釣行記

三日間                                              森 和夫

 私はよく麻雀をする。麻雀の勝ち負けは憑きに大きく左右される。憑きは運と言いかえること

もできる。

 麻雀を打つときは、はじめ確率を考えて手を作るが、あと一歩というところにくると憑きが物

を言うようになる。一プラス一が二にはならない何かが作用する。そういう目に見えない何かに

私は惹かれる。憑きには周期があるが、その周期がどういうサイクルを描くかは計り知れない。

 いずれにしても良い時と悪い時が交互にくる。だから私はいつも思っている。良いことのあと

には悪いことがあり、悪いことのあとには良いことがあると。

 ここに紹介するのは、そういう良いことと悪いことが交互に繰り返された三日間のことである。
 
一昨年の五月末、私は一泊二日の予定の業者の旅行に参加した。行く先は熱海。

 一日目の金曜日は総会、二日目の土曜日はゴルフコンペというスケジュールである。現地集

合、現地解散ということだったので、私は一人で車を運転して参加した。

だが、私の車のトランクにはゴルフバックの他に鮎釣りの道具も積まれていた。というのは、旅

行の次の日の日曜日が狩野川の鮎の解禁だったからである。 

さて、第一日目の総会後の宴会でのこと。酒に弱くカラオケも歌えない私は宴会は苦手で、『カ

ラオケは歌う極楽、聞く地獄』という川柳を思い浮かべながらただ出された料理をつついている

だけ。たまたま、その席にお姐さん芸者と若い芸者が四人来ていて、最初はお姐さん芸者が

三味線を弾いていて若い芸者が踊ったが、座が乱れてきてカラオケになるとお姐さん芸者は

手持ち無沙汰になってしまった。

そのお姐さん芸者(といっても年齢は六十歳は超えているだろう)が手持ち無沙汰の私のところ

にやってきた。二人の間にこんな会話が交わされた。

「おひとついかが」

「飲めなくてすみません」

「あら、あやまることないわよ」「話しは別だけどお姐さんの三味線、いい音色ですね」

「ありがとうございます。最近は三味線の音色の判る人は少ないわ。でもどうして判るの」

「時々、三味線を聞いているから」「あら、なんで?」

「カミさんが小唄を教えているから」

「それなら私が弾くから小唄を唄ってよ」

「でもこんなに騒々しくては」

「ではお部屋に行きましょう」というわけで二人は宴席を抜け出し、私に割り当てられた部屋で水入

らずで小唄のお復習浚いをした。

 芸者と二人きりになる機会など滅多にあるものではなく、お姐さん芸者がもっと若く、もっと綺麗だ

ったらどうなっていただろうかと私は思った。しかし楽しい想い出とはなった。

 後日談になるが、その後カミさんと熱海に行き、そのお姐さんを招んで小唄を歌った。今でもその

お姐さんからは時々手紙がくる。

 二日目のゴルフコンペは大仁カントリークラブで行われだ。最初のハーフは三十九で回った。

昼食のとき、優勝間違いなしとおだてられ祝杯だということで酒を飲まされた。私のパートナーは私

を除いて三人が三人とも滅法酒が強い。そのせいかあとのハーフはショットがぶれ、あげくOBを

連発しスコアは五十、トータル辛うじて九十を切るという成績であった。よいことは続かないものだと思う。

 三日目の狩野川の解禁こそ私がいちばん楽しみにしている年中行事の一つである。

私は十月まで鮎を釣るが、鮎のシーズンが終わるともう翌年の解禁に思いを馳せる。

 半年以上も待ちに待った解禁であった。ゴルフが終わって、私は修善寺橋の側にある釣り宿

「安田屋」に直行。一泊して翌朝の解禁を心待ちにした。

 前日の夕方から降り始めた雨は、解禁日の朝になっても雨足が衰えず、おまけに川の濁りも強く

なってきた。その日の予報は、午後も降水確率六十パーセントとのこと。解禁日の朝やってきた釣り

人も、川を見て、今日は駄目だと残念そうに帰って行った。私もその日は釣りは出来ないと諦めた。

しかし、その日も安田屋に泊まるつもりだったので私は無聊をかこちながら宿でゴロゴロしていた。

 ところがである。午後になったら雨がやみ薄日が差してきた。そのうちに川の濁りが急速に引いて、

はや気の早い釣り人が川に入って竿を出した。

 宿の前はすぐ川なので、釣り人が鮎を掛けた姿が手に取るようにみえた。それっと私もおっとり刀で

囮を持って川に駆けつけた。解禁日というのに釣り人は殆どいない状態で、どこに囮を送りこんでも

良型の野鮎が掛かった。

 あんな解禁は、後にも先にもこのときだけである。二時過ぎから釣り始めて三十匹くらい掛けた。

 悪いことがあっても我慢しているとよい事につながるものだとつくづく感じた。この三日間は、良い

こと、良いこと、悪いこと、悪いこと、良いことという結果に終わったが、最後に悪いことがないよう帰り

は慎重運転に心掛けようと思った。