2003年秋中国旅行記

20031010日〜14

北京〜呼和浩特〜准格尓〜呼和浩特〜北京

準備(101日〜9日)

今回は、羊肉さんのサイトで紹介された『准格尓』が電化になるというのでその前にと考え計画した。仕事の予定がようやくハッキリしたのが10日前、すぐに、某ガイドにメールし、予定と見積りをしてもらった。翌日の回答は、2泊3日が8万円。あまりに高いので別をあたることにした。いつも熱水でガイドをしてもらっているOさんに電話したが、すでに予定が入っておりこれまたOUT。最後の頼みである呼和浩特市の内蒙古中信国際旅行社のスーチン副総経理に電話を入れると、これまた予定が入っていた、しかし、前3日間は、付き合えるとのことで費用も安くしてもらった。聞くと准格尓はすでに2回ガイドしたそうで、孔さんと回ったそうである。

続いて、航空券の手配である。もう1週間を切ってしまいいつもの旅行社『アクロス大阪』に電話すると連休最終日の13日帰りが取れない。そこで14日帰国で手配してもらった。


第1日目(1010日)

自宅〜関空〜北京〜呼和浩特〜准格尓

天気:大阪:晴れ、北京:雨、呼和浩特:雨

関空快速で予定通り関空に1205到着。出発ロビーGカウンター団体受付で航空券を受け取り、CAのカウンターでチェックイン。今回は、久し振りだったので『知音カード』を忘れてしまいマイレージが付かない。しまった!

連休前とは思えないほど手荷物検査、出国手続きはスムースに終わり1240には搭乗ゲートへCA928は定刻1410、一路北京へ向かって離陸した。今回の飛行機はB767-200、シートは2−3−3列配置なっていた。以前は、関空便にもジャンボが就航していたのに段々小さくなり、今ではB767とは・・・とても窮屈である。関空の着陸費が超高額のためかな・・・。

 北京着陸15502時間40分のフライトが終わった。北京の天気は雨!雨である。大阪は、秋晴れだったのに・・・

タラップを降り、COMBUSに乗ってターミナルビルへ入り、健康申請表を入国審査手前のゲートで渡し、入国審査を済ませ、1FのbP手荷物カウンタへ。SARSの検査が厳しいかと思ったが、以前と全く変わらないではないか!

 手荷物を取り、外に出た。今回は、日程が短いので時間を有効に使おうと北京から国内線に乗り継ぐ予定にしていた。しかし、日本の旅行社からは「国際線の時間はよく遅れるので国内線は到着したから買ったほうがいいですよ」と言われていたので予約していない。 まず、エレベータで2Fの出発ロビーへ行き、国内線のCA切符売り場へ向かった。窓口で呼和浩特便は何時にあるかと聞くと一番早いのが1730CA111便だという。残り時間は、丁度、1時間。大丈夫かと係員に尋ねると中国人らしく「没問題」。自分ひとりで初めて乗る国内線、少し心配だったが、早く着きたい思いで
「買一張!」。


急いで手荷物検査へ・・・夕方で仕事帰りの時間のためえらく混んでいた。焦る気持ちを抑え、列に並ぶ。
X線検査で持ってきた缶ジュースが問題になってしまった。缶のプルリングを開けろと係員が言う。

 私は何のためか?と問いただすと壁を指差して通達が出ていて缶ジュースの缶は危険物??のため持ち込めないという?

 ただのジュースであると言っても向こうも聞く耳をもたない。時間もないのでその場で持ってきた缶2本を開けた。飲めるわけもなくその場に捨て、急いで36番搭乗ゲートへ・・・これがターミナルビルの一番端にあり、到着したのが1700

 あと10分で.搭乗開始である。ガイドのスーチンさんから北京に着いたら電話くださいといわれていたので公衆電話で彼の携帯番号133・・・とプッシュする。

といきなり切れてしまう。どういう訳かこの電話からは携帯には掛けられない。仕方なく、中信国際旅行社へ電話し、スーチンさんにこちらの公衆電話の番号を連絡してもらうよう頼んだ。 しばらくすると隣の公衆電話が鳴った。慌てて出ると間違い電話であった。話しているうちに先ほどの公衆電話が鳴った。その電話を切り、目的の電話を取る。向こうから聞き慣れた日本語の声が聞こえてきた。ようやく一安心である。 到着時間を連絡し終るやいなや搭乗が始まった。

飛行機はB757-200。 3-3列配置の狭い飛行機である。飛行時間は50分。半時間遅れでフライト。上昇したかと思うと下降に入った。

呼和浩特空港は気持ちとは逆にやはり雨だった。 出迎えのスーチンさんと握手し、夕食に向かった。ここは昨晩から雨が降り出し、今日は一日雨だそうで

「このような天気は非常に珍しい」
との弁。こちらはショックである。また、雨のためいつもより寒いとう。私はというと、傘は持ってないし、服装はウィンドブレーカと長袖のワークシャツ。彼は見るからに寒そうな私の姿を見て、親切に家に寄って私の服と傘を貸してあげましょうと言ってくれた。夕食後、家へ向かった。

奥さんが服と傘を持って出てきた。ありがたく借用し、出発。時間は2000過ぎ。これから南に約160Kmの准格尓へ。車は日産キャラバンの中国版:ジンベイ(金杯)である。真っ暗な国道を時速80Kmで走る。この街道は、准格尓の炭鉱から石炭を運ぶトレーラが一杯で昼夜なく走っている。そのトレーラを追い越しながら進んだ。車内に隙間風が入り後部座席の私は、寒さで震えながらジーッと我慢した。休憩なしで2時間半、22時半にめざすホテル『華峰酒店』に到着。3Fの部屋に入った。シャワーのみでバスタブはなし、ベッドはダブルがひとつ。早速、シャワーでもと思い、蛇口をひねったが何分しても湯はでない。しかたなく寝ることにした。まだ、1010日ということで館内は暖房が入っていない。寒い!服を着込んで寝た。

第2日目(1011日)
薛家湾〜海子塔〜薛家湾
天気:雨

薄暗いうちに目が覚めた。カーテンを開けるとどんよりとした空から雨が降るのが見えた。だめだー!もう一度寝る。
7時起き、7時半出発。梅雨空の様な暗い空、気を取り直して機務段へ向かった。ここの地名は准格尓旗薛家湾(シュージャーワン)である。国鉄線が大同からここまで来ていてすでに電化されている。終点の駅名は『周家湾(ジョウジャーワン)』である。そこに機務段があり、ここが准東鉄路の起点である。

機務段は、町の西はずれにあり、地道を3Kmほど入らなくてはならない。地道といっても雨で水溜りが沢山でき、悪路が更に悪路になっている。内臓がひっくり返る思いで到着した。
見ると機関車が5台停車していたが、すぐ2台が出区して駅の貨物線へ向かった。列車が出ると思い急いで機務段から1Km先のコンクリート橋へ向かった、しかし、列車が早く、車を抜いていってしまった。
橋に到着したのでロケハンをする。約1Km先まで歩いた。S字カーブがあるが高圧線が通っていてよくない。やはりここはあの橋のみか・・・諦めて、戻る事にしたが、地道はぬかるんでおり途中で2回もスタックし、私とスーチンさんが後ろから車を押してやっと脱出でした。服はどろどろである。相変わらず雨は降り続き、空が暗いので今日はポイントを探そうと次の駅である『海子塔』へ向かった。薛家湾の町まで戻り国道に出て西へ向かう。


途中、国道の料金所を通り、山を二つ越え、坂を下ったところに橋がある。この橋の手前を左に行くと『海子塔』の村があるが、線路は右である。
 右に折れ、地道を入っていく。雨が降っていて道は至るところヌカルミになり、場所によっては、深い轍ができている。『ジンベイ』は何とかクリアし1
Kmほど入ったところの左手に駅が見えた。が、手前に川があり、いつもなら水がなく渡れるが、今日は水か流れていて無理である。更に、先に進む。ヌカルミは更にひどくなり、帰れるかどうか心配になる。Kmほど行くと羊肉さんのHPで紹介している『二連橋』にでた。見ると橋の前後の築堤にはコンクリートのポールが立っているではないか!橋の横まで来るともう一台新しいジンベイが止っていた。どこかで見たジンベイではないか・・・


 見渡すと橋を渡ったところに3人の日本人らしき『鉄チャン』が雨の中、三脚を立て構えていた。 そこでその場所まで行こうと荷物を持って歩き出した途端に上り貨物がやって来た。急いで道路脇に三脚を立て
RZを用意するが、ここの列車は早い!時速560Kmは出ている。結局、RZしか用意できず通過していった。 雨が降り続くので帰り道のヌカルミが心配だったので駅の横にある村へ向かった。途中で上下2本の列車を見逃した。(この時はよく判らなかったが、午前中はいつも電化工事で閉鎖され、開通するやいなや連続でやってくる運用になっている。これが判ったのが帰る日であった。)


 海子塔駅西の村には橋があり、ここは空車の下り列車を写すのに紹介されているポイントである。ロケハンに向かう、100mほどのコンクリート橋を渡り、目の前にある丘に登る。この辺りの風景は、『黄土高原』はずれに位置するため、なだらかな山や丘が突如深く切れ込んで大きな谷になっている。丘を登ること30分。断崖の向こうに先ほどの橋と線路が見える。この付近の特徴的な風景である。あちらこちらの断崖の端に立ちアングルを決める。天気がよくないので明日再チャレンジすることにし、丘を下りた。約2時間のロケハンを終え、車に戻ると足が痛い。一息ついて持ってきたカップラーメン『康師夫(カンシ−フ)』で腹ごしらえをする。時間はすでに午後1時を回っていた。すると突然、重車が音もなく下ってきた。

「シマッタ。」
まーッ天気も悪いし、良いか、と思いラーメンを食べていると今度は、海子塔で交換した下り貨物がやって来た。

これには、ホントにショックだった。都合、4本を逃してしまった。


 食事が終わり、歩いて駅に行く。踏切から
500mほどのところに駅があり、下り停車していた。急いで機関車まで行くと重連回送である。また、ここで交換するようだ。車まで戻る時間もないので駅での交換風景を撮ることにしたが、10分待っても来ない。約20分すると猛スピードで重車の上り貨物が目の前を通過していった。停車していた機関車は入れ替わり、すぐに発車して行った。


 車に戻り、時間を見ると午後3時、この頃になるとようやく雨も上がってきたが遠くに行くこともできない時間なので先ほどの『二連橋』へ向かった。車で橋をくぐり、アウトカーブ側の山を登って行き止まりまで行った。線路を俯瞰すると手前に電化用のポールが生え、せっかくのロケーションが台無しである。色々アングルを探しているとまたもや上り貨物がやって来た。急いで線路端でRZをセットし、撮影。

列車はこのカーブを過ぎると急激な上り勾配が待ち構えていて速度は一気にDOWNする。この先を越えるまでが大変のようだ。

雨は上がったが厚い雲で覆われているため時間は5時だというのに暗い。今日は、これまでとし、ホテルへ帰る。
ホテル6時
20分着。昼食が遅かったので腹がすいていない。夕食時間を7時半に決め、部屋にりテレビを見る。孫悟空(スンウーコン)の西遊記が放送されていた。 時間になったので小さなロビーへ出ると彼らがいない。服務員は出ていたよ!と言うので外にでる。と姿が見えたのか隣のレストランから運転手が迎えに来てくれた。3人で夕食。まずは白酒で乾杯。 食事が終わり、明日は、晴れていれば6時起床6時半出発に決め部屋に戻った。今日は、シャワーの湯が出た。昨晩寒かったので掛け布団を持ってくるように服務員に言うとテレビ台の下を開け、ここにありますよ!だって。ゆっくり休んだ。


第3日目(1012日)
薛家湾〜海子塔〜薛家湾
天気:曇りのち曇り時々晴れ


 朝6時に起きると相変わらずの鈍い鉛色の空が広がっていた。すぐにガイドのスーチンさんから電話が入った。曇っているけどどうしますか? 朝日が見られないので出発時間を7時半に変更し、再度、床に入る。

時間になったのでロビーへそして皆で隣のレストランへ朝食に行く。ここは、ホテルのレストランというかレストランに付属したホテルというか、とにかく朝食はサービスで付いてくる。メニューはホットミルク、ゆで卵とおかゆ。簡単に食べ、出発。機務段には行かず、一路、海子塔へ

天気は少し回復し、晴れたり曇ったりの空である。雲の流れが早い。昨日登った丘に機材を全て持って登る。スーチンさんも脚とリュックを持って一緒に登ってくれた。
朝、9時半に丘の上の断崖に立つ。今日は風が強く一段と寒い。服装は、上は長袖シャツの上にワークシャツ、ウインドブレーカ、そして借りたダウンジャケット、下は、タイツにコーデュロイのパンツ。頭は毛糸の帽子。これでも寒い。待つこと2時間、まだ来ない。
11時半上り貨物が目の前を下っていった。続いて12時丁度に目指す下り貨物が空車50輌を牽きやって来た。天気は曇り、残念。

寒いので急いで荷物を片付け、丘を下った。車に戻り、今日もカップラーメンを食べる。横をまたもや上り貨物が下ってきた。食事を終え、どちらに向かうか?沙格堵に行くか?いや、いや、一度、この奥に入ってください。行けるところまでとお願いした。車は、地道を線路沿いに西に向かった。水が殆ど流れていない川を渡り、2Kmほど行くと次の村が見えてきた。道が入り組んでいてどちらに行けばいいか分からない。農家に入る。庭には、ニワトリが走り回っていて大きな黒い犬が吠え出した。男性が出てきた。顔は日に焼け真っ黒で深いシワがある。年の頃は40前後か、彼は、右に少し行けば、鉄道の大きな橋があり、左に行くと国道にでられるよ。と言った。 

迷わず、橋を目指した。
少しという距離は、田舎では日本も同じであるが相当遠い。次第に細くなる道を川伝いに登って4Kmほど行ったところに左手にコンクリート橋が見えた。あと1Km弱である。しかし、道は川を渡っており、そこが最高にぬかるんでいる。運転手は、「過不去」という。渡れない!。仕方なく、そこから歩いて橋までロケハンに向かう。橋はこの川の支流を越えていた。ポプラの葉が黄色く色付いていい雰囲気である。カメラを取りに車に戻った。荷物を持ってもう一度あの橋まで歩くのは大変である。再度、運転手に交渉してもらった。一度やってみると言ったがあまり気乗りしなさげであった。
勢いをつけ川へ向かった。丁度川の真ん中がぬかるんでいて轍が深くなっている。私は、轍を避けたほうがいいと言ったが通じなかった。・・・・

あ゛ーぁ。
川の中央の轍にハマリ、底が擦って亀の子状態。最悪である。またもや二人で押すこととなった。今回は、完全に左後輪が浮き上がってしまって全く力が伝わらない。ジンベイは2輪駆動のため片輪が浮くとどうしようもない。4,5回やったが深みに嵌っていくばかりである。このままでは帰れない。 
あたりを見渡すと2軒の農家があった。人手を頼みにガイドと向かった。一軒目の家はひまわりの収穫作業中でガイドが話したが、忙しいのか気のない返事であった。上の家に行けという。もう一軒を訪ねるとお爺さんであった。快く承諾して、戸締りをし、スコップと丸太を貸してくれ一緒に向かった。戻ると運転手も向こう側で農作業をしていたトラクターを見つけて連れてきていた。値段交渉し、話しがまとまり、作業開始。ワイヤは持っていたがフックがない。番線をむりやり巻きつけ、前からトラクターで引っ張り、後ろから4人で押した。さすがにこれだけ居たら問題なし、あっと言う間に脱出成功。これで帰ることができる。この間も目の前に見える橋を蒸機が一往復渡って行った。 

お金を払い、目指すコンクリート橋へ線路際まで車で寄ってアングルを決め、列車を待つ。程なく下り貨物がやって来た。なんとコンテナ列車である。ここ准格尓ではめったに出会わない。煙もまずまず、すぐに日は陰り、帰ることとする。村人の話によるとこのまま進むと国道に出られるとのこと一路山を登った。半時間ほど行くと国道にでた。薛家湾に19時半に到着した。そのまま機務段へ。20時着、40分間夜間撮影し、ホテルへ戻ったのは21時半、先に食事を済ませ、ホテルへ帰るとすぐに孔さんが連れてきた5人の日本人にあった。彼らは熱水から来たそうで正月以来の面会となった孔さんに熱水の状況を聞く。こちらは雨だったが、向うは雪が降ったそうでいい写真が撮れたといっていた。

第4日目(1013日)
薛家湾〜海子塔〜薛家湾〜呼和浩特
天気:晴れ時々曇り

朝5時半起床、6時出発。まだ外は薄暗い。私のガイドはスーチンさんからアルバイトで昨晩孔さんとやって来た大学教授に代った。スーチンさんは孔さんのグループの案内になる。彼らと出発時間が同じであった。彼らは機務段へ私は今日午後には呼和浩特市に帰らなければならないので海子塔に、半時間ほど走ると機務段に着いたスーチンさんから電話が入り、今日は午前10時半まで列車ないという。仕方がないので
Uターンし、機務段へ向かった。午前8時前に合流、半時間撮影し、一緒に出発、彼らと一緒に沙ガトへ向う。

月曜ということで国道の途中にある料金所から西へ向かうトレーラが3Kmほど渋滞していた。全く動かない。運転手は痺れを切らし、ジンベイで渋滞するトラックの左側をバンバン抜き、前から来るトレーラを避け、何とか料金所手前まで来た。そこでまたもや詰まってしまった。振り返ると後ろを着いてきた車で身動きができない。中国的である。日本なら喧嘩が始まるところであるが、3人ほど人が出て整理しだした。10分ほどで開通し、前方からのトラックが通れるようになった。料金所の車も次第に減り、順番に料金所を通ることができた。料金所を過ぎると先ほどの渋滞が嘘のように道は快適になった。沙ガ土へは海子塔より更に1時間掛かる。今日、呼和浩特市に戻る予定のため、私は、そこまで行くことを断念し、海子塔と福興城の間にあるトンネルへ向かった。

国道を左に少し降りると西から上がってくるトンネルの上にでる。トンネル真上まで歩き、カメラをセットする。10時10分下り貨物が空車を牽いてトンネルから出てきた。そして、半時間すると西からドラフトが聞こえてきた・・・F100にサンニッパを付け、RZは標準で撮影。少し白い煙が出た。スピードはまずまず速かった。予想では半時間後には下りが来ると思った。急いで片付け、次のポイントへ。少し、カンが働き出してきた!

国道を右に折れ、少し入ったところから線路が見える。道はなく線路まで距離があるので機材を担ぎ、歩きで1km分け入った。眼前にはまっすぐ谷を流れてきた川が左右に分かれていて、このクレバスのような地形の先端に立つ。前方2kmほどのところに築堤が一部だけ見える。まだ少し遠いが、『黄土高原』らしい雰囲気がとてもいい。
光線もこの深いクレバスのヒダを増幅させるように当たっている。早く来い。
しかし、列車の姿はなく時間が経過する。12時丁度。下りの重連回送が登って来た。遠いので音は聞こえないし、谷の間から見える築堤は、ホンの僅か、RZのみで撮影できた。列車は何の前ぶれも過ぎて行くので集中力がものをいう。気を抜いているとこの一瞬を逃すところであった。

タイムリミットまで残り1時間半。下り貨物を待つ・・・・13時30分、もう帰る仕度をし出したところ上り貨物がやってきた。スピードは超スロー、何枚も撮影できたが、下り込みのため完全な絶気状態。スカである。急いで片付け、山を登る。30分やっと車に辿りつく。天気がいいので汗だくである。昨日までと大違い。ミネラルウォーターを一気に飲む。ふと遠くにある築堤に目をやると下り貨物が空車牽いていい感じで登ってきていた。これまた残念。

車は、薛家湾の町に戻り、更に、呼和浩特市へ向かう。昼抜きだ。休憩なしで走った。昼は、トラックが多く、スピードがでない。
1650分呼和浩特市到着。先ず、旅行社へ向かい寝台列車の切符を受け取る。1700分駅到着。駅前で簡単な食事を済まし、駅2階待合室へ、今日は、包頭始発定刻17時時50分快速1482次列車に乗車する予定。
1735分改札が始まった。2階の跨線橋に出ると20分遅れのアナウンスがあった。夕方から風が強くなり非常に寒い。1810分東風4型の牽く列車が入線してきた。硬臥は後ろの11号車である。ガイドに荷物を持ってもらい席に向かう。無事、荷物をベッドの下に置き、お礼の挨拶をし、ガイドと別れた。

途端に横のおばちゃんが話しかけてきた。話を聞くと4人で来ているが一人だけ隣のBOXの下段になっているので席を替わって欲しいという。断る理由もないので引き受けた。隣へ荷物を移動しようとすると下段ベッドの下がすでに荷物で一杯になっているではないか!!無理やり左右に荷物を振り分け押し込んだ。
しばらくすると車掌が『換票(ファンピアオ)』に来たが、席は替わっているし、行き先が隣と違うしで迷惑そうにぶつぶつと文句をいっていた。そうこうするうち疲れが出てきたのでまだ20時前であったが、寝ることにした。列車は、快速のためよく停まる。隣の4人はポーカーをしていてうるさい。それでも疲れが勝っていつの間にか寝てしまった。

第5日目(1014日)
北京〜関空〜自宅
天気:北京:快晴、大阪:雨

北京に入る前、目が覚めた。時間は4時30分。北京定刻着は5時10分。ほぼ定刻通り走っているようだ。15分前に車掌がやってきた。切符の交換である。そしてゆっくりと身支度をする。少し白けだした空に北京の町並みが浮かんでいる。ナトリューム色の街路灯がたくさん点いている。北京も明るくなったなー。

ゆっくりとゆっくりと西駅に入線した。 荷物を持ってホームに降りる。眠い。1階改札を出て、階段を上がり2階にある道路に出た。客引きのタクシーで一杯である。危なくなさそうなタクシーを物色する。夏利(シャレード)を見つけて乗り込む。
車は西へ向かい西三環線に入る。運転手にこれは遠回りではないかと問うと、これが一般的だという。今更戻るわけにも行かないのでそのまま乗って行くと北三環線回りで首都機場高速へ入った。時間が5時台と早いので全く問題なく空港に6時過ぎに到着してしまった。あと3時間半も待つこととなった。F出発ロビーで建設費券を購入し、時間があるので3F
Fは、レストランと本屋があり、本屋に入って地図を購入する。そして、2Fへ戻りチェックイン。ゲートへ向かった。税関は、カウンターの並びが変わっていたぐらいでSARSの影響はない。免税店で土産を買い、ゲート待合室へ行くとまだ8時であった。椅子に座ってうとうとすると肩を叩く人が居た。振り返ると行きの飛行機で知り合った人で北京に4日間滞在予定と言っていた。

今日は5日目なのでどうしましたと聞くと昨日、道が混んでいて飛行機に乗り遅れてしまったという。彼は中国語が流暢でCAのカウンターで交渉し、今日の飛行機に振り替えてもらったのだと。追加料金もなし。すばらしい!さらに聞くと、飛行機代を払えるだけのお金は持ってないという。すごい!
帰りの飛行機はB767-200と行きとは更に小さくなり席は3-3列である。昔ならB727というところか、小さな機体は、急角度、急加速で上昇して、水平飛行に入った。帰りの席は先ほどの人と話をしながら帰ったのですぐに関空に定刻1240分着陸。13時には税関を通り、13時半関空快速に乗った。今回は、天気も段取りも悪く撮ったフィルムは僅かに6本であった。高くついてしまった。冬には再度訪れてみたい。

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