待ちに待って いた 季節がやって来た                   新井 一男
 
今年もやっと、ちょっとスリルな、でもちょっとたまらないワクワクの季節がやってきたの

だ。

 彼岸も過ぎ、「もうそろそろいいんでないかい。」と思い、みぞれ混じりの雨の中、

半年ぶりに、勇んで懐かしの谷に入った。今年は雪が多くて、お師匠さんからの情報も

耳にしていたが、そのとおり河原にもかなりの積雪があった。

林道も、行く手を谷筋から押し出した雪が何箇所か塞いでいた。

がけ崩れは例年より少ない様子だった。いつものように車を降り、いつものように身支度

をして、そしていつものように熊よけの鈴を付け、電灯で足元を照らし、雪の林道を時

たま雪に足をとられながら暫く歩いていくと、空も白み始めてきた。

いつものそま道を谷に下り、堰堤の上に出た。いつものように、軽い汗で、眼鏡が

曇った。目印が見えるか見えないかの中に竿を出した。銀鱗が中に光った。

ヤマメは今年も健在だった。遡行していくと、懐かしいページが次々にめくられた。

半年ぶりなのに、とても椅麗で、とても魅力的で、とても油断ならない、そしてとても

たまらなく懐かしいページが次から次に開かれた。

今年はあまり大きな渓相の変化はなかった。雪代のせいか、水量もまあまあだった。

ヤマメの応答も少なくなかった。流れのある深みの、どちらかと言えば瀬尻の底から

返事が返って来た。流れのない落ち葉の堆積した上からもきた。流れの落ち込みから

は岩魚の返事も来た。久々に大きなやつとも出会えた。

でも去年より少し形落ちしたような気がするが、時期のせいだろう。時期的にちょっと

早すぎるという感じで、まだやせ気味で、少し錆も残っていたが、凛としたこの谷の魚

特有のあの精悍な面立ちは変わらない。今年もやっとまた会えたのだ。

ヤマメの食いはたいへんが浅かったが、魚信が絶えることがなかったから、ついつい

同じ淵に長居してしまった。また積雪のため遡行も慎重にならざるを得なかったので、

いつもより手間取ってしまった。

 なつかしの谷は、とても優しく?迎えて入れてくれ、心を癒してくれた。でも、少し気を

抜くと、かなり手痛い仕打ちもしてくれた。谷を下りたとき、大木を跨ぐ際、折れた枝に

気付かず、玉の脇を強烈に打った。魚を取り込む際、足を乗せた石が崩れ、これでもか

というくらいに股が裂かれた。

帰りの林道で、落ちていた大きな石をよけ損ね、石にひざを強く打ち、ちょっと血も出た。

みぞれ混じりの谷は、体を骨の芯まで冷え切らせた。

手はかじかみっぱなしで、特に氷水のような流れの中でする腹裂きは、中のものが

掴めず、手が切れるように痛く、とても難儀した。雪の斜面を高巻くときも、

手に触れる雪が凍えた手にとても痛く、その後1週間くらいは指先がジンジンしていた。

もっとも、治る頃にはまたジンジンしに行ってしまうのだ。

やっぱり、春先の谷はすごく寒いのだった。 釣った魚をクーラーに詰め、付近の雪を

氷代わりに加えた。それをリュックに仕舞い込むとそれなりの重みが肩に伝わってきた。

谷を上がり、林道に出た。なつかしの谷は、谷も名残惜しいのか、帰ろうとしてもそう

簡単には返してくれなかった。みぞれが林道に積もった雪を更に緩め、金色夜叉のお宮

のやうに雪が足にまとわりついて、離してくれなかったのだ.金色夜叉を引き合いに

出してしまったが、お宮のやうに熱い思いは同じでも、金色夜叉の筋を少し替えたい

のだが、金色夜叉の話はさて置く。そのお宮の雪に足を取られながら、林道を下り、

車の所に着いた。濡れた衣服を着替え、谷に礼をして、帰路に着いた。

 今年も待ちに待った季節がやって来た。
釣行記