『一九九三夏伊南川』                     小山 友叶

 伊南川の古町の民宿丸福に鈴木さんと二泊して鮎つりをすることになった。丸福と鈴木さ

んとのつながりはもう二十年だと。二人の娘は生まれたときから見てると。

今は小学低学年の可愛いい子になってその子に毎年花火持参で行くのだそうだ。

 今回も花火セットを土産に訪れた。おかみと飲兵衛の息子とその嫁さん、二人娘に歓迎

されて今年の鮎釣りはオープンした。

 その夜、裏通りに面して建つ倉庫の蛍光灯の他は星ばかりの闇の庭で、花柄の浴衣に

縮緬帯、駒下駄の姉妹と裏庭でひとしきり花火をやって、それからホタル狩りだ。

通りのむこうは一面の田圃で稲穂はまだ突っ立って花が咲いている段階。イナゴも羽が

退化したみたいに小さく青くさい。イナゴのイメージから遠い。稲に止まった小さいホタル

があちこちでがポワーっ光る。飯能河原で夜、泳でいると時々見ることもあるが、ともかく

久しぶりだ。童心にかえってホタルを摘もうとするとポロッと落ちてしまう。それにあの虫は

ビロードのようにすべすべして摘み難い。つかまえて手の平に乗せても逃げようとしない。

何か可愛い虫だ。蛍は網などを使って捕るものではないようだ。よく団扇でホタルを追って

いる絵が昔はあったものだが団扇とホタルと浴衣は夏の風物詩だ。何匹かとれたのを

青くて目の細かい網のホタル籠に入れる。水滴のついたホタル草の中で断続的に光る淡

い光りをたのしんで翌朝田圃に放してやる。一晩だけのおつきあいだ。

 伊南川の朝はもやに包まれて真夏でも涼しい。こんなに涼しくて背中が焼けるような釣り

日和になるだろうか。ぎしぎし鳴る階段を降りてトイレに用足しに行く。ようやく彼が起きて

きた。丸福の低いなげしに頭をぶっつけないように彼はいつも前かがみだ。

朝飯は決まってパック入りの納豆、しおじゃけ、豆腐とわかめの味噌汁。孫娘二人の習字

に金賞、銀賞の短冊が張って飾ってある。おかみの伊南川弁の給仕で朝飯を終わって、

芯にしゃけを入れたむすび、副菜にキュウリの塩漬けと茹でたまごが二個、セットになって

アルミ箔に包まれている弁当をもらってさあ出発だ。

 南郷支部の採石場前の瀬が良いと云う鈴木プロの判断でそこに行くことになった。一夏

に伊南川だけで七百から釣ると云うプロまがいの大先達だから場所はおまかせだ。途中、

鳥井戸橋、大宮橋、下山橋と寄っては川の状況を見ながら目的地に着いた。

 上がりは四時という時間の打ち合わせして分かれた。採石場前に行くには手前の瀬を

越さなければならない。流れは緩やかでも深いのでビビッてしまう。どうしょうかと思った

が、越して中瀬に行かないことには今日はどうにもならない。しばらくためらったあとキノコ

取りに使う大きな籠を背負って川越しした。いきなり胸まで水の中だ。真夏とは云え、朝の

伊南川の水は冷たい。籠を背負ってるから不安定だ。ふわふわする。一歩一歩慎重に

浅い所を選びながらようやく着いた中瀬は一人もいない。対岸に三人ばかり。瀬を独占だ。

これで掛かれば云うことないのだがなにしろ私の釣りは下手だ。下手だから人の云うこと

を素直に聞いて真似する。真似をするのはのはいいんだけど逆に云うと確たる信念を持っ

ていないのが欠点だ。こう云われればこうといつもいつもあれこれ迷っている。もう友釣り

もかれこれ三十年だ。確固とした仕掛けと技術があってもいい頃だ。果たして釣れるかな。

釣れなかったら三人の目の前でみっともないことになる。鮎釣りは見栄だと思う。釣果より

も勝負なんだな。真釣勝負だ。竿の並んだ中で一人釣れないみじめさ。逆に一人入れが

かりになる晴れがましさ。これはやった者でなければ分からない。

 釣果は二の次なんだ。いかに自分は上手いか。その競争だ。それにつきると思う。

だから鮎釣り選手権などのイベントが流行るのだろう。

 幸いにも一匹目が掛かった。石が丸く一抱えもあるので一歩一歩が怖い。慎重に引き寄

せて袋だもに掬った。やれやれこれで今日は一日楽しめる。最初の一匹が肝心かなめだ。

オトリを替えて気持ちよく竿を操作する。掛かり鮎は生きがいい。とっとと瀬に出て行く。

「オイコラあまり行き過ぎるなよ。道糸いっぱいになっちゃったじゃんか少しこっちゃこい」て

なもんで限りなく愛おしい。また来た。引き抜きなんてことはしない。引き抜きをしないのは

栄ちゃんと私だ。栄ちゃんはやらないだけ。私は出来ないからこの差は大きい。だけど鮎

の引きを楽しまなくてなんで不細工に魚を放り上げるんだ。

 ここ伊南川で去年見たが、非道い釣り手で、鮎がかかるといきなり引っこ抜く。鮎は天高く

放物線を画いて後ろへ落ちる。それをもう一度引き抜いて玉網に取り込む。良く云えば

見事な引き抜き、悪く云えばぞんざいな釣りで、今まで色々見てきたがあんな引き抜きを

見たのは初めてだ。あれはオトリがプラスチックなのかな。たまに掛かり鮎が外れると

はるかかなたへ落ちる。まるでブースターから外れたロケットのよう。あれでは鮎が可哀想

だ。あんな友釣りを見るのは嫌だ。友釣りは結果ではない経過だ。経過を楽しむのだ。

折角の鮎の引きを楽しまなくてどこを楽しむ。私も引き抜きを練習したっけ。ゴムタイヤを

切ってそれで練習すと良いと云われて永田の誰も見てない所で。

でもシマノのインストラクターなんて云う名前は良いけど五万円の安い胴調子の竿では

引き抜けないと知って止めた。引き抜きをやりたければ竿を買い換えなくちゃ。

 トイメンのすり鉢状のジャリ場でやっている釣り人はスタイルはビシッと決まって格好は

いいけどまだかかってないな。やたらとばたばたしてる。あせってるんだな。第一オトリが

沈んでないじゃないか。彼苦労して沈めようとしているけど瀬が強くて沈まない。何回とな

くやっているけど駄目だな。彼は仲間が近くにいないようだがこの後どうするんだ。まだ

十時だぜ。十時でオトリなしかよ。集合時間は午後四時か。それまでの六時間をどう過ご

す。周りに仲間はいない、オトリ屋は遠い、乗ってきた自動車は鍵がかかってしまって

開かない。友釣り三苦だ。さあ困った。俺がオトリまわすからこっちゃこい。人ごとではない。

 私にも辛い経験がある。あの気持ち分かる。鈴木さんの従兄弟の直哉が私が回したオト

リで一日楽しめたと会う度に云う。よほど忘れられないのだろう。

 釣友会で三面へ行った時、釣れるそばからオトリを回してとうとう自分のオトリがなくなっ

てしまったことがあったが、以来、オトリを回すのは自分に余裕がある時だけとすることに

した。そうしないと自分が詰まらない一日を過ごすことになる。

 さて、次は三匹目だ。どういうものか私は三が厄だ。三丁目から一丁目に変わったので

入子地蔵が怒ったのか、それとも三丁目稲荷が祟ったのか何か知らないけど三は厄だ。

何処でも三匹目がすんなり通過したことはない。鬼怒川へ行ったときは三匹目がやっと

取れたと思ってやれやれこれで厄が通過したと思ったら次の四匹目に掛かり鮎ともども

放流してしまってまた三匹目のやり直しになって、結局二匹でオワになってしまったし、

秩父の桜橋でやっていたときは三匹目に竿を根元から折ってしまって保険に入っていた

のでそれで直したけど、五万円の安い竿で申請するのが恥ずかしかったがともかく三は

厄中の厄だ。掛かっても玉に入れるまでは慎重だ。

だが今日はそのネックもすんなり通過した。鮎と云うものは続けては掛からないものだ。

五分か十分してから掛かる。「もいいいかい。もういいよ」だ。こどもの遊びのそんなのが

あったな。あれと同じだ。 さて昼飯だ。深いところ越して来たのでむすびが濡れてる。

まあいいや、リゾットだと思えば。でもちょっと不衛生だな。なんのなんの多摩川で喉が

乾いたからと直に川に口をつけて飲んだこともあるさ。雑巾バケツの水を飲んだと云う

豪傑もいるではないか。気にしない気にしない。

 後ろをひっそりと鈴木さんが通過した。そっと足音も立てずに通りすぎるなんて珍しい。

よほど上が釣れなかったんだな。それにしても声を掛けそうなものだがな。

照れくさいのかな。でも彼にここに入られては私は適わないなと思ったが、心配することも

なく彼は下の方へ行ってそこで竿を出した。

 実は時計を持ってこなかったんだ。女房の海外旅行土産だから濡らすと大変だと丸福

へ置いてきてしまったんだ。完全防水じゃないから。顔を洗ったときにかかるくらいの水

なら大丈夫と云う程度の防水機構だ。ま、濡らすとまずいからな。だから腹時計だ。

鈴木さんが下に見えるから彼が上がる時が私の上がる時だ。彼が上がる時には声をかけ

てくれるだろう。心配ない。今日は珍しく掛かる。もう十は越えただろう。まだまだだ。

 日は傾いてきたが水温は高いしこれからがベストタイムだ。ひょっとして出鮎と云うことに

なるかもしれないとにんまりした。

突然ポンと肩を叩かれた。「?!」振り向くと何と鈴木さんが珍しく怖い顔で

「時間ですよ。何時だと思ってるんですか。」

「エ?だって鈴木さん下にいたんでしょ」

「いませんよ」

「エ?あれはそれじゃダレだったの?」

「知りませんよそんなの」

「早く仕舞ってもうまったくう。上から探してここまできたんだから。あの瀬を越して」

「時計はどうしたの?」

「持ってこなかったの」

「エ?どうして持ってないの?」

「あれは女房の海外旅行土産だから濡らすとまずいから…」

「土産だか何だか知らないけどじゃ最初から時計なしで?」

「……」「

「ツッタクもう」

 それっきり鈴木さんは怒ってさっさと行ってしまった。後ろを通った鈴木さんに似ていた

いったいあいつはどこのどいつだ。まぎらわしい奴だと腹が立ったがそれでも一生懸命

大事な釣果の入っているオトリ缶と籠を背負って必死で川越しして車に戻ると彼はブウッ

として口も利かない。アイスボックスに入れてもらいたいんだけど頼めないしアーアー折角

の鮎が痛んでしまう。弱ったなー

 それでも途中のコンビニへ寄って氷を買ったあたりでどうやら機嫌が直ったようだ。

やれやれだ。防水時計くらい買えよ今は安いのがあるからと云われてしまった。まったく

だ。夜、鹿水川の出合いにある伊南川温泉に入りに行った。五百円だ。前はもっと温度

が高かったのだけど去年あたりから温度が下がってきたとか。それでも満天の星を眺

めながらの露天風呂はいいものだ。

 翌日は鳥井戸橋下でやった。珍しくまたまた良く掛かった。テトラの上で淵を釣っていた

ときに大きいのが掛かったが取り込みに苦労した。水面に引き上げて道糸を取ろうとする

と鮎はもぐって行ってしまう。その繰り返し。十回くらい繰り返したかな。鈴木プロが見てい

てにやにや笑ってる。「何チンタラチンタラしてんだよ」とでも云いそう。下手糞なのかな。

 それでも木曽二号という弁当箱を大きくしたようなオトリ缶には鮎が寿司詰めだ。

何時も「つ」が抜けない私にしては珍しい。二十くらいいるかな。とにんまりした。

 上がりになって鈴木さんが玉網にオトリ缶から鮎を移して塩をザァーっと入れて

「塩〆だ」と。それから川水で洗って死んで黄色くなってしまったのはワタ抜きをして、そう

でないのはそのまま、それぞれ大きさを揃えてチャック付きのパックに七匹ずつ入れて

およそ十袋も作ったろうか。あまり手際がいいので見とれていたが、私もやろうオトリ缶

を川から引き上げた。 その場所はすり鉢状のジャリ場だった。私は開閉のままならない

オトリ缶を開けようとしたがどうもどこがひっかかってるのか開かない。

彼に云わせると私の道具で感心したものは一つもないというくらい粗末な道具だから

イライラした。片足をオトリ缶にかけて蓋をエイッヤッと引っ張った。

一気に蓋が開いてしまった。私もびっくりしたが鮎もびっくりした。突然天井が開いたので

それまで大人しかった魚がバチャバチャと生きのいい鮎は全部飛び出してすり鉢状の

ジャリ場を跳ねて川に転げ込んでしまった。アリャ?コリャいけないと玉網を振り回して

掬ったけど袋だもなものだから水を掬ってしまて重くてままならない。七八つ逃げてし

まった。残ったのは気息奄々の鮎と上がってしまった鮎ばかりになった。

その夜、丸福で一杯やりながら思いだしてはおかしくてどじょうすくいの真似をしては腸

がぐりぐりするほどバカ笑いした。このバカ笑いでなんかストレスが解消してさっぱりした

ように思った。ストレス解消代の八匹の鮎は安いものだった。

 彼に云わせると私はエピソード作りのエキスパートだと。自分ではそんなつもりはまった

くないのに。損だな。まあいいや。自分じゃエンターテナーだと思ってるが、口の悪いのに

云わせればピエロだと云うだろう。

 翌日、土産のトマトとシャケを買っておかみと家族にに手を振られて丸福と伊南川に

さよならした。また来年だ。

伊南川のトマトは少し小さいけど真っ赤で皮が薄くて美味しい。あれは気温が関係するら

しい。私もトマト作りのプロで毎年沢山作って配るほどなのだが、飯能ではあの美味しさは

作れない。たぶん種類は「桃太郎」じゃないか。

トマトに比べてシャケは家で食べてみると弁当で食べた美味しさが何故かない。それに

あれは鮭でなく鱒だと知った。

釣行記