バンコクの旅
           小山 友叶
 出発前
 
下水会の旅行も北京、上海、西安、台北、ソウルと続き、今年はバンコクへ行くことになった。毎月

の積み立てが3千円なので足りないから2万4千円追加して6万にしたいと幹事の大野が言って

来た。更に実施間際になって旅行会社の阪急交通社からヒコーキ燃料高騰のため1人当たり2万

円の追加を言ってきた。おやおやだがまあ仕方ない。4月からどこの旅行会社も海外旅行は3万

円以上値上げするするとメディアは報道している。今なら2万で行けると思えば良い。ツアーが

近づいてからタイはどんな所なのだと送られた小雑誌を見ると疫病について『狂犬病』が怖いと

言う。狂犬病になったらどうしようそのことで頭がいっぱいになった。ところがさらに怖い疫病があ

った。蚊が媒介する『デング熱』だ。蚊は強敵だ。夏は何時も畑で蚊に刺されるから蚊は防ぎよう

がない。困ったことになった。急に行くのがかったるくなった。それで歯痛を理由に野口さんと関口

さんにメールで『歯痛が酷いのでキャンセルしたい』と実施の3日前に打電したら野口さんは

『残念だけど体の方が大事だ。』と了解してくれたが関口さんは『まだ2日ある。直して』とそっけ

ない。更に追伸で『経過を聞きたい』とまるで査問だ。もう誤魔化せない。正直に『蚊が怖い』と

告白したら『今は乾期だから蚊は少ない。それに蚊がいるような藪には行かないから』と言いな

がら「何時もそんなことを言うと」呟いたので二人して大笑いになった。これでキャンセルする

理由がなくなった。それでは『蚊対策を考えて参加するよりないか』と思った。

薬局で『蚊の忌避剤』を買い、蚊取り線香も用意した。

 成田山

初日の2月6日、高野の車が迎えに来た。9時に野口宅に集合して成田へ。何時もは高速は混む

ので裏道を行くのだが今日は午後5時のフライトだからたっぷり時間があるので高速で成田山

新勝寺へ行ってみようと言うことになった。小雪の降る新勝寺は前に行った時の記憶が全くない

ほど様変わりしてはるかに重厚になった。総門は去年11月に落成したそうで木の香りがするよ

うに思えた。

 空港

何時も利用するパーキングに車を預けて空港へ行った。カウンターの一番西の隅にある各旅行

会社の受付の手続きに大野、高野ペアが行く。頼りがいのあるマネージャーだ。

大野はショルダーバック首から提げてカウンターで肘をついてやや上目使いに女子スタッフと

交渉する。脇では高野がサポートするいつもの風景だ。驚いたのはこのツアーに他の参加者

はないことだ。『トラピックス』の今回の『バンコクツアー』では何と我らだけだと。野口解説者に

よると「現地に着いて見なければ分からないがたぶん我らだけだろう」とのこと。野口解説者も

情報を解析してくれるから助かる。高野が海外での注意事項と書かれたビラを見つけた。

デング熱、マラリアには蚊を、狂犬病には犬、猫など注意するようにとある。まったくだ。帰国して

空港診療所のご厄介になるようではどうしょうもない。そんなことを考えながら靴消毒のフロアー

を通過した。今年から液体のチェックが増えた。持参したひげ剃り後に付けるヘチマコロンは別

にファスナー付きのビニール袋に入れなければ通らないと。袋は売店で売っているが面倒だか

ら水に流してしまった。大野はこの袋詰めをしなかったので化粧水を取り上げられた。

いつもながらの出国審査だがますます厳しくなる。金属検査では上着を脱ぎ、財布、カメラ、

時計と身につけているものをトレーに入れて搭乗券を係員に見せて、機内持ち込み手荷物を

X線検査の機械の上に載せ、自身は、ボディチェックのために金属探知機のゲートをくぐった。

用心して靴の飾りも取り外したのに探知機が鳴り、ボディチェックするようだった。出国審査カウ

ンターでパスポートと搭乗券を提示し、パスポートに出国印を押してもらい出国審査が終わると、

日本を出国したことになる。

 9時にホテルを出て最初に『涅槃寺』へ行った。タイの象徴の一つである『寝仏』黄金色の

巨大な大仏が肘枕で横になっている。その大きさに圧倒された。全長46メートルではカメラに

全身像はとても収まらない。部分的に写した。百八つの鉢が裏側にあり硬貨を入れる毎に煩

悩を捨てることが出来るという。

 ここを出てチャオプラヤー川を渡船で渡った。川にはホテイアオイが流れる。上流から流れて

きたものだろうが濁っている川水のBODは高いに違いない。川をひっきりなしに上下する

遊覧船でにぎわっている。幅は2百メートルくらいだろうか。対岸に着いて尖塔寺院のワット

・アルンへ行った。高所見物狂の幸吉さんと私は狭い幅の急勾配の石段を登った。

尖塔だけに回廊は狭い。一回りして急勾配の階段を手すりにつかまりながら慎重に降りた。

また川を渡って『王宮』へ行った。見物客がおよそ500人程、四列で並んでいる。この人たち

が王宮への見学客とは知らない我らはズンズン進んでいった。案内人がチケットをもぎる職員

に頼み込んでいる。そして我らに列に入れと云う。そうは云っても衆人環視の中を列に入るな

どという厚かましい行為はやりたくない。かと云って躊躇っていると仲間と離れてしまう。

そうこうする内にもぎり嬢が白人の婦人の腰巻きスタイルが禁忌に該当すると列の外に出して

その腰巻きを外させた。衆人環視の中、後ろ姿だったがエロっぽく前から見てみたいと不埒な

ことを思った。思わぬハプニングに救われて我らは王宮に入ることができた。

 王宮はきらびやかなでカラフルな陶器の破片を張り付けた大理石の尖塔の集まりだった。

『エメラルドの間』は履き物を脱ぎ、脱帽して拝見する。撮影禁止だった。

 ここを出て宝石、シルク、民芸品の免税店に寄った。宝石のショーウインドウを覗いていたら

野口さんが買い物のアドバイスをしてくれた。女房にリングをどうかなと思っていると彼が

「奥さんの誕生月は」と聞く。八月だと云うと店員が八月は『ペリドット』だと云う。

八月のパワーストーンなのだそうだ。「サイズは」と聞かれたので「知らない」と云うと私の小指

に嵌めてみて決めた。たいした金額のものを買える訳ではないが買うならジュエリーがいい。

ジュエリーで烏滸がましければ「パワーストーン」だ。

 午後5時。雨が降って来た。半端ではないスコールだ。免税店を出てタイ料理を賞味しながら

タイ古典舞踊を見物した。出た料理はフライドポテトの甘酢あんかけ、ニンジンとキャベツの野菜

炒め、小ナスのビシソワーズ、麩とシャンツァイとつくねのスープ、等を前にビールで乾杯。

6時からショーが始まった。6人の白装束の男女が奏でる笛、木琴、太鼓に併せてカーテンが

引かれるとおどろおどろしい仮面とケバケバしい衣装の男女四人の劇。歌舞伎みたいなものな

のだろう。そんな劇を6曲1時間も鑑賞した。

2日目は我らだけの行動日だ。幸吉さんが鉄道で「アユタヤ」へ行ってみようと云う。

バンコク駅はタイの表玄関だけに人種の坩堝だ。プラットホームに機関車を待っていると背広

を脱いでいる事務系の人がいる。背広の刺繍に須田とある。それで声をかけた。初めてのタイで

「取材紀行」だと。白人女性と中東系の青年のバックパッカーが我らと同じ列車を待っている。

国歌が流れてきた。国王の肖像画に向かって敬礼する。治安は護られていると思った。

列車が入ってきた。幸いにしてシートを確保出来た。やれやれだと思ったら車両が違うらしい。

それで折角確保したシートを捨てて満員の前車両へ行った。右膨ら脛痛で座らないと汚れた床

に直に座ることになるので弱ったことになったと思った。移動する我らにタイ人が声を掛けた。

高野がキャッチした。どうやら指定車両らしい。指定席なんだ。それを聞いてまた元のシートに

座れた。高野のクリーンヒットだ。座席指定は20バーツだ。80円だ。車両には「東京製」とある

と目敏い高野が指摘した。私には何処にそのメタルがあるのか分からなかった。やがて汽笛一声

動き出した。バンコクはゴミのない市街地で感心していたが一歩郊外にでるとまるでゴミの中を

行くような風景。列車と触れあうほどのトタン屋根。バラック、黒い水、今は乾期だからまだ良い、

雨期になったらどうするのだろう。救われないバラックの子供達。こんなことではタイ産のエビを

料理に利用するのは考えものだ。そんな風景が1時間も続く。この列車は急行なのだ。小さい

駅は止まらない。それでも8駅止まったがプラットホームは枕木だけと云うところが大半だった。

駅とは名ばかり、どこからでも乗れて減速した所で降りて行く。謂わば「キセル」だ。キセルは

切符は買うがここでは切符も買わない。鉄道は道路と同じ公共施設のようだ。着いたアユタヤは

バンコクに次ぐ都市だとあるが駅前に建物がある訳ではなく、シート張りの露店が何やら焼いて

いる店が並んでいるだけ。アユタヤと云えば『山田長政』と日本人町のあったところだ。ゆかりの

あるところなのだがネットで調べた山田長政は軍部の宣伝材料で『でっち上げの人物』であるら

しい。西安の『阿部仲麻呂』とは訳が違う。それで当初山田長政の記念碑を尋ねたいと云う思い

は霧消した。

肩にサソリの入れ墨をした中年の女性が案内するという三輪車の荷台に乗って

『世界遺産のワット・プラ・シー・サンペット』へ行った。彼女は裸足で運転する。

幌の骨にしっかりと掴まってないと振り落とされてしまうというスリルと、排ガスと、土埃たっぷり

のドライブだった。着いた所は世界遺産だけあって観光客が多い。ビルマ軍に破壊された

アユタヤ王朝の寺院は煉瓦の廃墟だった。あっちこっちに犬が寝そべっている。暑いから日陰

に寝ているが気味が悪い。人より威張っている。噛まれて狂犬病になったら大変だ。遠回りして

犬を避ける。纏めて肉にして韓国に売ればいい。

象牧場があり観光客が見物している。立ち寄りたかったが素通りだ。残念。またの機会はもう

ないのに。残念の上の無念だ。象見物は私の希望だったのに。無視された。面白くもない煉瓦

の廃墟見物を終えて昼食に『パサック川』の水上レストランで食事した。濁った水にホテイアオイ

が流れて来る。川に20センチくらいのパーマークのある魚がいる。その魚が飛びついたと高野

が言う。まさか水面から2メートルも魚が飛びつくかと思った。

「ほんとですよこれここが濡れてます」と確かに水滴の着いたカメラを見せた。そんなバカなと

半信半疑だった。そのときピッと私のカメラが濡れた。魚が飛び上がったのではなく、

水鉄砲だった。その正確さにビックリした。「鉄砲魚だ」と小俣さんが云う。「鉄砲魚は密林地帯

ではないのかな」とこれも半信半疑だった。魚は残飯を催促するらしい。料理は『トムヤムクン』

を頼んだ。ふくろ茸、アサリ、えび、赤唐辛子、ナンプラーが入った料理はタイへ来て初めて美味

しいと思った味だった。

残った料理を待ちこがれている魚に分ける。落ちる残飯を目掛けて集まる魚は目が良いのには

二度ビックリだった。
 
ここから駅まで200メートルほど。駅のベンチで列車を待つ間も犬がうろつく。3匹も寝転がって

いる。こいつらの頭を蹴飛ばしてやったらさぞ気味が良いだろうと思う。

枕木のプラットホームから車両に乗った。また汚れ汚れた線路脇の風景を眺めてバンコク駅

に戻った。

最後の晩餐まで3時間ある。小俣、高野、大野組はホテルに戻ってマッサージだと云う。

野口さん、幸吉さんと私はデパ地下のショッピングをしようと歩き出した。デパートが見つからな

いので通りかかったサンカーに乗り、混み合う交差点の車の列をすり抜けながらスリル満点の

ドライブをしてデパートに着いた。出発前、タイへ行ったら『トムヤムクンと象とドリアン』はクリアし

たいと思っていた。象は見損なったがこうなったらどうしてもドリアンを賞味したい。

もうタイへ来ることはないだろうからほんもんのドリアン賞味の最後のチャンスだ。

野口さんとドリアンをさがしさがしてやっと見つけた。でも重くてトゲトゲで持って帰ることなど思い

もよらない。仕方ない諦めようと離れたら野口さんが「割って食べられるようにパックにしてある」

とまたまたニュースを持ってきた。140バーツのドリアンを彼に買って貰って念願のドリアンを

賞味した。きつい臭いだということだが私にはそれほどの嫌悪臭はなかった。

味はとろけるチーズとバナナをミックスして甘くしたような不思議な味だった。

野口さんは顔をしかめて食べない。幸吉さんはほんの少し口にしたがあとは勧めても首を振る。

コッペパンほどの量を一個すっかり食べてはいかがなものかと腹が言い出したので三分の二

ほど残してパックした。ショッピングで『インディカ』を見つけたので二キロ買った。

これでチャーハンを作りたいと思っていたのでタイミングが良かった。幸吉さんはいろいろ買って

レジでカードの支払いとは洒落ている。集合時間にあと20分と忙しくなった。タクシー乗り場は

長蛇の列。まず20分はかかるだろうと思ったのでサンカーで帰ろうと云ったが相手にされない。

いささかむかついたが象の時もそうだがもう云わないことにした。結果的に言えばタクシーは

思ったより早く乗れた。ところがタクシー運転手が嫌な顔して後ろを見る。なんだろうと初めは

分からなかったが再三見た揚げ句、鼻にスプレーをするようになり『ドリアンだな』と漸く気が付

いた。それで窓を開けたり袋をしっかりと閉じたりしてホテルに戻った。あれだけ露骨に嫌な顔さ

れたのは初めてだ。持ち帰ったドリアンをロビーのテーブルに広げて小俣さんに「食べる」と云っ

てもいらないと云う。こんな美味しい物をいらないのかなと思っていた。匂いを嗅ぎつけたホテル

マンが嫌な顔をする。「なんだよタイの名物にその顔はないだろう」と思ったので案内人に聞いた

ら「ホテルにドリアンはダメ」と云う。それほどまでに嫌われてるのかドリアンは。我が愛しのドリア

ンはとうとうゴミ箱行きとなった。

最後の晩餐は中華レストランで中華スープで締めてその後ナイトバザールへ行った。

1時間の自由行動だ。東洋と西洋、中東の品物が集まっているような市場だが右足フクラハギ

痛でどうにも我慢出来なくて早めに車に戻り、シートで横になっていた。

空港では水が飲みたくなって身体検査場を出して貰い水を飲みに行き、たっぷり飲んでまた

ボディチェックを受けて中に入った。その都度なにが引っかかるのか検知器がなってギロチン

台に上がってホールドアップだ。もう3度目だ。

帰国

フライトは夜中の2時。ドリアンの食べ過ぎで腹具合がおかしく朝食は即ゴミになった。

6時間のフライトは長い。4時間以上はもうダメだとは野口さんと一致した意見だ。

成田には7時20分に帰着した。横浜の中華街で食事してこちらに2時に着いた。

女房は土産のリングは少し緩いこれは11じゃないかなと。私10、5だからと。

幹事の大野からメールで会計報告と次回はインドだと言う。また積み立てを始めますと。

来年は幸吉さんの卒業だから何処にしても行くことには変わりない。

総括
@ タイ王宮の圧倒的な美しさ、多い白人観光客

A 年間通して気温は30度以上の温暖なそして怠惰な気候。

B 微笑みのタイとは名ばかり

C 郊外は汚れ汚れて非衛生

旅行記