう。
「そのスーツ・・・。」
彼は遠慮がちに言った。
「僕も着てみてもいいかな?」
「ははっ、こんな、ぐしょぐしょのスーツなんか、着られないだろう?いいよ、どうせ撮影は明日まで延期だろう。乾くか、代わりのスーツがきたら、着させてあげるよ。」
そう言ってあげると、彼は、嬉しそうに笑った。すでに傾きかけた夕日が、オレンジ色に海をきらめかせて異様にきれいだった。
それから仮面ライダーとしての1年間を終え、自分はアメリカに旅立った。言葉も何もわからないはずなのに、不思議と不安はなかった。エージェントと契約し、英語学校に通いながらアルバイトをし、貰える仕事は何でもやった。JACにいたころの殺陣の経験を生かして、中国系アメリカ人と組んで、剣道ショーなんかもやった。
ある日、ニュージャージーの桜花見祭りで、剣道のデモンストレーションをやってくれとエージェントから連絡を受けて、相棒と一緒に行った。舞い散る桜の中、いつものように面白おかしく、コメディショーのように剣道をしていると、「Hey,MASKED RIDER!」と、声を掛けられた。
「キヨシ!」
思わず、ショーなどそっちのけで、彼の元に駆け寄った。
「元気か?」
「どうしたんだ、キヨシ、旅行か何かか?」
彼は小さな黒いトランク一つ持って、黒いスーツに白いシャツを着てすっと立っていた。
「いや、急に君のことを思い出してね。どうしているか、見に来たくなったのさ。」
見に来たくなったって・・・。
「がんばっているみたいじゃないか。安心したよ。JACに聞いたらニューヨークへ行ったって言うから、ついに夢に向かって歩き始めたんだと思ってね。いても立ってもいられなくなって、気が付いたら飛行機の中だったよ。」
相棒が、一人でどうしたらいいのかわからなくなって、呼びにきた。
「ごめん、ショーの邪魔をしてしまったようだね。」
「ああ、終わるまで待っていてくれ、何日かこっちにいられるんだろ?」
あわててショーの続きを演じなければならなかった。
それから2週間ばかり、キヨシは自分の家に居候していた。仕事もバイトもオフの日は、セントラルパーク横のメトロポリタンミュージアムへ行ったりした。ミレーやゴッホの絵を見て、ミュージアムの中のおいしいワインと料理を出すレストランで食事をした。自分が仕事でいない日は、キヨシは一人でどこへでも行っているようだった。キヨシは自分よりもよっぽど英語が達者だったので、何も心配することはなかった。
きっちり2週間たった日、急にキヨシは日本に帰ると言い出した。
「そうだね、そろそろ休暇も終わりなのかい?」と聞くと、
「いや、僕の相棒がね、そろそろ寂しがっている頃じゃないかと思ってね。」と言った。
日本の連絡先を残して、小さなトランクを持ち、キヨシはアパートメントを出て行った。ケネディ空港まで送ろうかと言ったが、「いいよ、見送られるのは好きじゃない。」と言った。
キヨシが日本へ帰ってから、しばらくは寂しい思いをした。何より、日本語を話せる友人が少なすぎた。嫌でも英語を覚えていったが、こちらに来てから全然感じていなかった日本への郷愁心がわくことになってしまった。帰りたいような気持ちもしたが、キヨシは絶対にそんなこと望まないと思って、がんばった。そして、いつしか自分は、いっぱしのニューヨーカーになっていった。
あれから、何年たったのだろう?時々、年に1回くらい、手紙のやり取りはしていた。いつしかそれは、Eメールに代わった。それでも、ずいぶん久しぶりのメールだ。どきどきしながら、パソコンの画面を読んだ。
『元気か?この間、といっても去年の夏ごろだけどね、うちの近所でおもしろいものに遭遇したんだ。あの、仮面ライダーの撮影クルーだよ。もう、君が仮面ライダーをやっていた頃のスタッフはいなかったかもしれないが、君の後輩がけがをしたらしくてね、大変なことになっていたよ。その時の仮面ライダーは、緑色で、カミキリムシみたいな顔をしていた。変身する若者も金髪で、大阪弁を喋る楽しい若者だった。なんだか、君のことを思い出して懐かしくって、ついついなれなれしく話しかけてしまったんだよ。あれから僕も、仮面ライダーについて少し勉強してね、君がすごい仕事をしていたんだなって、感心したよ。今でも夢を追いかけているかい?たとえかなわなかったとしても、君は後悔なんかしていないはずだ。何もしないであきらめる方が、ずっと後悔は深いものなのだからね。君は勇気をもって、世界に飛び出した。僕は君がアメリカへ渡った時、とても嬉しいと思った。君と知り合えた事を誇りに思うよ。そうそう、また最近、新しい仮面ライダーが始まったみたいだ。今度のは、カミキリムシより、もっと変なライダーだよ。そのうち、写真を送ってあげるよ。いや、日本のホームページでも検索したほうが速いかな?それじゃあ。誕生日、おめでとう。』
なんだか、知らず知らずのうちに、涙があふれていた。確かに、これからアクションスターになることは難しいだろう。でも、後悔なんかしていない。スーツアクターをしていた頃も、アメリカに渡ってからのことも、思いかえせばとても楽しかった。良き友人達にも恵まれていた。夢がかなわなくても、やるだけのことはやったのだ、後悔なんかない。そして、今、自分は幸せだ。何より、そう自分で思えることが、幸せなのだ。
ひとつひとつ、自分の誕生日に届いたメールを開いていった。
ひとつひとつ、幸せを噛み締めながら、読んでいった。
END
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