興津川でやっと竿納め                木ア 勝年
 今日は十一月二十一日月曜日。
 今朝は、庭の睡蓮鉢に今秋初めて薄氷が張った。ここ十日ほど列島に寒波がやってきて凄く寒い。遅れていた紅葉が一気に進んだようだ。
「今日は興津(おきつ)川へ友釣りに行ってくるよ」
「興津川って何処なの?」妻がムスビをつくってくれながら訊く。
「静岡県の静岡市で、清水次郎長の清水港のそばに流れ込んでる川なんだよ」その清水市は、ちょっと前に静岡市と合併したから名前が消えてしまったのだ。
 コースは、中央高速河口湖インターから東富士五湖道路経由で御殿場へ出て、東名高速道路を利用する。これを走ると富士山が良く見える。既に六合目辺りまでが真綿色した雪化粧をしていた。
 清水インターで下りて国道五十二号に入り、取り敢えず新幹線鉄橋上流の八幡(やはた)橋右岸の駐車場へ止めた。ここは興津でも一番下流の方で、こんな下でやったことはない。いつもだともっと上流の中河内川が出合う「出合淵」辺りでやっているからだ。
 二人のオジサン(以下「暇人」という。)が川を観ながらピンコロに腰掛けて昼食をしていた。
「どうですか、釣れましたか?」
 釣り人同士の名刺代わりの挨拶をした。
「小さいけど釣れたよ。掛け釣りだけどね」と言う。
「まだトモは売ってますかね?」と訊くと、
「十五日で終わったよ。ここは十月一日から掛け釣りが解禁された区間だから、ここで獲って三四キロ上へ 行けばいいじゃないの」と教えてくれた。
 富士川下流部(静岡分)の佐野オトリ松野店や東名高速に近い鈴木オトリでさえも、友釣りが可能な水況ならば十月一杯までしか置いてくれない。だが、何と言ったってもう十一月二十一日なのである。いくら気候が温暖でお茶と蜜柑と石垣イチゴの静岡・清水の興津川とはいえ、時期的に無理なことはわかっていた。
「そう言えば昨日から泊まり込みで友釣りに来たという町田市の人が、上で三匹しか釣れなかったとボヤいていたなあ。オメーも友釣りしたいのかい?」
 と言うので、答えるハメになってしまった。
「ええ、どっぷり浸かってますし、毎日暇してますから」
 興津川非出資漁協が発行している「遊魚のしおり」によれば、興津川の友釣りとドブ釣りは五月二十日から十二月三十一日まで全域でできる。掛け釣り(コロガシのこと)も河口から新幹線下流の福山淵までは同様にできるが、福山淵から上流の丸淵までの区間に限り十月一日から十二月三十一日まで掛け釣りできるのである。
 そんなとき別の暇人が川から上がってきて、隣の軽ワゴン車のハッチバックを空けた。
「どうでした、掛けましたか?」
「まあまあだよ」
「実は友釣りに来たんだけど、もうオトリは売ってないそうで、まいりましたよ」すると私の車のナンバーを見て、
「所沢からかよ。随分遠くから来たね。もしトモになりそうだったら使っていいよ」
「そうですか。じゃあ、遠慮なくいただきます」
 だが何を思ったのか、暇人はいきなり氷の入っているクーラーへアユを空けた。黒いサビのある十五センチ以下のチビアユが二十匹ほど跳ねている。まともに氷だからさあ大変。大急ぎで使えそうなヤツを一匹掴んで引き舟に入れ、川まで三十メートルほど走って水を入れた。大丈夫だった。 八幡橋の堰下百メートルほどに瀬があった。ヘチの石にはハミ跡があり、ときどきアユの跳ねもある。対岸寄りを水深四十センチほどの瀬が二十メートルほど続くと、一畳ほどのコンクリートの残骸があり、それを境に流れが開いて緩くなる。ここでやることにした。
 竿は九メートル、仕掛は水中糸がナイロンの○・二号、ハリはイカリバリの七・五号を取り付けた。風は海風がやや出てきていたが支障はない。水温は十四度弱。
 開始は十二時四十分。誰もいないから貸し切り状態だ。
 放たれたメスのオトリは、上へ上へとのぼっていく。オトリがオトリだから引けば忽ちマイッテしまう。気儘に泳がせるしかない。だが良く泳ぐ。泳ぎ過ぎる。泳ぎ過ぎるから足音を出さないように、静かに付いて行くのが大変。今度は下った。そんなことを繰り返す。こういうオトリの動きは盛期の夏を過ぎると、よく起きる現象だ。どういうことかというと、オトリが野アユを探し、それと一緒になって走り回るからだ。
 やがて残骸のすぐ上でキラキラっとして、同時に当たりがきた。
痩せているがメスだった。
『来たぞ、まあまあの引きだから小型だろうけど、抜いちゃおうかな!』
玉網に納めると十四センチほどの抱卵したメスで、腹の張りから産み月の近さが感じられた。これにハナカンを打って流れに放った。時計を見ると十二時五十分だった。
 風がやや強くなってきた。寒くないように着込んでいるが、濡れた手が寒い。
 しばらくして胸のポケットで石原裕次郎のヒットソング「夜霧よ今夜もありがとう」の携帯着メロが鳴り出した。新井博さんからだった。
「興津だって? 今頃友釣りに? 一人で行ったの?」
 声の感じからすると、呆れ返っているように思えた。
 それというのも埼玉医大へ十月中旬に検査入院したが、三日もすれば帰れると思っていた。ところがERCPという検査ですっかりマイッテしまい、十一月に入って退院した。その経過を話してあったからだ。体重は三キロ減ったのだった。
「そうだよ。さっき一匹掛けたよ。こっちは意外に暖かいね」
 そう言ってると盛期のようなガツンがきた。掛かったのは残骸の巻き返しである。
「来ちゃったよ、でかそうなのが。悪いけど切るぜ」
 結構強い引きだ。数メートル下って抜き上げた。二十センチ近いメスで、痩せてはいるが可成り白かった。 これをオトリにすると良く泳ぐ。どんどん上って瀬に入った。少しもじっとしていない。キラッと光り野アユが掛かった。抜き上げようとするとバレてしまった。逆さバリを打って放つと、野アユを追ってるようで、徐々に二十メートルも下り、水中でキラキラと光った。野アユが掛かったのがはっきりとわかった。この三匹目はオスだった。普通ならこれをオトリにするのだが、使っているオトリが大きくて元気印なので、そのままにした。
 時間が経つのは早いもので、もう二時を回った。『三匹も釣ったんだから、もう止めようかな!』と、確実に萎んできた脳細胞が思う。反面、『折角興津まで来たんだから、もうちょっとやったら!』とも命令する。なかなか踏ん切りがつかない。
 二時半になって、上の瀬でゴツっときて糸が張った。待望の四匹目だ。抜いて玉網を覗くと抱卵したメスだった。
 始めるとき下流へ行った掛け釣り屋が上がってきて、
「どうだい、友釣りは?」と足を止めて訊いてきた。
「うん、四匹だよ」って言うと、「じゃあ、友の方がいいや」と言い、項垂れながら帰っていった。
『オレの影法師が川面に三四倍にもなって映り出したから、これで止めよう。五月二十二日から始まった今年の友釣りも、やっと今日で終わりそうだな…』

釣行記