『鉄砲水の怖さ』                              石井 岱三

 釣り人なら誰でもが経験しているミニ鉄砲水の様な現象に会ったことがあると思ってい

る。本物の鉄砲水は品が異なっていた。

 古い話しで恐縮ですが、昭和四十一年八月の初旬、越後と南会津の県境にある銀山

湖畔の出来事である。夏の太陽が体に染みこむような熱い日に岩魚と錦鯉を釣るため

に二台の車で出発した。一台の車には鯉釣り用に生のサナギを銅壺缶に満杯に入れ

たものが同乗していた。この臭いが異臭で車内に広がっていた。しかし釣り師達は「この

臭いがあるから釣り気分だ」と平気な顔をしている。車中の談義は大物を釣り上げた王

様のように話しは夢中になっている。

 当時は高速道路などという便利なものはなく旧の国道を走るのみであった。旧道の三

国峠のトンネルは永く道の脇には湧水が川の様に流れている。天井からも雨の様に降っ

ている老朽トンネルであった。越後路は米に産地で田圃の中を夢中で走った記憶のみが

残っている。

 大湯温泉近くを左折すると東京電力がダム工事用に掘った細くて長い素堀のトンネルに

入った。トンネル内の裸電球が不安さを増し走っても走ってもトンネルに車中の釣り師達も

無言となる。三十分ぐらいで湖畔に出ると車中は笑いが戻り、湖畔のダートの道の揺れに

も心地よい反応を示していた。
 
四十分ぐらい走った所で車を止めた。「雨ヶ池」という場所で、その手前に小さな川があっ

た。小川は水量は少なく、幅は四十センチぐらいで深さも十五センチぐらいのごく小さな川

であると思い、安全だと判断してキャンプの準備をした。

 小川の奥は雑木の緑のトンネルで、その奥には急傾斜の山が三重に見えていた。三泊

四日のキャンプ予定のため、まず初めに高台の所にトイレをゴザの壁で設置した。次にテ

ント内に台所の設置等の作業をしている間にラジオで甲子園で行っている高校野球を聞

いていた。この時ラジオは雷性のノイズが入っていたのが気になっていた。準備を進めな

がら会話の中で雷に気をつけなければといっていた。 遅い昼食が終わりポツリポツリと

大粒の雨が顔に当たってきた。間もなくスコールの様な降り方になり約三十分ぐらいで雨

が止んだ。たいしたことがなくて良かったと思いながらテントの張り具合を見て廻っていた

時である。小川は少々土色になったなと思い上流の方を見て驚いた。ボッチャン、ボッチ

ャンという音と同時に高さが二メートル以上もある土色の壁が目の前に迫ってきた。

何かと思って再度小川の上流を見直した。壁は水のかたまりで最上部に丸太が横になつ

てくるくる回りながら流れるのを確認した。思わず大声で「鉄砲水だ」「逃げろ」と怒鳴った。

キャンプ基地に居た人達は高台に飛び乗った。 私は反射的に川岸にあった車に飛び乗

り高い道路に移動した。間一髪セーフとなり、小川を見ると土色をした壁の鉄砲水は容赦

なくテントや準備をした食器。ガスコンロ等をのみ込んで前方の湖水に運んで行った。

茫然と濁流を見ていると食料品が入っている白色の冷蔵庫が軽々と濁流の波に上に乗っ

て行く姿は全てが終わりを示しているように感じた。絶望が頭の中をかけ廻った。

「もうダメ」「帰ろうか」などという単語が言葉のように口から発していた。雨に濡れた衣類

が異常に寒く感じ小さな震えをしているのに気付いた。対岸に逃げた仲間達の無事が確

認出来たのが一時間後であった。全員無事の確認ができ安堵したとも震えも止まってい

た。仲間全員が集まれたときは日が暮れ暗くなりはじめていた。現場が濁流と増水のため

帰ることも難しいと思い、車中で暖を取っていた。声は小さく会話も単純の車内で数時間が

過ぎた。この時、自動車の光が暗夜の中に見えた。光は月の光よりも明るく希望の光の

ように思えた。人が来るのをこんなに喜びと期待をしたことは生涯の中でも経験したことは

なかった。

 ライトの明かりがだんだん増すことに喜びが倍加してくるのが分かった。私達の車の所で

停車したとき「助かる」と心で感じていた。車は工事用のトラックで荷台には工事の人達が

数人乗っていた。運転していた主任さんらいし人が車から降りてきと「近くの販場まで来な

さい」と言われたとき二言返事でトラックの後について走った。各所に濁流が道路を流れて

いるのでトラックの轍の通りに走るのに夢中で付いて行った。飯場に着いたとき体の全て

の力が抜けた様になっていた。

 囲炉裏で暖を取り温かいみそ汁をのみ込んだときは生きている感覚を強くした。

夜中十一時頃には麓にある山小屋に到着して全てが終了したと思えた。

 今日の社会で鉄砲水の事故が社会問題化しているが自然を甘くみることが事故の基に

なっていると考えられる。自然に逆らわずに自然と共に生きることが人間をして大切なので

はないかと私は思っている。

釣行記