河津ざくら 森 和夫
私が河津ざくらを見にゆこうと思いついたのは、花を見たい気持もあったが、河津川を
見たいという想いもあった。二月、わずかに春の気配が感じられるようになったとはいえ、
飯能では梅の花もまだ咲かない季節に、河津ではさくらが咲いていると聞いて無性に花
が見たくなった。
古希をすぎた私には冬の寒さは身にこたえる。春が待ち遠しい。春といえば何といっても
さくらである。そのさくらが見られるとあって、私は河津で春を実感したかった。
反面、私はさくらの下を流れる河津川をわたる風に触れることにより、春の果てにある
かすかな夏の匂いを嗅ぎたいという気持にも駆られていた。
この時期、稚鮎は一本の黒い帯状に群れて海から川に遡上するという。若しかしたら
その様子を目にすることができるかもしれない、さらには鮎のあの植物的な香気に接する
ことができるのではないかという淡い期待を持ったのである。
熱海から伊東線で一時間余り。河津駅に降り立つと、ウイーク・デイにもかかわらず駅
前は花見客で賑わっていた。駅から川まてはひと跨ぎ、さくら並木は川の堤防ぞいに
続き、下流、並木がとぎれるあたりで川は海に接している。花は七分咲きというところか。
ソメイヨシノとちがって河津ざくらの花びらはピンクの色が濃い。その花が、土手の斜面の
満開の菜の花の花の黄色に映えて美しい。
だが、川の水は少なく汚れが目立ち、鮎の姿を見ることはできなかった。地元の人に聞い
たところでは、最近、鮎は昔ほどいなくなったという。
風の強い日であった。川に懸かる橋の上から、流れを見下ろしていた私は、河津川での
忘れられない鮎釣りを思い返した。
今から数えると二十数年前のこと。七月に同業者の会合が下田にあり、高橋満氏と私は
途中河津川で釣ってから下田に行こうと車で出かけた。川にたどりついたら水は濁ってい
て、釣り人は一人もいない。こりやぁ駄目かなと思ったが、囮やの親父が大丈夫というの
で川に入った。
ところがである。型の良い鮎が入れががりとなった。
翌日、朝早く旅館を出て再び河津川へ。水は澄んでいたがその日の釣果はさっぱりで
あった。釣り人にとって、いい思い出のある川はいつまでも忘れられない。
しかし、川は年々変わっている。河津ざくらが毎年きれいに咲くように、河津川もいつまで
もきれいで鮎の沢山釣れる川でいてほしいと私は祈らずにはいられない。