飯能巷談その五 小島水車
    小山 友叶

 岩根橋から川沿いに坂道を行くと上水道の取り入れ口に突き当たる。その手前に以前は水

車小屋があった。通称『小島水車』と言った。水車そのものはかなり大きなもので直径は

5メートルもあっただろうか。母屋から続きの棟に囲われた中で日がな一日ゴトンゴトンと杵

を搗いていた。私が見た頃はいつも青い葉を搗いていた。それが何だったかどうにも理解

出来ないでいたが、先日、嘗ての小島水車の小島音一郎さんの長男の小島博氏に会った

ので、水車について聞いてみた。

『青いもの?ああ、あれね。あれは杉の葉だよ』『杉の葉?』

『線香の素材だよ。大正時代から先代は水車で脱穀、製粉を業としていたんだ。この辺は

水田が少ないから米の精米の仕事はあまりなくて主に麦の精麦だったね。でもその仕事

も無くなったので線香屋に施設を貸したのよ。その時見たんじゃないかな』

『そうかぁ。あれは杉の葉だったのか。ところで水車はどうして消えてしまったの?』

『あれは昭和33年の鹿野川台風の時だったね。水車だけを残して小屋の建物と屋根などは

すっかり浚われてしまったんだ。その写真は残ってるけど水車だけが剥きだしだよ。それで

水車業は終わりさ』

『水車の跡は今でもあるの?』と聞くと『あるよ』と言いながら剥きだしになったみずぐるまの

写真を見せてから、その跡を辿ってくれた。導水路が在りし日の水車小屋を彷彿させる。

『筏なんか見たことある?』

『当時は筏を組んで流してはいなかったけど杉丸太を流してたね。水量はもっと今の倍も

あったから
ね。前の淀は流れて来た丸太で水が見えないほどだったよ』『何年頃?』

『俺が子供の頃だから昭和16年頃かな。戦後、親父は町会議員をやってたが食料公団に

勤めていたんだ』

『川について何か想い出がある?』

『川の真ん中に岩があってね。そこに水が当たって両岸を削るものだから岩を爆破すること

になったんだよ。ダイナマイトで粉砕したんだけど水煙が凄かったね。そのあたりにある

削がれた岩はその当時の残骸だよ』と指さす渓流は鮎釣りの好ポイントだ。   

小島博氏宅にて聞き取り

エッセイのページ