釣行記

アユがいっぱいごみもいっぱい  秋田・米代川水系の友釣り          木崎 勝年

一、初日は米代川へ

 七月一日に解禁となった秋田県鷹巣町内を流れる大河の米代川が釣行先であり、梅雨明け間近となった七月十六日の午後

十時過ぎに飯能を出た。東北自動車道を順調に走り、十和田ICで降りた。 飯能からここまで六百二十キロであった。ここから

は一般道で鷹巣町へは約五十キロ、約一時間の行程である。鷹巣町内の「ホテル松鶴」には、既に北海道から回り込んでいる

M氏が泊まっていて、我々五人の到着を今や遅しと待っているのである。

 ホテルには午前八時二十分に到着した。十時間以上掛かってしまったが、安全運転とワゴン車のトラブルが一時間以上あっ

たからである。ロビーへ行くとM氏が既にベストを着て待っておられた。 M氏に乗ってもらい、道具を積み込んですぐに出発し

た。三日間このホテルをベースにして釣りまくろうというわけである。

 町中の鷹巣町漁業協同組合で入漁券とオトリを一人二尾あて購入し、M氏の案内で米代川に着いた。 十分も要しなかった。

M氏は、昨日ここで釣っているのである。

 ここは鷹巣橋の下流で、秋田内陸縦貫鉄道(秋田内陸線)の米代鉄橋の横である。既に大宮ナンバーや岩手ナンバーなどの

数台のワゴン車が止まっていて、十数人が右岸側から釣っていた。きちっと止めれば十台ほど止まれる河原である。

 この辺りの川幅は、一番広いところで百八十メートル以上もあり、左岸側は深瀬と言うよりも急流となっている。空身になって

泳いでも、向こう岸にはなかなか渡れそうもない。それよりも事故が起きる恐れが十分感じられた。

 鉄橋から下流の右岸側は、三十センチも増水すると無くなってしまいそうな河原が広がっている。 その辺りでも川幅は百メ

ートル以上もある。川の真ん中よりも右岸側でなければ変化もない流れなので、必然的にそこが釣り場と思えた。すぐ横の鉄

橋から鷹巣橋を経て東鷹巣橋先の摩当川出合いまでが「ヨネシロ第二友釣り専用区」である。そして鉄橋から三百メートル上

流まで平成七年から十一年まで(九年を除く)大型玉石を「アユ釣り場再生事業」として合計八百二十トンほど入れている。

 見ればその石はあるが、根石はなくほとんど浮石なので、ごみがつっかえている。その石を見ると、よく食んであるが、居着き

アユのハミ跡ではないようだ。しかしアユがよく跳ねているので、数は沢山いそうである。アユの放流状況は、一部百円のパン

フレットによれば、秋田県産人工アユとアユと書かれている。

 上流の大館市漁協が県産アユ三百キロしか放流していないのだから、ここの鷹巣漁協は知れたものである。むしろ放流して

いないのかも知れない。水は少し濁りが入っていて、若干水位も高かった。 辺地の小石は良く舐められていて、流れではよく

アユが跳ねている。水温は十八度とオトリ屋に書かれてあったが、私の水温計はまだそこまではあがっておらず、十五度を指

していた。 M氏は河原から四十メートルほど入り込み、膝上十センチぐらいの流れから河原の方を向いて釣っている。

私はM氏の少し上にいて、反対の左岸側の方を向いて釣っていた。M氏が掛けたのが見えた。 そう大きくはないが、先ずは

一尾目をキープされた。ややあって私にも待望の一尾目が掛かった。 天然物らしく、ぐんぐん引っ張る。それっと抜いて玉網

に納めた。 すぐオトリを交換したが、オトリよりも小型であった。「野アユ君、泳いでくれよな。君の泳ぎにかかっているんだか

ら!もしも野アユを連れてきてくれたら、良く冷えている缶ビールを飲ませてあげるから」とは言わないにしても、一睡もしてい

ないボケた頭でオトリを流れに放った。 一時間ほどでツが抜けたので休憩した。しかし、何とゴミが多いことか。そのゴミは

五十センチほどの草とその細切れで、それに同じ草なのである。 恐らく農家の人が田圃の縁で刈った草を流れに捨てている

のではないだろうか。こんなに流れてくるのは異常であり、浮石にまとわりつき、友釣りの仕掛けにはくっつき、その都度はずさ

なければならないので、オトリが疲れてしまう。これほど草ごみが流れる川へ過去に釣行したことはない。 また、漁協はこの

ことを知っているだろうか。時期的なこともあろうが、川は草を流すところではないことは、誰でも知っていることなのである。

 秋田内陸線の二両編成の列車が鉄橋を渡り、轟音を上げて通過した。鉄橋のすぐ上流にいるのだから、轟音も仕方がない。

見上げると車両はイメージアップのために絵がペイントされていた。 この秋田内陸線は、JR奥羽本線鷹巣駅と秋田新幹線

角館駅を結ぶ全長九十四・二キロで、一日十四便程度のダイヤが組まれている。

 阿仁の大自然を縦断する沿線には二十九の駅と歴史、文化的な建造物が点在し、感動を誘うレールの旅となっている。

川の南の方に秋田北空港があるので、時々全日空の白と青のジャンボ機が離着陸している。秋田北空港は、昨年(一九九八)

の夏にオープンした空港であり、東京、大阪それに札幌の空路が開けていて、一日それぞれ一往復が就航されている。

 河原に腰を下ろして流れを見ていると、どうも河原寄りに野アユが昇ってきているように思える。良く跳ねが上がっている。

河原寄りから竿を出して再開した。

 良い天気で真夏の陽射しが強い。河原の石で目玉焼きが出来そうなほど暑くなった。ヘチ寄りの小石は綺麗にハマれていて、

黒く光っている。一尾掛かったので、オトリをそれに交換した。送り出してから、引き舟にアユをしまって、オトリをポイントへ誘導

しようとすると、もう掛かってぐんぐん引いていた。 しゃがんでは釣り、立ち上がっては引き抜いて取り込む。入れ掛かりである。

タバコを吸う間もないほど忙しいが、こういう時が「友釣りの至福の時」なのである。鉄橋の真下やその下流、左岸の流れに開い

て落ち込んでいく瀬肩の浅い流れを攻めた。徹夜していても今日は少しも眠くならない。不思議なこともあるものだ。ビールを飲

んだり、ムスビを食べたりしながら、適度に休憩しながらも、釣っていると時間が経つのが早い。

 三時半を過ぎた頃、パトカーが河原に入ってきた。警察官二人とおじさんがやってきた。仲間は散らばっていて、私がヘチ寄り

から釣っていたので、おじさんに声を掛けられた。おじさんを挟んで警察官が立った。

「今夜花火大会があり、この鉄橋より上流は三時半から立ち入り禁止です。その時間になったら釣りを止めて引き上げて

ください」

「そんなことを言ったって我々は埼玉から十時間も掛けてきたんですよ。花火は夜でしょう。何とかなりませんか」

「ともかく鉄橋から上流は三時半から立ち入り禁止なんですよ」

「埼玉から遥々来たんですから…」

「……」

「徹夜で十時間ですよ」警察官二人は何も言わない。しばらくは両者の沈黙が続いた。私は向きをかえ目印に集中した。

おじさんが口を開いた。

「それでは柵をしてしまうので、土手を出たら左へ行けば出られますから」そう言ったので手を上げて了解と合図した。

 その三人は、別の釣り人のいる方へ行った。四時を回って、何となくポイントが変わってきたような気がした。流れに立ち込ん

で、ざらざらと落ちていく浅く強い流れの方にオトリを誘導した。 目印の動きに集中していると、鋭い当たりがきた。

おりゃあっと抜いて玉網に納め、すぐオトリを交換した。入れ掛かりも短く、ぱたっと止まってしまった。

 三十五尾で目標よりも少ないが、THE・ENDである。なお、釣れたアユは全て天然アユだったようである。

 ホテル松鶴に戻った。七時から四階のビアガーデンで夕食会である。ホテルのすぐ南側にある銭湯へ行った人もいた。

アユの処理をして、シャワーを浴びたあと、ビアガーデンに行くと、既に仲間が生ビールを飲んでいた。

七時半から花火が始まった。

そのあと少しばかり盛り上がり、ホテル内のスナックで歌の歌えない外国人女性達と少しばかりカラオケなどで楽しんだあと

部屋に戻った。 長い長〜い一日が終わって、ベットに倒れ込んだ。

二、阿仁川は良型アユがいっぱい

 今日は、米代川の支流である阿仁川へ行くことになった。小猿部川を過ぎ、森吉町に入り、アユセンターで入漁券とオトリを

仕入れた。ここは阿仁川漁業協同組合が管理している河川である。森吉町の阿仁前田の駅に近いところの橋で車を止めた。

学校横の橋である。そこから覗き込むと、綺麗に澄んでいる流れにアユが垢を食むときのキラリが見えた。

ジンベイを着た中年の男性が、昨日は源流部の大雨により一日濁りがあったので、皆、支流の小又川へ逃げた。かなり良

型が釣れたと言う。本流はまだ水温が低いので、水温が上がらないと釣りにならないからゆっくりしているんだと言っていた。

我々はすぐ上流で合流する小又川へ車を走らせた。水量は阿仁川本流の五分の一ほどもない。等間隔で釣り人が並んで

いる。見ているうち0に野アユを掛けたが、それほどの型ではないので、戻って学校下の河原へ車を着けた。この前の流れは

ガンガン瀬から落ち込んだ強い瀬が一筋となり、百メートルほど下流で広く深く開けるところまで続いていて、先行者が両側から

きちっと均等に竿を出していた。

 支度を整え、上流の先ほどの橋の方へ歩いた。橋下へ入ろうとすると、先ほどのジンベイが見下ろしていた。まだ野アユが

いるのか聞いたところ、いるから釣ったらどうかと言う。ならば、臍曲がり釣り師としては素直には入らないのである。

橋の上へ行った。ここから百メートルほど上の流れの真ん中に釣り人が立ち込んで右岸側へ向かって竿を出していた。

余り近づかずにその人の下流に入った。むしろ橋に近かった。橋の上を見ると、またジンベイがきた。下からポイントは竿先の

方ではないかと聞くと、そうだと言う。読みが当たっていたようである。

 ここで少しオトリを泳がせておけば、時間で必ず野アユが追ってくる筈だ「待つのだ、辛抱するのだ」橋の下に「おばちゃん釣り

師」が何処からともなくやってきて、左岸側に向かって竿を出した。橋下からの流れは三条になっているから、おばちゃんは真ん

中の流れを釣っているのである。私よりも早く野アユを掛けたが、抜きも出来ずに取り込みに苦労していた。

私が立ち込んでいるところは、深さが臍上十センチほどあるが、余り押しが強くないので流される心配はない。

二つある橋脚のうち右岸側の擁護している河床止めブロックの中に割合大きな石がびっしり詰まっている。

その石は真っ黒くハマれた石である。 目印の動きに集中した。すると突然、ガガーンと鋭い当たりがきた。

十時半頃ではなかったろうか。竿がしなるが溜められる。例え下がっても竿先が橋にぶつかることまなさそうだが、動いて

ポイントを荒らしてしまう。「引きが強いので型も良いのであろう。よし、それでは引き抜いて万が一玉網に入らずバラすよりも、

ここは一つ「那珂川抜き」でやってみよう」タメておいて抜いた。そのまま上流の流れに静かに落とし、同時に糸を張り、オトリを

水面から浮かせた。すると自然に自分のところに二尾がやってきた。すかさず糸を持って玉網の中に吊し入れた。

あとはいつものとおりオトリを交換して流れに放った。

 野アユは幅広であった。天然遡上のアユではなく、放流されたアユだ。流れに放たれると自分が釣られたところへ泳いで行った。

そしてすぐガツーンときた。これも型が良さそうである。これも那珂川抜きで上へ飛ばした。左岸の浅い流れのほうでも掛けて、

正午になったので、基地に戻った。昨日の型よりも一段と良型アユを七尾掛けたのであった。

ビールを飲みながらムスビとカップヌードルを食べた。

 対岸にいる地元の名人が良く掛けているというので見ていると、本当に良く掛けて引き抜いていた。

Tさん、Mさん、Yさん、Hさん達は、ガンガン瀬では余り掛からないとか、あの瀬にはアユはいないとか言っていた。

橋の上はこれからも釣れるだろうが、行くのを止めた。近年の放流アユは、付き場が替わってきているので、それをこの辺りの

流れでも試して見ようと思い、一番下流に入り再開した。行ってみると、足下は小石であり、オトリを泳がせようとしているポイント

は深く底が見えない。狭い河原の石の状態と自分が立ち込んでいる場所から推測すると、大石は無いようだ。だが、すぐ上流ま

では、大石がびっしりと入っているのである。

やってみるしかないと、背バリを打って流れに放った。 胸まで浸かるとタバコが濡れそうだった。昨日はウエーダーだったが、

今日はウエットだから危険性は少ないにしても、無理をしても仕様がないので、少しばから浅い方に下がった。

タバコの火を付けた途端にガツーンときて、激しく竿を絞った。大きそうだ。気持ち浅い方に下がり、真剣に引き抜いて玉網で

キャッチした。大きいが金星の近くに掛かっていたので、そこから血が出ていた。そこをしばらく押さえて出血を止めるようにした

あと、鼻環を付けて流れに放った。すぐにお友達を連れてきた。

 今度の野アユは少し型が落ちたが、十分オトリになる型だった。試した結果は間違いはなかった。この清流の源頭は、秋田県

自然公園の森吉山である。森吉町から国道一○五号を進むと僅かでマタギの里として有名な阿仁町がある。

両方の町にまたがる森吉山は「花の百名山」として知られている。高山植物の宝庫であるが、阿仁八で発見されたイワチドリは

「小阿仁チドリ」と呼ばれ、日本中の山野草愛好家に知られている垂涎の的である。阿仁八の九十四パーセントが山林である

ため、鳥獣の楽園でもあり、自然の宝庫でもある。時間で全員が納竿した。昨日の米代川に比べて、阿仁川の流れはもの凄く

綺麗であり、ごみ掛かりは一度もなかった。午後もどうにか七尾を追加し十四尾となった。米代川に比べ型も申し分なかった。

綺麗な水で育まれたアユをこれからも釣りたいものである。

三 再び米代川 ー 草と少〜し型が良くなったアユがいっぱいだが…

 朝早く目が覚めた。今日も良い天気のようで暑くなりそうだ。五一二号室の窓からは、西側しか眺められないので、廊下や

屋上から四方を眺めて見た。この町は、鷹巣駅から米代川に挟まれたところに市街地があり、それを取り巻くように「秋田こ

まち」の田園が広がっている。さににそれを包み込むように小高い山々がすっかり取り囲んでいる。

「鷹巣盆地」だとすぐわかった。朝食前に散歩に出た。ホテル前の広い通りに出て左右を見ると、人っ子一人も歩いていない。

車も走っていない。人工二万五千人の町にしては静かである。

 秋田内陸線の駅舎は、向かって左側の赤いトタン屋根の平屋建ての建物であり、入口の扉はまだ開いていなかった。

その駅舎の右側には鉄筋コンクリートなのか鉄骨造なのか良くわからないが、平屋建てのJR鷹巣駅の駅舎があった。

乗客が出入りしているので駅舎の中へ入ってみた。左側に切符売り場があり、二人の人が駅員と話しながら切符を買って

いた。右横の改札口からホームを覗き込むと、すぐ左側には太鼓が置いてあった。これは「鷹巣太鼓」で、この町は「世界一

の大太鼓の町」で知られている。 町の外を走っている国道七号線沿いに「大太鼓の館」が建っている。

ホームはごく普通のホームで上下線に分かれていた。右側には売店が開いていた。そのあと待合室に置かれている各種の

パンフレットをもらって外へ出た。前通りの両側は、幅三・六メートルのアーケードになっていて、かなり長く続いている。

駅前から見ると高い建物は無く、あっても三階建てまでであった。朝食後すぐに川へ向かった。

途中鷹巣漁協で入漁券とオトリを買って秋田内陸線の鉄橋より下流の河原へ車を着けた。支度して流れに入ると、小石だらけであり、

とてもポイントとは思えない。そこで鉄橋上まで歩いた。オトリを付けて流すが、今日は一昨日より濁りが強く、水位も高い。昨夜の

強い雨のためである。天気が良いので洗濯日和である。二日間釣りで着たものが濡れたままでバッグに入っている。このまま持ち

帰るのはいやなので、洗濯した川原へ広げた。再開してヘチ寄りから釣っていると、可成りの年輩者が上がってきて、声を掛けてきた。

「どうだい釣れたかい」

「いや、まだですよ」

「なに、まだだと」

「これから釣りますよ」そのおじいさんは、ヘチに腰をおろして、釣った鮎の肛門から排泄物を押し出している。

七つほど釣ったようで、こうするとアユの保存が良いことを知っているのは、なかなかのベテランだ。

「俺は足が不自由でな、余り強い流れには入れないのだよ。無理ができないからな」足が不自由なのは既にわかっていた。

「そうだね。無理をして釣るほどの型ではないしね」

「俺はここには毎年来ているんだが、今年は型がちいさいね。例年だともっと大きいんだ」「そうですか、一人旅って気が楽で良いです

よね。ところで小猿部川が今朝の漁協の話しだと型が良いと言ってたよ」

「そうかい、では行ってみるかな」

「頑張ってくださいよ」自分のことは棚に上げておじいさんに言ってしまった。おじいさんと離れて沖目に入っていった。

一昨日と同じで草ごみが流れてくる。仕掛けに引っかかって仕方がない。こりゃあダメだ。また休憩した。

洗濯物を裏返したあとビールを飲んだ。岩手ナンバーのおじいさんはアイドリングしたままワゴン車のスライドドアを開けて座席で

休憩していた。今日は月曜日なので釣り人は少ない。ピーアの横の深場で再開した。

掛かってきた野アユは、一昨日と違って少し型が良い。水量が二十センチほど増えているので、野アユが移動していて、下流から

上がってきたのではないだろうか。天然遡上のアユだからスリムであるし、引きが申し分ない。川の真ん中から上流の流れに

向かって歩いた。そこから右岸に向かって進み、足で石を探りながらいくと、胸のタバコが濡れるほど深かった。

 右岸に渡りきったが、この間砂利と小石のみだったので、荷物のところに戻った。今日はなかなかツが抜けない。

友釣りも三日目ともなると流石に疲れが出て集中力がなくなってしまう。休憩して飲むビールが冷えていて、喉越しが良い。川風

は余り強く吹かず、湿度も低いようで意外に爽やかだ。少し濁りが薄くなってきたようだ。

竿を構えながら、時折通る秋田内陸線の列車や秋田北空港を離着陸する全日空の白と青のジャンボ機を見ながらの釣りも良

いものだ。ローカルを感じる。 十二時半過ぎに岩手ナンバーのワゴン車が河原に下りてきた。

車から降りてきたのは二十代と思われる若い三人で、既に釣り支度であった。

イスを出して座ったり、河原に腰を下ろしたりして食事を始めたので、近づいて聞いてみた。

「どこでやったの」三人とも口を開かないので、もう一度聞いてみた。

「どこでやったんだい」

「どこって…」一番若そうなヤツがやっと重い口を開いた。

「ここの本流上流かい!」

「オサルベ」と、小さな声で言った。

「小猿部川は、でかかったろう!」

「………」

「でかいと今朝漁協で言ってたが」今度は違うヤツが

「何がでかいんだ!」と吐き出すように言った。

これ以上聞いたら怒りそうなので、自分の場所に戻って、残っているムスビを食べた。若い三人組は、食事も早々に切り上げ、

それぞれが思い思いの場所に散っていった。二時過ぎに足の不自由なおじいさんが戻ってきた。

聞けば小猿部川では釣れなかったということだった。ワゴン車を先ほどよりも上側の河原に止めた。

そこはいつの間にか若い女性が一人できて釣り始めていた。

この女性は、一昨日も同じところで釣っていたので、地元の女ではないだろうか。

多分明日の「レディースアユ釣り選手権大会」にエントリーしているのではなかろうか。

夕まずめを期待して頑張ったが、十二尾でタイムアウトになった。明日は「海の日」だから、日本海へ出て帰るようだ。

(釣句)遠くまで行けば釣れると勘違い (平成十一年・七月〔一九九九〕)