片町線 Katamachi Line                  >Home >日本の鉄道Top  

■歴史 History

日 付 内  容
1893年(明治26年)8月12日 京都府綴喜郡田辺村西川義延氏他11名が城河鉄道(株)を創設を逓信大臣黒田清隆伯爵に出願。路線は相楽郡木津村〜讃良郡四条村、支線は交野郡菅原村長尾〜綴喜郡八幡町。
1895年(明治28年)8月22日 浪速鉄道により四條畷にある野崎観音参拝のため片町〜四条畷間が片町、放出、徳庵、住道、四条畷の5駅で開業。
1895年(明治28年)8月22日 城河鉄道は田辺村(現・京田辺市)に資本金80万円の株式会社として発足。
1896年(明治29年)5月 城河鉄道に本免状が下附される。
1897年(明治30年)1月 四日市に本社のある関西鉄道が名阪間に列車を走らせる目的で浪速鉄道、城河鉄道を吸収合併した。そのため城河鉄道が保有していた四條畷〜木津間の鉄道敷設許可も取得。
1898年(明治31年)4月12日 関西鉄道網島線四条畷〜長尾間開業。イギリスダブス社製蒸機1480型運転。
1898年(明治31年)5月28日 長尾〜新木津試運転
1898年(明治31年)6月4日 長尾〜新木津(現・木津駅西600m地点)間開業
1898年(明治31年)9月16日 新木津〜木津間を開業し、奈良鉄道(現在の奈良線)に接続。
1898年(明治31年)11月10日 加茂〜新木津間、放出〜網島間が開業したことにより名阪間が結ばれ名古屋〜網島間に直通列車を走らせた。
路線距離:172.2km、所要時間:6時間51分、1日5往復運転。
1900年(明治33年) 関西鉄道が大阪鉄道(奈良〜湊町(現JR難波))を吸収合併し、名阪直通列車は柏原(現・関西線)経由となった。
1901年(明治34年)12月21日 網島〜桜ノ宮間が開業。
1907年(明治40年)8月21日 加茂〜奈良間の大仏鉄道を廃止し、木津経由に変更、同時に加茂〜新木津間が廃止、木津〜桜ノ宮間を結ぶ線となった
1907年(明治40年)10月1日 関西鉄道が国有化され木津〜桜ノ宮間は桜ノ宮線、放出〜片町間は片町線となる。
1913年(大正2年)11月15日 放出〜桜ノ宮間が廃止、木津〜片町間が片町線となった。この日、片町線京橋停車場が開業し、環状線と連絡。
1932年(昭和7年)12月1日 片町〜四条畷間が電化。
1933年(昭和8年)6月17日 四条畷〜木津間にガソリンカー運行。
1950年(昭和25年)12月25日 四条畷〜長尾間が電化。
1951年(昭和26年)10月18日 長尾〜木津間にディーゼルカー運行。
1970年(昭和45年)10月1日 田辺駅手・小荷物取扱い廃止。
1971年(昭和46年)9月26日 C11蒸機牽引の貨物列車廃止。
1972年(昭和47年)6月24日 田辺児童交通公園に国鉄よりC11蒸機貸与。
1979年(昭和54年)10月1日 長尾〜片町間の各駅に関西の国鉄線初の自動改札機設置。
1987年(昭和62年) 国鉄が分割民営化によりJR西日本となる。
1988年(昭和63年)3月13日 京阪奈丘陵に開発される関西学術研究都市にちなみ「片町線」の名称を「学研都市線」の愛称でデビュー
1989年(平成元年)3月11日 木津〜長尾間が電化。この時大住〜長尾間の線路が付け替えられトンネルが廃止、中間に松井山手駅が開業。普通電車は長尾行きが松井山手まで延長した。
1997年(平成9年)3月7日 片町〜京橋間廃止、併せて片町駅も廃止。
1997年(平成9年)3月8日 JR東西線が開業しJR宝塚線・JR神戸線との直通運転を開始。田辺駅から京田辺駅に、上田辺駅からJR三山木駅に改称
1998年(平成10年)9月8日 片町線における103系電車のさよなら運転。
1999年(平成11年)5月10日 区間快速運転開始。
2002年(平成14年)2月2日 京田辺駅橋上型新駅舎完成供用開始。
2002年(平成14年)3月16日 JR三山木駅高架完成供用開始。
2002年(平成14年)3月23日 快速7輌から4輌への分割併合作業を松井山手から京田辺に変更、京田辺から大阪への時間4分短縮。大住駅に列車交換設備設置。星田駅に快速停車。
    
2003年(平成15年)11月1日 全駅に「ICOCA」改札機設置稼動
2005年(平成17年)3月31日 同志社前駅舎レンガ調に新装。同志社とJR西日本が共同出資同志社国際中学、高校、大学生約7000人が利用

参考文献:
「田辺町近代誌」、「田辺町史」、「木津町史」、「けいはんな風土記」(学研都市線創設物語)、「枚方市史」、「片町線・草津線・関西本線そのルーツと鉄道文化を探る」、
「全国鉄道事情大研究 京都・滋賀篇」、「関西国電50年」、
「鉄道ファン」、JR西日本お客様センター