台北紀行 06.2.10〜2.13
                                    小山友叶
 元下水道課の仲間であちこちへ旅行しているが今年は台北へ行った。毎回利用している阪急交通社のツ

アーで平成18年2月10日〜13日までの3泊4日である。第二区公民館の高野館長の車に7人が乗り、朝

の7時それぞれの自宅から乗せて飯能を出たのが7時半。フライトは2時40分だから充分に時間があるけ

れどもそれはタイムの事で道路は渋滞でまともに走っていたのではどうなるか分からないから裏道に詳しい

関口幹事がリードして裏の裏を利根川沿いに走った。途中私は持病の右ふともも痛で車外で少し運動させ

てもらった。スクワットの30回もやれば治る変な痛みだ。成田ニッコウパーキングに着いたのが11時。車を

預けて空港まで送って貰った。空港の受付で野口さんが忙しく書いている。聞いたら『保険申し込み』だと。

サインがないから書き直しなんだと。私は出したからとのんびりしていたが念のため幹事に聞いたら幹事は「

???アレッ」となった。てっきり申込書は書いてくれるものと思っていたら書かなかったんだと。オヤオヤだ

。だから保険に入ったのは野口さんだけになった。こうなったら事故のないように祈るのみだ。デジカメの単

三電池を二つ免税店で買った。店員が「搭乗券を見せて下さい」と。免税店は買い物するのに搭乗券をチェ

ックするんだと知った。使用済みの単三を捨てるのだが分別収集の4つ並んだゴミ入れの何処に入れたら良

いか丁度回ってきた作業員に聞いたら『その他のゴミ』に入れても良いと言われた。覚えておくことだ。

 昼食に790円と高いラーメンをすすって、1時40分機内へ。一時間待たされた2時40分に飛び上がった。

何時ものことだけどまったく待たされる。何でこうも時間の無駄使いをするのだろう。時は金なりだ。勿体ない

話。機内の個々の座席にディスプレイがありゲームやらライブやら何でもござれだ。これだけ設備が揃ってい

たら飽きずに過ごせる。フライトしてから1時間ほどして機内でパスタグラタンと台湾ビール、キウイなどの果

物の他に、パン、バターが出た。同時に入国表を渡されて記載した。予め案内書で書き方を見て置いたので

幹事に雛形を書いて貰わなくても書けた。それだけ進歩したと言うことだ。

臙脂のコスチュームのスチュワーデスが闊歩する。満席の500人からの乗客に一人一人何を食べるか、飲

み物は何か聞いて配るのだから大変だろう。副幹事の英さんが早くも次回の相談だ。「次回はこう言う山の

ある所。何と言いましたっけ」と身振りを交えて言うので「桂林?」と言うと「そうそうそれ」となったが果たして

どうなることか。来年は小俣さんの退職なので何処にしても実行しない訳にはいかない。台湾近くなってアナ

ウンスがあり、『乱気流で遅れてます』と言う。どうりでガタガタすると思った。時速600だと。遅れ遅れて6時

20分『中正国際空港』に着いた。1時間遅れの3時間40分だ。航空会社は『china airlines』だから第一タ

ーミナルだ。この空港は第二ターミナルもあってチャイナエアライン、ノースウエスト航空は第一。ユナイテッド

航空は第二と別れていると言う。少し離れた『松山空港』は国内線専用になったと。以前は松山空港だけで

あったそうだ。新設の空港は床が大理石でライトを反射してとても綺麗。いままでの空港では最高。ここの入
国審査は中国の形式張った入国審査と違って簡単だった。麻薬犬のビーグルが荷物を待つ乗客の身辺を

嗅ぎ回っていたのが珍しい。

英さんが空港職員に『is there any place to smoke sigarettes?』と聞くと『please smoke outs

ide the airport』と言われたと。どうも驚いた。受け答えが出来るんだから頼もしい。そう言えば機内では

関口幹事は英字新聞を読んでいたな。私は永年勉強した英語で今使ってるのは電話で「ハロー」と言うだけ

とは情けない。英語に親しまなくてはこれからはつきあってもらえないかな。

迎えに来たリムジンバスで今回の世話役の『頼』通訳がはっきりしない発音でレートの説明やら注意事項を

ひとしきり説明した。時差は1時間だと。針を一時間遅らせるようなのだが、康さんは『電子時計』だから直さ

ないと。私も面倒だから指定時間に一時間遅らせればいいやと横着していた。空港から直ぐにホテルに着く

と思ったところがなんと時速10キロのノロノロ。混んでいなくても空港から市内まで通常50分かかるそうだ。

どこもかしこも光の帯。台北の夜景は眼を見張るものがあった。特に明日は旧暦の正月。今夜は『大晦日』

なものだから6車線の高速道がビッシリ。何でも今日から『ETC』が使えるようになったのも混む原因だとか

。機内でビールを飲んでいたものだからトイレに行きたいけどとてもじゃないが停めてと頼めもしないが堪え

ているのは私だけではないと思い添乗員に『トイレ』と催促した。考えてみると成田以来、6時間もノートイレ

だ。早々にエラク我慢を強いられた。ようやっと混んだ原因のゲートをくぐると後はスムーズに走り出した。市

内に入って直ぐ、ショッピングプラザに寄り用を済ませてホッとした。私のホームページを外で開いてみようと

かねてから思っている。丁度パソコンコーナーがあったので野口さんとアタックしてみたけど『チルダ』がどうし

ても入らなくて諦めた。旧正月で市内は満艦飾。街路に沿って2メートルの高さに上が赤、下が黄色の豆電

球で延々と街道を彩り素晴らしい眺め。また街路樹の幹に白の豆電球が輝いていて今までこんな綺麗に飾

った街は見たことないと思った。ホテルの『麒麟大飯店』に泊まるのは我ら7人だけ。あとは別々のホテルに

投宿するために既に下車していた。遅くなったが夕食に7人揃って街に出た。小さな食堂で鍋を頼んだ。頼

むのも大仕事だ。言葉が通じないから。メニューを指さしたり、食べている人の料理を指さしたりだ。ようやっ

とそれぞれが注文した中に吉田さんの鴨ナベがあった。グロテスクな鴨の頭らしき部分が骨を露わにして中

央に鎮座している鍋はどうも食欲が涌かないらしくこっちに回ってきた。それで思い切って囓ってみた。意外

と美味しい。グロテスクと美味とは反比例するらしい。鍋にはナツメ、クコ、アサリ、キムチ、レバー、エビ、野

菜、卵などが入って湯飲み茶碗の様な小さい茶碗にライスが付いた。この食堂の燃料は液体燃料で『障子

糊』そっくり。受け皿に流し込んでライターで火を付ける。燃え尽きると固形燃料だとかなり悪臭だがこの液体

燃料は全く匂わなかった。それだけは助かった。

第2日は9時20分に迎えにきたバスで出発。最初に『烈志堂』へ。台湾の戦死した兵士を祭る謂わば靖国

神社だ。衛兵の交代が人気のあるミセモノで見物客がその衛兵の交代の様子を楽しみにしている。8人の

兵士が闊歩するなかなか格好いい。門に立つ衛兵は微動もしない。一時間じっとしているんだと。私が見て

いた間は瞬きしなかったから瞬きすらしないみたい。康さんが観察した結果は「瞬きしてる」と。そうだろうな

ぁ、しなくちゃドライアイになる。衛兵をバックに記念写真を撮る見物客がひっきりなしだ。恐らく頬を突っつい

てもニコリともしないだろう。人間ロボットだ。あと10年もすればロボットが取って代わるだろうと思った。

『故宮博物館』へ行った。入り口に『孔子』の像がある。世界4大博物館だそうだ。展示品の総数では62万

点だと。今は半分改装中だから展示も少ないそうだが全てをみるには8年かかるんだと。それを2時間たら

ずで見るのだからほんのひと囓りだ。中は暗くて混んでいて同じようなグループが集団で移動するものだか

ら迷わないように心がけていた。展示されているのが陶器がメーンなので詰まらない。1個で1億円だと言わ

れても全然興味ない。何時も博物館は退屈だ。

ここを12時15分に出る。その後、ショッピングを1時40分までしてから『中正紀念堂』に行った。70メートル

の四角い白亜の大建築物。蒋介石を祭る所だ。

蒋介石の巨大な銅像は写真で見るリンカーンの丸写しだから感銘しない。階段が亡くなった86歳の86段あ

ると言う。ここでも衛兵の交代を見た。結果的に言えば衛兵の交代が見られるのは3カ所。ここと先の『烈志

堂』と『国父記念館』だった。

『竜山寺』に寄った。45センチもある長い線香を持ちお供えをテーブルに供えてひたすら祈る。老いも若きも

呟きながら祈る。投げ入れられた香炉の線香が燃えている。死者崇拝は仏教の色彩の強いこの国の特徴

だ。寺院建築を見ても極彩色でしかも形が凝っている。死後の世界はこのように楽しい世界だと教えている

のだろう。それに比べて日本の仏教建築は質素で寂しい。これは仏よりも神をより大切にする国体なのであ

ろう。だから日光などの神域は荘厳にして建築も絢爛である。

 このあと『足マッサージ』を受けるツアー客のために1時間の空きが出来たので野口さんと日曜野菜市場に

行ってみた。枇杷があったので200元で買った。日本語の出来る婦人が同時に買い物していたので助けを

かりて野口さんが1キロほど買った。台湾には中高年に日本語が話せる人が多い。日本の観光客は随分と

助かる。「ツアーの人かな」と聞くと「そうじゃない地元の人だよ。助かったね」とは野口さんの述懐。

 烏龍茶房に寄った。我が家では「烏龍茶はもう沢山」と釘を刺されているので充分承知しているがそれでも

日本語の上手い説明者の催眠商法にはよほど気を強く持っていないと買ってしまう。催眠商法がクライマッ

クスに達したところで私は席を立った。上海で買った薬用茶がまだ処分出来ずに我が家では放置されている

。 竜山寺の地下に『占い師』の一画がある。案内書にも紹介されている。孰れも僅か二坪ほどの小さく区劃

された地下壕にいろいろな占い師が陣取っている。『当たるも八卦当たらぬも八卦』と呟きながら通過してバ


スに戻った。ツアーの中のレディに占いは人気があるのかそれとも案内書を見て占って貰おうかと決めてい

たのかツアーの全員が揃ったのは一時間も後のことだった。こんなに待たされるなら市内を散策していれば

良かったと思った。

 ショッピングに寄った。何か土産を買わないといけないのだがと思ってあれこれ検討するのだけどどうも難

しい。小俣さん、野口さんと揃って買い物に精を出している。吉田さんが買い物の額に対応して税の還付を受

ける手続きを済ませてバスまで来てから肝心の買い物をカウンターに置き忘れで慌てて取りに戻った。

 ここを8時30分に出た、食事してホテルに戻った。

 台湾のスクーターは舗道でも走ってくる。前後は勿論、左右も注意しないと危ないことこの上ない。スクータ

ーは路上にビッシリと並んで駐車している。将棋倒しになるから注意とは案内書にあったが確かに一台倒れ

たら10台は倒れそうだ。

第3日 今日はフリー観光だ。関口幹事の案内で地下鉄に乗ってみた。吉田さんが買ったカードは何故か不

調でロックされて通過出来ない。昨日に続いて御難だ。地下鉄は綺麗でゆったりとした空間でエスカレータ

ーも緩やかな勾配だ。このエスカレーターは右に立つのがきまりなんだそうだ。左は急ぐ人の為に空けておく

のだと案内書になったが、なるほどその通りだった。

市役所のある駅で降りて整然とした街路を歩く。街路樹は新芽を萌している。あと半月もすれば新緑になる

だろう。爽やかな風に吹かれながら世界一高いと言う「タワー」に行ってみた。550メートルだと。これを高速

エレベーターで45秒で上がる。着いた展望台は50メートル程の真四角フロア。展望台から見る市街はビル

街がまるで平屋だ。タクシーは米粒大だ。台湾はスモッグはないから遠くまで見通しが利く。やはりバカでか

い『中正紀念堂』はここからでも見える。この展望台の中心に大きな鉄塊がある。耐震装置だそうだ。660ト

ンだと。それにしても僅かに揺れを感じる。揺れを感じたのは私の他に関口さんと野口さんの三人。あとの四

人は感じないと言う。どこか鈍いんだろう。

 再び地下鉄で終点の『淡水』へ行ってみた。食事をしてから露店で繋がれている子豚がしきりに尾を振っ

て可愛いのでかまっている内に跨ってみた。『ギャッ』と大きな声で鳴いたのでビックリした。噛みつかれない

で良かった。

 淡水河畔に行った。何かイベントでもあるのかそれとも元日だからか見渡す限り人、人、人。若者の集団で

身動きもままならない。ここ淡水は東シナ海に面した貿易港だとのことだが水が灰色で冴えない。ウミガメの

ようなイシガメのような亀がいた。

 台北駅に戻って駅前の『三越』にショッピングと洒落込んだ。吉田さんと最上階から下へ一回りしたけど買

いたいものはなく戻ると小俣さんが腹具合が悪いと言う。急いでタクシーでホテルに戻った。およそ10分で1

00元だった。円に換算すると400円だから一人100円だ。利用しない手はない。本当に助かった。

 夜7時半。食事に出た。何回も通った竜山寺の参道の食堂でそれぞれが鍋を頼んだ。突然康さんが気分

悪いとホテルに帰った。後で聞いたら「臭気に当てられた」と。体質によっては耐えられないかも知れない。

私はここではアサリとエビの鍋を頼んだ。アサリがプリプリしていて美味しい。エビも新鮮。エビは養殖ではな

いのか背ワタには何も入っていなかったので安心して食べた。紹興酒も小俣さん、吉田さん、私と三人で2

本飲んだ。女性店員にメモで美味しかったと書いて渡したら通じたのやら通じなかったのやら分からないが

喜んでいた。意外とウブっぽいので記念のスナップを撮った。ここはガスを使う加熱ではなくIHだから空気が

汚れない。なかなか進んでるんだと思った。

 帰りに露天で小俣さんがジーンズを買う。バッグをひったくられないかと気が気じゃない。指に掛けただけだ

から。舗道に腹這いになっている性別不明の乞食が居た。関節が緩んでいるのか完全に腹這い。両足首が

外向き、まるで軟体動物みたい。頭の前に平ったい笊に青いトマトが入っている。他にもなにか入ってるよう

だがはっきりとしない。何事か喚いている。まるで蜘蛛だ。そこから少し離れた所には墓場からよろばい出た

ような顎髭ぼうぼうの年寄りが杖突いて立っている。凄まじきまでの乞食だ。上海の乞食も凄かった。氷雨

の降る舗道に正座して手を突いて哀れみを請う。手が真っ赤。また零下10度の野外で下水から上がる水蒸

気が暖かいのかその上にボロを纏って夜を明かす乞食にもビックリしたものだった。竜山寺の塀に沿って椅

子に座って盲目の指圧が並んでいる。指圧を受ける者がいるのだろうか。白人の托鉢が立っている。大柄

な白人特有の透き通る肌で凝然と立っている。色んな人がいるものだ。

最終日 朝小俣さんのパスポートは心配だから預かろうと野口さんと仕組んで先ず私が小俣さんの部屋へ

行って「小俣さんがバックをひったくられた夢を見た。」と適当な事を言い、その後、野口さんが行ってパスポ

ートを預かって来た。そして私が保管の役を引き受けた。そうしないと万一ひったくられたら全員が足止めを

喰ってしまう。

 出発までに時間があるので、また地下鉄に乗って今度は『国父紀念館』に行った。ここでようやっと野鳥を

見た。雀だけど台北に着いて以来、鳥を全く見なかった。ここには野鳥はいないのかと思ったものだった。北

京でも西安でも上海でも殆ど野鳥は見なかったがここでは最終日に雀だけどようやっと見て何故かホッとし

た。この『国府記念館』孫文の顕彰館だ。ここでも衛兵のセレモニーを見た。孫文の像も全くリンカーンスタイ

ルだ。保存されている古文書に孫文が1915年に宋慶麗(蒋介石の妻宋美麗は宋慶麗の妹)と結婚した時

に書いた『誓約書』がある。東京に亡命していたときに書いたもので立会人が『和田瑞』とある。孫文を助け

た邦人は多い。その一人だろう。地下鉄に乗って三度、竜山寺へ来た。洒落たレストランで食事した。陽気

が良いので竜山寺公園では暇人の高齢者がワンサと涌いて出た。若者ばかり見ていたのでここには年寄り

は居ないのかと野口さんと話していたものだった。市内を見物しながら歩いてホテルに戻った。大野会計か

ら500元が戻ったのでホテルの売店で土産を2品買った。更に免税店で翡翠のネックレスを女房に買った。

あとアンベにも。空港に着いたのが4時。待望の窓際席だったけど雲海で何も見えず、日本に近づくにつれ

て雲が消え、高度1万メートルから見る大阪、名古屋などは光の様子から位置が分かったのがせめてもの

慰めだった。ジャンボだがかなり揺れた。揺れる機内で台湾ビール2本、機内食をとって成田に9時少し前に

着いた。

写した写真は約160枚、これをCDにコピーして配り気に入ったのを各自でプリントして貰うようにした。またメ

モを整理して紀行文を作った。アンベにはメールで下山祝いをやるからと呼びかけたら喜んで『華子』と一緒

に来ると言う。『アレッ土産はアンベにしか買ってない』と思わず呟いた。そしたら聞いた女房が「アンベって

誰?」としつっこい。とんだオチが付いた。

野口さんは新品のデジカメが全く使えなくて困っていた。原因は裸でスーツケースに入れたのでカメラの設

定が狂ったらしい。去年はカメラの盗難に遇い、今回はカメラの設定が変わってしまい使えずだった。二年続

きの御難だ。

次回はタイかベトナムか香港だと。また積み立てが始まった。
旅行記