救いについて

まず、初めに厳しいことを言っておかなければなりません。それは、救いとは人を救えるようになった時、達成されるということです。そしてその状態というのは神と一つになるということです。これは、新(ネオ)プラトニズムでは「一者(一なる者)との合一」と言ったり、スコラ哲学では「divine likeness(神の類似)の達成」、日本では「神人合一」と言ったりします。つまり、救いとは神であり、人を救えるようになった時、初めて自分が救われるのです。このことを念頭に置いて以下の文章を読むかどうかを決めて下さい。

まず、神になるには、「真理のためなら、自分はどうなってもいい」という決意が必要です。そして次に必要なのが、自己分析です。なぜ、自分が今こういう性格になっているのかを徹底的に調査します。もし、矛盾や誤りが見つかればそれを消していかなければなりません。

結論を言うと神になるということはイエス様と同じ生き方をするということになります。それゆえ、新約聖書で言われている通り、「自分は十字架にかかりにこの世に来た」と言わなければなりません。これを思うだけでも、今までの苦しみが癒されます。不本意に苦しめられていたのを、本意に変えられるからです。つまり、苦しみが起きた時、「十字架達成!!」と思うことになります。しかし、あくまで、十字架は「不必要なもの」、自ら進んで取りに行くものではないのです。ですから、私は「自然」と「十字架」のこの二つが必要だと言います。そして、十字架が本質、自然が偶有(たまたま有る)です。そして、次の言葉を念頭に置いてください。「十字架は自然を完成させる」「十字架が目的」「有無を問わず十字架」「無意味に神を愛する」「自分のためではなく神様のために生きていきます」という言葉を社会の中で実践しなければなりません。

次に、神の状態になると幻聴や幻覚が見えてきたりします。それは、自分の心、つまり魂が霊的に最高度に上がったからです。この時、神を認めたくない人たちからの攻撃を受けることがあります。この時、混乱させられて、堕ちてしまうことがあります。こうならないために、新約聖書でも、旧約聖書でも、述べられていることがあなたを助けます。それが、「心を尽くして、精神を尽くして、力を尽くして、あなたの神である、主を愛しなさい」という言葉です。混乱に対しては心を尽くすことで冷静になれ、また、解決策を考えることができます。幻聴や幻覚にしてもそうです。

基本的に、新約聖書で言われている通り、律法(つまり、旧約聖書での掟)は一点一角も滅びることはありません。自然が無駄を作らないように神様は無駄なことはなさいません。そして、こうも言われています。「律法を軽んじる者は天では最も小さいものと呼ばれ、律法を守り、また、守るように教える者は天で偉大な者と呼ばれます」と。そして、律法は次の二つの掟に基づいています。つまり、「心を尽くして、精神を尽くして、力を尽くして、あなたの神である、主を愛しなさい」と「隣人をあなた自身のように愛しなさい」という掟です。これをとにかく完璧に守れば神です。心を尽くせば、律法の解釈も正しくできます。よく、肉の問題が提起されますが、これは、その当時、豚肉を避けるように言われていたのは、感染症を防ぐために主が命じられたことだとわかるでしょう。こう判断できるのは聖霊様のおかげです。最後にそれが正しいかどうかを決めるのは、自分の中に受け入れた聖霊様なのです。

最後に、また厳しいことを言わなければなりません。それは、犠牲にしなければならないことがたくさんあるからです。自分の命や家族などがそうです。別に、自殺をしなさいとか家族と縁を切れと言っているのではありません。ただ、真理と接触した時に、真理のために、犠牲にしなければならないことがあると言いたいだけです。ここまでの勇気があるか、また、それを実行することができるかは、本人の覚悟や決意で決まります。ただ、真理のために家族を犠牲にしても、結局は家族を救うことができる状態になります。あとは、心を尽くして、イエス様の言われたことを実践していけばいいだけです。神を認めない者がいても大丈夫です。真理は壊れることはありません。真理を完全に持った心は不動の心です。だから、心を尽くしていれば、議論でも負けることはないでしょう。