蛇吉
           小山 友叶

 蛇吉が何時ごろから飯能河原に住み着いたのか、どういう経緯で飯能に流れてきたのかも誰も

知らない。人々の噂になった頃はもういっぱしの住人面をしていた。

 広い河原に建築資材としての砂利採取が戦後の昭和25年頃から始まった。福島砂利店の事業

であった。河原に板と金網で作った傾斜のある選別器に箕で砂利を掬い、『よっこらしょ』と選別器

の上端に持ち上げてザラザラと砂利を流し込む。大きい石は斜面から転がり落ち、網を通った

砂利は下に堆積する。堆積した小石混じりの砂利を更に篩にかけて砂と小石とに分ける、その

作業員の宿舎が今の図書館の下の公衆便所の所にあった。当時は桑畑と竹藪で竹藪を切り

開いて作業員の休憩場が立てられた。掘っ立て小屋と言う言葉が当てはまるトタン屋根の板囲

いで粗末な入り口の引き戸を開けると内部は四囲を土間に、一段高くなった板敷きの床には

むしろが敷いてある。

 広い河原に据え付けられた選別器はこの頃は河原の一つの風物詩だった。時々馬車が篩い

分けられた砂利を積んで往復する。大水が出ると河原の砂利の堆積が高くなり、河原の中心に

見える岩山は砂利に埋没する。岩山が砂利の採取が進むと見えたり、出水で砂利の堆積が

あると隠れたり、この砂利採取作業はどのくらい続いたろうか建設資材として貴重な川砂利が

やがて山採石に取って代わられる十年くらい続いたかもしれない。やがて使われなくなった

砂利とともに作業員が消えてしまった河原は砂利の取り手がなく堆積した砂利で岩山は埋没し、

どこに岩山があるのかも分からなくなった。この作業員の消えた掘っ立て小屋に何時か住み

着いた夫婦者がいた。これが『蛇吉』と呼ばれる年寄りだった。

本名は小久保と言う名であったようだ。この小屋が昭和33年の鹿野川台風による未曾有の

大水で作業員小屋も流されてあとかたも無くなり蛇吉もすむ所が無くなったなと思っていたら

いつの間にか廃材をあつめて武末の撚糸工場の倉作りによりかかるように2畳ほどの片屋根

の小屋とも言えないようなバラックを建てた。バラックは石を土台にして角材の敷居と腰高障子

が二枚。土間には少しばかりの炊事道具、一段高くなった板敷きと粗末な棚。くくりつけたような

棚には場違いのような珍しいガラスのサンプル瓶が二つ。瓶の中にはアルコール漬けの蛇。

あの大水で夫婦で一つずつサンプル瓶だけは抱えて避難したのだろう。

蛇吉のステータスシンボルともいうべき瓶。これで生業が『蛇』と知れる。

『蛇吉』が蛇を捕まえるのが本職だと納得する。流木を立てた物干しには紺色の股引、地下

足袋が干してある。大水が収まって人々の生活も復旧したある日。蛇吉のかみさんに

「おじさんは蛇どうやって捕るの」と問いかけた。いつもニコニコしているかみさんは

「捕るところは見たことないけど持って行くものは女の長い髪の毛、白手拭い、木綿袋は持って

行くね」

「女の髪の毛?髪の毛どうするの?」

「髪結いさんの所から貰ってきた髪の毛をまるめて藪に抛っておくとマムシが寄りつくと

言ってるよ」

「どうやって捕まえるの?」

「とぐろをまいたマムシはどこから攻撃されても直ぐに飛びつけるようにしているからそこに

手ぬぐいを上に翳すと噛みつくんだそうだよ」

「怖くないのかな」

「商売だからね」

「捕まえた蛇をどうするの?」

「八王子へ持って行くんだよ。買ってくれるお店があるから」

「それで夜遅くに通りを怒鳴ってるんだ」

「そうなんですよ。帰りには貰ったお金で焼酎を飲んで来るからね」

 蛇吉の怒鳴り声は大通りの人たちから顰蹙を買っていた。泣いてる子に「それ蛇吉が来た」と

言うと泣きやんだ。なんであんなに大きな声で訳の分からないことを怒鳴りながら東飯能駅から

帰るのだろうと町の人達は誰ひとり注意する人は居なくシーンとした通りをふらつきながら帰り

『マムシが売れたんだな』と大人達は納得するのだった。子供達は怒鳴り声が聞こえなくなるま

で布団の中に潜り込んでいた。

蛇吉のバラックからは町役場が城郭のように見える。飯能町の名所の一つだ。

突端には桜の木が一本あり角の一番見晴らしのいい部屋は『町長室』だった。

石垣は上部は反り返っているが隙間だらけだから登ろうとすれば登れなくはないが誰も登ろうと

はしない。この石垣は『青大将』の栖だから。あと一息で登り切ると言うときに蛇が顔を出したの

では魂消げて転落してしまう。それがあるから誰も挑戦しない。

石垣には太い蛇の抜け殻を見ることがある。時々、大きい青大将が姿を見せる。

『青大将だ』と蛇吉に注進すると酒にやけた下駄のような顔をニタニタさせながら2メートルもある

青大将を捕まえて青黒い腕に巻き付けてワザと蛇に腕を噛ませて取り巻く子供達を吃驚させて

は口笛吹いて喜んでいた。青黒いシミの付いた腕に蛇が噛んだところから血が流れる。

あの青黒い二の腕は蛇の毒で色づいたものだろうと納得した。本人は「蛇毒に免疫になっている

からマムシに噛まれても大丈夫だ」と言ってたがどれほどの信憑性があるものなのだろうか。

子供達を驚かせて機嫌の良い機会だからいくつか聞いた。

「マムシはどうやって捕まえるの髪の毛を使うと聞いたけど?」と言うと

「女の髪の毛を丸めて蛇の居そうな所に抛って置くんだ。一晩おいて翌日その場所に近づいて

小石を投げてみる。蛇が居たらとぐろをまくので音がするんだその音で分かるんだ。

十カ所置いて一カ所くらいかな。見つけてしまえばこっちの物だがな。

なかなか見つからないんだ。あとは臭いだな」

「臭い?」

「そうだ臭うんだ。生臭い独特の臭いだな」

「見つけたらどうするの?」

「手ぬぐいだな」

「手ぬぐい?」

「懐で暖めた手ぬぐいを蛇の上に翳すんだ。そうすると怒った蛇は手ぬぐいに噛みつくんだ。」

「それから?」

「あとは簡単さ。毒歯が手ぬぐいに刺さって取れないから首をギュッと抑えて手ぬぐいを引っ張る

と毒歯がもげてしまうから毒歯のないマムシはもうヤマカガシみたいなものだ。

マムシは見つけるまでが大変なんだ。でも諏訪沢はマムシの栖だ。

あの沢に入る時は気をつけろ」

「分かった。捕ったのをどうするの?」

「八王子へ持って行って売るんだ。あれは焼酎に漬けておくとやがて溶けてしまう。

二年もするとあとかたもなくなってしまうな。」

「それを飲むの?」

「そうだ。精力剤だから高いんだぞ」それから蛇吉はいつも青い股引をはいているので聞いたら

「ああこれか。蛇は紺色が嫌いなんだな。本当かどうかは知らないけど昔から山に入るには紺色

と言うから本当なんだろう。山伏なんかも紺色のものを着てるそうだな。

紺色は蛇避けに良いのだろうよ」

「捕まえた青大将は」

「あれは生臭いからどうしようもない。放してしまうよ。ネズミを食べる益獣だからな」

「捕まえるのはマムシだけ?」

「いやシマヘビも捕まえるよ。食べるためにな。でもシマヘビは足が速くてつかまらないな。

この間,取ったシマヘビはちょうどネズミを呑んだ所だったので動きが遅くて捕まえられたけど、

そうでもしなくてはとても捕まえられないな。草の上を走るように逃げるものな」

「シマヘビってどんな味?」

「鶏肉みたいだな」

「一度喰ってみたい」

「そうか喰うか。じゃ今度縞蛇がとれたらな」

 そう約束したが果たされないまま昭和30年代後半に蛇吉は胃潰瘍で一晩苦しんだ挙げ句、

亡くなった。

 当時この掘っ立て小屋の前には建設部の分室があり当直の職員は

「大きなうめき声が一晩中聞こえて寝られなかった」と。

 蛇吉が亡くなってつれあいも何時の間にかいなくなりバラックの中はガランとしていて、

あの蛇吉唯一の宝物の瓶も見えなかった。

 大通りを酔っぱらいながら通り訳の分からない大声と青黒い手とアルコール漬けの瓶と下駄の

ような顔が記憶に残っている。飯能の名物男だった。

 ずーっと下って一昨年の秋、シルバーセンターの職員が諏訪沢の草刈りをして山となった草を

運ぼうと草の下に手を入れたところもぐりこんでいたマムシに噛まれた。

気丈な作業員は手にぶらさがる蛇を持っていた鎌で「エイヤ」と三つに切ったと聞く。

それから救急車で埼玉医大へ行ったそうだ。あの沢はマムシの栖だと言った蛇吉の言葉を

思い出した。

 まむし酒は今でも愛飲されている。秩父の小鹿野に造る人がいて、先日も電話があって買って

きたと友人が云っていた。予約しておくのだと。

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