今年も大歓迎されてしまったのだの段                      新井 一男 

 お彼岸も過ぎ、4月に入り、そろそろ天然山女も回復してきたかなと思い、いつもの谷

に出かけてみた。2時ごろ起床し、顔を洗い、気合を入れて出かけた。

まだ暗い4時ころ車止めに着いた。谷から覗くことができる空には無数の星が輝き、

殊に北斗七星とその柄杓の延長上にある北極星が非常に美しく輝いていた。

あまりの美しさにしばらく見とれてしまったが、そうのんびり星に見とれてもいられない

ので、早々に支度を終え、懐中電灯を手に、そしてザックにはいつもの熊よけの鈴を

付け、車を離れた。林道を四○分ほど歩き、入渓した。今年は例年になく積雪が多く、

車止めにも日の当たらない所に雪が残っていた。

 入渓した斜面にも、かなり残雪があり、ふくらはぎが隠れるくらい雪が残っていた。

今期まだ入渓した者も少ないらしく、踏み跡も少なかった。

(その踏み跡の少ない理由は後ではっきりすることになるのだが。)

まだ竿を出すには、ちょっと暗かったので、煙草の火を燻らせ、明るくなるのを待った。

程なく明るくなったので川虫を針に刺し、流した。泡切れの底や渕尻の底などの深みから

答が返ってきた。

 まだとても寒く、落ち込みから跳ね上がる水の飛沫が、周囲の岩や渕から顔を出した

木の枝などに面白い氷の造形をこしらえていた。

しばらく同じ所に立ち続けていようものなら、ウェーダーのフェルト底が、足元の岩や石に

直ぐ凍り付いてしまった。歩き出そうとすると足が岩にくっついて簡単に取れなくなった

り、足に石がくっついてきたりして困りものなのだが、なかなかに初期の釣りらしく、

これはこれで趣があり、嫌いではないのだ。

 このような日は、水を含んだフェルト底そのものも凍ってしまい、足の裏にちょうど氷の

板を付けたような状態になってしまい、石の上を歩くときなど注意しないとひどい目に

遭ってしまうのだ。

この日も例外ではなく、傾斜している岩に飛び乗ったら、ツルンとすべり、弁慶の泣き所

をいやというほど岩にぶつけ「痛くて、涙は出るわ。息はできないわ。」で、しばらくの間、

その場にうずくまり「どうかどこも怪我をせず再び正常に歩き出すことができますように。」

と祈りながら、痛みが過ぎ去ってくれるのを待たざるを得なかった。

でもまだそんなのは序の口で、石と石の間にちょうど足にぴったりの穴があいていて、

その穴に足が喰い込んでしまい、ところが既に体全体は次の動作のために体重を移動

させ始めてしまっていて、とても後戻りできるような状態でなくなっていたので、

これもちょっと自分自ら進んではやりたくないくらい、足を強く捻ってしまった。

例のごとくのうずくまり場面がありその後、足がしばらく正常に動かなくなってしまったこと

は言うまでもない。

 それでもまだまだ序の口の方で、こんな日は濡れたように見える岩や石の上には絶対

のらないのが鉄則。なぜなら、水に濡れたように見えても、それは実は凍っているから

である。この日も、「こんなのに騙されちゃいけない。」と注意していると、いつものルート

が一面そのような状態になっていた。

 「はーん。こんなのに騙されないもんね。ちゃんと分かってるんだもんね。」と反対側の

ルートを取り、「難なくクリアしちゃったもんね。」などとほっとする間もなく、足元をすくわれた。

沢からの流れ込みが凍っていたのだ。

体が淵に滑り込み、左腕に非常に冷たいものが流れ込んできた。慌てて起き上がり、

腕を振って、中に入ってきた冷たいものを振り出した。

 遡行をしていくと、雪は深さを増し、次第に膝丈になってきた。

雪のため足元は滑りやすく、岩や石の間に足を取られ、思うように遡行できない。

雪が太ももまでの深さのところも珍しくなくなってきた。

そしてこんな状態になってくると、足元の悪さに加え、山女同様、こちらの足も冬でなまり

きっていて回復していないから、足もよれよれになり、かなり遡行に手を焼くようになった。

 そして、案の定、やはり、こけた。雪に覆われた岩に滑った。

竿を持った手が雪に埋もれ、ひどく痛かった。入渓してすぐに、寒さのため、かじかみ

始めていた手の先は、さらに凍えて思うように動かなくなり、痛みを感じるほどになって

いたのだ。そんな痛めつけられた手に追い討ちをかけ、止めを刺そうとするかのように、

手は深く雪に埋もれ、雪をつかんだ。こんなことをすると、手の先の感覚が一週間か

そこらは、じんじんしているのである。さらに遡行を続けた。

アタリはぽつぽつあり、形はよいが、まだ錆が残っていた。

山女も回復してはいなかった。

川虫を刺すのもままならない手が、ハリス切れなどに遭うと、たまったものではなかった。

 巻くのに冷や汗ものの、いやな堰堤を越すと、急に積雪が増し、流れを除く一面が

膝丈以上の深さになった。ようやく林道のガードレールが見え始めてきた。

釣り場はまだまだ続くが、遡行はそれ以上困難となった。魚の腹を裂いた。

氷水のような流れに、凍えた手は悲鳴をあげた。はらわたも思うようにつかめなかった。

遡行をあきらめ、雪の少なそうな斜面を登ることにした。

急斜面に生える木を頼りに、雪に倒された笹に滑らぬよう、そして雪の斜面に流され

ないよう、最後の力を振り絞り、登攀した。今年も谷は難行を強いてくれた。

今年も、谷は、みんなで大喜びして、迎えてくれたのだ。有難い。

釣行記