Mari Sano 佐野まり

Danza Charango 踊るチャランゴ / Cantautora 作詞・作曲 / Photografer 写真 / KENDO 剣道

愛知県瀬戸市出身。メキシコ、アルゼンチン、スペイン、日本各地で生活。1998年よりブエノスアイレス在住。報道、写真、剣道に携わりアマゾンインコ(キボウシインコ)マリオと共に活動中。

MUSIC 音楽) 民族楽器チャランゴを中心に、ソプラノリコーダー、オカリナ、パーカッションで共演。アルバム2作品「1番後ろから」(1996), 「パルケラティーノ」(1999) を制作。独自の演奏スタイル「Danza Charango 踊るチャランゴ」でソリストとして音楽祭や様々な記念式典に出演。様々なコミュニティー、ジャンルの共演「Amistad Musical 音楽の輪」公演をプロデュース、ブエノスアイレスの文化施設や劇場で毎年開催、好評を得て2007年ブエノスアイレス文化庁より日本とアルゼンチンの友好の舞台として後援が承認される。新しいチャランゴにおけるアプローチとしてドキュメンタリー映画やダンスカンパニー、芝居などで楽曲が使用され、現地の音楽祭では日本出身のアルゼンチンのアーティストとして紹介されている。

Photografy 写真) アルゼンチンの新聞社フォトグラファー Sandra Cartasso, サンマルティン劇場舞台撮影フォトグラファー Carlos Furman に師事、現地の写真コンテストに入賞、他ブエノスアイレス文化保存協会に作品が所蔵され、作家 Luiz Sniberg 氏の著作品に使用される。バレエの舞台撮影や、喜劇女優のポスターを担当、ガラス細工アーティストの作品撮影など主に芸術関係の撮影に携わる。2003年より公演と共に写真展を開催、2005年には愛地球博会場で行われた公演と共にアルゼンチン大使館後援により写真展「地球を巡る風にのって」を瀬戸市文化施設パルティせとで開催。他、報道写真を随時、日本のメディアに記事と共に配信中。

Radio ラジオ) 2000年より新潟の放送局・角田山放送にてアルゼンチンから毎週コラムを配信(コーナー「コンビエント」2005年終了)他、NHKの海外リポートとしてアルゼンチン夏の音楽祭を取材、2004年よりインターネット放送局AMPAIRAにて2ヶ国語同時通訳での文化情報番組「Jardin Colibri はちどりの庭」を担当、好評を得て世界のラジオ情報誌「Radio World」で紹介される。愛知万博に海外報道記者として6ヶ月滞在。アルゼンチンのラジオ専門学校 ETER やテレビ 、映像専門学校 ORT, ISER の実習に協力、ドキュメンタリー制作に参加。只今、ベネズエラで制作されている広島に関するドキュメンタリー映画に写真と音楽を提供、語学面でのサポートを行っている。

日本文化交流 KENDO 剣道、ORIGAMI 折り紙) 剣道名門校、桐蔭学園高等学校、東京女子体育大学で剣道部に所属、高校部活動などのコーチを務め、スペインの剣道に参加、2006年よりアルゼンチンで文化交流における剣道基礎セミナーを開催、好評を経て舞台製作のための俳優への剣術指導などを担当する。現在、日本語指導と共に剣道の基礎クラスを現地の小劇場2箇所にて担当。他、アルゼンチン北部ウマワカの子供文化祭タンタナクイにて2年間、子供達に折り紙を指導。

音楽試聴、ダウンロード  http://www.myspace.com/marisano

映像・国営放送canal 7 Cultura Cero etc  http://www.youtube.com/marisano

現在(2007年最新情報)

新しいアルバム Amistad Musical を4月より制作中 

詳細 http://www.myspace.com/amistadmusical


1. チャランゴ物語 − 幼少の体験、活動と制作の原点

 

 1972-1976年、4歳から8歳までをメキシコ、1978−83年、9歳から14歳までをアルゼンチン・ブエノスアイレスで生活。 アルゼンチン滞在時、ボリビアの音楽教師ノラ=ヒル女史が日本人学校を訪問、生徒150人余りが彼女よりチャランゴ、ギターを通じてフォルクローレを学んだ。10歳よりテクニック以上に現地のリズムに忠実な「エッセンス」を中心とした指導を受け、南米の息吹を深く心に刻む。「分ち合うこと」を大切にする彼女の方針で、11歳より地方公演やラジオ局での演奏など様々な舞台を体験する。日本人100人余りが集団で演奏するチャランゴ演奏は大いに注目を集め、多くのテレビ、新聞などのメディアが取材。子供達はチャランゴの巨匠ハイメトーレス氏と親交を深め、巨匠の演奏を身近に体感する中で独学で演奏技術を高めていった。当時アルゼンチンは軍事政権下にあり、日本では体感できない多くの厳しい社会背景など、現地の子供達との交流から心に刻む。作品にはそういった体験の数々が節々に反映されている。帰国後は日本の学校生活に馴染めず孤立。暫くチャランゴを封鎖、長い海外生活で欠けた日本の感性、心を学ぶために剣道に専念。桐蔭学園剣道部に在籍、体育教師を志し東京女子体育短期大学へ。卒業後はスペイン、マドリッドの剣道に参加する。 


2. 青空工房物語 − 日本全国への旅のはじまり

高校時代より剣道と学業の合間に音楽活動を展開、ロックバンドでベースを担当。卒業後アコースティックギターで作詞・作曲を始め、デモーテープがレコード会社オーディションに通過したことから、シンガーソングライターとして、1990年よりライブハウスでアコースティックギターとキーボードでの弾き語りによるライブ活動を始めた。担当のディレクターがアメリカに渡ったことから契約には至らず、独自の活動を全国のライブハウスにて展開。活動が広がっていく中で1996年、音楽ライター松田博仁氏と出会い、共同プロデュースでファーストアルバム「1番後ろから」を制作。インディーズレーベル青空工房を発足。アルバム発売記念ツアーとして北海道から沖縄に至る54箇所に渡る日本全国の街で演奏を行った。オカリナ奏者白井進、パーカッション海沼正利、ギター中村知裕、サックス保坂尚、強力なミュージシャンが参加。アルバムジャケットははせがわゆうじ氏のイラスト提供により、全国でのライブ活動と共に好評を得て、多くのラジオ局、新聞、タウン情報誌が取材。97年アルバムの挿入歌「ピエロ」がMPA(音楽出版社協会)オリジナルソングコンテストで作詞・作曲における特別賞受賞。この頃からライブ活動にチャランゴを取り入れ、演奏を重ねる度に現地への思いが高まっていった。


3. ボリビア物語 − チャランゴと共に南米でのはじまり

1998年、15年ぶりにアルゼンチンへ。幼少生活したアルゼンチン以前に恩師の出身地、チャランゴの本場ボリビアを訪ねることが目的。恩師と共に巨匠ハイメトーレス氏を訪ね氏の前で演奏。「非常にオリジナル」と評価を受け、氏の紹介でボリビアの音楽家ペペムリージョ氏を訪ねる。陸路で7日間かけてのハードな旅で現地の景色と風土を体感、ラパスに到着にして、名門ペーニャ・マルカタンボで演奏。人気グループカラマルカなど多くの音楽家と交流。帰国後は現地での体験を元にチャランゴを中心とした楽曲を制作して 再び全国ツアー行い、アルゼンチンとボリビアでの体験を新曲と共に紹介。音楽雑誌Playerやタウン情報誌などが「異色の吟遊詩人」と紹介。 


4. ブエノスアイレス物語 − アルゼンチンでの音楽交流のはじまり

1999年、再びアルゼンチンに渡り、パーカッションを学ぶ。多くの音楽家と出会い意気投合。ブエノスアイレスにてレコーディングを実施。パーカッション Fabian Tejada (現Kamarcoのディレクター)フルート、ケーナ Marcelo Jeremias(現スペインマラガのオーケストラ所属)ベース Luis castillo、日本的なリズムを持ったインストゥルメンタルの楽曲は帰国後、パーカッショニスト渡辺亮氏と共に制作。再びはせがわゆうじ氏のイラスト提供により2ndアルバム「Parque Latino パルケラティーノ」が完成。挿入歌「風にのって」が99年、再びMPAオリジナルソングコンテストで特別賞を受賞。アルバムの発売記念として3度目の全国ツアーを行い、154箇所に渡る街での演奏に至る。2000年、アルバムを手に再びアルゼンチンへ。個性的なフォルクローレ として現地の多くのラジオ局で紹介され、ブエノスアイレス市内のレコード店で発売に至った。 


5. ブエノスアイレス音楽交流 ー Amistad Musical 舞台プロデュースのはじまり

演奏と芝居を融合させた話題のロックバンドPasado Violentoのサポート、ガリシア系のケルト音楽グループAXOUXERESのゲストなどブエノスアイレスで多くの共演の機会と舞台を重ね、2001年、彼等と共に本格的な舞台「Amistad Musical 音楽の輪」公演を制作、発表。新鮮な舞台と好評を得て La Nacion 新聞、雑誌 Ciudad Abierta が取材。「国境のない音楽家」と大きく紹介される。彼等との活動が深まっていく中で、2001年に拠点を本格的にアルゼンチンに移すことを決意する。

 

 


6. フェスティバルへの参加 ー 踊るチャランゴ Danza Charango のはじまり  

2000年、南米最大のフォルクローレ祭典コスキンフェスティバルを訪れ、多くのペーニャで演奏。ソリストとして徐々に演奏に動きを取り入れ、バレエの巨匠Liliana Belfiore女史に師事、振付を学ぶ。2001年ブエノスアイレス・マタンサ地区のプレコスキン予選ソリスト部門で優勝。フェスティバル本舞台での演奏のために「Danza Charango 踊るチャランゴ」を制作。メキシコで幼少に見た「鹿の踊り」を土台にアルゼンチンにて幼少ハイメトーレス氏の手を見て感じた「はちどり」、はちどりの一生を踊りながらチャランゴを演奏することで表現。

2002年、プレコスキン新人選抜本選の大舞台で発表、審査員、地区責任者を驚かせた。2003年、再び「踊るチャランゴ」を発表するために予選に参加、奇抜な演奏スタイルに審査員の反応は様々。各地の審査に参加を重ねサンタテレシータ地区で優勝。本選では最高得点を獲得するも複数に渡る予選参加は禁じられており失格となる。(翌年から複数参加が認められる) 演奏の反響からコスキン協会本部のステージにて「踊るチャランゴ」のフル紹介に至った。同じくコスキン音楽祭に並ぶバラデーロ音楽祭の予選にも出場、ラプラタ地区の代表として本選舞台で演奏。再びエフェクトの多用で失格となるが、メディアと観客の好評を得て、翌年、正式に招待を受け本舞台で演奏。トリ 人気歌手 Chaqueno Palavesino の直前に出演、5000人の観衆を前に「踊るチャランゴ」を紹介。現地トップ大衆紙Clarin紙が取材、「最も興味深い瞬間、フォルクローレのロリーアンダーソンlink clarin)」と紹介。雑誌TXTもこの模様を大きく取り上げ、雑誌Hecho en Buenos Aires が「アニメよりも珍しい」と特集を組んだ。ブエノスアイレスのロックフェスティバルAguante Buenos Airesに入選、ロックチャランゴ奏者としてセミファイナリストとなる。 他、Tandil, City Bell , Mar del Plata など数多くのフォルクローレフェスティバルにて「踊るチャランゴ」で表彰。フェスティバルでの実績を評価され、2003年よりブエノスアイレスの由緒ある文化施設 レコレタ美術館、Cooperacion文化センターなどでの演奏の機会を得る。 

2004年「踊るチャランゴ」を煮詰めるために幼少過ごしたダンスの原点メキシコへ。現地の国立舞踊学校で幼少メキシコで見た「鹿の踊り」を学ぶ。現地ではロックバンドIntermedio などと交流、共演。


7. 音楽の輪 Amistad Musical 物語 

1999年よりガリシアのケルトグループAXOUXERESと共に活動。フォルクローレフェスティバルにバグパイプなどケルトのエッセンスを含めた新しいアレンジで出演、表彰を受ける。幅広い場所での演奏で注目を集め文化庁発行の雑誌 Ciudad Abierta が紹介。その後2004年よりケルト、アンデス、東洋のミクスチャーによる新しいトリオによるグループを結成。アストゥリアスのバグパイプ奏者 Diego Tuero, ケーナ奏者 Henry Vilca Yupanqui との共演と共に活動。2004年、ブエノスアイレス文化庁が主催するBares Notables の音楽家に選抜され国営テレビCanal の文化情報番組 Curtura Cero (LINK youtube)が取材。 他、様々な音楽家と数多くの公演を実施、好評を得る。2006年、アルゼンチン文化庁より日本とアルゼンチンにおける文化交流事業としての公演として後援を受ける。

公演のエッセンスを踏まえたラジオ番組「はちどりの庭」を制作。インターネット放送局AMPAIRAで放送。他、新潟の放送局角田山放送に週1度コラムを配信、自身の番組と共に新潟とアルゼンチンを結び放送を通じて交流。 Pagina12新聞のSandra Cartassoに報道写真を学び、撮影を本格的に始める。2003年より公演と写真展を同時に開催、作品は数多くのコンテストに入賞、現地出版の本等でも使用され。写真を徐々に公演に取り入れ舞台美術として、写真と音楽の同時発表を定着させ、公演はインターネット放送を通じて自身の番組より生中継。 


8. 愛地球博 − 国際音楽交流のはじまり 

2005年、アルゼンチンに日本の情報を届ける機会として愛知万博に向けて帰国。海外報道記者として6ヶ月を万博会場にて過ごし、地元とうめい新聞にて連載を担当。その間、アルゼンチン大使館後援で写真展を開催。同時イベントとしてアルゼンチン館にて渡辺亮氏と「友達の日」特別公演を行い好評を得る。アルゼンチン国営放送と自身のラジオ番組、Renacer新聞で万博を報道。他、万博サッカー大会に出場。 メキシコ、アルゼンチン、ポーランド混合チームに参加して優勝。様々な交流と報道は名古屋タイムス、中日新聞が「報道と音楽で人をつなぐ地球人」と紹介。

2006年、元万博会場スタッフのベネズエラ記者が制作するドキュメンタリーHIROSHIMAに参加。楽曲と写真を提供するためにベネズエラ・カラカスに2週間滞在。その間、ベネズエラ日本大使館の推薦で、ベネズエラ交響楽団のゲストでテレサカレーニョ劇場で演奏。「踊るチャランゴ」を紹介。 ベネズエラ国営放送などが活動を取材。一連の模様が撮影されたドキュメンタリーDVD「Chevere Caracas チェベレ・カラカス」が制作され、ブエノスアイレスの日本大使館広報文化センターで紹介、同会場で愛知万博報道展を開催した。

2007年、再びベネズエラ・カラカスへ、日本大使館主催による日本文化週間に出演。ベネズエラの和太鼓奏者エリアサルジャネス氏と共に「踊るチャランゴと音楽の輪」公演を実施。その後、コロンビア・ボゴタへ向かい現地で出会ったアンデス系の音楽家と共に公演を制作、数多くのテレビ局、ラジオ局が紹介。現地の文化紙 EL ESPECTADOR (link diario)が取材。好評を得てベネズエラ、コロンビアでの次の公演が2008年に既に予定されている。  


 受賞歴

 

 

Mari Sano Solo Work / Danza Carango 踊るチャランゴ (ソロパフォーマンス)  

幼少メキシコで見た Danza del Venado鹿の踊り」に影響を受け、チャランゴの演奏にダンスを取り入れ「はちどり」の一生を舞台で表現。バレエの巨匠Liliana Belfore女史に師事。他Jazz, アフロなど多くのダンスを学び、クラッシクバレエをベースにコンテンポラリーダンスとしての舞台を制作。楽曲は全てオリジナルのインストゥルメンタル。街、海、森と旅をするように次々と場面が展開され、舞台美術として自身の撮影した写真をスライド上映、それぞれの場面における効果音と共に演奏する完全なソロパフォーマンス。2002年コスキンの舞台で発表、民族楽器チャランゴの新たな展開として 数多くのフェスティバル、ブエノスアイレス市内の文化施設、レコレタ美術館や劇場で行う自身プロデュースの本公演他、子供病院や福祉施設、記念式典など数多くの機会にゲストとして演奏。公演ではダンサーやパーカッション、写真家、版画家など様々なゲストを迎えて開催されている。 


Horacio Lopez y Mari Sano / Ilucion de los opuestos  (ユニットミュージカル) 

アルゼンチンを代表するパーカッショニストHoracio Lopez氏(現Alfombra Magica, Cuatro Elemento に参加、自身のパーカッションプロジェクト Teres3s を率いる)と制作。踊るチャランゴとラテンパーカッションの共演。Horacio氏のセリフによって導かれる哲学によって芝居のエッセンスを取り入れた即興的な舞台。ブエノスアイレス市内のコペラシオン文化センターで公演 

 


Sano, Tuero, Yupanqui / Amistad Musical 音楽の輪 (トリオ) 

ケルト、アンデス、東洋の音楽的な融合。従兄である名バグパイプ奏者Heviaに学んだアストゥリアス・バグパイプ奏者Diego Tuero, ペルーのケーナ奏者Henry Vilca Yupanquiと制作。オリジナルな楽曲が評価され国営テレビCanal 7の文化情報番組Curtura Ceroで絶賛紹介された。ブエノスアイレス市内の文化センター、レコレタ美術館で公演を行い、2005年ブエノスアイレス文化庁主催するBarets Notablesの公演に選出。 ここではチャランゴだけでなくオカリナ、ソプラノリーコーダー、ドラムを担当。現在メンバーの一人がアフリカに移住したため活動を休止中。


 佐野まり with 渡辺亮 (ユニットミュージカル)

踊るチャランゴとビリンバウ、躍動感溢れるラテンパーカッション日本を代表する パーカッショニスト渡辺亮氏との共演。CDパルケラティーノの制作以来、CD「パルケラティーノ」発売記念他、愛地球博アルゼンチン館にて演奏。ソロ奏者同士のコンビネーションから生まれる即興的な舞台。