樺南森林鉄路6日間の旅

2005/12/30〜2006/1/4

2005/12/30(日)

哈尓浜〜佳木斯〜樺南〜駝腰子〜樺南

 

昨晩、北京から空路哈尓濱へ入り、空港バスで駅前に降りたのは夜11時半だった。駅前にたむろする白タクの運転手二人が荷物を掴んで無理やり連れて行かれそうになるところを巡回の警官に助けられ何とか駅に辿りついたがまたその二人が追いかけて来て切符を払い戻せと迫る。無視して待合室へ、予定していた列車の切符は途中駅ということで「無座」しか取れず、改札後、乗車。ダッシュで列車長を探して交渉し「硬臥」に潜り込んだのは午前1時を回っていた。

▲「無座」切符

▲車内で購入した「硬臥下段」切符

目が覚めると列車はすでに佳木斯(ジャムス)の手前まできていた。車窓からの風景は雲ひとつない快晴の空の下、寛大な大地に一面に雪景色が広がっている。霧か靄で霞んで遠くが見えない。

我々の乗る長春発2007次は定刻通り終着駅佳木斯に到着した。硬臥の乗車率は7割ぐらいであろか・・・比較的空いた列車から足早に降りていく。今回もガイドと二人の旅。我々はのんびりと最後に下車し客車のサボを入れ記念写真を撮り駅を出る。

駅を出ると中国のどこの駅でもあるようにタクシーの運転手が近づいてきて車を勧める。朝食を摂るため駅前食堂に向かった。ホン飩と排肉(パイグウ)で簡単に朝食を済ませタクシーを雇うために再び駅に戻る。

▲ホンドン


外人がいると足元を見られるのでガイド一人で交渉してもらうことにし、駅で待つことにした。暫くするとガイドが戻ってきたが値段を聞いてビックリ!
500元である。東北地方は田舎だから少し安いかなッと考えていたのは大間違い。客が少ないせいかガイドが不慣れなためか足元を見られてしまった。それにしても中国人同士で交渉してこの値段である。ガイド一人で行かせたのに・・・効果なし。

あまりの高額にバスで現地入りすることにした。駅前広場の対面にバスセンターらしき処がありそこまで歩いていく。

先ほど交渉したタクシーの運転手が追いかけてきて乗れと催促するが、値段が高いので何度も断った。すると450元でどうかと値引きしてきた。それでも高い。熱水では1日350元であった。距離も250kmは走った。ここから樺南までは70km往復で140kmである。それでも運転手は諦めない。更にもう一人別の運転手が追いかけてきた。彼は樺南出身だという。道も良く知っているし安くするから使ってくれという。聞くと400元、350元なら使うと言うと360元までなら値引きするというので契約成立。また、荷物を牽いてタクシー乗り場に戻る。先ほどの運転手が、大声で喚いていた・・・

ジャムスから南北に鶴大高速道路がある。樺南までは途中に2箇所の料金所がある。タクシー代はすべて込みの値段のため運転手は2kmほど手前で側道に入り、旧道へ。(中国のこの辺りの高速は何箇所も交差点があり、道は点在する村々に延びている)

旧道は約1kmは離れたところを並走している。料金所を2kmほど過ぎたところでまた高速へ戻った。

地元の車はすべてこの経路を利用している。 ウトウトしているうちに高速樺南出口に到着。丁度、長距離バスが停車し、乗客を降ろしていた。その乗客を拾うタクシーが何台か見えた。 10分ほど走ると樺南中心地に入ってきた。先に樺南ホテルに行って予約をする。この地ではこのホテルが最も立派なホテルで外人客はすべてここに宿泊するようである。

フロントに話して泊まる部屋をチェックした。部屋は問題がなかったのでヤージン(圧金)を支払い出発した。

まず、森林鉄道の樺南駅に向かう。先ほどのホテルもそうであったが、運転手はどうも道を知らないようである。ガイドは一度来たことがあるので途中まで道案内をしたが町外れまで来ると分からなくなった。

運転手が樺南出身といっていたのは嘘のようだ。よくわからない・・・。道々、尋ねながらようやく樺南駅に到着した。駅舎は30mほどの長さがあるようだが、実際の駅事務所は西側の一室だけである。

駅周辺を見回したが機関車が見当たらない。そこで駝腰子へ向かうことにする。線路沿いの地道を走る。下樺まで約20km畑の中を線路と道路が並走している。 

ようやく下樺に到着したが道がY字に分かれていた。どちらに行くか運転手もガイドも分からない。とにかく左へ道をとって進んだ。線路がどんどん離れてしまう。1kmほど行くと築堤に突き当たった。右に折れ、まだ進む。「鉄」の感としては絶対間違っている。時間が惜しい。そこで戻るように指示し、細い道をUターン、少し戻ってきた。 右下の農家から築堤に勢いよく上ってきたバイクが車と当りそうになった。滅多に車は走っていないのであろう。 

するとバイクはよろけながら結局、車のドアーに衝突。(_)ドアーミラーがもげてしまった。車とバイク運転手同士が、口論を始めた。結局、バイク側に100元を払わせ一件落着。来た道を戻る。 下樺駅500m手前まで来ると下り貨物が発車していくのが見えた。・・・・(_) 

先ほどのY字まで戻り、反対側へ向かった。50m行くと左手に古い門があり、子供が二人出てきた。なんとアイスクリームを食べている。運転手は門の奥にある雑貨屋でテープを買ってきて折れたドアーミラーを固定しする間にスナップを撮らせてもらう。

 

下樺をでるとすぐに線路を渡り、また線路と離れていくので慎重に右折できる道を探す。200mほど行くと右折できる細い道があり、ここを入ることにした。丘を1km登っていくと小さな村があった。ここが下樺村であった。道なりにどんどん進み最後に右カーブすると線路を渡る。ここがトーヤオズ(駝腰子)だ。左手の小高い丘には電波塔が見える。ここがCFREAKさんに聞いていたところだなと分かった。とにかく車で行けるところまで入ることにした。村を更に奥へ入り、東のはずれに踏切があり、その先で道が更に細くなったのでここで車を降りることにした。この先は、どうも車では無理のようだ。時間は正午前である。

運転手とガイドを車に残し、カメラ一台ぶら提げ徒歩で線路を峠までロケハンすることにした。聞いたところによると峠まで1時間強の道のりだ。のんびりと歩いていく。カーブを曲がると直線が続き、また、少し曲がって直線になっている。

ふと時間を見るとすでに1時間を経過していた。しかし、まだ山が近づいてこない。北を見ると川を挟んで向こう側に道が見えた。何台もの馬橇が材木を積んで帰ってくる。道は結構広いようだ。携帯電話でガイドを呼び出し、車が通れそうだから車で入ってくれとお願いした。

更に山に入っていく。山が迫る手前にはいいS字カーブがあった。

ここならいいなと思い少し右に入る。吹き溜まりに入り、いきなり腰までもぐってしまった。スパッツをつけてこなかったのでソレルに雪が入ってしまい進むことができない。
そうこうしているうちに峠のほうから「カターン、カターン」音が聞こえてきた。耳を澄ます。周りはとても静かで物音ひとつしない。蒸機ではないようだ。カーブからレールバスが飛び出してきた。


初めて見るレールバスはやたら汚れているが味があっていい。バスを見送った後、また、歩き始めた。木々が迫り、先が見えない。これぞ正しく森林鉄道。という雰囲気で大きく左にカーブすると少し築堤になっていた。更に進むと右に切通しがあり、そのあと保線小屋、また、切通しとこの部分で急激に高度を稼ぐ。歩いていても上り坂を感じる角度だ。緩やかになって左カーブを抜け直線に入る。いつまで経っても峠が見えない。初めての場所はホントに苦労する。直線を中ほどまで来たとき後ろを振り返ると右下に先ほど歩いた築堤が見える! そうか・・・、ここが有名な
Wオメガかー。と感激した。 右下には道が見える。これを上ってきたらオメガがひとつショートカットできた・・・と思いながらまだ先に進む。直線を過ぎると先は、S字になっていた。

まだ峠が見えない。時計を見ると午後2時を過ぎていた。ここまですでに2時間余り掛かっていた。Uターンして歩いて帰れば4時半ぐらいか・・・考えてみると4時半は日没後ではないかいな・・・シマッタ! 慌ててUターンし帰ることにした。

先ほどのオメガが見えるところまで下って、線路の斜面を道に向かった。一休みしようと振り返るとC2が音もなく静かに下ってきているではないか!カメラを取り出し、スナップ。

そして、下段オメガまでダッシュ!何度か諦めかけたが、息絶え絶え間に合った。下段オメガで再度スナップ。太陽は西の背に沈むところだった。この地の太陽は本当に低い。

背に沈む太陽を見ながら急ぎ足で駝腰子へ向かう。 このままでは、本当に真っ暗になってしまう。雪明りが頼りになってしまうではないか・・・

すると後ろから牛ソリがやってきた。自分より少し速い。「牛は速いなー」と思いながら急ぎ足で歩いた。10分も歩くと疲れ、足はいつものスピードに落ちてしまった。振り返ると快速で「馬ソリ」がやってきた。二頭立てだ!瞬間、これだーと思い。横を抜けるそりの農夫に「乗せてください」と声をかけた。彼は何か云ったがソリが雪を滑る音で聞こえない。走りながらもう一度「乗せてー」というと彼は手招きをした。

柴を満載し軽快に走るソリに飛び乗る。もっと前に来いと手招きする。彼のすぐ後ろの柴に座った。

超楽チンだ。柴がゴツゴツと尻に当たる。乗り心地は悪いが、ソリは快適に走った。

彼の話によると去年イギリス人を乗せたことがあり、今回で2回目だと。冬は仕事がなく天気のいい日は峠(大嶺:ダーリン)に柴刈りに出かけるそうである。いつも薄明るくなってきた朝6時に家を出て一日柴を刈ってこの時間に帰ってくる。柴は直径が2cmほどで細くて真っ直ぐなものばかりであった。私は彼の自宅で使うものと思っていたが、彼は、これは10.5元で売るといっていた。数えると約80本ほどあり、40元ぐらいになると話していた。そうなるとそれは、大変な金額なので信じられなかった。年収を聞くと去年は8000元ほどだったという。子供は二人、すでに結婚していて一人は一緒にくらしているそうだ。

馬ソリの速度は速く、先行していた牛ソリを難なく抜かしていく。 快調そのものである。道が悪く上下左右に振り回される。しっかりと柴を掴んで振り落とされないようにしていた。さすがに馬ソリは寒い。

約一時間余りでようやく村の家並みが見えてきた。低い太陽は西の空に沈む直前だった。良かった!(^.^)

村はずれで降ろしてもらいお金を渡そうとすると彼は断った。 こんな中国人がいるのだろうか・・・お礼をいい、記念写真を撮って別れる。タクシーが線路脇で待っていた。車で樺南へ向かった。下樺で貨物を抜かしたが暗くて撮影できない。

樺南賓館に到着したのは5時すぎであったが陽は暮れて真っ暗である。ホテルの前は樺南一番の繁華街のようであるが、風と寒さのせいで人通りはまばらである。

佳木斯のタクシーにお金を払い、予約した部屋にガイドと二人で泊まる。5階509号室である。部屋は、一部屋128元「普通間」を予約していたのでバスタブがない。まっ、安い分仕方がない。それにしても熱水のほうが設備がいい。

先に夕食にする。フロントで聞くと近くに「歩行者天国」なるところがあるそうだ。ホテルの前にあったタクシーに乗る。車は300mほど南に行ったところで左に曲がったかと思うと到着である。5元であった。この地方のタクシーはすべてメータがない!感覚で払う。近場は5元、少し遠いと10元だそうだ。旅行者にとってはこれが一番怖いシステムだ。

夕食はシュワンヤンロウ(羊のシャブシャブ)と哈尓濱ビールで樺南第一夜を祝い、ホテルに戻った。

 

2005/12/31樺南〜下樺〜大嶺〜立新

今朝は、レールバスで立新へ行く予定にした。レールバスは樺南駅800出発だと聞いていたのでホテルで630から朝食バイキングを簡単に食べ700にホテルを出た。ホテル前で待機しているタクシーに乗り込む。国鉄の踏切を渡り東へ向かうと正面に真っ赤な太陽が昇ってきた。天気は快晴、絶好の撮影日和である。始発樺南駅から乗ると大変長い距離を乗る必要があるので上り貨物が来れば写せると考え、下樺へ向かった。本当は駝腰子から乗りたかったが、昨日のロケハンでは駅の場所が判らないままだった。

車は朝日に向かって走りだした。道路は線路沿いしかないと思っていたが、線路より1km南には広い2車線の道路があり、地元タクシーためその広い道を走っていった。鉄の悲しさで線路が見えないととても不安になってしまう・・・。

しばらく走り道を曲がって旧道に入った。「下樺駅」といったつもりが、「下樺村」に到着。

下樺村は駅とはだいぶ離れていて、彼はその辺にあると思い、別の道でやってきてしまった。

方向が違うと言うと何やら判らんことを言って引き返した。下樺駅に到着し、タクシー代40元支払い、駅東側をロケハンする。

半時間ほどでレールバスがやってきた。バスに乗り込む。席はほぼ満席状態。一番奥には同業者が一人乗っていた。荷物を置き、一旦下車し入線する上り貨物を撮影した。朝の陽に浮かぶC2はなかなかフォトジェニックである。

バチバチ撮影しているとバスに乗れと催促され、いざ出発。一番奥で座っていた同業者に挨拶をする。初めC2FREAKさんに「郷さん」がこの日に来られると聞いていたのでてっきりそうだと思い込み「郷さんですか」と声を掛けたが「いいえ」との返事に少し不思議な気がした。話をすると2001年夏、白旗の山で会ったMさんであることが判った。そういえば張家口からバスで白旗に来たことを感心されて、こちらが驚いたのを思い出した。彼は樺南に3回来たことがあるそうで樺南を熟知しておられた。

話をしているうちに列車は駝腰子に到着。駅はなく踏切が駅だった。乗客3、4人を乗せ発車した。本当に満員である。駝腰子東外れで二人が手を上げた。バスが停車し(結局、見通しのいいところならどこでも乗れるということである)、乗り込んで来ると同業の日本人とガイドだった。挨拶を交わすと郷さんだった。彼は、少しでもこのレールバスに乗りたくないのでここまでタクシーでやって来たと話した。M氏と郷さんの案でレールバスをWオメガ上で停車させようとなり、まったく分からないので自分も連れてもらうことにした。

10分ほどで現着。三人と三脚、カメラを降ろし、夫々のガイドはその他の荷物を持ってバスで「立新」に向かった。

我々3人は降りた線路端に三脚を並べ、話をしながら列車を待った。天気がいいので寒くはないが雪で足の裏が冷たい! 待つこと1時間、遠くにドラフト音が聞こえてきた。C2のドラフトは機関車サイズに不釣合いなほど迫力がある。

いよいよだ・・・。何度も露出を見直す。貨物は下段オメガの向こうの林に煙が上がった。太陽は低く築堤入口側は日陰のままである。レンズは300mmがベストであるが、私は135mm相当しか持っていない。機関車は小さいが木々を入れて撮影する。下段オメガを過ぎると暫く音が止み、どうしたのかなーと思うほど時間が掛かってやってきた。正面を撮影。急いで機材を片付け、峠の反対側へ歩く。二人の話によると下り貨物が立新に到着後、機回しして上り貨物を待機、上り貨物が到着後、給水し、下り機関車が後補機となり、約一時間で峠まで戻ってくるそうである。

荷物は重いし、雪に足を取られなかなか進まない。二人に少しずつ遅れていく。

左カーブを曲がると有名なポイントである。と、遠くからドラフトが聞こえてきた。足早に中腹まで斜面を一気に登る。機関車の煙が見えてきた。三脚、カメラ、露出・・・。準備ができた時には正面直線からカーブに入ろうかというところだったが何とか間に合い青い空と絡めて撮影した。

郷さんの話しではここの列車は4時間ヘッドだという。するとここで待っていても日没になってしまう。 私は立新に向かって歩き出した。ブラブラ歩いているせいかいくら歩いても駅が見えない。前から牛を連れた農民がやってきたのでスナップする。そうしているうちに後ろから来た郷さんに追い越されてしまった。M氏はあの斜面で待つそうである。 約一時間歩いたら線路の先に黄色い壁の建物が見えてきた。もうへとへとになっていたので「これが立新だ!」と思うと大変嬉しくなった。

立新に着くと同時に先ほど乗ったレールバスが樺南に向け出発していった。ガイドは保線小屋で待っているようだ。中に入ると正面が6畳ほどの炊事場で左右に部屋が1部屋づつある。我々の宿泊は右手の部屋で、ドアーを開けた。中には保線員が5〜6人がマージャンをしていた。横でガイドは昼寝中である。ガイドを起こし話を聞くと、唯一の宿泊先である雑貨屋は日本人(M氏と郷さん)とガイドの4名で満員だそうで、バスの運転手に保線小屋を紹介してもらったそうである。まー想像していたより綺麗かな・・・もし、ここも空いていなければ電気のない農家に泊まるしかないとのことだった。

費用は一人150元! とこれまた足元見られーの値段である。花茶をいただき話をしていると「紅光駅」を上り貨物が出発したという。まだ時間があるから休んで行きなさいと言われ10分ほど休憩し、南に歩き出した。駅のはずれまで来るともうドラフトが聞こえてきた。急いで用意するが間に合わず、失敗了!

機関車を追いかけ給水場を通りすぎ、更に1km先の直線へ。間もなく後補機を付けてやってきたが、シャッタースピードが1/15である。残念。保線小屋へ帰り、夕食を頂く。簡素な食事と白酒だ。ここの白酒は、白い10Lポリタンクに入っていてこの付近の農家自家製だそうだ。4〜5杯飲んでいると蒸機の音が聞こえてきた。下り貨物が到着したようだ。宴会を中断し、夜間装備に整えて外に出た。

周囲は、真っ暗で電灯といえば、駅舎入口、給水場に各一個、裸電球があるだけである。今日は新月。月明かりはまったく望めない。少し雲があるのか星も見えない。 給水場に停車した機関車のバルブを開始する。

ストロボ併用で撮影。f5.6 40秒、ストロボ2〜3発。何枚か撮っているうちに下り貨物がやってきた。すぐに機関車を外し、機回しを行い、給水場へ。給水と石炭の整備を終え、一休みして出発だ。
今年一年の撮影を終え、小屋へ戻る。保線員たちは、白酒を飲みながらトランプ賭博をやっていた。勧められるままに飲み、温まったところで寝た。布団は、すばらしく湿って汚かったが、酔いが回って判断能力がなくなっていた。

 

2006/1/1立新〜下樺〜樺南

明け方、寒さで目が覚めた。オンドルの温もりがなくなってきていた。寒さを我慢しならがウトウトしていると目覚まし代わりに機関車が通過していく音が聞こえた。

まだ暗かったが、身支度を整え、いざ出発。天気は残念ながら曇り。駅を出たところの丘に張り付く。足場が悪く木の枝が邪魔をしていいアングルにならない。M氏はもうひとつ横から登ったところでセット。用意が出来た途端に新年第一号列車が発車した。まだ少し暗い。フラットな光線とグレーの空でパッとしない写真となった。

すぐ駅に戻り、紅光側に移動する。500mほど歩いて探したがあまりいいポイントがない。バック運転(※1)の下り貨物を撮影し、駅手前カーブで折り返しを待つ。雪がチラついて来た。天気は曇り時々雪、時々晴れである。C2は紅光から一時間で戻ってきた。撮影後、すぐに駅に戻り、峠側に歩く。約500m行った直線で端まで来ると保線員6人で線路の雪をスコップで除雪していた。それぞれ分担が決まっているようでしばらくすると4人が駅に引き上げて行ったが、残る2人は自分の分担箇所の除雪を続けた。一人をスナップする。半時間ほどで除雪が終わり昼ごはんに帰って行った。

しばらくすると下り貨物が下ってきた。250mmで撮影。丘に入り上り貨物を撮影する。天気が悪いのでメリハリがない。次の貨物を待つと今夜も立新泊まりとなるのが耐え切れずここで撤収することに決めた。

駅に戻り、荷物をまとめ、簡単な昼ごはんを食べていると紅光からレールバスが戻ってきた。レールバスに乗り込む。車内はこれまた、荷物で一杯である。運転手の後ろに陣取り、樺南に向け出発する。

軽快に峠を越えて駝腰子に到着。荷物の主が大きな袋10個あまりを降ろした。車内はガラガラになり、発車。
下樺まで来ると上り貨物に追いついた。

下樺は2線しかなくレールバスは上り貨物の最後尾に停止。このままでは上り貨物が出ないとレールバスが発車できない状況である。とにかくどうなるのか、運転手と一緒に駅に聞きに行く。駅員の話では、下り貨物と交換になるとのことであった。

私は、下り貨物が入線し上り貨物が出てからバスが発車すると思い込んでしまった。

駅はずれの踏切で待つ。雪は本降りとなり薄暗く100m先が見えない。半時間ほど待った1446貨物がやってきた。露出はギリギリ。 振り返り、上り貨物の発車を持つ。降りしきる雪で駅が見えない。10分ほどするとレールバスがやってきた! 貨物が来るとばかり思っていたのが大間違いで下り貨物は通過し、バスはその線に移動し、上り貨物をパスしたようだ・・・。 カメラを急いで片付けた。バスは停車してくれると思っていたのがまた甘かった。徐行しながら前を通り過ぎていくではないか! ガイドはどうした!! バスの横を走りながらカメラバックと三脚を放り込み、何とかバスに飛び乗る。

バスにすればお金は払ってもらっているのでどうでもいい客だ。ガイドにも停車するように頼んでおいたのに・・・怒。

バスは雪原の平坦な線路を樺南へ向かって走る。半時間ほどウトウトしているとガイドがいきなり喚きだした。何かなと振り向くと、暖房用に配管されたパイプの上に靴を置いていたのが熱で靴底が溶けだしゴムが焼けてしまった。彼は、車掌に足を置かないように注意すべきではないかと文句をいいだした。車掌は、あなたの不注意だと反論。まったく噛み合わない。

長い時間言い合いをしているうち彼は、納得がいかない様子で今度は私にボヤイテきた。マッタクーッ。

ようやく樺南に到着した。ほのかに明るさが残る空からは雪が降り続いていた。レンガ造りの黄色い駅舎の入口に裸電球がひとつ点いているだけである。半時間ほど駅舎の写真を撮っていると1549下樺でバスが追い越した上り貨物がやってきた。機関車と一緒に機関庫に行き、整備後、休憩所に停止するまでの小一時間を追いかけ撮影した。

続いて明日の運転計画を聞きに駅舎へ入る。どこから来たのか聞かれ、日本からだと正直に言う。最近は、治安が悪くなってきていてタクシーに乗ったときなどは日本人だと話さないほうが安全である。日本を出るときの情報では1/21/3には運休になるようだと聞いていたので大丈夫か確かめたかった。駅員は物憂げに明日の運行計画表を出してくれた。計画はまったく問題なく運転されるそうだ。しかし、これだけ雪が降り続いていると時間通り走れないので計画を見ても参考にならないという。

運行計画表の駅名を見ると樺南の次は、大金・だった。これが樺南手前で先ほど停レールバスが停まった駅だなと判った。この駅は交換設備もプラットホームもない乗降場だが、道を挟んだところに駅舎らしきもの見えていたところだ。

時間を手帳に控えお礼をいって部屋を出る。今晩は樺南賓館に泊まるぞ! 道に出て流しのタクシーを待つ。タクシーはすぐにつかまった。「樺南賓館まで」

10分ほどで到着。メータがないので5元を払い、ホテルに入る。一昨日と同じようにチェックインした。部屋も同じ509号室。部屋に入り、すぐに食事に向かった。今宵は「羊肉串ル」にした。ビールは「哈尓濱ビール」である。

18:00食事を済ませ、明日の昼食を調達しに行く。ホテルの対面のビルにある雑貨屋でパン、ソーセージ、コーラ等を買い込みホテルへ戻り、寝た。

 

2006/1/2(水)樺南〜駝腰子〜大嶺〜駝腰子〜樺南

610分起床、身支度を整え、2階食堂へ。6時半から朝食バイキングが始まるので急いで食べ650分出発した。タクシーは、1231日下樺まで送ってもらったタクシーと交渉し、迎えに来るように頼んでおいた。

駝腰子村に750到着。西合の電波塔下のS字カーブで構えた。半時間待っても来ない。風はないが雪が降り続いて結構寒い。それでも集通鉄路熱水に比べればHotだ。約1時間半待った。9:40に下りレールバスがやって来た。

それを撮影し、このポイントは諦め峠に向かうことにする。先日、大嶺(ダーリン)の帰りに乗せてもらった馬ソリの人の家を探すことにした。「○さん宅を知りませんか」と道路端の家を尋ね尋ねた。

1000家は意外と簡単に見つかった。門を入ると左側に馬小屋があり先日の三頭の馬が休んでいた。玄関を開けるとそこは6畳ほどの土間になっており、炊事用の釜が右手奥に見えた。ここが台所である。右手に部屋あり、奥さんが出てきた。ご主人は今日は雪のため仕事は休んで友達の家に遊びに行っているとのことである。一昨日の話をし、「今日は馬ソリを雇いたい」というと奥さんは彼を迎えに行ってくると言い残して出て行った。家には5歳ぐらいの男の子1人である。我々二人を家に置いて出て行ったことに驚いた。

10分ほどして主人を連れて戻ってきた。まず、値段交渉である。峠まで1往復。50元でどうかと聞くと、彼は少し思案したが、中国人らしく「ほかの人なら無理だがあなただから50元でOK」と了解してくれた。

早速、庭に出て準備をする。馬小屋から二頭を引き出し、ソリの紐を掛ける。約10分で準備完了。ソリには飼葉を一袋とカメラ三脚を積み込み二人が乗り込み1030いざ出発。

門を出て、線路を渡り、東へ向かう。村はずれにあるT字路を今日は右手に取った。先日帰った道と違うではないか! 少し行ったときに聞いてみた。すると峠へは2本の道があり、この南側の道が近道で通常はこの道で行って先日の道で帰るのだという。線路がまったく見えないと鉄の悲しさ、非常に心配になるが、そう言われれば仕方がなかった。 小雪が舞う中、ソリはどんどん峠を目指して進んでいく。当然のことだが吹きさらしで体は次第に冷えジーッと耐えるのみである。谷が狭まり比較的緩やかだった道がカーブし左斜面を蛇行しながら一気に高度を稼ぐ。馬も息絶え絶えである。私も急勾配には振り落とされまいとソリに捕まる。頂上から少し下るとまた間道にでた。正面には鉄道の線路が見えた。それを右に取り、5分ほど進むと道は線路と交差した。

「到了。」
峠頂上である。地元では「大嶺(ダーリン)」と呼ぶ。丁度、20m手前で先日の保線員達が雪かきをしていたので列車が来るか聞いてみた。

「馬上過来!」すぐに来るよ!だって。急いで用意をする。サミット南側の切通しを登る。吹き溜まりの雪で腰まで埋まる。汗だくでラッセルしながら5mほど登ったところで用意。すぐにドラフトが聞こえて来た。まだ準備完了していない。1159S字の向こう側に煙が見えた。時すでに遅し、露出も合せられないまま目の前を貨物が通過。後補機開放のため50m先で停車した。

カメラを抱え、急いで追いかける。意外に長時間停車である。本務機の機関士は車輪に付いた雪を落としたり、線路の雪かきをし、約20分ほど停車し、1221発車。

次の上り貨物は4時間後、日没後である。今日は、この一本のみである。荷物を片付け、馬ソリに戻った。3匹の馬は飼葉を食べていた。1243斉さんに帰る旨を伝え、ソリに乗った。1321淡い期待を持ってWオメガの踏切を過ぎたところで下り貨物を待つことにした。

寒い!
彼は、近くの枯れ木の枝を持ってきて焚き火を起こしてくれた。マイナス
20度を越え、地面は雪が積もっていたが、火は勢いよく燃え出した。非常に暖かい。次々に薪をくべ、快適である。予定では早くても午後2時半と読んだ。 ジーっと待つ、一時間余り待った二時過ぎになっても音も聞こえない。

残念!
暗くなるので帰ることにした。また、吹雪の中を寒いソリに乗ってひたすら耐えながら帰った。
1440、村に到着。荷物を降ろしていると機関車の音が聞こえてきた。急いで線路に向かう。下り貨物がこれ以上のスピードは出ないぐらいの速度でやってきた。辛うじて一枚撮影。

これで本日打ち止め。彼の招待で家に入り、休憩する。白湯をいただき、夕飯も食べて行けと勧められる。 断ること間もなく野菜の煮物とご飯が出てきた。ガイドに電話したが、通じない。どこに行っちゃったのー。

出されたご飯と白酒をいただき、半時間ほど寛いでいると電話が掛かってきた。ガイドからである。 そちらに迎えに行きますとのと。しばらくしてガイドがやって来たのでお礼を言って樺南へ帰った。

ガイドと運転手は空腹のためそのまま夕食に向かった。夕食はどういう訳か運転手がご馳走してくれた。私は○宅で夕食を済ましていたので二人は、簡単に終わった。そして、ホテルへ帰って寝た。

2006/1/3(木)樺南〜駝腰子〜大嶺〜駝腰子〜樺南〜鶴崗

550に起床、荷物をまとめて615に出発した。まだまだ暗い。今日は線路沿いに駝腰子へ向かうことにする。樺南駅を過ぎ、町なかを通り、しばらくすると一面のキビ畑に出る。40分走り、遠くに下樺が見えてきたと、658煙も上がった。目を凝らし見ていると貨物がこちらへ向かって来た。急いで三脚を立て、RZをセットするが、露出がない。慌てて35mm手持ちで撮影。

荷物をまとめ「追っかけモード」に入る。来た道を引き帰す。5分も走らないうちに追いついた。この区間の道路は北側に、線路と完全に並走しているのでいくらでも撮影が可能だ。あっという間にフィルム1本分を撮り、一旦貨物を引き離して、ある村で向かえ撃つ。時間は713少し明るくなったのか1/602.8開放で何とか撮影。このまま樺南まで追っかけると下り貨物が峠で撮れないのでここで諦め再度、駝腰子へ向かう。

昨晩降り続いた雪は10cmほど道路に積もっていた。下樺からは道路が狭くなり右折すると更に細くなる。 運転手は慎重に車を走らせていたが、前方からトラックが来たので運転席側である左にハンドルを取った。途端に道路横の吹き溜まりに突っ込んでしまった。車は身動きができない。

トラックはそのまま立ち去り、我々3人は雪掻きした。そして力の限り押したがまったく動かない。車の腹が閊えて亀状態になっている。そうこうしていると今度は荷車を牽いたトラクターがやってきた。荷車には日雇いの農夫たち10人余りが乗っていた。これは幸い!と思った。

トラクターは左側を抜けようとしたが、道幅が狭いため我々と同様に反対側に落ちてしまった。彼らのリーダが人夫に号令をかけると全員がトラクターの荷台を押した。大きなタイヤと人夫の力で瞬く間に脱出。その後、こちらも押してもらえるかと思ったのは日本人の甘さ。みんな荷車に乗ってそそくさと行ってしまった。

残された私たちは呆然と見送り、気を取り直し、車の下の雪かきをした。もう一度チャレンジしたが、やっぱり上がらない。道と路肩の段差は40cmほどあり、この状態では回避できない。

あ゛〜。

と諦めかけていたところへ1台のシャレードが前方からやって来た。車は横に停車し、後部座席から降りてきたのは一昨日まで一緒だった郷さんだった。彼は、下樺駅に行く途中だとのこと。引き揚げるのを手伝ってもらえないかとお願いするまもなく「押しましょか?」と声を掛けてもらった。運転手、ガイドを含め3人が加勢し、5人でシャレードを押した。車はいとも簡単に道路へ引き揚げることに成功。

やった!非常感謝。 お礼を言って別れた。

ようやく目的地「駝腰子」に向かった。10分ほどで○家に到着、急いで馬ソリをお願いする。彼は、昨日帰宅後、友人に日本人の話しをしたそうで、日本人を峠まで連れて行って50元は安すぎると忠告されたと話した。少し上げてもらえないかという。いくらが妥当か私もわからなかったが、月収1000元以下を考えると一日30元ぐらいであるが・・・。そこで70元でどうか!というと100元にしてほしいが昨日の今日ということで70元で承諾してもらった。馬ソリを用意し、今日は線路沿いに走ってもらうようお願いをして出発した。

小雪が吹き、ソリはとても寒い。半時間ほど走った。谷が少し狭くなってきた。川を挟んだ200mほど向こう側に線路は続いている。 916前方を見ると1km先に煙が見えた。「やった!貨物が下って来た。」・・・ソリを止め急いでカメラをセットする。5分ほど見ていたがこちらに来ない。吹雪の中、はっきりは見えないが、どうも停車しているようだ。ソリを走らせて近づくことにする。

あと、100mで並ぶという所まで来た時、煙が上がり、貨物は峠へと走り出した。もう少しで追いつける所だったのに残念! 馬ソリで「追っかけ」である。どう考えても追いつくはずがない。距離はどんどん離れていく。しかし、また、1kmほど離れた時、機関車は停止した。

やったー!
これで追いつく。貨物の後部が間近かに見えるまで近づいた時、機関車は再度発車した。

んー残念。馬に鞭を入れスピードUPしてもらったが、937あと20mで機関車は下段オメガカーブを抜けていった。思わずソリから立ち上がりひっくり返りそうになりながら馬のケツを入れて撮影。

そのまま、急いで踏切を渡り、上段オメガを抜ける前に前にでられないかと馬に鞭を入れてもらう。踏切を100mほど上がったところで見上げると幸い煙は見えない。バッグと三脚を担ぎ、斜面を駆け上がる。線路端に出、三脚とカメラをセット、こんなにオメガが大きかったか?と思うぐらい貨物が来ない。音も聞こえない。・・・? 

しばらく待っていると前方カーブから男が一人歩いてきた。キョロキョロしながらこちらへ来る。「ん何者!こんな山奥に・・・」よく見ると男は携帯を空にかざしていた。そしてこちらへ近づいてきて一声、

「携帯持ってないか?」
「持ってるよ」
「俺のは聨通(レントン)だから山奥では電波が届かないんだ、おまえのはどこの携帯だ」
「中国移動。電波は有るよ。」
「貸してくれない」
「どうして・・」
「この先で機関車の水が無くなって動けないんだ。救援を頼みたいのでね」
「どうぞ」
彼は立新駅に電話して戻っていった。私もカメラを片付け、カーブの先へ行く。

1010カーブを曲がった先にには追いつけなかった機関車が蒸気を上げていた。一面の雪景色の中で停車している機関車を撮影していると機関士がまた寄ってきて記念撮影をしてほしいという。彼は、機関車の前に乗り、直立する。 何枚か撮影し、送る住所を聞いたがはっきり書かない。。。?

 

まもなく救援機が来る時間なので先ほどのカーブまで戻る。
1036救援機が下ってきた。しばらくすると汽笛とともにドラフトが聞こえた。
1100重連でカーブを曲がってきた!

重連で来るのが判っていたので出来るだけ横から撮ろうと考えたが、考え甘く微妙に風がこちらへ吹いていたことに気が付かなかった。本務機は救援機から立ち上がる蒸気と煙に包まれてしまった。殆ど重連であることが判らない。出来る限り引いてサイドを撮影したが・・・※☆×△

撮影するや荷物をまとめ馬ソリで「大嶺」へ向かった。約10分で到着。戻ってくるまで小一時間はあるだろうと少しのんびりしていた。○さんは、いいものを見せてやると私を山に連れていってくれた。「大嶺」から少し入るとそこには砂金の採集場があった。木々に囲まれたところに入口が2mほどで深さが3mぐらいの穴を掘り、そこから砂金まじりの土を採取していた。

地上には水で土と金を分ける流し台がある。冬は雪と氷で固まっているため休業状態だった。急いで線路まで戻り、「大嶺」手前のS字に構える。1220ほどなく先ほどの機関車がPPでやってきた。S字を俯瞰しているため後補機が写ると考えたのがまた甘かった。結局、本務機の蒸気と煙で後補機はまったく煙に巻かれ写真に写らなかった。

列車通過後、急いで片付け、切り離しに時間が掛かるので列車の先頭へ、回り込んだ。機関士は今日もスコップで雪かきをしていた。乗ってきた馬ソリを入れて撮ることにした。
馬を入れカメラを構えた。間もなく発車、機関車の近づく音に驚き木につないでいる馬が慌ててこちらに走りだした。子馬は繋がれていないので。どんどんこちらへ・・・機関車と並んだ時には、フレームアウト。失敗である。ホント、動物と絡めるのは難しい。
時間を見ると1240。昨日は1220だった。計算では下り貨物は日のあるうちは来ないと予測し、帰ることにした。

来た道を引き返す。約1時間ほど戻ると駝腰子が見えてきた。と、よく見ると煙も見えてきた。線路とは川を隔て100mほどある。ソリを止め、深い雪をラッセルして何とか寄り付こうとしたが、吹きだまりは腰より深く、ラッセル不能。築堤に上がるのを諦め、1400サイドから撮影。もう少し、我慢して待てば良かったか・・・下樺で交換してやってきたようだ。

再びソリに乗り、駝腰子へ向かった。 村に着いたのは1450

すると、先程峠に向かった貨物がものすごいスピードでバックで下っていった。ついに上れなかったようだ。

そんなことは予測していなかったのでバックで走るC2のを見送ってしまった。

さんにお礼を言って引き揚げる。今日で樺南は最終日だ。樺南駅まで戻りC2をスナップし、市内にある運転手の自宅で彼の荷物を取り、このタクシーで一路、鶴崗へ向かった。樺南から高速に乗り、佳木斯を過ぎ、松花江大橋を渡り、北へ北へと向かう。ガイドが風邪をひいて頭が痛いと言い出した。途中の小さな雑貨屋で薬を買って飲む。タクシーには隙間風が入り、後部座席はまったく暖房が効かない。これまたジーっと耐えるのみ。

やっと高速の終点、鶴崗市に入った。時間は19:00。ここは.東北でも有名な炭鉱町である。高速から右に見える炭鉱の建物のてっぺんから灯台のような青白い光のサーチライトが回転し、一面を照らし出す。異様な光景だと思いっているとすぐに高速の出口になり、そこを出て真っ直ぐ行くと踏切があった。

更に行くと大きな門がそびえそこを通り抜け、坂を上がったところには市内環状道路に入る料金所がある。市内に入るには必ず通行料が必要である。5元を支払い、市内中心部へ向かう。広い道を進むと右の公園に小ぶりのパリの凱旋門を模した門があった。きれいな町である。新年ということか、道路脇はライトアップとイルミネーションがずーっと続いていた。少し走ると左手にホテルが見えたのでここに泊まることにした。

ホテルの名は飛鶴商務ホテル。ツイン128元であった。

チェックインし、部屋へ荷物を置き、晩飯に出かけた。とにかく運転手もガイドも私も誰も来たことのない町である。鉄道の駅はどこにあるのかまったくわからない。食事と国鉄鶴崗駅を探しに出かけた。3kmほど走ったところにある大きいレストランに入ったが、やはり田舎である。

あまりたいした料理もなく簡単に食事を済ませ、駅を探しに出た。まったく判らないのに適当に走った。ようやく駅の案内表示した道路標識が見つかった。それを頼りに走るが、途中で見失う。しばらくしたら右手にいきなり駅舎が見えた。駅前広場に車を止め、炭鉱鉄道のある場所を売店で聞く。あまりよく判らない。どうも線路も反対側のようである。駅前の道を更に北へ進む。すると大きな跨線橋になっていてそれを越した右が機務段入口になっていた。入口に着いたが門は閉まっており諦めた。続いて鉄道の駅を探す。道行く人に聞くと少し右に行ったところらしい。しかし、不案内のためなかなか探し当てられない。その辺の道をぐるぐる回って、細い路地から出たところに小さな駅舎があった。2010駅舎に入った。待合室を掃除している女性の職員がいたので列車の時間や蒸気機関車があるかなどなど質問した。

どうも冬は列車が少ないらしい、6月以降は観光列車が走ると話していた。ここの駅名を聞くと「集配站(ジーペイジャン)」であることがわかった。ここが始発駅のようだ。明日の通勤列車の時間を確かめ退散した。駅前の道を南にとると200mほどで大通りに出た。道路は跨線橋で鉄道を跨いでいる。暗くてよく判らないがどうも国鉄と炭鉱鉄道が並走しているようでそれを一気に越えるようになっている。

迷いながら来た道を引き返した。
ホテルにたどり着いたのは2100だった。

 

2006/1/4(金)鶴崗〜集配駅〜踏切〜大陸駅〜鶴崗〜佳木斯〜車中

朝起きてすぐに出発した。昨晩聞いた話では集配駅に8時に出発する列車が2本ある。車を飛ばして、駅に到着したのが750、ホームには列車がない。??少し先には上游が1台で停車しているだけだった。

半時間待ったが、列車は現れず、凸型電機が貨物を引いて1本来ただけであった。発車の撮影を諦めて線路沿いに南へ向かう。途中から道路と線路はまったく離れてしまいどこを走っているか見当がつかない。しかし、昨晩、高速から下りたあと渡った踏切に向かった。踏切にある詰所にガイドと一緒に列車の時間を聞くと「もうすぐ来る。あと10分ほど・・」。急いで詰所を出て、カメラをセットすると踏切が閉まりだした。すると「上游」が単機でこちらに向かってきた。903鶴崗初ショット。朝の炭鉱町の靄の中へ消えていった。

しかし、これは本線ではない。本線は「峻立」へ向かう線路である。更に南に数km走ったが線路は見えないし、工場の塀が続いて左に入る道がない。仕方なく、町に戻る。

また、市内に入るのに料金を支払い、先ほど線路が並走していた所まで戻る。車を折り、小さな踏切で待った。 すぐに上游の牽く客レが音もなくやってきた。無人の踏切なのでまったく気付かなかった。・・・ 1016振り向きざまにスナップを撮る。

朝食を摂っていなかったので運転手とガイドには食べに行くよう指示し、一人で踏切で待つことにした。それから1時間ほどで彼らが戻ってきた。まだ、来ない。200m前方に駅が在ることに気付いた。カメラひとつぶら下げて調べに行く。

低いホームと駅舎があった。駅名は「大陸」だった。駅を通り越し、少し行くとまた踏切がありその先で国鉄と並走している。道路、国鉄、専用線本線、引込み線の順に階段状に並んでいる。こちらのほうがロケーションが開けていていいので一旦引き返し、車を北側踏切に回ってもらった。更に待つこと1時間、1355客車を牽いた上游が逆向でやってきた。絵にならない。ここの機関車はすべて北向きになっている。従って順光方向はすべて逆向きとなることがわかった。今度は南から石炭列車がやってきた。大陸駅に停車。貨物を切り離し、単機でこちらに来る。目の前の踏切を渡ったところで停車し、バックで構内へ戻っていった。また、来るかなと見ているとそのまま単機で南に向かってしまった。更に待つこと1時間、あまりに来ないので少し集配駅寄り100m移動する。左下に家の屋根が見える斜面に、国鉄線とその向こうに専用線、更に一段上がって引込み線になっている。レンガ造りの倉庫を入れて三脚を構えた。夕暮れが迫ってきた。

そのとき、前方の駅に上游が入線してくるのが見えた。太陽は沈む直前で空は紅く染まる。炊飯の煙で靄ってきていい感じである。やっと良いのが撮れると思い心が躍った。露出を何度となく測り、準備万端で待つ、汽笛一声、上游の牽く客車がこちらにやってきた。200mまで近づいたときである。国鉄線から東風4のタイフォンとディーゼルエンジン音が聞こえてきた。すぐ先のカーブに東風確認。東風4は早い、上游は遅い。・・・・

並走する線路。100m先で上游と並んだと思う間もなく東風が抜き去る。すると国鉄線が手前のため上游はまったく見えない!

 それでも東風の速度が速いので一縷の望みを抱いたが、国鉄客車がやたら長かった。

客車の向こう側を上游が通過していった。

・・・あ゛〜っ

本日の撮影終了。撤収ーッ。鶴崗の一日はロクなカットも撮れず終了することとなった。

今晩は佳木斯から1755発夜行に乗らなければならない。結局今日一日の成果は・・・北辺の地に来たということだけか・・

1530夕日が沈む鶴崗平原を南へ走る。鶴大高速はほとんど車が走っていない。半時間ほどで辺りは真っ暗になった。行きと同じで隙間風で車内が寒い。ジーっと耐えること2時間。車は「松花江大橋」を渡り、佳木斯の町はずれまで戻ってきた。突然、車が路肩に停車した。 運転手は車を下り、道路の向い側に停車しているタクシーに近寄っていった。しばらく運転手同士で話をして戻ってきた。「どうしたのか?」と運転手に聞くと「道が分からないので先導してもらう」と言い出した。道路標識は佳木斯まで直進とある。何が分からないのだろう・・・

また、話をしに向いの車へ10分ほどして戻ってきたので早く出発するように言うともう一人待っているという、すると車がもう一台来た。そしてまた打ち合わせをしてその車の後ろを走りだした。1kmも行かないうちに車は左折し、松花江沿いを走り出した。右手には佳木斯の光が見える。真っ直ぐでいいと思うのだが・・・ガイドに大丈夫かと聞くとガイドも方向がおかしい・・これは何かあるじゃないかと言い出す始末。ガイドは以前に佳木斯に来たことがあり、方向が違うと言った。彼も心配になって来たようで運転手に「前の車についていかないで次の角を曲がってくれ」と大声で何度も指示する。

都合よく交差点があり、そこを曲がれとうるさく言ったため運転手は仕方なしか曲がった。そして光のある方向を目指して走り出した。すぐに先導していた車が戻ってきた。横に並ぶとその車の運転手が窓を開け何か大声で叫んでいる。「なぜ一緒に来ない、ついて来い」と言っているようだ。また、前に出た。先導される形で佳木斯へ向った。曲がり道はなく佳木斯の町まで入ってきた。よく分からん。車は外周道路を走り、どこまでも行くのでまた、ガイドが指示し、途中を曲がらせた。前の車が気付いて急いで戻ってきたが市街地に入っていたため車が多く追いつけない。すると携帯電話が鳴った。運転手がうなずいている。速度を落とし、しばらく待つと先の車が追いついた。またもや先導される。駅前に行くと思われる道を通り過ごしたのでガイドが文句をつけた。

すると方向転換し、駅前通りにはいった。電話がまた鳴る。運転手は今度は出なかった。駅が見えてきた。駅前に無事到着。荷物を降ろし、運転手にお金を支払い別れる。だいぶと時間ロスがあったので発車まで30分しかない。重い荷物を持ってダッシュ!広場と通りを渡り、「進站口」へ。手荷物のX線検査を済ませ左にある待合室で10元支払うとポーターが我々の荷物を持ってホームまで送ってくれた。

 汗だくになりながら無事、夜行列車に乗り込んだ。列車は定刻2分前に発車した。

安心するとお腹が空いてきたので食堂車へ向った。今回もいろいろとあった6日間であった。

あの運転手達は何をしたかったのだろう・・・二人はその話で色々と話し合ったが結論は出ず、「ヘイロンジャン(黒龍江)は怖いね〜」で締めくくった。

明日の朝は、遼寧省鉄嶺である。五星ビールで乾杯し寝た。おやすみ・・・

1機関車の方向

  下り列車
  樺南→立新:機関車前向き
  立新→紅光:機関車逆向き

2機関車の運用
 1.下り貨物が立新に入線
 2.下り機関車切り離し
 3.下り機関車三角線で方向転換
 4.下り機関車給水、
 5.上り貨物立新に入線、切り離し
 6.上り機関車給水
 7.上り機関車連結、
 8.下り機関車後尾に連結
 9. 発車
10.大嶺到着。列車停止
11.後補機(下り機関車)開放
12.両方共、出発
13.下り機関車単機回送
14.下り機関車立新到着
15.下り機関車バック運転にて紅光へ