この国の社会システムを知らないがゆえにたくさんの悲劇が起きている。ここでは、哲学的観点からこの国を分析してみたいと思う。
まず、この国は資本主義国家である。資本主義というのは、利益を求めていく社会だ。資本というのはお金を意味している。だから、お金を求めている社会と言い換えてもいい。
さて、この国のシステムがお金を求めていることから起きる悲劇について説明したいと思う。
まず、会社が利益を上げるのに最も効率がいいのは、労働者を酷使することである。労働者に密度の濃い仕事をさせればそれだけ会社の利益は上がる。また、密度は変わらなくても、長時間働かせれば、それだけ利益は上がる。そして、労働者に払う賃金(給料)を低くすればそれだけ、人件費(費用)が削減できる。このことによっても、会社は利益を上げることができる。また、給料を固定にし、労働者を酷使すれば、それだけ会社は費用を削減でき、利益を上げることができる。
さあ、ここまでの説明で分かることは、常に労働者は不利に働かされるということである。失敗が許されないなどのプレッシャーがかかるのも、会社が利益を求めているからだ。さらに、国は労働者にちゃんと残業代を払いなさいと言っているにもかかわらず、相変わらず、サービス残業というものが存在する。とにかく、会社が利益を求めるのであれば、労働者からその労働力を搾れるだけ搾るのが妥当だ。
しかし、このことによって、様々な問題が発生する。まず、労働者の疲労である。これは人生の休みまで、仕事のためにささげなければいけないことを意味する。さらに、人生の休みで疲労が回復しないなら、疲れはどんどん貯まっていくことになる。すると、その労働者は無気力になり、会社では、お荷物になってしまう。こうして、会社はそのお荷物をおろしたいがゆえに、退職に追い込むということが出てくる。こうして、自主退職なり、会社都合退職なりさせられて、世の中に失望し、うつ病になるケースがたくさんある。ここからが、さらなる問題に発展する。例えば、その労働者が結婚して、家庭を持っている場合、失業させられたことにより、一気に収入が無くなる。これは、家庭においてはピンチである。もし、子供がいれば、そのピンチの度合いは計り知れない。さらに、例えば、夫が会社に搾りとられ、疲労により、うつ病になった場合、その家庭は、夫のうつ病と収入の無さが重くのしかかる。これは、家庭崩壊の引き金になる可能性を多分に持っている。妻がこういう世の中のシステムを知っており、夫が搾り取られたという事実を知っていればまだいいが、知らずに、怠けているだとか夫を責める場合、これは、離婚の危機である。また、子供がいれば、子供にまでその危機は及ぶ。
これが、一つの悲劇である。しかし、これで終わりではなく、まだ悲劇はある。
日本は義務教育の中で、他人に迷惑をかけないように教え込まれる。これは、学校が正常に機能するための学校の要求である。こうして、真面目な人は当然これを善しとして受け入れることになるのだが、これが、大人になった時に大きく障害になってしまう。これが、第二の悲劇である。これが、どういうことか説明しよう。
まず、生きていくためにはお金が必要で、当然、真面目な人も、そうでない人も大人になれば働くことになる。一部、ずっと親の世話になるという選択肢もあるが、こういうケースは少ないとみていい。いつかは親もいなくなる可能性があるし、社会に出なければいい出会いにも巡り会えない。人生の楽しみが少ない人生になってしまうからだ。そもそも、それを許す親は少ない。そのため、大半のひとは世の中に出て働くことになる。
ここで問題なのは、真面目な人が日本の義務教育で培った、道徳心である。これが、社会に出て会社に入った時に大きな障害になるのだ。というのは、会社は利益を求めており、道徳心には目もくれていない。むしろ、迷惑をかけないという点で、利用しやすい。この利用しやすさを利用して、真面目な人にハードルの高い仕事を押し付けたり、とにかく、うまく、使用者が真面目な人を利用するのである。真面目な人は、自分の考えをしっかり持っており、そんなこと…と思うが、会社の上下関係上、とにかく、従うしかない。これが、よく言われる「自分を殺して働く」ということになる。これが、精神的苦痛(ストレス)につながり、これまた、うつ病等の心の病につながってくる。
また、会社には会社の方針があり、理念がある。それが、自分の価値観と合えばいいが、そうでない場合、その考え方を上から押し付けられ、上司と合わないということになれば、精神的苦痛は募るばかりだ。もし、クビになりたくないがために、もしくは、精神的苦痛を避けたいがために、道徳心を捨て、会社の考え(利益を求める考え)に従ったとすれば、上司や会社とのいざこざはなくなるが、今度は加害者に回る可能性がある。自分が上司になった時、同じように後から入ってきた者に会社の考えを強要するだろう。これは、オカルト宗教とよく似ている。とにかく、会社が利益のために上から下へと洗脳していくのである。もちろん、宗教と違って、会社の場合、辞めればその考え方ともおさらばできるが、少なくとも会社に入って、自分の考えを捨てた場合はその洗脳された状態が続く。もちろん洗脳された状態が必ずしも悪いということにはならない。いい考え(何をもっていいとするかは別であるが)を洗脳されればそれだけいいことをするだろうからだ。しかし、普通、他人の考えを曲げてまで考えを押し付けるのはたとえそれがいい考えだとしてもやはり、それは、他人を認めていないのであり、人権の考え方からしてもよくない。本人が納得して、その考えを受け入れるようにするのがベストだ。もちろん、嫌なら、それも許してやらなければ公平性は保てない。
これが、第二の悲劇である。
さて、これから説明するのが最もひどい悲劇である。
ものごとを根本から考えていくと、ある一つの真理にたどり着く。それは人間はみな「幸せ」を求めているということである。会社の利益=みんなの幸せになればいいがそんなことにはなっていない。お金は生きるために必要なものであって、幸せとは無関係にあるからだ。お金をもらって幸せになるというのは、これからも生きていけると感じるからだ。また、多くのお金をもらって、幸せと感じるのは、いい生活ができると感じるからだ。しかし、このいい生活というのは慣れてしまうと幸福感を感じられなくなってしまう。もし、幸福感を感じたいのであれば、自分よりみじめな生活をしている人を見下し、優越感に浸るしかない。しかし、これも、さもしい生き方だ。とても、尊敬できる生き方とは言えないであろう。なぜなら、みじめな生き方をしている人を救う方が人々に賞賛されるからだ。また、多くのお金をもらっても、上で述べたように、労働者は会社のために酷使される。これでは幸せになれない。そもそもの「考え方」をこの社会が根本から変えない限り誰も幸せにはなれない。
これが、最もひどい悲劇である。
さあ、ではどうすればみんな幸せになれるのか。それは、国がお金よりも幸福を優先させることである。これを実行している国があるではないか!ブータン王国がそれである。
まあ、いろんな問題があってブータンみたいになれないのだろう。
そこまで、根本から変えなくてもまだ救いはある。同じ資本主義であるアメリカの働き方をまねればいい。アメリカでは残業はせず、定時にみんな帰るのだそうだ。そして、考え方が日本と違い、日本は家庭よりも仕事を優先させられる(特に男は)が、アメリカでは仕事より家庭を優先させている。おそらく、そういう考え方があるのは、家庭があってこそ社会、あるいは国家が成り立つと考えているからだろう。これは、アリストテレスの『政治学』の最初にも出てくる。しかし、これが、逆だとなると、家庭が無くなっていく社会になってしまう。だから、今起きている、少子化だったり、晩婚化であったり、というのが話題になっている。
最後に、日本の若者は団結して、この世の中のシステムを変えて行くべきだと思うのだが、そう思うのは、私だけだろうか。