チチカカ湖のワカサギ 「悲話」

 チチカカ湖は、ペルーとボリビアの国境に横たわる湖面の海抜が3,800m超、琵琶湖の

約12倍という大湖である。正しく天空の湖は、富士山頂より高い位置にあることから下界

の湖とはその様相を全く異にする。 湖面の静寂は、不気味なまでに押し黙り、インカ以

前からの永い歴史をその湖底深くに沈め込んでいるかのように思える。

湖は、山頂から湖岸に至る麓まで、樹木の一本も無い赤茶けた山々に囲まれていること

が、異様さに拍車をかけているようだ。僅かな緑と言えば、湖岸近くや水深の浅い部分

にのみ繁茂しているトトラ葦程度である。 湖面の静けさとは逆にわたしの心の高鳴りは、

41年前に訪れた頃の思い出一気に記憶の彼方から彷彿とし最高潮に達していたのであ

る。

 ここペルー側の街プノには、その昔ボリビア側から2千トン級の汽船で12時間を要し訪

れた。その時は学生、乞食旅行に等しい旅。でも、今回はグループ19人のツアー観光客。

グループ全員高山病で苦しんでいても美しい女医さんが同行。

 さて、彼女達の案内でトトラ葦を乾燥し、それを大量に湖面に浮かせ造られる

島(ウロス)の一つに観光した時のことである。 その島は、縦横50m程の小さなもの。

観光船から興味深々恐る恐るの上陸第一歩。果たして、一歩ごとにくるぶしまで敷き詰

められたトトラの中に沈み込む。軟らかい。そのまま足が水中に没するのではという

不安に取り付かれる。自重の掛かる半径1m位の範囲が、ふわふわとたわむ。

 島民は、我々の上陸で恐らく全員が集まって来たのだろう。聞けば島民数が7家族、

40人とのこと。小さな子供が多い。子供達は観光客の訪問に、はしゃいでか皆裸足で

走り回る。良くもこんな小さな浮島に、これだけ多くの人々が生活できるものだと驚愕。

 まもなく、我々への歓迎が島を挙げて始まる。まず、島から手を伸ばせば取ることの

できるトトラ葦のご馳走。トトラ葦は、葦といっても日本のものとは相当異質の水生植物。

丈は2〜3m、軸は直径2〜3cm、表皮が薄く柔らかく濃いグリーン。芯はちょうど里芋と

同じ様。節らしい節はなく、葉は葦というより、むしろ菖蒲の様。トトラは、この軸葉の上部

1m程度を水面から出し群生している。 島民の奥さん2人が、このトトラを抱えてきて皮

を剥き始めた。観光客は、先を争うようにその周りに群がる。各観光客が差し出す手に、

次々に白くみずみずしい芯を2〜3cmに折り渡される。味覚といえば、歯ざわりは悪くない

ものの全くの無味無臭で特に美味いというものではない。

 そうしている内に、浮島の隅で別の女性が火を起こしだした。火は、厚さ2〜3cmと思

われる僅かばかりの土を敷き、そこに乾燥させたトトラだけを燃料としたもの。その上に、

油の半分程入った鍋が掛けられた。頃合いを見てか、トトラで作られた小屋の中から

リーダー格と思われる男が、乾燥した小魚(ワカサギ)をその両手に持てるだけ持って

出て来た。

女性は、油の沸き立った鍋の中に男の持ってきた乾燥ワカサギを、無造作に鷲づかみ

で放り込む。観光客は、今度はこの周りを取り囲む。空揚げをする女性は、乾燥した

トトラの軸一本で鍋の中をかき回し、鍋から皿にワカサギを取り出すのもこのトトラ箸

一本でする。その様は、実にもどかしく、日本の箸を教えたい思いに駆られた。

やっとのことで、8寸ほどの皿に盛られたワカサギの空揚げが振舞われた。

観光客は、我勝ちに手を伸ばしご馳走になった。皆、1〜2匹ずつゆっくりと噛み締めなが

ら味わっているようだった。

 その後、展開された光景に強烈な印象が、重苦しい複雑な思いを残すことになる。

 それは、観光客のご馳走になったワカサギが、皿に半分程食べ残されていた。

子供の2〜3人が、リーダー格の男のところへ走った。そして、二言三言喋るや否や皿

のところへ取って返した。これを見た他の子供も大人も皆、皿に向かい1〜2匹ずつの

ワカサギを手にしたのである。アッという間の出来事、しかも魚の奪い合いという場面は

皆無、後からゆっくり行ったお年寄りにも残っていた。これは一体どうゆう事か?

 多分、物を分け合うルールが、相当徹底していることに他ならないと思った。

 彼らにとってワカサギが、如何に貴重な食べ物であるかを教えられた。現金収入の元

として、普段は身の回りに沢山有りながら、たまにきり食べられない事を伺い知った。

 更に衝撃的なシーンに出会う。それは、一人の老女が水辺に座り込み、何やら両腕を

動かしている。そっと後ろから近寄り、覗き込む。老女は、先ほどのワカサギを自分では

食べず、手の中で丹念に小さく解しては2羽の真っ黒な水鳥の雛に与えている。

雛の大きさは、昔、露店などで売られていた鶏の雛と同じ位。2羽の雛は、羽を震わせ

老女の掌の中に競いながら頭を突っ込んでは啄ばんでいる。

 老女の表情は、わたしが覗き込んでいることを気にも留めず、愛らしい雛のしぐさに

微笑むでもなく、実に無表情である。この無表情は何なのだろう。本来、こんな愛くるし

い場面なら誰でも嬉々として笑みがこぼれてしかるべきところ。でも、この老女は、極々

当たり前の事を普段どおりにしているかのように見えた。老女の様子は、そうした無表情

であるものの、完全に辺りの自然の中に溶け込んでいる。おそらく何百年もの間、

この湖上で営まれてきた生活の一部なのだろう。

 こうした光景の中に、人としての真の幸せというものを改めて考えさせられた。

 チチカカ湖で出会ったワカサギは、彼らの厳しい生活の一端を垣間見せ、何故か悲しみ

を伴った味として舌に残った。
旅行記

神田 正之