07年の鳥海山釣行
    中津 太公
 4月、今年はいつになく雪が少なかったという情報に少し早めの釣行となった。しかし、現地へ早

朝に到着して驚いた。確かに平地部の雪は少ないのだが山は逆に3月の終盤、大雪に見舞われ

たとの事で深い雪に覆われている。鳥海山の麓までが、すっぽりと純白を装っていた。山へ入る

前に、現地のコンビニで十分な食料を確保して、目的地へ向かった。いよいよ林道の入り口に到

着。案の定、林道の除雪は手付かずのまま、例年になく大量の雪の世界であった。ちょうど、

鳥海山が朝日に映え、神々しい姿を展開してくれていた。勇んで雪の林道、約11キロ先の釣り場

を目指し、身支度をする。最後に手作りのカンジキを付け出発。時は、午前6時半であった。

この上ない天候の中、絶景のロケイションとはいえ膨大な残雪に覆われた林道を、一人ひたすら

重荷を背負って黙々と歩を進める事は厳しい。たちまち、大汗が全身に噴出し、防寒着を脱ぎ、

まもなくセーターも脱ぐ羽目となり、更に胸倉のボタンをはずし汗を拭き拭きの雪中行軍となった。

背負った荷物がやけに重く背中に腰に大変な負担を強いてくる。

荷が重い訳は、実は密かに一人きりの釣行ではあるが、久しぶりに今夜山中にビバークをしようと

考えていたからである。したがって、バカ長、釣具をはじめ食料も5食分、寝袋は勿論、飯盒、

ナタ、ノコ、ビニールテント、大型の懐中電気等々、一泊出来る諸々を背負ったからである。

20キロにもなんなんとする登山者並みの荷であった。林道の雪は、例年にも増して多かったが

途中何カ所もある大雪崩の危険箇所は思いの外簡単に踏破できたことに安堵した。

手製カンジキの効力に感謝しながらなんとか難行苦行の末、3時間あまりで目的地に到着できた。

荷物を降ろし、朝食を頬張りながら下の渕尻を覗き込む。いるわいるわ、例年のごとく愛しい岩魚

たちが群れているではないか。

どうやら今年もこの沢へ1番に入ることが出来たようだ。胸の高鳴りを押さえ込み、無理やり食事

を胃袋に送り込んだ。午前10時、本日の釣り開始となった。3匹上げたらタバコを一服する

ペースでゆっくりと魚とのやり取りを楽しみながら登る。たちまち昼になり、ビクも満杯となったの

で大休憩とした。魚の腸を取り、獣に取られないように深い雪道を掘り、その中に埋め込む。

上の雪をしっかりと踏み固め、更に太めの枝を組み合わせて覆った。いつもの年であれば、

ゆっくりと昼食を摂る暇も惜しんで釣りに没頭しなければならないのだ。というのも、午後2時頃

には帰途につかなければならないからだ。昨年は、午後3時になってしまったので車へ辿り着

いたのが7時を回り、宿泊先へは8時を過ぎてしまったという苦い経験をした。しかし、今回は

天候も上々、雨の心配は微塵もない。釣り場に着いた時から準備していた今夜のビバークを

決意していた。したがって、夕方まで長時間釣る事が出来、加えて明日も午前中は早朝から

十二分に釣る時間がある事になる。例年の釣行に比べ、2回分、3回分の釣り時間があるのだ。

昼食大休憩後、更に上流のポイントを探って行く。焦る事なく、こんな余裕のある釣りも覚えがな

い。ポイントで釣れなくなるまで釣るのではない。型が落ちて来たり、満足のゆく尾数が上がれ

ば、次のポイントへ登って行く。何とも贅沢な釣りではないか。昼の休憩後から3時半までにビク

一杯半の釣果をあげ、荷物の置いてあるベースへと戻り、ビバークの準備に取り掛かった。

釣り上がった枝沢と本谷との合流地点、本谷川の少し上流に20坪程の砂地川原があり、

ここにテントを張ることとした。この河原の山側は、2メートル近い雪壁となっている。

この雪壁を利用してそこに喰い込むようにビニールテントを張った。恐ろしく怖い事がある。

テントを張ったところから百メートル程の所にまさしく熊が冬眠していそうな大木の根元洞を

見付けてしまったのだ。まだ、この大雪故、冬眠から覚めて出て来る事はないのではないかと

無理やり不安心を押し被せてみても、大いなる恐怖心は拭い切れない。一晩中火を絶やしては

ならないと考え、兎に角、燃料の薪を大量に集める事とした。直径10〜15センチの立ち枯れ木

を探し、根元からノコで倒しては雪上をずり引いて川原まで運んだ。6本ばかり大物を運び、

更に枯れ枝を拾い集め山とした。7時過ぎまでかかり大仕事をした結果、何とか一晩過ごせそう

な設営が完了した。我に戻り谷合から見上げると天空はまだ明るく、せせらぎの音とたまに啼き

交う鳥の声だけという大自然の中に身を置いている事に、些かの満足感を覚えていた。

焚き火には少々自信があることから丸太にもすっかり火が回り順調に大火となっている。

やっと夕食を摂る気になり、谷川の天然水をボトルに一杯汲み、それを飲みながら時間をかけ

暮れゆく空を仰ぎながらのディナータイムとなった。さて、難行苦行は長い雪道を歩く事だけで

はなかった。

この後、一夜を少し変わった川原乞食で過ごす訳だがこの苦行たるや話にならないものとなった。

(もっとも今となれば何とも面白い楽しい思い出だが。)大火に当たり汗が滲む程、身を温めテ

ントに入り寝袋に包まる。時間が早い事もあり、少しも寝付かれない。

横になり眼を閉じると頭の中には怖い熊が出て来るのだ。明るい内に、堅固な生木で長さ一間

ほどの槍を5本作っておいた。万一、熊が出現したなら、これらの槍でどのように戦ったら良いか

など考え出せば、寝付かれようはずがない。加えて寝袋に包まり10分か15分も経つと寒さ、

冷え込みが容赦なく全身を襲ってくる。寝袋の中に頭まで突っ込み、自分の呼気で暖を取っても

足先から厳しく冷たくなってくる。30分も我慢している事が出来ず起き出しては直火で暖を取ら

なければどうにもならない。火を落とす訳にはいかない。集めておいた丸太を火の中で組み上げ

て万全を期す事に余念がない。真っ暗な谷間から見上げれば、狭い天空に久しぶりの煌めく

大きな星星が押し合いへし合っている。タバコを吸いながら冷え切った身体を十分00に温め、

早く寝なければ明日がきつくなると思うと自然と焦る気持ちが募ってくる。

その後、こんな事を翌朝の空が白らじんで来るまでずっと繰り返した。

これ程、時間の経過が遅く、長い長い恐ろしく、怖く、辛い夜を過ごした記憶も無い。

山と積み上げた薪がほとんど燃え尽きた頃、やっとの事で空が明るくなってきた。

瞬く間に手元が見えるようになり、白日の喜びを思い知ったのだ。それにしても焚き火の臭いが、

全身にこびり付いている事に驚いた。これを洗い流そうと、冷たい谷川の水で顔や手を入念に

洗う。テントを片付け荷物の取りまとめをし、付近の清掃もし、帰り支度を整えた。昨日釣った

獲物を確認し、再び雪深く埋め戻し一段落である。時計を見ると、まだ6時。天を仰げは、

一点の雲もない大快晴となっている。恐怖の一夜を明かした後だけに、この好天は何とも

ありがたく心地良い。釣行時間は、たっぷりとある。いよいよ朝釣りの開始。

昨夜テントを張った川原の対岸に先ず一投。普段なら何の変哲も無いそんな場所に、

魚などいよう筈の無い所であるが、いきなりの当たりだ。今年、まだ誰も攻めていない証に

他ならない。ポイントには大集合している事に確信を持ち、数十メートル下流の昨日釣った

支流と本谷の出会いに下がり、その大深瀬を狙った。瀬尻に回り込む。たちまちの当たりと共に、

キジの臭いに興奮したのか、おびただしい岩魚が群れて瀬尻まで下がって来た。

狙い通り、昨年の秋口から大集合した岩魚たちが、じっと厳しい冬を堪え貫いてくれたのだ。

間もなくビクの重みを感じ、喰いも鈍くなったので本谷を遡上し、次のポイントへ移動する。

途中、ちょっとした陰に振り込むと必ずと言える程魚がいた。次なるポイントに到着。

淵尻には敷いたように彼らがいる。高鳴る胸を押し殺し、尻から攻め始める。

元気に泳ぎ回るキジの出現で、彼らはちょっとしたパニック状態となる。

競い合い、他を押しのけ餌を喰らい付く様を十分に堪能する。すでにビクは満杯となり、

魚の頭すら入らない。岩棚で、小休止を兼ねビクの魚をナップザックに移すこととした。

作業を終え、タバコを吸いながらある思いが脳裏をかすめた。帰りの事である。

この調子で時間の許す限り、釣れるだけ釣ったとしたら、その重量を考えるとどうなるか、

という事に気付いたのである。

魚の鮮度を保つ為に、魚と同量程度の雪を入れて持ち帰るのだ。恐らく、すでに釣った魚は

7〜8キロになっていると思われる。これに仮に5キロの雪を入れたとしたら、帰途荷物の

総重量は軽く30キロを超えてしまう。果たして、還暦をとうに過ぎたこの体力で背負い切れるか

大不安に陥った。しばらく思案した末、まだ8時半だが釣り方を止める事とした。

ベースに戻り荷造りをして、果たして総重量に愕然とした。付近の木に抱き付きながらでない

と起ち上がれないではないか。先程の不安が、正に的中である。

そりでも作って引きずって行くか、捨てられる物はないか等思い悩むが妙案は出て来ない。

止む無く、日暮れまでには十分時間がある事から、そのまま重荷を背負う事とした

。正に、これが荒行の始まりであった。カンジキが悲鳴をあげ、その軋む音が辺りの静寂に響く。

遠く前方を見据えて歩く余裕などとても無く、ただ足元の雪道に目を落とし、ひたすら歩を進める。

たちまち荷が肩に食い込み、上腕まで痺れを感じる。その重みを受けた骨盤から背骨が前に

後ろに、左右に外れてしまう感覚に取りつかれる。馬鹿な事をしたものだと後悔しても、

すでに遅い。大事な魚を捨てられる訳も無く、長く使い込んだ道具類のどれも捨てられない。

30分歩いたら小休止の予定で歩き出したが、とても三十分歩き続ける事など出来なかった。

昼食の大休憩後、1時間ほど歩いた地点から蕗玉の小群生が見られるようになって来た。

体は、ボロボロの疲労困憊状態であった。しかし、自分自身これ程欲張りだった事に驚いた。

一度荷物を降ろしたら、今度立ち上がるのにどれだけ苦労するかを忘れ、雪の上にドサッと

倒れ込むように荷を降ろす。そして夢中になって蕗玉取りに走り回る。ビニール袋がいっぱ

いになると荷に括り付ける。荷の大きさは、中心のリュックの4倍にも5倍にもなっていた。

これに、更に蕗玉のビニール袋が二つ三つと増えていった。仕舞には、予備竿兼杖代わりの

9メートル鮎竿と現地調達の杖を両の手に、腰は90度近くに折り曲げ、あたかも四足で歩く

様になっていた。こんな格好は、一人だから出来るが他の人にはとても見せられるものではない。

車に辿り着いたのが午後6時、歩き始めたのが午前9時であったから何と9時間を費やし、

難行を終了した。 2007・5

釣行記