『中津川の寒バヤ釣り』
木崎 勝年
「寒バヤ釣りにでも行ってみるとするか」布団から抜け出した途端、俺の意志に関係なく、勝手に脳味噌が回転してそう決まっ
てしまった。二日酔いするほど飲まなければいいのに。
寒バヤ釣りというと、長野県の千曲川や群馬県の烏川、栃木県の鬼怒川それに静岡県の狩野川などでやってきたが、かねて
から一度やってみたいと思っていた中津川へと車を走らせた。霜が毎日降りるこの十二月の中旬からが寒バヤ釣りには良いん
だと勝手に決め込んでいるのである。
相模川の架かる高田橋を渡って相模原愛川線を進み、二時間ほどで中津川に架かる愛川橋下の右岸側の河原に着いた。
ここは神奈川県愛川町である。河原には既に車が五台きちんと並んで止まっていて川岸には二十代後半以上の男女数十人が、
「河原バーベキュー」のための任務を静かに遂行していた。
この上流四キロほどには「宮ヶ瀬湖」が完成し一九九五年の十月から貯水を開始した。またこの辺りはアユの「友釣り専用区」
であるため、結構混む時もある。友釣りの解禁は、例年六月一日で、オフは十月十四日である。
橋のすぐ上に寒バヤ釣りが二人いた。「どうですか、寒バヤは釣れましたか」と、爺さんの方に聞いてみた。
すぐには返事をしなかったが「下の方が良いと思うよ」と、声にもならないような声を出して答えてくれた。この爺さんは喉の手術
をしたようで、いきなり聞いたことに反省してしまった。
対岸は垂直な崖である。寄せ餌をつくって流れの芯に放り込んで、一服しながら三間半(六・三m)の竿にバカを三尺ほどとった
仕掛けを取り付けた。浮木釣りで浮木下は四尺にし餌はイクラである。爺さんと四十代の二人の付け餌は、鯉釣りの練り餌の
ようなものであるから一投ごとに餌を付けるのでありこれはすぐ外れてしまうから面倒だ。何時頃から釣っているのか判らないが、
二人ともズック魚籠が濡れていた。十一時に第一投を振り込んだ。水面には落ち葉が間断なく流れてくるので、それに仕掛けが
ぶっついて釣りにくい。当たりも判りにくい。暫く経ってからやっと当たりがきた。合わせをくれて上げてみると、五センチほどの
「クソンバ」だった。「クソンバ」とは飯能地方の方言で、学名が「アブラハヤ」のことをそう呼んでいるのである。
体型はハヤのようであるが全体が黒ずんでいて臭いにおいがする。それ故に「糞」のように「臭い」「ハヤ」から「クソバヤ」が訛
ったものではないかと思うが、明らかではない。それは口掛かりではなく、スレであった。
「こんなのが一尾目なんて、ド・どういうことなんだ。まして爺さんにも、その上の四十代男にも見られてしまったではないか。
お前なんかに用はないんだよ。とっとと消えちまえッ」叫びはしないが流れに返した。
このあと待望の一尾目がやっときた。七・八センチの小バヤであった。それから三十分ほどでいくらか型の良いハヤが何尾か
釣れ始めた。爺さんと四十代男は帰ってしまった。
そろそろ昼にでもしようかと思っていると、「ワアーッ、ワアーッ、いっき、イッキ、一気、一気」と大声が下流から聞こえてきた。
何だ何だいと見ると、静かに静かにバーベキューの準備をしていた筈の軍団だったが、酒をくらったために豹変したのである。
一気は果てしなく続いている。
正午になったので車に戻り、食糧を取り出した。俺の車と河原の間が草藪になっている。そこに一番年長そうな人が倒れ込んで
いた。「一気」で一気に飲み過ぎて、ヘドっ吐きしたあと、そこへ倒れ込んだようである。誰もかまってやらない。
日差しがあるものの、風が吹いているので、寒いのである。俺はマフラーをして、冬の完全スタイルをしているが、それでも寒いの
である。倒れ男は、単なるシャツだけなのである。そのうち震えがきて、風邪を引いてしまうのではないだろうか。
車の中へ連れていけばと思ったりもした。思いやりのない、「どうしようもないバカ軍団」なのである。
少し寄せ餌を撒いてから、石に腰掛けて昼食にした。
「しかし、何でこんなに釣れないのだろう。そのうえ型も悪いし。俺は寒バヤのキーさんなんだぜ」風がさらに強くなってきたので、
早く食べて再開した。やっと型が良くなってきた。型が良い時は当たりが小さいものなのである。それを見逃さないように神経を
浮木に集中する。十八センチクラスが掛かっても、竿は渓流竿だから簡単に上がってしまうが、まあまあの型なら遊ばせれば
結構面白いものなのである。中学生らしき男の子が一人やってきた。
俺のすぐ上でリールを取り付けた一・五メートルほどのロッドに何かの餌を付けて、深みに投げ込んだ。橋の上から声がした。
自転車はどこへ置くんだと聞いたあと、土手から河原に降りてきた。その中学生は、釣り道具は持っていなかった。
浮木が小さくツツーンと動いた。すっと合わせて取り込んだ。「おーい、中学生」と言うと、こっちを向いた。
「ちょっと来てくれ。この魚は何という名前だい」怪訝そうな顔をしながらも、二人でやってきた。
「この魚の名前ですか」
「そうだ、この辺では何と呼んでいるんだい」と、針を外さないで、吊し上げたままで二人に見せた。
リール中学生の方が魚をのぞきこんだと、
「ハヤです。おい、ハヤだよな」自分で断定したにも関わらず、遅くきたハンサム中学生に同意を求めた。リール中学生よりも
ずっと背が高く、今時の顔立ちだった。こういう顔やスタイルの良い子は、さぞかし女の子に持てるだろう。
そのハンサム中学生は、リール中学生にうんと頷いた。
「別の呼び名はないのかい、例えばウグイとか雑魚とか」
「ウグイ、ザコ」
「わかった、ハヤだね、ありがとう」二人の中学生は、このあと別の釣り場に行くのか知らないが、すぐに去って行った。
手袋をしなかったので、そこから冷えてきた。時計を見ると二時半を指していたので躊躇せずに中止した。釣れたハヤは二十尾
ほどであり、十八センチクラスや中には真っ赤なクキになっていたのも混じっていた。
どうしようもないバカ軍団の放つ一気の声は、相変わらず橋の下から風に乗って聞こえてきていた。(平成十一年十二月)