黒谷川のメジロ虻                                   小山 友叶

 もう大分前のことだが、加藤さんと八月十五・十六日で伊南川の支流、黒谷川へ行った

ときの事。飯能を夜の七時に出て、黒谷川へ着いたのは朝の三時頃だった。少し休んで

車を出たのが四時、ドアを開けると蠅が二、三匹入ってきた。

 蠅と云っても大きな奴でこの辺では牛バエと云う奴だ。車を出るといるわいるわ、たちま

ち体中いたるところ蠅でびっしり。始めは蠅なんか怖くない。食いつきはしないとタカをくく

っていたが、それがどうして体の露出しているとろへたかると刺す。それがすごく痛い。私

は幸い皮手袋をしていたので皮手袋の上から刺された程度なので大した事はなかった

が、加藤さんは素手だからたまらない。 手だけでなく頭もやられた。蠅が髪の毛の中へ

入り込んで行くのを見るとゾッとした。

 追っても追ってもきりがない。そんな所でキャンプしている釣り人がいた。川の様子を聞

くとろくに返事もしないて蠅を手拭いではたき落としている。殆ど寝られなかったそうだ。

 ふと釣り雑誌に只見はアブが酷く、それも地域が限られていて、そこを離れると全くいな

くなるという事が載っていたのを思い出した。「この蠅も上流に行けば居なくなる」と逃げる

ように上流へ急いだ。二キロくらい歩いても一向に減らない。蠅は川の中の石にたかって

いて通りかかると飛び上がりまといついてまた石にたかるみたい。この繰り返し。何処ま

で行ってもきりがない。仕方ないから竿を出すことにしたが竿を持つ手の平にもぐりこん

できて刺す。たばこの煙を吹き付けても、ウイスキーを口に含んで吹き付けても、熊よけ

に持ってきた爆竹をたいても蠅は依然として群がっている。又、竿をたたんで上流へ急

いだ。一キロほど遡ると不思議に居なくなった。やっと落ち着いて竿が出せた。 イワナ

は私が七匹、加藤さんが五匹だった。その内、蠅の毒で加藤さんの具合が悪くなってき

たので又、蠅のすみかを通って車まで帰ってきた。途中、向こうから来る釣り人の顔の

あたりに蠅が群がっていてこちらから見るとまるで笠を被った地蔵さんのようだった。

相手からみるとこっちも同様だったのだろう。車で早々に帰飯した。途中のドライブインで

少し休んだ。

 その夜、加藤さんは手が腫れて痛くて寝られなかったと。刺されたあとを数えたら両手に

七十二ヶ所あった。あの蠅のお陰で黒谷のイワナは護られて居るのかも知れない。
釣行記