相模湖の釣りその二
 あの日、たった一本だったが四十に近いハヤをフラシに生かしておいて船着き場の杭にフラシの紐をひっかけて釣具の後片づけをすませて四囲を見回すと天狗岩釣船の広い艀に釣り人やら見物に来たアベックやら十人ほどワイワイいいながら盛んに湖底を長い竿で突っついている。何をしているのかなと行ってみると五メートルもある底に大きな魚が姿を見せる。見せるかと思うとまた見えなくなる。その様子が何とも不思議で見えたり見えなくなったりゆっくりとした動作で進むでもなく逃げるでもなくただ不自然にゆらりゆらりとまるで夢幻の湖底のそれはそれは不思議な光景であった。「何してるのかなあの魚は」と誰もが首をかしげている。そしてとにかく引き上げることだと竿をより長いものにしたりロープの先に鉤を付けてひっかけてつり上げようとする者もいたり、もう日没寸前で湖底ははっきりとは見えなくなってきている。ただ横になると大きい魚だけにギラリとするのでどうにか的にはなっているが次第にそれも不可能になってきた。誰もが最後まで熱心に引き上げに手伝いまた声援を送ったのはそれが山女なのかマスなのか引き上げてみなければ分からないからであった。それにしても不思議なことがあるものだ。一体あの大きな魚になにが起こったのだというのか。誰も明確に言い表すことは出来なかった。次第に湖底は暗くなりついに判然とはしなくなり天狗岩で明日引き上げるという言葉に安心して釣り人達も見物人も散って行った。さて、私はこれっきりと云う今日の戦果の四十糎を越える大きなハヤを入れたフラシを帰りだから取りに行った。それがない。確かに杭にひっかけておいたのだが一体何処へいった。その時始めてあのハヤは私のハヤだと確信した。杭から離れたフラシのハヤはフラシを被っておよそ四十メートルほどを泳いで行きあの位置までたどりついて湖底に着地したものだと覚った。その時は酷くがっかりしたが、その後しばらくしてあれは引き上げられなくて良かったと思った。もし引き上げられて大勢いる釣り人の環視の中で「誰のだ?」と聞かれてヒロトモンが「それは小山さんのでは?」などと云われた時には赤っ恥をかくところだったから。不思議なままで帰ればきっと釣り人は出来事を家人に話すだろう。それを聞いた子供達は相模湖の夢、まぼろしの出来事として目を輝かすだろう。それが単なるフラシが原因だったとは夢幻もそれこそ「ナンダァ」 となってしまう。そうなるよりは私も赤っ恥をかかなかったし大勢の釣り人も話題の一つとして持ち帰ることができたのだから。ただ一人ヒロトモンだけが事情を知っていて大笑いして釣りの集まりに公表して座を楽しませる具の一つとなったが、それくらいは仕方ない。それにしても不思議とヒロトモンとはハプニングの起こる確率が高い。何故なのかな。彼は万事がそつなく、一方私はどこかしら抜けてるそのギャップがハプニングの起こる原因なのかも知れない。ヒロトモンの高笑いが聞こえて来るような気がする。

釣行記