『相模湖の釣り』                                      小山 友叶

 話に聞く相模湖のハヤ釣りは舟でその舟は秋山川が相模湖に流れ込む入り江に釣り舟があるので

そこで借りてモーターボートに曳かれてポイントまで行く。

 ハヤの大物になると四十センチを超えると云う。そんな釣りをしたくてヒロトモンに連れて行ってもら

った。

 明日は大晦日と云う日、「天狗岩」釣船店に着いたのはまだ宿が開かない五時。釣り手が十人ばか

り待っていた。店の中に入ると釣り具やら救命胴衣やら釣り具のもろもろとともにヘラの魚拓が所せ

ましと張ってある。彼は顔が利いているから頼りになる。一切をまかせて釣り券、舟代金、昼飯の弁当

を頼んでからワカサギ狙いの舟十五艘ほどと侏儒つなぎになってモーターボートに曳かれて行った。

最初だから一艘に二人で乗ることにした。舟は全て木製。櫂も勿論木製。両側に杭が出ていてそこに

櫂に穿ってある穴に差して漕ぐ。船全体がスリムで長い。プラスチックのボートよりも情緒があってい

い。長瀞の舟下りを小さくしたようなものだ。舟の中は凍っていてツルツル。夜明け前の辺りが白々と

して来る頃、相模湖の湖面を曳かれて行くのだから息を暖めないと肺炎を起こしてしまう。ベンチコー

トのフードをスッポリと被って身を切るような風に背を向けて曳かれること三十分。先達が選んだポイ

ントは湖がカーブしているワンドだった。いかにもハヤが群れていそうだ。

 気をつけなければいけないのは浚渫船だと。今日は日曜だから浚渫していないから通らないが平日

は大きな船が通り、その波が狭い所だから高くて舟の横腹に当たると水が入るから波に直角に向け

るようにするんだと。

 そしてここは駆け上がりになっていて次第に深くなって行くその駆け上がりにアタリが出るそうだ。事

前に深さが六メートル以上あるので二間半の竿では届かないから長い竿を持って行った方が良いと

云うので鮎の友竿を持って行った。長さは良かったがアタリがあって合わせると何と手元の一番が真

ん中から大根を切ったように横にスパリと折れてしまった。折れたと云うよりは輪切りにされたと云う

方が正しい。予備竿は二間半の短い竿しかもって行かなかったのでその後は釣りにならなかった。初

日の教訓は一艘に二人では竿が振り込めない、下手すると竿がかちあって折れてしまう危険がある

のでお互いが振り込む動作を同時にしなければならない制約があり厄介だ。それと友竿は瞬間の合

わせには向かない竿だと云うことを知った。

 二度目は九メートルのスリムだがやたらと重い竿を買って持って行った。穂先に糸が絡まないように

パーツを山水で取り付けてもらったから長いけれど穂先に糸が絡むことはないと安心した。その竿を

使ってみたが長いだけがメリットのドロンとした釣趣に欠ける竿だった。振り込むのにブルンブルンと

波打つ。合わせもブルンブルンだからワンテンポもツウテンポも遅れる。なんかぶっこみ用の竿みた

い。確かその日は一匹も釣れなかったと記憶している。

 これに懲りて六・四メートル、重さ百十グラムと云うハエ竿を二万二千円で買った。少し尺が足りない

けど片手で扱える軽くて良い竿だ。 この日もワカサギ連と一緒でハヤをやるのは二人だけ。ワカサ

ギ屋はそれぞれが目指すポイントに着くと曳舟を離れるので次第に少なくなり桂川のバックウオータ

ー、上野原下に近い処まで来たのは我らだけになった。帰りは下りだから一人で漕いで帰れそうだ。

最上流は広いプールになっている。そのプールが縊れて隘路になるところで曳き舟を離れてアンカー

を下ろした。アンカーは単なる鉄のスクラップだ。このアンカーの選択が難しいんだと。軽いと舟が流さ

れるので選ぶときはアンカーに眼を向けるんだそうだ。プロは眼の付け所が違う。持参したマッシュ、

スイミー、大鯉と赤土と練り餌の材料をポリ缶に入れて湖水で練った。この組み合わせは鈴木流秘伝

だそうだ。これをソフトボール大の団子にして二、三個ほど上流に投げ打ちハヤの寄るのを待った。

 寄せ餌で思い出すのはもう二十年も昔。道志川へ寒バヤを釣りに行くとき馬場先輩は九十九里か

ら魚のアラを貰ってきてそれを大きな鍋で煮詰めるんだそうだ。臭いんだと。隣近所から苦情が来る

と云ってた。その苦心の寄せ餌をバケツにいれて道志の崖を降りるときに崖にぶちまけてしまったと

云う話を聞いたことがある。

 そんなことを思いだしながらゆっくりと支度する。新品の愛竿にバカひとひろ取ってヘラ浮き、イクラ

餌と云う筋立てで振り込んだ。水面に水蒸気がたゆたっていて穏やか。朝日で上野原の野山がオレ

ンジに輝いている。その輝いている処から目を転じると湖面は暗黒にちかいブルー。よくもまあこんな

ところで辛抱するものだと思う。復十字だ。百メートルほど下流の左岸の垂直の崖から滝が落ちる。

そこは余計暗く寒そう。飛沫を浴びては寒さが身に沁みるだろうにその滝下を狙っている。以前ここで

潜水艦にハリスを切られたとかでそいつをもう一度と狙うんだと。静かだ。鳥も飛ばない。何ひとつ動く

ものはない。ただゆっくりと水が流れる。寄せ餌できっと底にはハヤが真っ黒に違いない。持参した家

庭用のガス台でラーメンを作ろうと点火するのだが火が着かない。ガスはまだある筈なんだが何故か

カチンカチンと着火音だけ。ラーメンは食べられない。湯はガスでと思っていたのがとんだ手違いだ。

 浮きが変化した。来たな。竿尻をソッと持つとつぎのもじりで手全体を上にあげた。手首だけの合わ

せでは駄目なんだそうだ。ヘラの要領だ。彼の釣り方をみていると色々勉強になる。仕掛けから寄せ

餌、釣り道具、一から十まで。何しろ釣り新聞の釣果欄に乗るほどなのだから。報知の「昨日の釣果

。相模湖、ハヤ四十センチ飯能鈴木弘智」と。

 さて、ハヤのひとのしとばかりさんざんに引き回したハヤも網に収まった。確かキーと鳴いたような

気がする。可哀想だが「お前さんは勝負に負けたんだから仕方ないんだ」と云ってやる。はるかに居

る先生がこっちを向いたので網ごと上げて釣れた報告をした。三十センチに近い良い型のハヤだ。上

嘴がせり出しているその嘴に針が刺さった。釣れれば寒さも飢えも忘れてしまう。

 その日はまあまあの釣りでフラシの中は大小のハヤで真っ黒だ。何時の間にか鈴木さんは場所を

変えたのか見えない。一人舟を漕いで天狗岩に帰った。下りだから割と楽だったがところどころ浅瀬

があるから乗り上げたら大変だ。それだけは用心した。

 その後幾たびか誘ったり誘われたりした中で、浅瀬で思い出すのは宮川、馬場両先輩とワカサギを

やったとき帰りに宮川さんが左、私が右の櫂。馬場先輩が水先案内と云う段取りで元気良くエッサホ

イサと下ってきたが水先案内人が足の神経痛を起こして膝を抱えて痛みをこらえていた時たまたま浅

瀬があってザァーと乗り上げてしまった。櫂で船を押しだそうと底の砂利に差して押したら何と真ん中

の穴の開いたところから折れて、一本櫂では漕げなくなつてしまった。そこは湖も半ばで流されはしな

かったのでどうにか秋山川の出合い舟船着き場も見える所まで来たが、そこからはわずかに流れる

水に押されて舟はぐるぐる回るばかり。どうにも困ってしまった。そのうち何のためか知らないがやた

らと張ってあるロープに気がついた。その水藻でぬるぬるの気味悪いロープをたぐってようやく「天狗

岩」にたどりついたことがあった。

百人一首にある「由良の門をわたる舟人かじを絶え行方もしらぬ恋の道かな」を地でいってしまった。
釣行記