ソウル紀行(07.2.4〜7)

プロローグ 毎年この寒い時期に旅行している元下水道課の今年の予定はタイ・バンコックだった

が、何やらキナ臭いテロの臭いがするのと狂犬がいるような国は敬遠して、ハングル文字のソウ

ルへ行くことになった。

 行く先が決まったので図書館から『地球の歩き方ソウル』を借りてきてザッと調べてみた。

なかなか怖いことが書いてある。曰く『車優先、盗難、置き引き、ひったくり、邦人に対する敵意』

があると。特に注意しなければならないのは車だそうだ。横断歩道の信号は短く、急いで渡らな

いと撥ねられるともある。どうやら平和呆けの我らは余程注意して旅しないといけないようだ。

 この旅行に先立ち、韓国料理はどんなものなのか試食してみようと野口さんと連れだって入間市

の駅近く、『焼や』と云う韓国料理屋へ行った。驚いたのはそれぞれのテーブルに煙突が設置され

ていることだ。排煙装置だ。カルビを焼きながら食事するのにこの装置がないと商売は成り立たな

いだろう。カルビはなかなかの味だった。この味と本場とはどう違うか。楽しみだ。

 平成19年2月4日の朝、7時30分野口宅に集まったのは野口夫妻、小俣、関口、大野、高野、

天野と私の8名であった。道中支障なく成田へ9時40分到着した。

空港で阪神タイガースの井川が渡米するので報道関係者が多数詰め掛けていた。

出国審査のチェックでは私の靴が金属探知機にひっかかる。飾りが金属だった。

係員は靴を入念に調べた。我等で探知機が鳴ったのは私だけ。ホールドアップさせられて

ボディチェックを受けた。毎回のことだが格好良いものではない。

 空港でair china、garuda indonesia、austrian、china eastrian、northwest、ana、singapore air lines

 eva air、malaysir、thai、korean air、asiana 色んな航空機を見る。

カラフルでメタリックな尾翼が飽きさせない。一日中でも見ていたい。成田はカラフルだ。

韓国の航空会社はkoreanairとアシアナ航空の二社だけとインターネットで予備知識を得ていた。

アシアナは週に160便も来る韓国と日本の大動脈だ。今回はそのアシアナ機利用だ。

 機内は満席。私の席の19Gシートを探した。19列の左窓際からA、B、C、D、E、F、Gと云う順

だから窓際かなと期待したが何故かFが欠番で窓際とはいかなかった。

13時30分のフライトだが航空機がスタートラインに到達するのに20分かかる。

だから飛び上がったのは13時50分だった。高度5千メートルと云うところだろうかかなり低い。

地上が良く見える。こんなに低い軌道で飛ぶのは今までにない。

30分もフライトすると機内食が出た。飲み物は韓国ビールを取った。トレーにはパックの弁当。

これはビーフライス。このビーフは美味しい。スープ。パンにバター、チューブに入ったコチュジャン、

サラダ、このサラダのリンゴが美味しかった買って帰りたいと思った。

入国審査表が渡された。いつもながら面倒なことだ。マニュアルで予め承知していたのでリーダー

の幸吉さんに聞くまでもなく書けた。

 2時間10分のフライトで仁川空港に4時着陸。成田の賑やかさとは大差の広いが寂しい空港。

見えるのはアシアナ航空機とkorean air trukistan air の三機種だけ。成田がいかに表舞台かと

思った。と同時に日本の国力の圧倒さを知らされた。ソウルなんて東京にくらべたら田舎だとの

思いを強くした。ガイドに案内されてリムジンバスに乗り、バス内で10000円を両替したら

75100ウオンになった。してみると10000ウオンは1330円ということになるか。

早速寄ったロッテ免税店で韓国海苔と料理用にコチュジャンを買う。ドルが併記されているので

計算し易い。仁川から市内に至る風景は里山に赤松、雑木の低いなだらかな山と集合住宅の

混成だ。時節柄緑は全くない。茶褐色オンリーだ。単調な高速道を走り、次第に市街地に近づい

た。高速道でも目隠しはないから見通しは良い。近づいた市街地は超近代的でビックリした。

認識を改めた。ビルの林立と遙か中空にライトアップされたビルの屋上。高速道路の照明の

オレンジの街灯と運河に架かる橋げたの紫の装飾灯が美しい。総体的に美しい街だ。

それに道路に穴がない。1時間も走っても車からのショックはまったくなかった。道路は完璧だ。

中国の高速道の穴ぼことは対照的だ。上海から蘇州へ行った時にはバスの天井に頭を

ぶっつけないように腰を浮かせて座ってたものだ。 鳥の巣が街路樹にもある。珍しい風景だ。

野鳥は守られているのかも知れない。ライトアップされた南門が美しい。

 街路に沿って看板のハングル文字の洪水だがハングル文字はまったく分からない。こんな暗号

のような分からない文字で生活する韓国はやがて世界の孤島になると思った。

日本語は殆どない。というより皆無である。英語もガソリンスタンドのoilしかなかった。恐るべき

排他性といえる。ここまで徹底していると云うことは、アンチジャパンの現れだろう。

ただ泊まったホテルに近い食堂に『居酒屋』の赤ちょうちんがあったのがこの日の唯一の日本語

だった。

 高速はトラック、ダンプなどの工作用の車は殆どみない。乗用車が多い。乗用車はどうやらトヨタ

の車をトレードマークだけ変えたようだ。実態はトヨタだとは車に詳しい小俣さんの言葉だ。

高速の下の暗闇にもホームレスは居ない。それらしき痕跡もない。日本だったらホームレスの

格好の場になるところだ。車は左ハンドルだ。右ハンドルはイギリスと日本だけで、大陸は

左ハンドルだとはリーダーの関口さんの言葉だ。

このソウルには官憲は見ない。中国の『官憲にあらざれば人にあらず』と言うような厳しい軍、

警官の横柄なのと比較してしまう。中国では博物館の中を制服の軍人が隊列を組んで闊歩してた。

 それに比べてソウルは官憲が居ない。だから軍人も警官もパトカーも全く見なかった。

ただアメリカ大使館の物々しい警備は『アメリカと北朝鮮の米朝会談』に備えてのものだろう。

(警備員は多かったが表情に緊迫感はまるでなかった。中には笑顔の警備員もいた)

宿泊するホテルのロビーにあるパソコンで野口さんと協力してhttp://wing.zero.ad.jp/~zbi.66708/

 (奥武蔵釣りだよりのurl)と入れてみた。当たり前だがロード出来た。台湾でやったときには

アクセス出来なかったのでホッとすると共に少し鼻が高くなった。

 揃って夕食の焼肉を食べに行った。大問題が発生した。まるっきり通じない言葉の食堂で幹事

の大野が韓国語と日本語の会話の本を片手に店員と手まね足真似、本を指差し、壁に掛かる

料理写真を指差し時に口を使い、飲む真似をし、なんとか理解させようと骨折ってる。

店員も間違ってはいけないので懸命だ。一度は納得したようになるがまた分からなくなる。

何回同じ手振りをしてもますます混迷してゆく。たまらずリーダーの幸吉さんが立ち上がりリーダ

ーシップを発揮して店員を引っ張って入り口に飾ってある酒、ビール、コーラーなどを指差して

納得させている。可笑しくても笑う訳にはいかない。大騒動の末に、ようやっと食事になった。

カルビ鍋にジャンボな肉をドサリと広げる。やがてジクジクして焼けるとひっくり返す。店員がハサ

ミを使って肉をカットする。野口さんが食べ方を手まねでやったら店員がサンチュの葉に薬味と肉

とコチュジャンなどを包んで野口さんの口に押し込んだ。ずいぶんとぞんざいだ。

野口さん目を白黒させている。云っては悪いが超傑作だった。焼肉はタレが美味しいのかいくら

でも食べられる。サンチュとも合う。キムチはそれほど辛くなく白菜の甘味が残っていて美味しい。

野菜ではタマネギが辛くなく甘く美味しい。それとニンニク。まるで百合根のような、チーズのよう

なニンニク。日本だったら青森産のニンニクは一個250円はする。それと同等のがたっぷり出る。

 焼酎の『真露』は適当に冷えて口当たりが良くかなりメートルが上がった。タマネギ、ニンニク、

真露の三品は土産にしたくなった。

 幸吉さんと相部屋になった。部屋のサニタリーは完璧。湯も直ぐに熱いのが迸る。ウオシュレット

はないものの水洗トイレの排水もバッチリだ。ただ水道の水に信頼がないから前のセブンイレブ

ンから水を買って来てうがいは水道水で、飲み水はペットボトルでと使い分けるのが面倒だ。

第二日

ソウルの朝は暗い。時差はなく、日本と同じだがとても行動を起こす気になれない。『起きましょう』

となるのは八時だ。北京は日本と一時間の時差がある。日本の八時が北京では七時だ。

北京の朝もはっきりしない暗い空だったが、ここソウルの空も似ている。『黄砂』かも知れない。

車にうっすらと白く灰状覆っているのは黄砂だろう。それではっきりしない朝なのかも。

昨夜の小宴会の『真露』で小俣さんがダウンした。それでも待っている内に赤い顔して出てきた。

口当たりが良いからつい飲みすぎてしまったとアルコールの残る口臭で云った。

駅前でおかゆをスプーンで飲み、今にも降り出しそうな暗い天候だが関口リーダーにくっついて歩

く。横断歩道の信号は青になっても直ぐに明滅し、秒を刻む。まったく忙しい。横断歩道は駆け足だ。

 駅に着いた。表示板に地下鉄2号線はグリーンラインで表示されているので分かりやすい。

地下鉄は殆どが地上を走る。一度も地下にもぐったことはなかった。東京の山手線と同じだ。

車内は山手線よりも幅広でグリーンの床で清潔感がある。作業員が手押し車で大きな麻袋に

何か詰めている。網棚に捨てられたタブロイド版の新聞だ。驚いた量だ。麻袋に押し込むのに

吊革に掴まって袋の上に乗り、踏みつけている。これだけの新聞を読む、この国の旺盛な経済

意欲を目の当たりにした。

 2号線『214江辺駅』から『204乙支路4街』へ行き、ここで降りて3号線に乗り換える。

3号線はオレンジでBと表示されているのでその表示に従ってホームを歩いて行けば到達する。

案内標識はハングル文字ではまるっきりわからないが『出口 way out』『換乗 transfer』と漢字、

英語と併記されているので理解出来る。階段を下りたり上ったりかなり歩いて3号線に乗り一区

間先の『230鐘路3街』で降りて地下道から出たところに何か意味があるのだろう太い木材が二

本突っ立っている。目標にはベターだ。先ず世界遺産に登録されている『宗廟』へ行ってみた。

大野幹事がチケット売り場に行っている間にリヤカーの『焼き芋や』があったので2千ウオンで

焼き芋2本買った。千ウオンは133円だから安くはない。どこでも焼き芋は高いんだ。

耳が痛いような気温に温かい芋が美味しさは別としても掌は温かくホッとした気分にはなった。

さて、第一の見学地の『宗廟』は朝鮮時代の歴代の王と王妃の霊牌(神位)を奉った儒教祠堂で

現在も儀礼が執り行われている韓国儒教の伝統を最もよく表した儀礼遺産だと説明にある。

説明と併せて儀礼式典の写真もある。写真を見るとかなり重厚且つ尊厳な式典であることがう

かがえる。式典に使われる什器などの写真もあるがすべてハングルで書かれていては理解でき

ない。その建築的価値などが評価され1995年に世界文化遺産に登録されたものだと掲示され

ている。正殿は朝鮮王の歴代の位牌を祭ってあり建物は一つの建築物としては最も長いもので、

その建築に対して文化遺産が登録されたのだと。

 建物の周囲は柏木の林で今は裸木だがその裸木のあちこちに大きな鳥の巣がかかっている。

この鳥は白黒のツートーンの割と大きなカラスほどもある鳥で尾が長い。柏の実を食べ物に

『栗鼠』がいる。日本の栗鼠とは違って色が黒く、耳の先の毛が突っ立っている。可愛らしさという

よりも野生動物と云う感じがする。桜、梅の植栽は見なかった。

『宗廟』の庭園を散策していると韓国人の老婦人がトミちゃんに『どちらから』と声をかけてきた。

見知らぬ異国の老婦人からいきなり日本語で声をかけられてビックリしたが埼玉ではネーム

バリューがないと思い、『東京から』と云うと『私は日本の大阪に長く居たことがあり、息子は京都

大学を出ました』と流暢な日本語で言った。大柄な老人が付き添っていて『私の主人です。

主人は現在83歳ですが戦時中は日本軍に徴用されて兵士として日本兵と一緒に戦ったもので

す』と。そして庭園の一画にある建物を指さし、『あそこの建物は楽善斎(ナクソンジェ)と云い、

朝鮮王朝最後の皇太子と結婚した梨本宮方子様のいらっしゃった所です』と教えてくれた。

 日朝は一体であると云う当時の日本の政略で昭和天皇后の最有力候補から一転して国策の

具とされた梨本宮方子様の最後の住まいを見ることが出来たのもこの老婦人のお陰であったと

彼女は感想を漏らした。年配の方々にはかなり日本語に堪能な方もおられるようだとも云い、

明るい日差しの下、コノテガシワの林の静寂な林を異国の人を労りながらゆっくりと散策するの

は心が豊かになった想いがしたとも。 広い庭園を散策し裏門から街路に出た。

 ソウルの街は道路に沿って立つ街灯など電線が全くない。地下に埋設されているからだ。

だからすっきりしている。新たに街灯を設置するのだろう歩道のレンガを一枚剥がして木の根の

ような電線が露出されていた。地下埋設の実物を見た。日本のように後から地下埋設するので

はなく当初から埋設設計する思想がある国を羨ましく思った。

何故か『日本は韓国に負ける』とふいに思った。

歩道も車道もゴミがない。作業員がリヤカーを押して清掃している。ガムの包み紙を捨てるに捨

てられない。痰つばも吐けない。もちろん落書きなどの不心得なものはない。

 昼食に寄った食堂はオンドルが利いていて床は温かくあぐら座りでも冷たくない。昼食後は

『景福宮』を見学した。ここは王族の女性のために建立された付属宮殿であり、現在のものは

復元されたものであるとの説明板がある。

説明によると一度は『豊臣秀吉』侵攻だ。この秀吉の文禄、慶長の役。この時に全焼。二度目は

『日本帝国』による博物館、動、植物園などを作ることによる公園化による俗化。日本支配が崩

れた後にこれらを撤去して忠実に復元したと掲示されている。

 李氏朝鮮王朝の正宮『景福宮』の『興礼門』前で衛兵の交替を見た。赤と萌葱の二種類の衣

装の衛兵でスタイルは『鍾馗様』そっくり。揃いの顎髭を生やし、台湾で見たのと同じスタイルだ

が台湾では洋装、ここは古式豊かな和装。盾を持ち、房飾りの刀を吊るし、薙刀を右手に孔雀の

羽根飾りの兜を被る。足は皮製のブーツ。およそ現代には合わないスタイルだが伝統を重んじる

韓国の風習を重く感じる。太鼓の音と共に交替衛兵の登場。黄色に龍を刺繍した旗と白虎を刺繍

した旗をはためかせて隊列を組んで15人が整然と行進する様は見応えがあった。

『勤政殿』は韓国一の木造建築物で比較するなら善光寺と同じ位の大きさだろうか。

その偉容にも圧倒されるが、王座が見事だ。玉座は山水画をバックに屏風という設定。

朱がメーンで黄金は僅かしか使われていないので神々しさは欠けるがカラフルで美しい。

広大な宮殿を隈無く見て廻り、すっかり疲れて持病の右太もも痛が起きた。

 ソウル駅に近い『南大門』へ行った。国宝の第一号だと。ソウルを囲む城壁の主門で外国使節

はまずこの門から入るのだそうだ。周囲が道路で云ってみればパリの凱旋門の東洋版だ。

 ここからいくばくもなくソウル一の市場がある。そこへ行ってみた。衣料品から眼鏡、印鑑、

リュックなんでもござれだ。道路に番台を置いてその上に商品を広げ番台に乗って口上を張り

上げている。そんな雑踏だがあまりゴミが散らかっていない。この狭くなってるところを乗用車が

入ってくる。こんな所に入るのはいくら車優先とは言え、非常識だ。見るとドライバーは若い女だ。

笑ってる。どうやら嗜虐性があるのだろう。おどろいた悪趣味だ。露天で買い物をする人はあまり

居ない。人はごった返しで居るが『素通りなんだよ』とボヤク声が聞こえそう。

肉屋の豚の顔の丸焼きもうらめしげだ。

 夜はカジノへ行くと云う小俣、大野、高野、天野の仲間と分かれて宿に帰り、関口、野口夫妻

と食事をしてから漢江の夜景を見に行った。暗い河に架かる橋の灯りが青い灯で幻想的。

『漢江』。唐突に、終戦間際、ソ連に抑留されそのまま帰還出来なかった近衛文隆の悲劇を思い

出した。近衛文麿公の長男文隆とラーゲリで同房だったという飯能の川寺に住む土屋宗治氏は

もう齢九十を超しているが矍鑠としてい、私が話しを聞きに伺ったときには、甲斐武田武将の末裔

らしく居間には武田二十四将の旗指物とゆかりの兜などが飾ってあり、宗治氏によるとソ連の

最も悪いときに抑留されたと。文隆氏は当局からスパイになれば帰すと云われたが頑として受け

ず、それがために『秘密を知った者は生かしておかない』というソ連の方針で薬物による脳の

破壊で猛烈な頭痛の果てに『無顔さんによろしく』と云う謎の言葉をのこして亡くなったという。

そんな西木正明の本の追想に浸りながらホテルへ戻る時、食料品店でジャンボ梨を1個1000

ウオンで買った。部屋でさてと梨の皮むきしようとおもったがこれが剥けない。剥く小刀がない。

刃物は搭乗の際にひっかかるから持って来てしない。仕方ないので三枚刃の安全かみそりで

皮を剥いたがまるでダメ。やむなく丸かじりした。入れ歯なものだから容易ではない。苦労した割

にはあまり甘くなかった。

第三日

朝、関口さんと朝食に行った。ラーメンが食べたくなった。食堂で私がラーメン、彼は海苔巻を

頼んだ。海苔巻はカツを芯に巻いている珍しい海苔巻き。どうやらこの海苔巻きは朝食に好まれ

ているというか一般的のようで見回すと殆どの客がこれを食べている。ラーメンはやたらと辛い。

二人で半分づつ食べた。彼が『ラーメンでは通じなかった』と。『ラーミョンと聞こえた』そうだ。

彼は好奇心旺盛だ。納得するまで店員とやりとりする。あの態度には敬服する。だから一人歩き

が出来るのだろう。

 また昨日と同じ駅から同じコースを辿って、世界遺産の『昌徳宮』へ行った。

旅行がソウルと決まった当初の計画では一日はガイド付き市内観光でと思っていたが幸吉さん

がコースを研究して案内してくれるのだからこれほど安全で、且つ料金ただだから不服はない。

纏めてガイド料を払うようだ。観光バスは一人一万円はすると案内書にあるから。

『昌徳宮』は世界遺産だけあって警備員が所々にいる。どこの遺産をみても日本の侵攻で破壊

されたとnotice されているので肩身が狭い。文禄、慶長の役。このときの島津藩の勇猛さは応援

に来た37000の明軍を7000で撃退し、後に『石曼子』と恐れられたと。

 下って日清戦争では朝鮮が舞台となり多くの名所古跡が破壊されたとある。今日見る建物は

復元されたものだそうだ。ますます肩身が狭い。日本人と大っぴらに言っては何時何処で災難に

遭わないともかぎらないからつとめて日本人とは悟られないことだと思った。

『仁政殿』の王座は先の『勤政殿』山水画をバックに屏風という設定とほぼ同じ。

どちらも李氏朝鮮王朝が政を取ったところだから。『仁政殿』の床張りは斜め張りだ。

今まで見たのは全て正方形だったがここだけは斜め張り。珍しい床だと記念にシャッターを切った。

 広大な宮殿を飽きもせず見て歩く。庭園があるというので裏山へ行った。山水画を移したような

離れと池、が静寂の中にあった。池は凍っているし、寒いが緑の頃は散策にはもってこいの場所

だろう。

 庭園の一角にある四阿でお土産を買う。関口さんはカードだ。洒落てる。聞いたらカードの方が

重宝だと。道理で最初のリムジンバスの中の両替を渋った訳だ。現金で持つよりも安全だからだ

ろう。経験者はどこか違う。それに彼は研究熱心だ。何事にも納得するまで調べる。天野は地図

係りだ。何時も地図片手だ。何処を歩いていても一言聞けば地図上を指さす。貴重な存在だ。

 昼食、喫茶、晩餐、などとなると高野と大野の出番だ。この二人が二人三脚でよくやる。

交渉ごとならまかせてと云ってるみたい。マネージャーには欠かせない。

 昼食は久しぶりに魚料理だ。オンドルの利いた食堂の座敷であぐらで河豚鍋つっついた。

コラーゲンたっぷりの河豚鍋は美味しい。口の周りがねばつく。韓国はあぐらが正式な座り方だ

が、女性はどうなんだろうとチラリとみるとやはりあぐらだった。となるとスカートだとどうなのかな

と良からぬことを考えた。そう言えばスカートの類は見なかったな。

 疲れて右ふとももが痛く歩くのが大儀になった。デパートのショッピングはデホルトしてロッテ

免税店のロビーで休んでいたら気が利く幹事がタクシーを手配してくれたので宿に直行する小俣、

野口夫妻と共に宿に戻った。乗ったタクシーはとんだ神風野郎ですっとばす。爽快さもあったが

ヒヤヒヤもした。タクシーに乗ったらシートベルトと案内書にあったのを遅まきながら思い出した。

 夜。宿の前の焼肉で最後の夜を過ごした。『小山さんカジノへ行きますか』と高野が声を掛けて

きた。彼は面倒見が良いので安心だから『行く』と即答した。

ギャンブル嫌いが一転して気が変わった。意志薄弱だと云われても仕方ない。前夜、小俣さんが

取ったと云うのでその幸運に預かろうと小俣さんの右手袖に触れて自身の右袖に擦りつけて

ラッキーを呼ぶよう子供じみた行為をしてみた。

幸吉さんだけは宿にのこり七人で出掛けた。宿からタクシーで20分と近い。

丘の上のシェラトンウォーカーヒルホテルはロータリーが電飾で輝いて居、山高帽に裾が地に

つくようなストレートガウンを纏ったドアマンに迎えられて豪奢な回転扉を入ると赤い絨毯の店内

の正面に輝くばかりの白のアウディが飾ってある。

スリットが腰までの美女にエスコートされて入った店内はゴージャス且つカラフルで高い天井には

シャンデリアが輝いている。帽子だけは被ってはいけないそうで帽子の置く場所に苦労した。

一時間後に集まる約束で思い思いに散って行った。私は高野の案内で取り敢えず日本円の

一万を両替所でウオンに換えた。

こんなメッセージが掲示されていた。『こんにちは。ソウルで有名なカジノと言えばここパラダイス

ウォーカーヒルカジノです。外国人専用で24時間、年中無休でオープン。いつでも、思い立ったら

カジノが楽しめます。ここはソウル一の歴史と規模を誇り、650坪という広々とした店内ではスロッ

トマシーン、ビッグウィ−ル、ルーレット、ダイサイ、バカラ、ブラックジャックなど、さまざまなゲーム

が楽しめます。年間45万人、1日に1500人以上の人が訪れ、そのうち日本人を始めとして

アジアからの観光客が大部分を占めています。またソウルの元祖カジノで、サービスも充実。

600人ものディーラーが3交代で応対し、ゲームの説明や施設の紹介なども堪能な日本語で

丁寧&親切に説明します。どうぞお気楽にお楽しみ下さい』とあった。

 早速簡単なスロットを小俣さんに教えて貰い一万ウオンを投入。操作すること5分。3万ウオンも

やったところで777が出た。小俣さんのオマジナイも通じたか、ビギナーズラックというところだ。

小俣さんが操作するとコイン250個が流れ出て、一躍金持ちになった。でもレバーを操作するだ

けで単に偶然にのみ期待するのが単純で何かあっけなく拍子抜けし、脇で見ていたトミちゃんに

そっくり譲ってルーレットに行ってみた。天野と大野で美人のディラー相手に張っている。

二人はバニーガールの持ってきた無料のドリンクをすすりながら片肘ついていて格好好い。

大野が破産して席を立ったので交替した。一万ウオンでチップは4個だ。このゲームは

『丁半博打』だ。赤か黒か。また36の半数18か19から36かという賭のほかに、36の数字の上

にチップを置いてズバリ当たると1チップが36チップになるというギャンブル性は高いスペースが

広い面積を占めている。ボードが大きいのでとても隅まで手が届かない。いきおい手前のパーツ

に賭けることになる。天野の賭け方を見ていると盛んに右上のボードの数字を見ている。

ボードにはそれまでの出た目が表示されている。それを見て賭ける参考にするらしい。

理知的な彼らしい。私は手近な1〜18の数字と赤の枠だけに賭けて一進一退だったが一発勝負

と有り金を全部ボードの経過を信用して赤から黒に変更したら何と逆の目の赤が出て破産した。

スロット陣営も揃って破産していた。トミちゃんにどうだったと聞いたら『かなり遊べて一時は200

に戻ったこともあった。あそこで替えておけば良かった』と後悔していた。天野だけがトントンだった。

コーヒーを飲みに階上へ行った。眼下に広がる夜景を楽しみ、タクシーで宿に戻った。

高野が運転手に宿の名前を言う。運転手の聞き返しにも答える。間違えるととんだことになるが

ソツのない彼はボーイにあらかじめホテルの名を伝えて置いたから大丈夫と我等を安心させた。

最終日

朝まだ暗く寒い7時。添乗員がバスで迎えに来た。別のホテルに泊まった客が何時までたっても

出て来ない。『ギャルだな』と思っていると案の定、アクセサリーと香水たっぷりの若い二人だった。

呆れたことに待たせた挨拶もない。また『日本は負ける』と思った。

こちらの道路は空港まで渋滞はないが逆方向の市街地に向かう車は延々と繋がっている。

郊外の集合住宅から都心の会社へ出勤する車の列なのだろう。いったいどれほど時間がかかる

だろう。人ごとながら気になった。

空港に近い食料品店で最後の買い物をした。ポケットに残っていたバラ銭と10000ウオン合わ

せて韓国海苔を買ってお仕舞い。驚いたのは野口さん。何を間違えたか白菜キムチを2キロ

買った。聞いたら『別に間違えた訳ではない。美味しくて安いから』と。高野はこれも塩辛が美味し

いと1キロも買っていた。

空港でまたまた靴がひっかかった。慣れたので暫く警音の鳴るのを楽しんだ。野口さんも鳴った。

聞いたらベルトの金具だと。二人ともホールドアップさせられた。

この路線、ドル箱なのか満席。幸いにして窓際に座れた。11時30分フライト。機内食にビール

を取った。アサヒだった。窓際だが日本海の厚い雲の上を飛ぶので地上は見えず、期待には添

わなかった。成田に着いて水道の水が飲めるのが何よりホッとした。水道から直に水が飲める国

はそうはないんだと納得した。成田空港でも何か税関が煩くなってチェックポイントが一つ増えた。

『酒、タバコ、香水など持っていませんか』と聞かれた。

そのほかは大人しそうなラブラドールのような麻薬犬が手荷物を嗅ぎ回っているのが目新しい。

2時に成田を出て、飯能に5時に着いた。来年はタイだと。また毎月三千円の積み立てが始まっ

た。人生は遊びだから。

エピローグ

@ ソウルになかったもの お寺、仏閣、線香の匂い、押売り、乞食・ホームレス、美人、
             太った人(キムチは太らないのかも)、犬猫の類。
A ソウルのすぐれたもの 歩道、道路にゴミのないこと、落書き、張り紙のないこと、
             蜘蛛の巣のような電線のないこと、超近代的ビル群。
             全般的に人の穏やかだったこと。地下鉄の車両の広いこと。
B びっくりしたこと   車内の読み捨てた新聞の量、何でも辛いこと、
             食堂・レストランのウェイトレスのぞんざいなこと。
C 美味しかったもの   真露、キムチ、カルビ、リンゴ、ニンニク
D また行きたいところ  カジノ
E 改善すべき所 ウオン切り上げと高額紙幣の発行。
             車優先社会から人優先社会に転換。
F 困ったこと      ハングル文字はパソコンに入力出来ない。
G 得意になったこと   『奥武蔵釣りだより』がホテルのパソコンにロード出来たこ             と。

※ お寺、線香などの仏に関するものが皆無だったのは『儒教』故か。

旅行記