宗谷本線は、旭川を起点に日本最北端・稚内までの259.4kmに達する。途中にある唯一で最大の難所がこの「塩狩峠」である。
塩狩峠は、北海道上川郡和寒(わっさむ)町にあり、この名の由来は明治政府が1869年(明治2年)に蝦夷を北海道と改称した際、11国(注1.)を設置した。「天
(てしお)」と「石(いしかり)」の国境に位置するところによる。

この鉄道は1899年(明治32年)11月25日に北海道官設鉄道天塩線として和寒まで開業した。 塩狩駅は1916年(大正5年)9月5日に信号所として設置、1924年(大正13年)11月25日に駅に昇格した。また、1912年9月21日より宗谷線と改名され、1919年10月20日宗谷本線と改名された。

昭和47年当時、蒸機牽引客車は稚内まで1往復321レ、324レと名寄までの1往復323レ、322レがあった。
C55が牽く321列車は旭川11:00丁度に日本最北端「稚内」に向け出発、平坦な上川盆地を北に走り、標高185m「蘭留駅」に到着。ここでDLを後補機に連結し塩狩峠越えが始まる。峠南側の勾配は最大20‰、平均18.5‰で5.6km続く。また、この峠南側は急カーブが連続し最小半径195mの箇所もある。駅手前のサミットを越えると標高256mの「塩狩駅」へと入る。後補機を頂上塩狩駅で解放し、峠北側へ一気に下る。勾配は南側よりきつく平均20‰となっているが、急カーブが少ないため列車は比較的高速で下り7.9kmで和寒駅に至る。蘭留からの峠越えはここ和寒で終わり、一路、士別、名寄、稚内へと長駆す。

 鉄道ファン以外にこの峠を世に知らしめたのは、かの名作、1968年(昭和43年)9月新潮社より発売された三浦綾子さんの小説「塩狩峠」であろう。残念なことは当時の私は、この小説も題材になった鉄道事故も知らず呑気に蒸機を撮影していたものである。そのときに殉職された長野政雄氏のことを知っていたら違った写真になっていたと思う。

                                  ENTER
18枚 1972/1974年 宗谷本線 蘭留・塩狩・和寒・南比布・士別
資料提供ご協力:和寒町役場様

参考サイト:
和寒町公式ページ
比布町公式ページ
JR北海道本社
JR北海道旭川支社
JR北海道宗谷北線運輸営業所

参考資料:
蒸気機関車20号/1972年(昭和47年)7月特別号
鉄道ファン148号/1973年(昭和48年)8月
鉄道ジャーナル458/2004年12月

注1.11国とは
明治2年8月15日蝦夷地を北海道と改称した際、制定された。名称は下記の通りです。
渡島、後志、胆振、石狩、天塩、日高、北見、十勝、釧路、根室、千島国

>Home >日本鉄道  塩狩峠Top
     
 
      
塩狩峠